0-11.プリマロンクレープ
カガミは、ぱっと花のような笑顔を見せた。
「ほらほら、せっかく話すなら、アカラシュカへ行こ! 手! 手!」
言うが早いか、カガミはやっと落ち着いてきたコテツの右手を掴み駆け出した。走る度に跳ねる彼女の艶やかな黒髪に目を奪われながら、コテツは小さく訴えた。
「ま、待ってって。夜勤明けで急いできたんだからもっと労ってくれよ」
「ねぎらう? ってなにー? あははは」
駆けながらはしゃぐカガミの笑顔に、コテツもつられて笑う。
「ははは。にしても、良いタイミングのお出迎えだね」
「あ、さっきマダムがね、コテツ君くるよーって」
「なるほど。で、近くで待っててくれたのか」
「そそ! 上から見てたよ!」
振り返り笑うカガミ。
彼女の笑顔を見ていると、コテツはこれまでの疲れなど忘れてしまった。
「そういや、なんでわざわざバイト先に向かってるんだ?」
「決まってるよ! 一緒にうちの新商品食べようと思って! 言わないとコテツは広場に寄らないでしょ?」
「あー、まあね。新商品があるからそんなに機嫌だったのか。今日のは何?」
「プリマロンクレープ! ぜーったいに美味しいやつだよ!」
「ははは、何かすごそうな名前だ」
カガミはコテツの手を引いたまま、観光客の合間を縫い、競い合うように並ぶ屋台を通り過ぎていく。
最奥の護国王神殿に向かって王広場を横断していくと、一軒のクレープ屋の前で足を止めた。
オレンジとイエローで彩られた看板には『アカラシュカ』と書いてある。
カガミは振り返ると、店舗を背に今日一番の笑顔で両手を広げ、コテツを歓迎した。
「空に咲く一口の魔法、アカラシュカへようこそ! 今日も頑張ったね! ねぎらいにクレープおごってあげる!」
零れ落ちそうなカガミの笑顔に、コテツは両腕を組み、大きく頷く。
「仕事の後のカガミの笑顔、そして、甘いもの。ありがたいねえ」
「えへへ」
「じゃあ、カガミの分は俺が出すよ」
「えー! それじゃねぎらいじゃないんじゃないよお?」
その場で足踏みするカガミの姿に、コテツは笑う。
「こんなに可愛い彼女がいること自体、ねぎらいだなって」
「んんー? そっかな? へへー、そっかそっか」
「やれやれ、今日もご機嫌な姿を見せつけているね」
二人の間に、巡回中のユーゴが現れた。
彼は栗色の髪をかき上げると、白く整った歯並びを存分に見せつけて微笑む。
「やめろよその営業スマイル。作り笑顔すぎるだろ」
「ご好評だよ。特に年上のお姉さま方には、さ」
「ユーゴはマダムキラーの爽やかイケメンだからね!」
「それは誤解。若い女性にもご好評さ」
カガミの言葉に、ユーゴは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
「で、ユーゴも遊びに来た……わけじゃないか、その格好じゃ」
「景色のいいとこをパトロール中。ほら、優秀なエリート隊員は人が多い所を見てろってさ。誰かさんと違って」
ユーゴは栗毛をかき上げ、わざとらしい笑顔をコテツに向ける。
「どうせ俺みたいな不良隊員とエリート隊員のユーゴ君とじゃ、待遇が違いますよ。ご存じの通り? 俺は閑静な住宅街で早朝のお散歩でしたー」
すっかり呼吸が落ち着いたコテツは、ユーゴに負けじとわざとらしい猫なで声で答えた。
二人のやりとりを見たカガミは笑顔で飛び跳ねる。
「仲良し二人組であたしを無視しないでくださーい! あはは!」
ご機嫌の彼女の様子に、コテツはため息をつくが、ユーゴは笑う。
「仲良しというか、腐れ縁さ。な、コテツ」
「まあ、ガキの頃は同じ部屋で一緒に育ったからなあ」
「その同期が、出世ばかりして、上司の、さらに上司になっちゃうけど?」
「な! まさか……本当に中隊長に! もうかよ!」
「正式に辞令がでてね。そのまさかさ。中隊長で、来月にはアシカド本部勤務、さ」
「ほ、本部……だと! ただの中隊長じゃないだと……!」
「毎日暇で退屈だからさ、これで少しは刺激的になってくれるかな?」
コテツは膝から崩れ落ちそうになったが、なんとかこらえた。
肩を震わせてブツブツと呟くコテツを尻目に、カガミは一足先に店先へ行き、クレープの注文を始めている。ご機嫌な少女の横顔と、苦し気なコテツを見ながらユーゴは言葉を漏らす。
「んま、本部に行くだけじゃ、アイツには見向きもされないだろうけどさ」
「あ? アイツって、誰だ?」
「養父さ。何をしてもオレに興味を示さない。つまらない名家のご当主さ」
「ふーん? 俺からしたら、ユーゴはなんでも持ってるけどな。金に地位に、しかもお前、女にもモテやがる」
顔を上げるコテツに、ユーゴは髪をかき上げて笑顔を作って見せた。
「この美貌でモテないわけないさ」
「び、美貌? 男はタフさだろ!」
ユーゴは大袈裟に肩をすくませる。
「コテツはさー、剣ばっかり振って? 銃ばっかり撃って? んで? 人目を盗んでモービルばっかり乗り回してるからさ。出世したいんなら、もうちょっとは処世術ってのを身に付けなよ。わかる?」
自分の顔も見ずに空を仰いでいるユーゴに、コテツは長いため息を吐いた。
「あのなあ……はあ……俺らユニオンは治安維持が一番の仕事だろ。皆を護れるように訓練して、パトロールの為に役立つモービル操縦訓練して、何が悪いんだ?」
「良し悪しの話じゃなくってさ。だいたい、カガミちゃん明日で成人だし、結婚も考えてるんだろ? そんな安月給じゃあさあ、将来の不安とか無い訳? その筋肉脳みそにはさ?」
「ぐうっ……安月給だとお……一番痛い所を……。収入格差め……」
「ま、格差があるのは実力だと思うけど。もっと広い目で見て、社会とか組織のルールを理解しなって。そうすれば出世なんて簡単。ゲームさ。明日へのアプローチ、うまくしないと」
「明日へのアプローチ? どういう意味だよ」
コテツにはユーゴの言わんとしていることが全くわからなかった。
コテツはユニオンの隊員であることに強い誇りを持っている。
ゴカ村は、クロイド遺構目当ての観光客は多いが、国境沿いにあることから他国との小競り合いが珍しくない。さらに、目前にはスクアミナ大樹海を内側に秘めた大連峰守護山脈がある。守護山脈は険しく深い。山脈には猛獣が住み着き、極めつけにキバガミという獣が神域であるスクアミナ大樹海から、外界であるこちら側へことあるごとに睨みを利かせていた。
こうした様々な脅威からゴカ村を守るために組織されたのがユニオンであり、隊員である自分こそ最前線の担い手だという自負がコテツにはあった。
「皆を! 護ってこその! ユニオンだ!」
理屈は別として、コテツはとにかく胸を張った。
見飽きたその仕草に、ユーゴは苦笑する。
「護るだけじゃ、世界も何も変わらないさ」
小さく呟いたユーゴの声は、コテツの耳までは届かなかった。
「はいはーい! プリマロンクレープのお通りでーす!」
カガミはその小さな手で器用に三つのクレープを持ち、飛び跳ねながら二人の間に割って入る。
「おー! さっすがカガミちゃん! アカラシュカの新作とは、わかってる!」
「どうぞどうぞー。はい、ユーゴ。はい、コテツ」
カガミはひとつずつクレープを手渡す。
男二人は大人しく受け取ったクレープを見つめ、少女の手元を見た。
「なんか、カガミちゃんのだけでかくない?」
「かるく倍はあるし、なんか色が多い」
「チョコソースとかカラスプレーとかちりばめられているね」
「あ、マシュマロもあるぞ」
「んふふー!」
カガミの手にしたクレープには、彼女の握り拳の倍以上はあるモンブランと、小ぶりなプリンがちょこんと乗っている。
「しかも生クリームも多い」
「しかも焦がしたカラメルが光ってる」
「ちっちっちっ! わかってないなあ、これはキャラメリゼでーす!」
「まさかデザートにまで格差を味わわされるとは」
「んふふふふ」
カガミは上機嫌でほほ笑むと、近くのテーブルに空きを見つけて小走りで駆けて行った。
大人しく彼女のあとに続く男二人。
クレープを食べ始める三人の前を、若い男性ガイドに引率された観光客の一団がちょうど通り過ぎた。
この先には護国王の石碑や神殿があり、どこの観光ガイドもここで講釈を披露する。
コテツたちは甘味を味わいながら、観光ガイドの講釈を待つことにした。




