0-14.タマルリアゲハ②
木製のカウンターの上。
両脇に整然と積まれた、同じく木製の引き出し。
その一つを引き抜き、ムロージは奥から慎重に商品を取り出した。
「さあさあさあ! めでたく成人する、そんなお嬢さんにぴったりの一品があるんでえ! しかも女神ダナートニアに愛される、かのノダナ族が認めた稀有な男の連れ合いだ! 最高の逸品で持て成さなきゃ嘘ってもんだ! とくと御覧じろい!」
次の瞬間、ムロージは手にした銀色の品を、軽い調子でコテツへと放り投げた。
反射的に片手で受け取ろうとしたコテツは指を滑らせ、落下しかけたそれを慌てて両手で包み込む。
「おっとっと! 最高の逸品投げんの! ……で、これは……なんだろ?」
掌の中で、銀色の光が静かに揺れた。
それは、精巧に作られた蝶の細工品だった。
首を傾げるコテツの背後から、ひょいとカガミが顔をのぞかせる。
「あ、髪留め! かわいいー! これ、すっごく素敵! えー、すごい!」
弾む声とともに、カガミは身を寄せる。
コテツの手に包まれた品を見つめると、頬をぱっと緩め、そのまま両手で受け取った。
「ええー、すごーい。綺麗。……銀色だけど、なんか違うし、白いところもすっごくキラキラしててかわいい」
自慢の品を前に、客が無防備に相好を崩す。
その様子を見て取ったムロージ。
待ってましたとばかりに身を乗り出し、口調にさらに熱を帯びさせた。
「おうおう! お嬢さん、さっすが見る目あるぜ! 光沢のある銀に、虹色を含んだ深い青みがあるだろう? そいつはゴカ村で産出されはじめたのと同じ、重銀できていてね、そん中でもい~いとこを集めた一級品。重銀ってえのは、そのまんまだと水銀みたいに液体で、そりゃすんげい燃料にもなるんだ。で、こうした鉱石状のはってえと、繊美にして清艶、それでいて頑強ときたもんだ。羽の部分、透かし彫りで儚げなその白いのは螺鈿細工って言ってね、真珠色に輝く貝殻を、これまた腕こっきの職人が細工したもんだ」
滔々と続く口上に、カガミはその場でぴょんと跳ね、隠そうともせずに興奮を露わにした。
「えー! なんだかすごそう! ね、ね、これかわいい! コテツ見てよ! 真珠色のらでんにいいとこの重銀だよ!」
大きな瞳をきらきらと輝かせ、勢いのままコテツの目前に突き出される蝶の髪飾り。
押されるように視線を落としたコテツは、改めてその造形を見つめた。
金属製の羽根は、まるで生きた蝶のそれのように薄く広がり、螺鈿細工の真珠色の輝きは、朝露を含んだ羽化直後の翅を思わせる。
横合いから差し込む太陽の光を受け、角度を変えるたび、羽根は虹色のきらめきを静かに返した。
「確かに綺麗な髪飾りだ。でもこれ、何の蝶なんだろ?」
「ん、そいつはオオルリアゲハってのに似てるけどね、蒼氷のように透き通る羽根が特徴のタマルリアゲハだ。スクアミナ大樹海だけに生息するって伝説の、幸せを運ぶ蝶だよ」
ムロージは言い終えると、傍らに置いていた茶碗を手に取り、茶漬けをすすりながら続けた。
その解説に、真っ先に身を乗り出したのがカガミだった。
「伝説の! 幸せを運ぶ蝶! そうひの羽根! だって! 運ばれたーい!」
「あーあ、そんな売り口上まで聞いちゃったらさ、これはもう決まりかなあ」
屋台の前で、蝶の髪飾りをコテツにねだるカガミ。
その様子を見て、ユーゴは面白がるように買ってやれよと茶化す。
「う、け、けど、カガミ、こんな露店の髪飾りでいいのか?」
この地方では、男性が女性に髪飾りを贈ることは、婚約指輪と同じ意味を持っていた。
だからこそ、コテツは行き当たりばったりでそれを買うことに、踏み切れずにいる。
その言葉を聞いたムロージは、すっと茶碗を置き、ゆっくりと立ち上がった。
「おーっと、そいつは聞き捨てならねえ! 確かに旅から旅のおいら、護国王ギンノウ様にあやかって猫の額ほどの小さな露店を開かせてもらっちゃいるが、そいつは逸品中の逸品だ! 古今東西探し回ったって二つとねえよ! 重銀鉱石をここまで繊細に加工する技術、聞いて驚けよ? このタマルリアゲハの髪飾りを拵えた職人は、何を隠そう祖人族の職人だ」
「祖人族? ってなんだっけ?」
「んー、わかんない」
「噓だろ……祖人族って言えば、ハイエンド人のことさ。……わかるよね?」
「ハイエンド人ならわかる! 外国のお偉いさんに多いんだよね?」
「あれだあれ、ハイエンド人って、なんとかって魔法を使えるって連中だろ? 俺は見たこともないけど」
「マジで言ってる? 魔法じゃなくて、祖式構文。はあ……剣と運転技術ばっかりじゃ世の中渡っていけないぜ? 知識と品性、さらには教養もないとさ」
ハイエンド人。
その名は、遥かな神話の時代と共に語られる。
――数千年以上昔。
世界が崩れ落ちたとされる大災厄を生き延び、今なおダニアに存在すると語られる原種人類。
伝説めいた響きとは裏腹に、彼らが治める国家も確かに存在し、噂話では終わらない現実を持つ人種だ。
腕を組んだムロージは、その知識を誇るように胸を張り、口元を緩めてコテツを見下ろした。
「あー、兄ちゃん、いい具合に物を知らないねえ。勉強が苦手ってタイプだ。オイラにはハイエンド人の友人がいるから、そっちには一家言あってよ。あれは魔法とかじゃなくて、そちらの任さんの言う通り祖式構文ってので、対象物に仕事をさせたりする技術なんだと。ほれあれだ、プログラミングと似たようなもんよ。で、そのハイエンド人のハイエンドな技術を満載してあつらえたのが、そいつだ!」
ムロージの指先が示す先。
前髪をかき上げたユーゴが、カガミの小さな手のひらに乗せられた髪飾りをひょいと持ち上げていた。
角度を変え、光を反射させ、細部に至るまで舐め回すように観察するその眼差しは、冷静そのものだ。
「ハイエンド人なんて西の果てのトルリク共和国でしか聞いたことないけどさ……けどだ、この髪飾りはほんとにすごい。ひと財産になるってやつさ。ちょうど良いバカ……じゃなかった、程よくものを知らないコテツさんが買わないなら、オレが買おっかな」
「うぐ、ぐぐぐぐ……」
コテツは、ユーゴの知識と審美眼には一目置いていた。
腹立たしいほどに正確で、だからこそ信頼できる。
その評価が、迷いを確実に揺さぶる。
「だーめ! これはあたしのですよーだ!」
カガミはユーゴの手から髪飾りをひったくり、逃がさないとでも言うように両手で包み込んだ。
日の光にかざし、掌に収め、きらめく反射を何度も確かめる。
無邪気な仕草に、コテツは思わず声を潜めた。
「マジかあ。けど、ハイエンドな重銀性って……さぞお高いんでしょお?」
ムロージは茶碗に残ったお茶漬けを一息に掻きこみ、音を立てて器を置いた。
次いで取り出したそろばんを、慣れた手つきで弾く。
小気味いい音が、露店の空気を刻んだ。
「それが特価で、ま、こんなもんよ」
「え、ちょ、あ……と、ソロバン読めない。これ……おいくら? 何万ギン?」
コテツは眉間に深く皺を寄せた。
その様子を見たムロージは、これまでとは打って変わって、鷹揚とも言える柔らかな笑みを浮かべる。
周囲には見せず、コテツにだけ分かるよう、指でそっと値を示した。
「ななじゅ……うわ、うそ、お安い。重銀製でこれはお安す過ぎい」
口をついた言葉は嘘ではない。
だが、心の中では本音を叫んでいた。
(でも買い物としては高すぎい!)
しかし、潤んだ瞳で髪飾りを見つめる恋人を前に、その言葉は喉で押し留められる。
即断できる額ではない。
提示された金額は、年収の四分の一。
それでも、純重銀製と考えれば、倍しても不思議ではない価格だ。
疑問が形になるより早く、ムロージが畳みかけた。
「本来ならこの三倍は貰いたいとこなんだが、気に入った相手には最高の品物を届けたいってのがおいらの信条でね。もちろん、アウルカ国で髪飾りがどんな意味かってえのは承知の上! だからこその、当代きっての稀有な一品だ!」
ムロージは白いハチマキをぎゅっと締め直し、膝を強く打った。
「掘り出し物だって! しかもけう? だって! ね、コテツ、わたしこれが良い!」
コテツは、音を立てそうなほど強く両腕を組んだ。
逆さ剣立ての時以上に隆起した肩、張り詰めた腕と胸の筋肉が、その葛藤を雄弁に物語る。
(うううん、お買い得だって言っても、お安い買い物なわけじゃないんだよ)
喉元までせり上がる本音を、コテツは必死に飲み込み、耐えた。




