0-15.タマルリアゲハ③
「お、そういやあ、知ってるかい? 護国王ギンノウ様も祖人族だって話もあるってのは。紅に染まる額の天眼は、額に宝石が埋まっている祖人族の特徴と一致するってえ話だ」
銀嚢好きのコテツの肩が、思わずぴくりと跳ねた。
その微かな反応を逃さず、ユーゴが一歩踏み出し、緊張で強張る肩をぽんと叩く。
「出た出た。婚約飾りは給料三か月分だっけ? あのねコテツ君、庶民の常識ってのは、経済を回している商売人のマーケティングで組み立てられてるのさ」
「ん……おん? 何言ってんだお前。あ、ユーゴが商売人って話か?」
「商売人じゃなくて、友人としてのアドバイスさ。無学で薄給の甲斐性無しな一般ザコ隊員のコテツ君、こういうものは買っておいた方が将来のためになる。たとえ給料三か月分という大きな買い物でもさ」
コテツは口にしない。
実際には三か月分どころか、給料四か月分だという事実を。
繊細すぎる計算が脳裏をよぎり、言葉が喉で詰まる。
「おま……お前! ……背中を押すのかと思ったらぼろクソに言いやがって! で……ためになるって,なんで?」
「資産になるって言ってるのさ」
ユーゴは隊員服の襟を整え、口角を上げた爽やかな笑顔のままムロージへ視線を向けた。
「ムロージさん、これ、鑑定書とか証明書ある?」
「ぬかりねえよ! トルリク共和国政府公認だ!」
親指を立てるムロージに、ユーゴも同じ仕草で応じる。
髪をかき上げ、微笑みを崩さないまま、今度はコテツの肩に手を置き、柔らかく揉みほぐした。
「これだけの品は、これから値上りするってことさ。それにさ、ここで買い渋るなんて選択肢、あるのかなあ? 一人の男として。そう、一人の男として、さ」
「わざとらしい作り笑顔で煽りやがって……ちくしょー」
穏やかなほほ笑みを浮かべたまま、ユーゴは肩を揉み続ける。
その口角は、最後まで下がらなかった。
「こんなに可愛らしい彼女さんが髪飾り欲しがってるんだ。この意味、わかってんだろう! 男を見せるにはいい日だぜ! お天道様もそう言ってらあ!」
箸を掲げ、高々と天を指すムロージ。
それに呼応するように、蝶の髪飾りを頬に添え、ぴょんと跳ねるカガミ。
「お兄さんわかってるんだろー! お天道様いぇいいぇい! いぇーい!」
三人に囲まれ、コテツはぐうの音も出ない。
退くに退けず、踏みとどまるだけで精一杯だった。
ただ一人。
肩に触れるユーゴだけが、その心の内を察している。
ユーゴは、コテツにしか届かない声量で囁いた。
「いざとなったら、足りない分は貸すからさ」
「うおお、ユーゴ……心の友よ……」
友の援護を得て、舞台は整った。
もはやコテツに許された返答は、「はい」か「イエス」か「喜んで」しか残されていない。
大きく、そして深く。
生まれてから一番の深呼吸を、コテツは行った。
「すうぅぅぅぅ…………はあぁぁぁぁ……ぁぁ……。ムロージさん、俺は、たった今、大きな決断をいたしました」
「おうよ!」
一歩踏み出し、深々と頭を下げ、右手を差し出す。
「お願いいたします!」
「毎度ありい!」
ムロージは大きく腕を振りかぶり、破裂するような音とともにコテツの手を握った。
「おめでとー! やったー!」
喜びの声の裏で、コテツの思考はすでに次へと向かっていた。
この大金を、どう支払うか。
その一瞬の逡巡を、ムロージは見逃さない。
カウンターの内側から外へ回り込み、コテツの耳元へと身を寄せた。
「心配いらねえよ、コテツさん。こう見えてもユニオンさんとは長―いお付き合いをさせて貰ってるんでえ。支払いはあとで、分割でもローンでもなんでもござれだ。ゴカ村のユニオン支部にちゃんと請求書を回しておくからよ。支払い方はゆっくりと決めればいいって」
抜かりのない、丁寧で確実な集金体制だった。
ユニオン支部へ直接請求を回す、その周到さに気づいたコテツは、少しだけ涙目になり、安堵の笑みを浮かべる。
ムロージは満足そうに大きく手を叩いた。
「よーし、ちょっと待ってくんな。ローンの支払いとかちゃちゃっとやっちまうからよ! できたら書面を確認してくれ」
「覚悟して待ってます!」
コテツの表情には、焦燥感すら滲んでいる。
だが、髪飾りを手にして無邪気に喜ぶカガミの姿が視界に入ると、その強張りはふっとほどけ、穏やかな色へと変わった。
その様子を横目に、ユーゴは小さく肩をすくめて笑う。
「人生ってやつを満喫してるよ。二人は」
「なんだそれ」
「楽しんでるってことでしょ。楽しいよね! コテツ!」
「おう、そりゃあな」
「正直うらやましいよ。オレなんてずっと実感ないしさ」
「実感? なんの?」
ユーゴは、ゆっくりと手のひらを広げた。
視線を落とし、その掌をじっと見つめる。
閉じて、開いて。
握りしめては、また開く。
まるで、そこに何か確かなものが映るのを待っているかのようだった。
「生きてる!ってやつさ。こうして目に映って、肌で感じる感触に現実味がないっていうか」
カガミはその仕草を真似て、楽しそうに手のひらを何度か開閉する。
それにつられるように、コテツも自分の掌へと視線を落とした。
「えー? んん……? ユーゴってたまに難しいこというね!」
「俺の手にはマメしかねえな……って、こうして話してるんだから現実だろ。俺からみりゃ、ユニオンのお偉いさんちの養子になって、ユニオン付属国防大学まで出て、しかも俺と同い年で中隊長だろ? 充実しすぎだろお前! なんでも思い通り! 自由!」
「ただ周囲の期待に応えただけ。こんな出来合いの自由に、価値なんて無いさ」
「かー! それができりゃ俺だって! こう! もっといい感じに出世とか!」
「んふふふ、お互いに無いものねだりだね」
ユーゴは手を下ろし、ふっと空を仰いだ。
青の中を、ゆっくりと流れていく白い雲を目で追う。
「無いもの……か」
「ユーゴならなんだって手に入れられそうだけどな? おやっさんには、ことあるごとにユーゴを見習え!って言われるし」
「ははは、そりゃ悪かった」
「アタシもコテツも、ユーゴの凄さ知ってるよ?」
「ま、剣でも銃でも、指揮も実績も顔も、モテ度に懐具合もオレのが上ってくらいは知ってるさ? 特に、オレはコテツと違って狙ったものは絶対に手に入れるからさ。出世とか」
コテツは、思わずユーゴの笑顔を睨みつけた。
口角が上がり、白い歯を覗かせるその笑み。
長い付き合いの中で、コテツは知っている。
この笑顔には、からかい以上の悪意が混じることを。
「ユーゴ! てめえ! 事実陳列罪だろ! あとその笑顔やめろ!」
「あはははは! コテツも負けてないよ!」
「確かにさ、あの変な逆立ちは真似できない。恥ずかしくて」
「なんだと! すごいだろ逆さ剣立て!」
ムロージが会計処理を進める間、三人の会話は途切れることなく続いた。




