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牛乳を注いでいる時に

昔、教科書で見た一枚の絵。

ただ、女性が牛乳を注いでいるだけ——そう思っていた。


でももし、その絵の中に、“心を押し殺した誰か”が本当にいたとしたら。

その所作に、報われぬ愛や、日々の痛みが込められていたとしたら。


これは、絵画のモデルと、彼女を見つめた人たちの物語。

一人の研究者と、一人の学生が“絵の中の感情”に触れていく、

少しだけ不思議で、静かに胸を打つラブストーリーです。

プロローグ:奇妙なバイト、始めました。

美術大学に通う20歳のこはるは、絵の技術には自信がある。

だが最近、どうしても評価が伸びない。


「上手いけど、心がない」

教授にそう言われてから、描く手が止まっていた。


そんな時、教授から奇妙なアルバイトの紹介を受ける。

「ちょっと変わった美術研究者の助手をやってみないか?」


半信半疑で訪れた研究室には……衝撃の光景が待っていた。


第1章:変人、牛乳を注がせる

「ミルちゃ〜ん、こっちにも牛乳注いでくれる?」


そう言いながら男が朝食のシリアルボウルを差し出していた相手は、白い頭巾と青いエプロン姿の女性。

慎ましく佇み、静かに陶器のピッチャーから牛乳を注いでいる。


見覚えのある姿——美術の教科書で何度も見た、17世紀オランダの画家フェルメールが描いた《牛乳を注ぐ女》。

ただの絵の中の人物が、目の前で現実に存在している。


「お前、何やらせてんのよ! 名画だよ!? 名画!」

思わずツッコんだこはるに、男はあっさり名乗った。


「久賀遼一、天才研究者にして恋愛絵画収集家。そしてこの美しい淑女は、ミルちゃん。僕が呼び出した、最高の朝食パートナーさ」


呆れるこはるに、久賀は得意げに語り出す。


「絵画の構造、筆致、色彩の痕跡に含まれた“感情”を読み解いて、モデルの人格を再構築する。それが僕の研究さ。美術館の名画から、理想の嫁を見つけ出すのが夢でね」


なるほど変人だ。でも……そのモデルの女性「ミル」の仕草には、不思議な重みがあった。

ただ牛乳を注ぐ。それだけなのに、見ていられる。感じられる。

絵とは違う“人間の静けさ”が、彼女にはあった。


第2章:ミルの静かな痛み

こはるは、ミルと静かな時間を持つ。


「あなたは、絵の中の私を見て、何を感じましたか?」


ミルの口から語られたのは、17世紀のオランダで生きた一人の少女の物語。

十四歳で家を出て、裕福な家に奉公に上がった。

小さな村に残してきたのは、幼馴染の少年。

彼は体が弱く、ミルはいつも守るように寄り添っていた。


「別れの日、彼は何も言いませんでした。ただ、いつもと同じように手を振って……それが、余計につらかった」


奉公先では感情を出すことなく、日々の家事をこなす。

牛乳を注ぐ姿——それは感情を押し殺した彼女の日常そのものだった。


「私は、感情を注いじゃいけなかった。でも……忘れられないものが、あったんです」


胸が締め付けられるような話だった。

“静か”とは、我慢の上に成り立っていたのだ。


第3章:ミルの心に和らぎを

その夜、久賀は普段とは違う真剣な表情でミルに向き合う。


「僕は研究者、美術と、そこに込められた感情を読み解くのが仕事。……君の絵を見たとき、すぐにわかったよ」


こはるが隣で息を呑む。久賀の口調はいつもの軽さと違った。

キザでどこか演じているようで、それでも本質を突いていた。


「君の静けさには、愛が宿っている。それはね、フェルメールも見抜いていたんだ。

 世間が君の所作を美しいと感じるのは、その中に“忘れられない何か”があるからさ」


ミルは目を伏せ、手元を見つめた。


「私は……彼に、何も言えなかった。絵の中の私は、ずっとあの時のまま」


久賀は柔らかく、けれど強い声で言った。


「でも今は違う。君はもう誰かに気づいてもらえた。それだけで、少しは……報われると思うんだ」


その言葉に、ミルの表情がほんの少し、緩んだ。


第4章:絵画は、私に語りかける

「私は、元いた場所へ戻ります。でも……あの人の記憶のどこかに、私の影が残っているなら、それでいいのです」


ミルは絵の中へと帰っていった。

最後に、こはるにだけ微笑みを残して。


後日——こはるが描いた新作に、教授は目を細める。


「少し、変わってきたな。……この子の心が、見える」


「……はい、ちょっとだけ、絵と話してみたので」


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

私の小説初作品となります。よろしければ色々なご意見をお願いします。


フェルメールの《牛乳を注ぐ女》は、静かでありながら、何かを語りかけてくる絵です。

注がれる牛乳、伏し目がちな表情、丁寧な所作。そのすべてに、“物語”があるように思えました。


この物語は、そんな絵の中にもし人がいたら——という想像から始まりました。

彼女の静けさに、痛みや愛しさを感じてもらえたなら嬉しいです。


次回は、あの有名な《真珠の耳飾りの少女》のモデルが登場します。

彼女もまた、“美しさ”の中に、知られざる悩みを抱えて生きていた少女です。


絵画をもっと身近に、そして少しだけ切なく——

そんな気持ちを込めて、続けていきます。


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