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全五回、三万字ちょっとの短めの連載になります。


最後までお付き合いいただければ幸いです。






カーミラ・サンソンは史上最悪の惨劇、シュタイマルクの大火災を起こした魔女である。


当時十五歳だったカーミラは、貧民階級の出身ながら卓越した魔術使いとして、シュタイマルク公爵に仕えていた。

カーミラは従順な女だった。

公爵の命令にはなんでも従った。

どれだけ人道に背く行為であろうと、顔色一つ変えずに遂行した。

しかしカーミラの出自を考えれば、それも当然といえるだろう。

公爵の下で彼女は、それまでの人生では考えられないような、贅沢な暮らしを送ることができていたのだから。





カーミラの両親は彼女が十歳のときに他界していた。

栄養失調だった。

貧民街で暮らす人間にとっては、珍しくもなんともない死因だった。

カーミラは残された妹と弟を飢えさせないためにも、必死になって魔術の腕を磨いた。

貧民街に生まれた女にはふたつの道しかない。

身体を売るか、技を売るか。

カーミラは後者を選んだ。

なにか一芸、秀でているものがあれば、身体を売らずに生きていくことができる。

カーミラは、優れた魔術の能力を持っていた。

それは天性のものだった。

カーミラはたったひとつ持って生まれたその才能を磨き、ついには貧民街を抜け出した。


カーミラは天職を得た。


公爵がカーミラに命じたのは、破壊と殺戮だった。

火の魔術が得意だったカーミラは、公爵に伴い、さまざまな戦地に足を運んだ。

彼女はそこでたくさんのものを燃やした。

草原を。要塞を。人を。

彼女の手は血に染まっていた。

彼女の肺はどす黒く変色していた。

何百何千の人間が、彼女の手で葬られたのかわからない。

けれど戦場で起きたすべての罪は赦免される。

戦争で行われるいかなる行為も罪には値しない。

それが世間の不文律だった。

敵国の人間はカーミラを魔女だと罵ったが、自国の人間はカーミラの行為を咎めることはなかった。

それどころか、カーミラの存在さえ知らなかった。


公爵はカーミラの魔術をすべて自身のものだと主張した。

カーミラの魔術によってもたらされた功績は、すべては公爵のものとなっていたのだ。

しかし手柄を横取りされても、カーミラは公爵に従い続けた。

彼女が求めるのは名声ではなく、いまある潤沢な生活だけだった。

豪華な食事。清潔な寝床。妹と弟への手厚い養護と教育。

カーミラはそれ以外にはなにも求めなかった。


ところが、ある日突然、彼女は掌を返した。

公爵を裏切り、彼の領地の中心地であるシュタイマルクを火の海に変えた。


それが史上最悪の惨事、シュタイマルクの大火災である。





晩夏にシュタイマルクで開かれる火祭りは、国内でも指折りの大祭だった。

国中から集う観客の目当ては、夜空を埋め尽くす花火だ。

秋の豊穣を願って打ち上げられる花火は、例年職人が腕によりをかけたもので、農民はもちろん多くの貴族に楽しまれていた。

しかしその年は、春に収束したばかりの近隣諸国との戦争の影響で、火薬も職人も不足していた。

例年通りの開催は不可能だろうと誰もが噂していたが、領主である公爵は高らかに宣言した。

今年も火祭りは例年通り開催される。

それどころか、例年以上に、盛大な花火を打ち上げよう、と。

公爵は火薬や職人に頼らず、自ら花火を打ち上げると言った。

自身の魔術を駆使すれば、花火で空を埋め尽くすことなどわけない、と。

民衆は沸き立った。

英雄の御業を見物できるのか、と。

貴族たちもまた喝采を送った。

先の戦争の勝利を祝うのに、これほどふさわしい催し物もない、と。

疑う者は誰もいなかった。

人びとは競い合うようにしてシュタイマルクに集い、花火の打ち上げを待った。


そこで、惨劇は起こった。


公爵には魔術で花火を打ち上げる技量などなかった。

彼ははじめから、カーミラにそれをやらせるつもりでいたのだ。

それまで敵地に放火する魔術ばかり扱ってきたカーミラだったが、公爵からの要請を受け、研鑽を重ね、花火を打ち上げる魔術を編み出した。


しかし実際に彼女が打ち上げたのは、巨大な火球だった。


太陽が出現したのではないかと思うほど巨大な火球が夜空を埋め尽くした。

火球は花開くことはなく、火の雨として、シュタイマルクの中心地に降り注いだ。


凄惨な光景だった。

火の雨は数キロの範囲に渡って降り注いだ。

群衆に逃げ場はなく、次つぎと炎に巻かれていった。

人だけでなく、建物や木々にも火は燃え移り、瞬く間に地上は火の海となった。

それまでカーミラが燃やしたどの戦場よりも無惨に、シュタイマルクは焼き尽くされた。


火が完全に消し止められたのは、それから七日後のことだった。

夏の終わりの台風によってシュタイマルクは鎮火されたが、そこには黒焦げの平原が広がるばかりだった。

数千人の住人がいた街も、公爵家の屋敷も、跡形もなくなっていた。

祭りに訪れていた、およそ一万人が犠牲となり、その倍の負傷者があった。

多くの人が、家と仕事と故郷を失った。

家族や、大切な人を失った。

シュタイマルクの大火災は、建国以来の大災害だった。

死傷者の数は、同年の春まで行われていた近隣諸国との五年に及ぶ戦争の死傷者の数にも匹敵した。


王国は当初、これをシュタイマルク公爵の謀略だと考えた。

公爵はこの大火で妻や子ども諸共亡くなっていたが、遺骸の特定が困難であったため、彼による謀反の可能性が考慮されたのだ。

しかし後に、生存者の証言などにより、魔術を実行した者が別にいることが明らかになった。

それはカーミラ・サンソンという、まだ十五歳の少女だった。

公爵のものだと思われてきた至高の魔術は、すべてわずか十五歳の少女の御業だった。

これまでの公爵の功績はすべて、カーミラによってもたらされたものだった。

公爵の名声は地に落ちた。

かといって、カーミラが評価されたわけではなかった。

公爵のものであった罪も、カーミラのものとなったからだ。


カーミラは大火を生き延びていた。

魔術の震源地に佇んでいた彼女は、煤で黒ずんでいたが、無傷だった。

焦土の中で、彼女は炭の塊となった妹弟を抱き、心神喪失状態にあった。


国王は彼女を捕え、王城の尖塔に幽閉した。

処刑するべきだという声が多く寄せられたが、王はそれを聞き入れなかった。

王はカーミラを、世紀の虐殺者を裁かなかった。


王は正義ではなく、国益をとった。

死者を弔うためではなく、生者を守るために、彼女を生かした。






*****






「――――これがあの有名な大火の魔女?」


薄暗い牢の中を覗き込み、若き新王は嘲った。

牢の中は窓ひとつない、石壁に覆われた空間だった。

排水用のバケツが置かれた他には、毛布のひとつもない。

ゆうに百人は収容できるだろう広い牢だったが、幽閉されているのは小柄な女一人だけだった。

シュタイマルクの大火災を引き起こした大罪人、カーミラ・サンソン。

彼女は火災から五年たった今でも、王城の尖塔にある牢獄に幽閉されていた。


「とてもそうは見えないがな」


王は檻を蹴った。

がしゃん!と耳障りな音が響く。

しかしカーミラは床に這いつくばったまま動かない。

薄汚れたボロ布一枚をまとったカーミラは、爪先ほどの小さな小石で、冷たい床石になにかを書きつけている。


「こいつはなにをしているんだ?」


王はぱちんと指を鳴らした。


「――――ん?」


「陛下、ここで魔術は仕えません」


「ああ、そうだったな」


戴冠して間もない国王、ドラクルは、もう一度指を鳴らした。

牢のある尖塔の中では、魔術は仕えない。

灯りをつくるという最も基礎的な魔術さえ使えない状況に、ドラクルは興味をそそられたようだった。


「魔術封じの尖塔か。王城の外観を乱す初代の遺物など早々に打ち壊してしまおうと思っていたが、なるほどこれは貴重なものだ」


ドラクルは再び牢の中に視線をやった。


「特にこのような兵器の保管場所としてはうってつけだ」


ドラクルの後方に控える魔術師が、無言で燭台をかざす。

照らし出された牢の中は、無数の魔術式で埋め尽くされていた。


「すべて火の魔術だな」


王は驚嘆した。


「これほどまでに緻密な魔術式は見たことが無い。この俺でも、すべてを解読することはできないぞ」


カーミラが床に書きつけていたのは、魔術式だった。

床だけではない。三方の壁にも、背の届く範囲まで、カーミラは魔術式を刻みこんでいた。

豆粒のような古代語で記されたそれを完全に解読することは、王はもちろん、彼の右腕である魔術師にもできなかった。


「しかしいくら術式を編んだところで、ここでは魔術を使えないぞ」


王の呼びかけに、カーミラは答えない。

彼女はほとんど瞬きもせず、一心不乱に術式を刻んでいる。

その身体は貧民街で暮らしていた頃よりずっと痩せ細っていた。

髪は色が抜け、老婆のように白い。

瞳孔は開いているが、その眼はどのような光も反射していない。

炭と灰の荒野となったシュタイマルクをそのまま写し取ったように、深く淀んでいる。


「ははっ」


ドラクルはそんなカーミラの眼差しを見て、低く笑った。

そしておもむろに牢の扉を開けると、カーミラの右手を捻り上げた。


「――――っ!」


「いかに罪人といえども、王への不敬は許されないぞ」


カーミラは床に顔を伏せたまま動かない。

ドラクルは彼女の長い髪をつかみ、無理やり顔をあげさせる。


「気が触れていないことはわかっているんだ。数万の人間を火の海に突き落としてなお、お前は正気を失っていない」


ドラクルは鼻先が触れそうなほど、カーミラに顔を近づける。

ドラクルは彫刻のように整った顔立ちをしていたが、その眼には狂気が宿っていた。

カーミラは思わず目を逸らした。

彼の眼に宿る狂気が、かつての主人、シュタイマルク公爵のものとよく似ていたからだ。


「――――やはりな」


ドラクルは笑みを深くする。


「正気を失った人間に、このように緻密な魔術式が編めるはずはない。――――して魔女よ。お前はなんのために魔術を編んでいる?ここで魔術が使えないことがわからないお前ではないだろう?」


「……理由など、ありません」


カーミラはそこでようやく口を開いた。

この五年間ほとんど口をきくことがなかったためか、その声はひどくかすれていた。


「嘘をつくな」


ドラクルは俯くカーミラの顎をつかみあげ、無理やり自分の方を向かせた。


「俺にはわかる。――――お前はまだ、執着しているのだ」


カーミラは瞠目する。


「執着なんて――――」


「しているだろう。ここに刻まれた術式がほかでもない証拠だ」


ドラクルはすべてを見透かしているかのように断言する。


「あの惨劇を、再び味わいたいのだろう?」


「……は?」


「誤魔化さずともよい。俺にはわかる。なぜならおれは、お前と同じものを求めているからな」


カーミラは凍りついた。

ドラクルは我が意を得たりと、捲し立てた。


「お前、人を燃やすのが好きなんだろう?癖になってしまったんだろう?戦場でさまざまなものを焼くうちに、その快楽を知ってしまったんだろう?」


この牢を見て確信したぞと、ドラクルは言った。


「お前はまだ殺し足りないのだ。だから魔術の使えないこの牢で、魔術を編み続けていたのだ」


ドラクルは獰猛に笑った。


「まったく、そうと知っていればもっとはやく会いに来たものを――――こんなところで五年もお前を腐らせてしまっていたとは!我が人生最大の失態だ!」


ドラクルは牢の外で控える魔術師を詰った。


「なぜこれの存在をもっと早く知らせなかった?」


「……魔女の存在は、陛下もご存じだとばかり思っていました」


「やつの急死で俺は一度に膨大な遺産を相続したのだぞ。五年前の罪人の詳細など知るわけが無かろう。無能め」


「申し訳ございません」


魔術師は深く頭を垂れた。

ドラクルは白々しい、と舌を打つ。


「お前とこれの因縁は知っているぞ。俺の知らぬところで、八つ裂きにでもするつもりだったか?」


「まさか。主君の所有物に手を出すことなど、ありえません」


「……食えないやつめ」


ドラクルはもう一度舌を打ってから、だが、と続けた。


「開戦を控えたこのタイミングでこれの利用価値を進言したことは褒めてやる。――――ああ、まったく僥倖だ。こんなところに同志がいたとは。それもふたつとないほど強大で残酷な力を持っているとは!神もまたよほど血に飢えているらしい!」


カーミラは凍りついたまま動かない。


「父はお前を復讐者だと認識していた。公爵に奴隷のように扱われ、相当な憎しみを抱いていたのだ、と。だからあの日、花火ではなく火球を打ち上げ、公爵を惨殺したのだ、と。――――俺は今日まで父の言ったことを鵜呑みにしていたが、しかし事実は異なる。一目見てわかった。お前は、殺したいから、殺したんだ」


お前はおれと同じ生き物だ、とドラクルはカーミラの肩をつかんだ。


「ただ公爵を憎んでいたのなら、あれだけ多くの犠牲を出す必要はなかったはずだ。おまけにお前は、大切にしていた妹弟まで巻き込んでいる。お前がそこまで徹底的な破壊を犯した理由はただひとつ。――――そうしたかったからだ。お前はただ、人を燃やしたくて、殺したくて、たまらなかったのだ」


ドラクルはカーミラを激しく揺さぶる。

狂気と歓喜の入り混じった声で、捲し立てる。


「俺もお前と同じだ。俺も人が死ぬところを見るのが大好きなんだ――――王子として戦場で指揮をとるうちに知ったのだ。人の死ほど心を満たすものはない。無辜の民を蹂躙することに勝る快楽はこの世に存在しない。より残酷に、より多くの人間が死ぬところをおれは見ていたい。それが倫理に反することは理解している。けれど抑えられない。性分なんだ。息をするように、食事をするように俺は人を殺めたいんだ」


お前もそうなんだろう?とドラクルは笑った。


「父はお前を戦争における切り札として生かしたようだが、俺はそんなことはしない。喜べ。お前をここから出してやる。そして最前線に置いてやる」


それを聞いたカーミラは脱力し、その場にへたりこんだ。


「私を……戦場に……?」


「そうだ。数千の軍勢の相手をさせてやる」


ドラクルは獰猛な笑顔のまま続けた。


「もうすぐ戦がはじまる。腰抜けの先代が調停した平和条約を、ようやく破り捨てることができたんだ。しかし――――五年ぶりの戦争で、俺は胸が躍っていたのだが、どうも決め手にかけてな。俺は戦争が大好きだが、負けては意味がないのだ。より多くの人間を蹂躙するためには、勝たなければならないのだ。しかし我が国と隣国の国力は拮抗している。よほどの奇策か新兵器でもない限り、泥沼化するのは目に見えている。そこでブラムがお前の利用を進言してきた。――――正直、俺は父が捕らえた大火の魔女のことなんてほとんど忘れかけていた。お前の起こしたあの災厄には心が躍ったが、お前自身に興味があったわけではなかったからな。五年も幽閉された女などなんの役にも立たないだろうと思っていた。様子を見て、使い物にならないのであれば、憂さ晴らしに殺してやろうと思っていた。――――だが、お前の牙は折れていなかった。お前は血に飢えた狂気の魔女のままだった!」


そう叫ぶドラクルこそ、血に飢え、狂気に浮かされていた。


「カーミラ・サンソン!大火の魔女よ!悲願を叶える時がきたぞ!いま再び、シュタイマルクの惨劇を起こすのだ!」


ドラクルが口を閉ざすと、牢の中は、しんと静まり返った。


「――――は」


カーミラが、息を漏らした。


「は……はは……はははは……!」


それは笑い声だった。

枯れた梢がこすれ合うような、ひどく渇いた笑いだった。


「――――ちょうど、完成したところでした」


ひとしきり笑ったあとで、カーミラは言った。


「五年間、ずっと改良していたんです」


カーミラは床に刻み付けた術式を撫でた。


「私はもう二度と間違えません」


カーミラはどろりと濁った眼を、ドラクルに向けた。


「五年前の魔術は失敗でした。本当はあんなふうになるはずではなかったのです」


「ほう?ではお前は主人の望み通り、花火を打ち上げようとしていたとでも?」


皮肉なドラクルの言い回しに、カーミラは含みのある言葉を返す。


「ええ。ですが、失敗してしまいました」


「ひどい話だ」


ドラクルは笑みを噛み殺して言った。


「花火を打ち上げるつもりが、誤って、火の雨を降らせてしまうとは。主人と故郷、数千の家屋と一万の人間、幼い妹弟まで焼き払ってしまうとはなあ?」


「そうなのです。私はとんだ無能なのです」


カーミラは歪んだ笑みを浮かべて言った。


「ですからまた失敗してしまうかもしれません。敵兵どころか、自軍の兵まで傷つけてしまうかもしれません」


それでも私を戦場に置きますか?

そう訊ねるカーミラに、ドラクルはいよいよ堪えきれなくなり、声をあげて笑った。

獰猛で、残忍な、悪魔のような笑い声だった。


「魔女め!気に入ったぞ!ではこちらは最小限の兵を持って挑もうではないか!」


こうして大火の魔女、カーミラ・サンソンは、世に放たれたのだった。

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