0-20.破滅の姫
クロイド遺構の北西、純白台地に連なる灰褐色の山中。
オークの木々が密生するその森で、戦闘が勃発していた。
ユーゴとイツキの二人はライフルを肩にかけ、枝葉を押し分けながら森林の奥へと進む。
「中隊長、部下がさらに二人、消えました」
「はぐれたのか?」
「わかりません。前を進んでいたのは確かです」
イツキの言葉を遮るように、森の奥から悲鳴がこだました。
一人や二人ではない。あちこちから、断末魔が重なって響く。
「なんだ!」
二人は即座に周囲を警戒する。
だが、人の手がほとんど入っていない森林は視界が悪く、何一つ捉えられない。
背丈を超える植物に遮られ、昼であっても山中は薄暗い。
悲鳴の方向から、部隊に異変が起きていることだけは伝わってくる。
だが、その先は闇に沈んでいた。
イツキは足を止め、違和感を確信に変えたまま低く告げる。
「これだけの騒ぎで、逃げる鳥がいない。危険です」
ユーゴは、その声色だけで事態の深刻さを悟った。
「後退する。一度立て直そう」
「了解」
悲鳴はほどなく途絶え、無風の森を静寂が支配する。
聞こえるのは、二人の衣擦れの音以外、何もない。
「エンブラの伏兵でしょうが……敵の数と我が隊の被害が合わない」
後退のためにイツキが振り向きかけた、その瞬間。
前方右手から、枝葉を踏み砕く音がした。
無言のまま、二人は音の方向へライフルを構える。
幹の幅が三メートルを超えるオークの巨木。その向こうから、確かに音が続いていた。
「私が」
イツキは小声でユーゴを静止しようとし、オークの巨木に背を張り付ける。
反対側に潜むであろう敵の気配を探り、耳を澄ませた。
そのとき、再び森に悲鳴が走る。
ユーゴは銃口を大木に向けたまま、思わず囁いた。
「何が起きてるんだ」
オークの向こう、木々の合間から金色の甲冑をまとった少女――ヒルドが姿を現した。
オークの幹に隠れるイツキからは見えず、ユーゴだけがその存在を視認する。
「は……? ……鎧の、女?」
輝く黄金のいで立ちに、ユーゴは一瞬、息を呑んだ。
彼から見て右手奥。
オークの幹に寄り添うように立つヒルドは、右手にぶら下げた抜き身のサーベルの刃を、そっと大木へと当てる。
その間、ヒルドはユーゴの双眸を見据え、微笑んだ。
「ひ」
少女の顔立ちでありながら、ヒルドの面持ちに幼さはない。
亀裂のような笑みを前に、ユーゴの表情が凍り付いた。
イツキが声を潜め、訝しげに問いかける。
「中隊長、何が見えます? 中隊長!」
オークの幹が軋み、こずえを揺らす。
木全体が、わずかに傾いた。
イツキは、その異音が自分の背にある大木から発せられていることに気づく。
かすかな軋みは次第に大きくなり、隠れ場所である幹そのものを裂き始めた。
オークの硬い樹皮を、ゆっくりと突き破り――
サーベルの切っ先が、銀色の芽のように頭を出す。
繊維が引き裂かれる異音が激しさを増し、やがて破裂音へと変わった。
幹の太さは、三メートルを超えている。
柄を握る腕ごと、サーベルは幹の内部へと沈み込んでいた。
「中隊長! 状況を! ユー」
得体のしれぬ恐怖に駆られ、イツキが身を乗り出そうとした、その瞬間。
サーベルが完全に樹皮を突き破り、イツキの体を横一文字に両断した。
「ゴ?」
刈り取られ、弾かれたイツキの上半身。
ユーゴとイツキの視線が、刹那、交差する。
直後、切断されたオークの幹が宙を舞い、イツキの上半身を巻き込みながら、周囲の木々をなぎ倒していった。
ヒルドはサーベルを右手に下げ、引きちぎられたオークの切り株の前へと歩み出る。
「人ならざるはエンブラ王家の常。戦場で少女を見たら、化け物と思え」
イツキの下半身は、立ったままだ。
ヒルドはその横を通り過ぎ、ユーゴの目を見据えたまま歩を進める。
ユーゴは辛うじて、ヒルドの顔へライフルの銃口を向けた。
だが、現実離れした光景に思考が追いつかない。
アイアンサイトの先に立つ少女を、理解できなかった。
金色の甲冑に身を包んだ金髪の少女が、突如として山中に現れ。
その手には血の滴るサーベル。
そして、イツキ小隊長の体には、上半身がなかった。
ヒルドはユーゴから2mほどの距離で立ち止まる。
やっと、ユーゴの体が動いた。
「エンブラ王家? あは……あははは! 本物の化け物か!」
「気が触れたか」
「はははは! 現実離れし過ぎなのさ、笑わずにいられるかっての! この化け物め!」
ユーゴはすかさず照準を合わせ、ライフルを連射した。
弾丸は甲冑に叩きつけられ、鉄鎖マントを大きく揺らし、あるいは顔面を正確に捉える。
着弾の衝撃でヒルドの金髪が大きく揺れた。
だが、彼女は瞬き一つ見せなかった。
弾丸を撃ち尽くしたユーゴはライフルを捨て、ボルト・オン・ナイフを抜く。
迷いのない一連の動作。
その様子に、ヒルドは僅かな興味を抱いた。
「恐怖に駆られたわけではないな。虚ろな目の小兵よ」
「オレはさ、出来合いの自由なんて欲しくないんだ。あんたみたいな大物の首があれば、本当の自由が手に入る気がする」
空を斬り、サーベルの血を切り払うヒルド。
轟音が弾け、木々の葉が一斉に揺れ、その風圧でイツキの下半身が地面へと倒れた。
「戦いに自由を求める手合いか? それとも、この私に八つ裂きにされるのが自由か? 人の軛に囚われた俗物よ」
「虚ろだとか俗物だとか、会ったばかりの化け物に何がわかるのさ? エンブラ王家ってのは、ずいぶんと無礼なんだな」
「我らが世界樹を食い荒らす害虫に、礼儀もあるまい。世界の安寧のため、我が剣が貴様ら下国の民を討ち滅ぼす。それだけだ」
ユーゴはボルト・オン・ナイフをヒルドに向け、慎重に間合いを計る。
「世界樹? あの伝説の? ……意味はわからないけどさ、安寧ってのは聞き捨てならない。重銀を独占する戦争屋が、世界の安寧? 世界を乱してるのは、アンタらさ」
ヒルドはサーベルの切っ先をユーゴに向け、その目を見据えた。
「エンブラ王家の前で世界を語るか。命がいらぬと見える」
「命なんてどうだっていいさ。オレは、オレの世界を粉々にしたいんだ。おたくらの胡散臭い思想なんて、どうでもいい」
ヒルドはしばらくユーゴの目を見つめていたが、やがて視線を外し、サーベルを鞘に納めた。
「虚ろな人間の言葉からでは、何もわからぬな」
「そうかい!」
ユーゴは踏み込み、ヒルドの首筋を斬りつける。
直後、砕ける剣身。
まるで鉄塊を殴りつけたかのような感触に、ユーゴの頬を冷たい汗が伝った。
鍔のスイッチを押し、剣を振る。
折れた刃を捨て、鞘に剣を収め、刃を再装填する。
「弾丸が弾かれたんだ。剣が効くとは思ってなかったけど、さ」
ユーゴはヒルドを警戒したまま、その背後のオークへと視線を向けた。
太さ3m以上もあった巨木の枝葉は消え失せ、無残に引きちぎられ、根元だけが残されている。
ユーゴは腰のポーチに手を突っ込む。
手榴弾を握った手が止まり、自身の矛盾した行動に気づいた。
――手榴弾では大木を破壊できない。その手榴弾で、大木を破壊したこの化け物を倒せるか?
答えは、否。
ポーチに手を突っ込んだまま、ユーゴは蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れなくなった。
一方、ヒルドは涼しげな表情のまま、ユーゴを指さす。
「余興を思いついた」
思わぬ言葉に、ユーゴは時間を稼ぐ算段とばかりに同意してみせる。
「へえ……興味あるね」
「貴様の目は、報われぬ者の目だ」
「なに……?」
「報われぬ願いを渇望する者よ」
「何を好き勝手に……!」
「ゴカ村と言ったか。その村と、いや国だ。アウルカをお前にやろう」
「……はあ?」
「死をいとわぬ蛮勇など、かつての戦場に掃いて捨てるほどいた。さほど珍しくもない。だが、その幼稚な目が死を恐れぬ動機だと言うならば、話は別。まさに余興に相応しい」
「人の人生で暇つぶしをしようなんて!」
「貴様が壊したいと願う、その世界をくれてやろうと言うのだ。民にとって、国こそが世界であろう? 何が不服だ?」
ヒルドの言葉は、確かにユーゴの真実を射抜いていた。
「貴様は命を賭して駆けたいのだろう? 我らエンブラが目的は国盗りではない。見据えるはこの世界の根幹、理そのものだ。たかが小国一つ、与えよう。良い余興だ」
ヒルドは再びサーベルを抜き、歩み寄る。
そして、刃を立てることなく、剣身の腹をユーゴの首筋へと添えた。
「二度は言わぬ。さあ、選べ」
首筋に伝わる、冷たい感触。
ゆっくりとサーベルの刃が返されていくのがわかる。
刃が肌を割く直前、ユーゴが口を開いた。
「オレは――」




