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***




ブラムは幼い頃から父を怖れていた。

シュタイマルク家の次男として生まれた彼は、幼少より魔術の能力が高く、将来を嘱望されていた。

父親は次男であるが能力の高いブラムを高く評価し、自分の跡取りに据えようと、さまざまなことを教え込んだ。

領主としての心構え。領民を手なづける方法。社交界での駆け引き。女の選び方。武功の立て方。支配者としての振る舞い方。

しかしブラムは父親の期待には応えられなかった。

ブラムは魔術師としては優秀だったが、為政者の器ではなかった。

人をまとめることは不得意で、人の上に立つことは嫌いだった。

こつこつと魔術の研鑽に励む方が性にあっていた。


「一体なにが不満なんだ?」


公爵はそんな息子に、よくそう問いただした。


「私がこんなにも時間を割いてやっているというのに、どうしてお前はそれに応える努力をしないんだ?お前は私のことが嫌いなのか?だからわざとやらないでいるのか?」


ブラムは決して努力していないわけではなかった。

勉学に励み、教養を身に着け、貴族として堂々と振る舞いをするよう心掛けていた。

しかしそれは父親の望む域には達していなかった。

ブラムにあったのは魔術の才能だけで、それ以外の面では、兄どころか弟にも劣るほどだった。

兄と弟は父親の期待以上の成果を発揮し、おまけに為政者としての器も備えていた。

彼らは必要とあらば平然と他人を蹴落とすことができた。

嘘をつき、謀り、裏切ることができた。

臣下や領民を自身の所有物とし、彼らに対する折檻や躾に抵抗が無かった。

それを楽しんでさえいた。

公爵は息子たちの加虐癖を咎めはしなかった。

むしろ褒め称えた。

支配者とはそういうものだ、と。

一方、どのような形でも人を傷つけることに抵抗を示すブラムには、呆れるばかりだった。


「失敗したなあ。子育てとは、思い通りにいかないものだ」


ブラムは父親に見限られた。

しかし彼は悲しまなかった。

むしろ安堵していた。

無慈悲で心無い公爵から離れることを、彼はずっと望んでいたのだ。




***




行き過ぎた折檻により使用人が死んでしまったとき、その遺骸を足蹴にしながら、父と兄弟は談笑していた。

ブラムは心の底から恐怖した。


彼らと自分は異なる生き物だ。

絶対に相容れることはない、と。


ブラムは父親から逃げた。

隣国へ留学し、ひたすら魔術の修練に打ち込んだ。

自身で生計を立て、二度と父親と関わり合いにならないようにしようと心に決めていた。


しかし彼が留学してほどなく、シュタイマルクの大火が起きた。

公爵は業火に焼かれ、骨も残らなかった。

兄も、弟も、母も、シュタイマルク家の人間はブラムを除いた全員が焼死した。


「――――訃報をきいて、僕は目の前が明るくなりました」


ブラムは懺悔した。


「家族の死を耳にして、僕の心はとても軽くなったんです。父の、底のない沼のようなあの恐ろしい眼を二度見ずにすむのだと思うと、安堵で涙が溢れました」


家族を失ったにも関わらず、悲しみのためではなく、喜びのために、ブラムは泣いたのだった。


「シュタイマルクの大火がどれだけの惨事だったのかは知っています。火を消し止められた後ではありますが、僕も現場を目の当たりにしましたから」


彼の故郷は焼け野原と化していた。

モノか人かもわからない炭ばかりが積み重なる焦土が、そこには広がっていた。


「それでも僕は、貴方に感謝しました」


ブラムは生き残ったかつての使用人たちから話を聞き、事の詳細を、公爵がカーミラを脅迫し、花火の打ち上げにあたらせたことを知ったのだった。


「はじめは僕も、打ち上げの失敗は、貴方が意図してやったことだと思っていました」


ブラムはカーミラを同志だと思っていた。

自分と同じように、公爵に怯えていたのだと。

あの恐ろしい眼から逃れるために、彼を抹消したのだ、と。


二人は同じ屋敷に住んでいたが、言葉を交わしたことはなく、廊下ですれ違う程度の接点しか持ち合わせていなかった。

ブラムの記憶にあるカーミラは、魔術師というよりは下女のような印象が強かった。

俯いて公爵に付き従う姿は、どこか処刑場へ向かう罪人のようで、彼女が本意でなく公爵に従っていることは明らかだった。


「たかが花火のために妹弟は腕を切り落とされた。花火の打ち上げが成功しても、公爵の支配から逃れることはできない。次は足を切り落とされるかもしれない。この先も一生、こんなことが続くかもしれない。それならば、いっそすべてを壊してしまおう。――――貴方は絶望の果てに大火を起こしたのだと、僕はそう思い込んでいました。だから感謝すると同時に、申し訳ないと思ったんです」


あの非道な父親を葬る役目は、本来であれば息子である自分が引き受けなければならなかった。

しかし自分は逃げることしかできなかった。

勇敢に立ち向かったカーミラは、ブラムにとって英雄だった。

彼女の背負った大罪は、彼にとっては偉業だった。


「貴方の罪は許されて然るべきものだと、僕は思いました。だから貴方を解放するために、僕は城仕えの魔術師となりました」


ブラムは爵位を返上し、魔術師としての腕を磨いた。

いくつもの実績を積み、さまざまな成果をあげた。

元公爵子息ということもあり、彼の評判はすぐ王の耳に届いた。

そしてブラムは王太子付きの魔術師となった。

彼は王城での自由がある程度許される肩書を手に入れると、すぐさまカーミラのもとへ向かった。


そしてそこで目にした。

みずほらしい姿で、歯を食いしばって、術式を編む少女の姿を。


「これほどまでに精巧な術式は、見たことがありませんでした」


ブラムは大地に刻まれたカーミラの術式をそっと撫でた。


「なによりも安全に配慮された術式です。僕はこれを編む貴方を見て、自分の考えが、すべて誤りであったことに気づかされました」


カーミラは公爵から解放されるために大火を起こしたのではない。

本当に花火を打ち上げようとしたのだ、と。


「僕はもう一度生存者のもとを周り、改めて当時の話を聞きました。王城にある調査書などとも照らし合わせて、僕は真実にたどり着きました」



ブラムは深い畏敬の念をこめて、カーミラに頭を下げた。


「逃げ出した僕なんかと同等に語るなど、烏滸がましいにもほどがありました。貴方は僕が思うより崇高な人だった。この魔術は、世界に平和を――――」


「――――もういい」


かすれた声で、カーミラは言った。

ブラムの告白を受けても、カーミラの心は動かなかった。


「父親の罪は子の罪にはならないわ。公爵から逃げ出した貴方の判断は正しかった」


あれは本当に恐ろしい人だったから、とカーミラは呟いた。


「私は公爵の従属したことを後悔している。恥じているし、間違いだったと思ってる。――――でももう取り返しはつかない。私は彼の道具として人を殺めた。シュタイマルクだけではないわ。敵国でも、私はたくさん燃やした。なんの罪もない人たちを」


「相手は兵士です」


「兵士は人ではないと?」


「やらなければ味方の兵が、貴方自身が殺されていた」


「……そうね。私もそう言い聞かせて、戦場に立っていたわ」


「戦場で犯されたすべての罪は、戦争をはじめた王が、為政者が、指揮官が負うべきものです」


「父親の罪は子の罪ではないと言ったでしょう」


カーミラは光の無い眼をブラムに向けた。


「それでもなお償いたいというのであれば、貴方は私を殺すべきよ」


カーミラは落ちた剣を拾い上げようとした。

しかし痩せ細った腕ではそれを持ち上げることはできない。

重度の腱鞘炎を患った手では、つかむこともできない。


「私は貴方の父親が作った人殺しの道具。貴方の父親が残した負の遺産よ。私を葬ることが、貴方にできる唯一の贖罪なのよ」


「できません」


ブラムはカーミラの手を握った。

汚れ、歪み、痛ましく震える小さな手を、優しく受け止めた。


「やめて……」


カーミラはそれを振りほどこうとした。

弱々しくも、必死の抵抗だった。


「お願いだから……もう終わりにさせて……」


生きていても、苦しいだけだった。

身体も、心も、摩耗していた。

過去を振り返ると息ができなくなった。

まともに眠ることができず、眠っても悪夢に襲われた。

カーミラはもう限界だった。

死んで楽になりたい。

もうそれしか考えられなくなっていた。


「私を助けてくれるんでしょ?それなら……お願い。私を殺して」


ブラムはカーミラの手を解いた。


「できません」


「じゃあ、どこかへいって」


もうすぐここには兵士がくるでしょう、とカーミラは言った。


「すぐに戦場になるわ。敵兵は迷わず私を殺すでしょう。味方であっても、王の遺体を見ればすぐに、私を殺すでしょう。――――王殺しの罪は私が被るわ。貴方はどこか遠くへ逃げなさい。シュタイマルクの名を捨てて、新しい人生を始めるのよ」


ブラムは少し驚いたように眉をあげた。


「……僕も同じことを考えていました」


「え?」


「どこか遠いところでやり直そうと思っていました。――――貴方と、二人で」


カーミラは目を瞬いた。

それから小さく笑った。


「なに、それ」


引きつった、悲しい笑みだった。


「ばかみたい」


「本気です」


「私が望むと思った?」


「望まなくても、連れて行こうと思いました」


ブラムはおもむろに、地面に杖を突き立てた。

そして術式の書き出しを始めた。


「生きる理由が見いだせないのなら、僕が与えます」


それは花火の魔術式だった。


「自分を許せないのであれば、共に贖罪をしましょう」


それはカーミラが編んだ術式の踏襲だったが、ずっと簡略化、縮小されていた。

完成しても、両手で抱えられるほどの花火にしかならないだろう。


「貴方にはまだ、できることがあります」


カーミラはじっとブラムの手元を見つめた。


「私にできるのは人殺しだけよ」


「つい先ほど、あんなにも美しい花火を打ち上げたばかりじゃありませんか」


「あんなもの……なんの役にも立たないわ。むしろ失敗すればまた火の海を作りかねない、危険な、封じるべき代物よ」


「それでも貴方は打ち上げました」


「自己満足のためよ」


「でもその自己満足で、貴方は戦をひとつ止めました」


「……?」


「やはり、気づいていなかったんですね」


ブラムは手をとめないまま、視線だけを周囲に巡らせた。


「兵士たちはみな引き上げましたよ。――――貴方の花火に、心を打たれて」


カーミラはブラムの視線を追い、周囲を見回した。

そこで初めて気が付いた。

戦場となるはずだった荒野から、すべての兵士が引き上げていることに。

夜明けの近づく荒野には、自分たち二人しかいないことに。


「どうして……?」


カーミラはその理由がまったくわからなかった。

怯えたように瞳を揺らすカーミラを見て、ブラムは感嘆の息を吐いた。


「貴方の花火を見たからですよ」


「嘘よ。だってあれはただの花火よ?ただの花火を見て、戦意を失くしたとでも?」


「そうです。――――正確に言えば、花火に付与された鎮静魔法によって、ですが」


「鎮静魔法?そんなもの、私、知らないわ」


「牢の中で術式を編んでいたから、無意識に組み込んだのでしょう」


カーミラの幽閉されていた尖塔には、魔術封じと合わせて、鎮静魔術も施されていた。

牢の中にいる囚人の発狂と自殺を防ぐためのものだった。

カーミラは牢の中で術式を組み立てる中で、無意識のうちにその魔術を解読し、術式に取り込んでいたのだ。

そうして完成した彼女の花火には、人の心を鎮静化させる効果があった。

花火の光は、昂った兵たちの心に冷や水をかけた。

彼らの頭に大切な人の顔をよぎらせ、戦いへの恐怖を煽り、切ないほどの郷愁を感じさせた。


戦いに意味はない。

家に帰ろう。

愛する人を、汚れた手で抱くことのないように。

誰かの愛する人を、奪ってしまわないように。

剣を捨て、戦場に背を向けよう。


カーミラの花火には、そんな願いが込められていた。

それは彼女の祈りだった。

祈りは魔術に乗って、人びとへ届けられた。


「貴方は今日、数千人の命を救いました」


ブラムは小さな花火の術式を完成させた。


「戦をひとつ止めたんです。僕はこれを、とても意味のあることだと思います」


ブラムは術式に魔力を注いだ。

術式は淡く発光し、小さな光の花を、二人の間に咲かせた。


「貴方の花火があれば、これからもたくさんの戦を止めることができます。何万、何億の人びとを救うことができます」


花火は青白い光を放ちながら、散っていく。

光は静かで、温かかった。


「貴方の作った術式は複雑で、貴方にしか扱えません。真似してみましたが、やはり僕ではこの程度のものしか作れません。――――貴方にしか、空一面を覆うあの花火は、打ち上げられません」


カーミラの光を直視する。


「貴方にしかできない仕事です」


カーミラはその眩さに、たまらず目を細める。




――――お姉ちゃん。


すると、そこにいるはずの、妹弟の姿が、見えた。


――――泣いてるの?


泣いてないよ。

カーミラは、心の中で返事をする。


――――疲れたの?


うん。疲れた。

とても疲れたの。私。


――――じゃあ休もう。しっかり寝て、ごはんいっぱい食べて、そしたらまたはじめよう。


それは昔、カーミラが妹弟に対して言った言葉だった。

カーミラは俯いた。

白くなった髪が、視界を覆った。

もうがんばりたくない、と思った。

生きることは、苦しくて、辛い。

私はまだ耐えなければならないのか、と。


――――がまんしなくていいんだよ。


妹はそっと、カーミラの頭を撫でた。


――――無理しなくていいんだよ。


弟は力強く、カーミラに抱きついた。


――――でも、生きるのはやめちゃだめ。


二人は声を揃えて、カーミラに語り掛ける。


――――ゆっくりでいいから、休み休みでいいから、生きることだけは、がんばってやらなくちゃ。


――――そのがんばりは、いつかきっと誰かが認めてくれるから。


――――そのがんばりは、いつか絶対、自分に返ってくるから。自分と、自分の大切な人を、幸せにしてくれるから。


それらもすべて、かつてカーミラが二人に向けた言葉だった。

勉学と剣術に励む二人を、労わったときの言葉だった。




「――――できない」


花火が消え、妹弟の幻影が消えると、カーミラは呟いた。


「できない、と思う。私は、何万人も救ったりは、きっとできない」


カーミラの瞳から、涙がこぼれた。


「私は、そんなに、がんばれないと思う」


ブラムの花火は、カーミラの心を溶かした。

凍りついていたさまざまな感情があふれ出し、カーミラは溺れた。

けれどそれを見て、ブラムは感極まった。

喜びに目蓋を震わせながら、顔をくしゃくしゃに歪めて、頷いた。


「がんばる必要なんかありません。できる範囲でいいんです」


「貴方に、きっと、たくさん迷惑をかける」


「かけてください。人は助け合うものです。僕が貴方を頼ることだってありますから」


「私なんかが、頼りになる?」


「なりますとも。貴方は卓越した魔術の使い手ですから。教えてもらいたいことがたくさんあります」


「私、また、はじめられるかな?やりなおせるかな?」


「できます。絶対に」


ブラムはカーミラに手を差し伸べた。


「じゃあ、また、がんばってみる」


カーミラは震える右手を伸ばし、ブラムの手をとった。


「すこし休んで、それからまた、はじめてみる」


カーミラはそう言って、目を閉じた。

そして顔をくしゃくしゃに歪め、泣き出した。

子どものように、声を出して。

胸に秘めていた苦しみを、悲しみを、あらん限りの力で絞り出した。

ブラムはカーミラが落ち着くまで、その背をいつまでも撫でていた。






*****






その後二人は世界中の戦場を巡り、花火を打ち上げた。

なんの見返りもない、苦難の旅だった。

けれど二人は、互いを励まし、慰め、労いながら、旅を続けた。


やがて世界中から戦争がなくなった。

偉業を成し遂げた二人の名は、しかし後世には残らなかった。


人びとが記憶するのは、優しく温かい花火の光だけだった。




最後まで読んでくださってありがとうございました。


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