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【完結】その聖女、悪魔と契約中につき〜落ちこぼれ聖女の私は召喚した悪魔と禁断の契りを交わしました〜  作者: 葉南子@「ツキヨム」コン大賞受賞
第三章 聖女と幼馴染

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第三十六話 広い大空に希望をたくして

 誰の視界にも入らない場所に差し掛かるとアルトは足を止め、振り返った。レイも立ち止まり、改めて彼の顔を正面から見る。

 アルトは眉間に深いしわを刻み、口を固く結んでいた。紫色の瞳は迷いを含んだように揺れている。思ったよりもずっと真剣な表情。少なくとも、喧嘩を売るつもりではなさそうだ。

 数秒の沈黙のあと。


「……マナのこと、よろしく頼みます」


 アルトが意を決したように口を開き、深く頭を下げた。

 その動きに、レイは一瞬、言葉を失う。こうべを垂れるさまは、冗談でも社交辞令でもない。予想外の行動に、呆気に取られた。

 

「そんなこと、なぜ俺に言う?」

「……あんたならマナを守れるから。いや、守ってもらわないと困る。俺には、それができない。だから、あんたにお願いするんだ」


 アルトの声はわずかに震えていたが、それでも強く言い切った。レイは目を細めながら、顔を上げた彼を見据える。

 

 ──妖精といい、どいつもこいつも「小娘を守れ」と……。


 どこまでいっても面倒な奴ばかり。

 だが、胸の隅に妙な引っかかりを覚え、それとともに昨日の山での出来事が脳裏によみがえった。

 崖から落ちるマナを見た瞬間、咄嗟(とっさ)に体が動き、考えるより先に足を踏み出していた。心臓を鷲掴みにされたように息が詰まり、急激に視界が狭まる感覚だけがやけに鮮明に残っている。

 誰かに命じられたからではない。誰かの頼みを聞いたからでもない。そうしなければいけないと、本能が騒ぎ立てたように後を追っていたのだ。


 ──『守る』、か。


 舌の上でその言葉転がしてみても、しっくりくる答えは見つかりそうにない。考えるのをやめても、胸の奥の引っかかりは消えなかった。

 誰も彼もが「小娘を守れ」と言ってくる。妖精も、アルトも──そして、今度は自分自身まで。

 面倒だ、と切り捨てるには少しだけ遅かった。気づけば、意図しないまま口角が持ち上がっている。結局、どこまでいってもこの面倒事からは逃れられないようだ。


 アルトは、レイのその様子が気に食わなかったらしい。眉間のしわがさらに深く刻まれ、苛立ちが大きくなったのが見て取れた。意を決して頭を下げた相手に、皮肉げな笑みを向けられたのが(しゃく)に障ったのだろう。


「こっちは真剣に、恥を忍んで頼んでるんだぞ!?」


 じろりとレイを睨みつけながら彼は続けた。

 

「マナを泣かせたら許さないからな!」


 怒鳴るような声とは裏腹に、瞳に浮かんでいるのは怒りよりも、切実な願いを託すような色をしている。マナが必死に『お願い』をするときに見せる目と、どこか重なるものがあった。

 

「あいつは泣き虫だからな。泣いても、俺のせいじゃない」

「……俺は、お前が嫌いだ」


 ぶっきらぼうな呟きには、認めざるを得ない現実への悔しさが滲んでいた。アルトは一度視線を落とし、小さく息を吐く。

 

「だけど……最後に、筋だけは通す。俺とマナを助けてくれて、ありがとう」


 不満そうに唇を尖らせながらも、小さく腰を折る。仕草はやけに不格好だが、そこに嘘はないのだろう。

 

「……もう知らねえ! とにかく、マナを頼んだからな!」


 照れ隠しのように勝手に吐き捨て、アルトは乱暴な足取りで去っていく。


 ──まったく。面倒で騒がしくて、小娘みたいな奴だ。

 

 その背中を見送りながら、レイは気の抜けたようなため息をついた。



 家の正面に戻っても、喧騒は相変わらずだった。マナは楽しそうに、いつまでも名残惜しそうに皆と話し込んでいる。

 

「行くぞ」


 早くこの場から立ち去りたい。そう思いながら横切ろうとしたレイの裾を、マナがぴんと(つま)んだ。

 

「待って。もう行くから、一緒に、ね」


 こぼれおちた陽だまりのような微笑み。その顔に、レイは知らず知らずのうちに足を止めていた。


꧁──꧂


 足を止めた彼の隣で、マナは改めて集まってくれた人々へと向き直った。


「じゃあ、みんな。見送りまでしてくれてありがとう。これから先、大変なこともあるかもしれない。だけど私、頑張るから。応援してて」


 目に焼き付けるように、マナは一人ひとりの顔を見つめる。

 タクトは明るく笑い、リラが力強く頷く。伯母(おば)は少し寂しそうだけれど、最後まで目を逸らさずに微笑みを返してくれた。そして、アルト。何かを言いかけたようだったけれど、言葉を飲み込み、代わりに深く重みのある頷きを返してくれた。

 言葉はなくても、集まった視線が「頑張れ」と背中を押してくれている。

 込み上げる熱いものを押し込むように、マナは大きく息を吸い込む。視界いっぱいに広がる空はいつもより青く、どこまでも澄み渡っていた。


 これから先、何が待っているのかはわからない。でも、不思議と恐れはなかった。

 

 ──大丈夫、みんながいてくれる。お母さんも、きっと見守ってくれている。

 

 まだ見ぬ未来を思い描く。どんな困難が待ち受けていても、いつかそれを「希望」と呼べる日が来るように。立ち止まらずに、前へ進む。

 マナはしゃんと胸を張って、短い言葉に想いのすべてを込めた。

 

「いってきます!」

「いってらっしゃい!」


 みんなの笑顔と声が、進むべき道を暖かく照らしてくれるようだった。

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