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「――――どうして」


呆然とするカーミラに、ブラムは静かな声で答えた。


「お見事でした」


ブラムは剣を捨て、カーミラに手を差し伸べた。


「行きましょう。王子の戻りが遅ければ、将校連中は引き返してくるはずです。ここに留まっていれば、面倒なことになります」


カーミラはブラムの言葉が理解できなかった。

なぜ彼がドラクルの首を落としたのか。

なぜ自分に手を差し伸べてくるのか。

カーミラは、なにひとつ状況を理解できなかった。


ドラクルを裏切り、戦場に花火を打ち上げる。

そして敵軍か自軍の兵士に殺される。

それがカーミラの思い描いていた、自身の末路だった。


なぜ?

そう口にしようとして、カーミラははっと息を止めた。


ブラムがなにを考えていようと関係ない。

この男の目論見がなんであろうと、自分がここですべきことに変わりはない。


カーミラはそれに気づき、舌を噛んだ。

自身の、命を断とうとした。


「――――させませんよ」


しかし、カーミラは顎に力を入れることができなかった。

口を開いたまま、硬直し、動けなくなってしまった。


「っ!?」


呼吸はできる。

瞬きもできる。

しかしそれ以外の動きは、一切封じられてしまう。


「わかりませんか?」


ブラムは表情をくもらせた。


「緊縛術です。最も基礎的な魔術のひとつですよ」


カーミラはそれを知らなかった。

存在は知っていたが、彼女自身が発動することは出来なかった。

故に、対抗策も持ち合わせてはいなかった。


「ふつうの魔術師であれば、まずこの術にかかることはありません。魔術を習いたてのものでも、簡単に解くことができます」


カーミラはブラムを睨み付けた。

ブラムは首を振った。


「許してください。こうでもしなければ、貴方は僕の話を聞いてくれないでしょう?」


話すことなどない。

そう訴える術は、カーミラにはなかった。


「貴方は先ほど、失敗した、と仰いましたね?」


ブラムは膝をつき、カーミラと目線を合わせた。


「ですが、それは嘘です」


ブラムの膝は、地に染み渡るドラクルの血で汚れてしまう。

しかし彼は、それを気にも留めなかった。


「僕にはわかります。貴方は失敗などしていない。貴方はあの複雑な魔術を、見事成功させました」


カーミラは耳を塞ぎたかった。

ブラムを突き飛ばし、いますぐ舌を噛み千切ってしまいたかった。

しかしブラムは、それを許さなかった。


「貴方は最初から、花火をあげるつもりだったんでしょう?」


ブラムは一方的に続けた。


「僕にはわかります。貴方が牢の中で編んでいた術式は、すべて花火をあげるためのものでした」


ドラクルは魔術に通じていたが、専門家ではない。

カーミラの編んでいた複雑な術式の一部分しか読み取ることができず、彼女がただ火の魔術を扱おうとしていることしかわからなかったのだ。

彼女が決して人を傷つけることのない、どのような物質にも燃え移ることのない安全な花火を編んでいたことには、気づけなかったのだ。

一方のブラムはそれに気づいていた。

王国の筆頭魔術師である彼は、カーミラの術式を読み解いていた。

しかし主君の誤読を正そうとはしなかった。

彼は主君の誤解を利用して、カーミラを戦場に導いたのだ。


目的はなに?

こいつも私を利用しようとしている?


カーミラはブラムに向ける視線を一層鋭くしたが、ブラムは目を逸らさなかった。


「貴方は王とは違います。享楽のために人を殺したりしません。殺戮を楽しんだりしません。たしかに貴方は、これまで多くの人を殺めてきましたが、それは貴方が望んでやって事ではない」


ブラムは暴いた。

カーミラの過去を。

大火の魔女の、真実を。


「貧しかった貴方は、幼い妹弟を養うために、シュタイマルク公爵の従僕となった。家族のために、貴方は汚れ仕事を引き受けなければならなかった。人を殺すための魔法ばかり磨いて、罪悪感に苦しみながら、数多の戦場を焼き払わなければならなかった」


ブラムの声は震えていた。

まるで罪を犯したのが、彼女にそれを命じたのが、自分自身であるかのように。


「楽しむことなどできるはずもない。貴方はただ必死だった。生きるために、稼ぐために、ただ必死に働き続けていたのだから。――――シュタイマルクの大火だってそうだ。貴方は公爵に無茶な要求を突き付けられ、それを懸命に果たそうとしただけだった」


カーミラがもたらした戦果によって、一躍時の人となったシュタイマルク公爵は、自らの名声をさらに世に知らしめようと、晩夏の火祭りに挑んだ。

自身の領地で開かれるその祭りを、過去最大のものとするため、カーミラに命じた。

夜空一面を覆い尽くす、大花火を打ち上げよ、と。

カーミラは花火の打ち上げ方など知らなかった。

それまで破壊のための魔術ばかり行使してきたカーミラに、美しく繊細な花火の魔術など扱えるはずもなかった。

けれどやるしかなかった。

公爵の命令は絶対だった。

彼に見放されては、妹弟を養うことができなくなる。

ようやく人並の暮らしを手に入れ、それどころか教育まで受けさせることができるようになったというのに。

妹弟の将来のために、カーミラは公爵の命令を受け入れ、奮闘した。

猶予はひと月しかなかった。

机にしがみ付き、寝る間も惜しんで、術式を編んだ。

研鑽を重ね、どうにか形にすることはできたが、しかし絶対とは言えなかった。

カーミラは一から魔術を覚えては間に合わないと判断し、自身が得意とする大火の魔術の応用で花火の魔術を編み出した。

しかしそれは危険な魔術だった。

成功すれば、夜空一面を花火で覆うことができる。

しかし失敗すれば、火の雨を降らせることになる。


理論上は、うまくいく。

でも、できない。


カーミラは公爵に懇願した。

安全が保障できない。最悪の場合、シュタイマルクを火の海に変えてしまう。

自分には、この不確実な花火を打ち上げることはできない、と。

しかし公爵は許さなかった。

失敗しなければいいだけの話だ、と言って、カーミラに打ち上げを強要した。

カーミラは拒否した。

戦で町を燃やすのとはわけが違う。

花火の打ち上げに失敗すれば、無辜の民を殺すことになってしまう。

自国の民を殺したとあっては、罪は免れない。

罪人となれば、妹弟を養うことどころか、傍にいることもできなくなってしまう。

それならば、まだ公爵家を放逐された方がマシだった。

そんなカーミラに対して、公爵は脅しをかけた。

彼女がなによりも大切にしている妹と弟を、公爵は人質にとった。

目の前で妹弟の首に刃を突き立てられ、カーミラは従うほかなくなってしまう。

逃げ場はない。

絶対に成功させなければならない。

カーミラは死に物狂いで術式を編んだ。

一文字の過ちも、数センチのズレも許されない精緻な術式を、本番当日、彼女はたった一人で書き上げた。


けれど、花火が打ちあがることはなかった。


カーミラは失敗してしまった。

魔術は暴発し、シュタイマルクを火の海に変えた。


公爵はおろか、妹と弟までも死に至らしめてしまった。


「悔いていたのでしょう?ずっと」


ブラムはそっとカーミラの手に触れた。


「妹弟を殺めてしまったことを。あの日花火を打ち上げられなかったことを」


カーミラの手は、ひどく歪んでいた。

五年間牢の中で術式を編み続けた彼女の指は、関節が大きく腫れあがり、伸ばすことも曲げることもほとんどできなくなっていた。


「だからずっと、術式を改めていたのでしょう?」


カーミラの呼吸が荒くなる。

眼が、赤く充血していく。


「貴方は大火の魔女じゃない」


カーミラは眼をきつくとじる。


「冤罪です。貴方は無茶な命令に振り回された被害者です。与えられた仕事をやり遂げようとしただけです。姉として妹弟を守ろうとしただけです」


ブラムはカーミラの変形した指を優しく撫でる。


「貴方はなにも悪くなかった」


カーミラはかっと眼を見開く。

充血した眼には、なおも一点の光も灯ってはいなかった。

ブラムはカーミラの指から手を離し、彼女の額を撫でる。


「――――あっ」


緊縛術が解け、カーミラは姿勢を崩す。

倒れかけたカーミラを、ブラムは咄嗟に支えようとする。

しかしカーミラはブラムの手を打ち据え、拒絶する。


「知った口をきかないで!」


カーミラは地面に倒れ伏す。

すぐに起き上がったが、彼女の身体は、地に広がっていたドラクルの血で赤黒く汚れてしまった。


「お、お、お前も!この男と同じだ!なにもわかっていないくせに、なにも知らないくせに、勝手なことばかり言って――――!」


カーミラはブラムが捨てた剣に手を伸ばす。

自身の心臓を貫くために。


「――――……もうやめてよっ!」


しかしカーミラは動きを止める。

ブラムが再び緊縛術をかけたのだ。

ブラムは今度は全身の動きを封じることはしなかった。

舌を噛めない程度に、カーミラの口に自由を与えていた。


「なにがしたいの!?」


カーミラはかすれたまま裏返った、ひどく惨めな声で叫んだ。


「邪魔しないでよ!死なせてよ!」


「させません」


「私は死ななくちゃならないのよ!」


「その必要はありません」


「あるのよ!」


ブラムの瞳が、悲しみに揺れる。

しかしそれは、カーミラの神経をますます逆なでする。


「冤罪なんかじゃない。私は魔女。私は数えきれない人間を燃やした悪魔。――――ええ、そうね。たしかに貴方の言う通り、私は公爵に脅されていた。妹弟を人質にとられて、魔術の行使を強制された。――――でもそれがなに?結果は同じよ。どんな事情があっても、私のしたことに変わりはないのよ。私は一万人の命を、数万人の生活を、数十万人の故郷を灰に変えた、ただの……人殺しよ……」


カーミラは笑おうとした。

けれど口の端が震えるばかりで、笑みを作ることはできなかった。


「私のせいなのよ。全部。私が間違えたから――――」


「貴方はなにも悪くない!」


堪えきれなくなったように、ブラムは叫んだ。


「もう自分を責めないでください!お願いだから――――」


ブラムは泣いていた。

滂沱の涙を流しながら、カーミラを抱きしめた。


「貴方はなにも悪くない。僕は知っています。貴方はただ、がんばっていただけだ。無茶な命令を、それでも遂行しようと必死になってがんばっただけです。たった十五歳で、それも独学で魔術を修得した貴方に、あんな高等魔術が扱えるわけないんです。それでも貴方は血の滲むような努力でそれをものにした。髪が真っ白くなってしまうほど……痩せ細って、指が変形するほど、死にものぐるいで……!」


いつの間にか、緊縛術はとけていた。

カーミラはしかし、自分に縋りつき涙を流すブラムを、突き放すことはしなかった。


「誰も貴方を責める資格なんてないんです。貴方は称賛されるべきだ。感謝されるべきだ。貴方のような人が報われないのであれば、間違っているのは、世界の方です」


降り注ぐブラムの涙を、カーミラはひどく熱いと感じた。

冷え切ったカーミラの肌に、それは火の粉も同然に降り注いだ。


「違う……間違えたの……私は――――」


人に抱きしめられるのはいつぶりだろう。

褒めてもらえるのはいつぶりだろう。

そう思うと、カーミラの胸は大きく跳ねた。

ずっと押し殺していた感情が決壊し、濁流となって襲い掛かってきた。


「――――ひと文字だったの」


カーミラはブラムの胸に手をあて、ぐっと押し返した。


「たったひと文字の間違いだったの。でもそのひと文字で、私は妹と弟を、一万人もの人間を、炭に変えてしまった」


虚空を見つめながら、カーミラは懺悔した。




「がんばったけど、だめだったの」

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