0-16.誓い
三人はムロージの店を後にすると、目的地も定めぬまま歩き出した。
コテツの手には、髪飾りの入った茶色い小さな紙袋が提げられている。
たわいのない会話を交わしながら進むその道すがら、カガミの視線は幾度となく紙袋へと吸い寄せられていた。
そのとき、甲高い電子音が不意に鳴り響く。
「オレのだ」
ユーゴは腰のベルトに固定されていたトランシーバーを外し、有線式イヤホンを耳に掛け、送話口を口元へと寄せた。
短く、しかし要点を押さえたやり取りを数度交わすと、トランシーバーを握り締めたまま、表情を引き締めて言う。
「コテツ、オレは北西の調査に行く」
「北西って、純白台地の」
ユーゴは手の平をコテツへ向け、首を横に振って言葉を遮った。
「念のために心の準備はしといてくれってさ」
「……わかった」
カガミに軽く手を振り、ユーゴは足早に去っていく。
残されたコテツとカガミは、その背を見送った。
短い沈黙が、二人の間に落ちる。
コテツは、ふと手元の紙袋へと視線を落とした。
この髪飾りを、いつ、どんな形でカガミに贈るべきか――思考が巡る。
大枚を叩いて購入したこと以上に、この贈り物が持つ意味を、彼は十分に理解していた。
今夜のクトファ流星。
そして成人祭でもある護国王祭。
これ以上ない好機だと、コテツは考えている。
紙袋を握る指先に、自然と力がこもった。
――星降る夜に、夜景をバックに告白だ。
そう心に誓った、その瞬間だった。
カガミが勢いよくコテツの前に躍り出て、右手を差し出す。
「コテツー! 手! 手!」
「どうした?」
差し出されたその手を、コテツは反射的につかむ。
次の瞬間、引っ張られ、駆け出していた。
「コテツ! 髪飾りつけよ!」
完全に想定外の提案だった。
脳裏では、最高のシチュエーションがようやく形を成したばかりだったというのに、直前までの決意は音もなく崩れ去る。
「ええ? 今? なんかいい感じのタイミングとか場所のほうがいいんじゃないか?」
「なーに言ってるの! 目の前で一緒に買ったんだよ? それなのに後って変!」
その一言で、コテツの決意は見事に水泡に帰した。
「へ、変かな」
カガミが向かった先は、石のベンチが据えられた小さな休憩スペースだった。
崖からせり出すような形状で、眼下にはゴカ村の街並みが広がっている。
手を放したカガミは小走りでベンチへ向かい、くるりと振り返って腰を下ろした。
石のベンチに座り、こちらを見上げるカガミ。
その視線が何を求めているのかを悟り、コテツは紙袋から髪飾りを取り出した。
頭上から降り注ぐ陽光を受け、髪飾りは艶めかしく揺らめく。
生き物のようにきらめく玉虫色の輝きに、思わず目を奪われる。
だがすぐに気を取り直し、タマルリアゲハの髪飾りを、そっとカガミの黒髪へと添えた。
「よく似合ってるよ」
「おっほん。では……。コテツさん」
カガミは立ち上がり、背筋をすっと伸ばして姿勢を正す。
そして、真っすぐにコテツの目を見つめた。
「私を、一生守ってくださいね!」
「ああ、カガミは俺が絶対に守る! 俺の命に賭けても!」
「賭けには絶対に勝ってくださーい! で、私を幸せにすること!」
「絶対に幸せにする!」
「んふふふ! 約束だよ!」
「世界で一番愛してる?」
「愛してるよ。……って、俺から言わせてよ」
「んふふふ!」
夢見心地のまま、カガミは顔を綻ばせる。
そしてベンチの上に立ち、蝶のように両腕を広げると、そのまま満面の笑みでコテツに飛びついた。
「おいおい!」
慌てて受け止めるコテツ。
勢いのまま首にしがみついたカガミを、両腕で抱え込み、お姫様だっこの体勢でようやく落ち着く。
「あとは指輪だね! お父さん驚くよー! あはは!」
「お、おう、指輪。しかも、オヤッさんに挨拶もかあ」
苦笑が浮かびそうになるのを、コテツは必死にこらえ、表情筋を引き締めた。
これ以上の出費が嵩むのでは、という現実的な不安は、腹の底へと押し込める。
細い肩を抱き直し、気づかれぬよう小さく息を吐いた。
だが、口元に近い位置にいるカガミは、そのかすかな変化すら見逃さない。
「あ、お兄さん、幸せの吐息ってやつですか? んふふふ」
頭の中で勘定を始めかけていたコテツだったが、そのまなじりを下げた愛しい表情を前にして、金の心配をする自分が急に滑稽に思えた。
「ははは、そうだな。ユーゴの言う通り、出世、頑張るか!」
「ユーゴに負けるな! 出世しちゃえ! それでこそコテツだー!」
二人と別れたユーゴは、護国王広場の裏手にあるPFGへと足を向けていた。
再び無線を受信し、簡潔な報告を聞き終えると、西に広がる純白台地へと視線を向ける。
彼の視線の先、森林の合間で、複数の小さな人影が蠢いた。
取り出した双眼鏡を覗き、ユーゴは小さく呻く。
「……来たか」
双眼鏡のレンズが捉えたのは、真っ白な岩棚と森林の切れ目を進む、青い軍服の兵士とその隊列だった。
双眼鏡を収めると、無線のマイクを外して口元へと運び、ゴカ村のユニオン支部へ連絡を入れる。
本部への報告を終えると、間髪入れずに部下へ指示を飛ばした。
一通りの通信を終え、無線を切る。
そしてもう一度、純白台地を一瞥した。
「エンブラね……これで少しは刺激のある毎日になるさ、なあ、ユーゴ」
独りごちるように呟き、ユーゴは一本の鉄柱へと近づく。
鉄柱に張られた金属製ワイヤーが、風を受けて低く唸りながらしなっていた。
脇に設置されたケージの内部には、棒状のステップバーが何本も吊り下げられている。
ユーゴは、その一本へ迷いなく飛び乗った。
棒の下端に設けられたステップに足を掛け、起動スイッチを押し込む。
ステップバー上部、根元の滑車部が小刻みに震え、直後、エンジン音が弾けた。
PFGの起動を確認すると、コントロールバーを強く握り、発進させる。
小型エンジン特有の、軽くけたたましい排気音をまき散らしながら、PFGは即座に加速した。
「騒音クレームだけが心配だな、PFGは」
ぼやくユーゴを乗せたPFGは、さらに速度を上げる。
滑空する鳥を追い抜き、風を裂きながら、山の斜面を一気に下っていった。




