第十八話 未来への道標
やはり、ここが母の日記に記されていた大樹なのだ。
「教えてくれてありがとうございます! 実は、お母さんの日記に『この辺りの大樹に結界晶をつけた』って書いてあって。それで、この大樹がそうだと思って近くまで来てみたのが始まりだったんです」
マナは嬉しさで息と声を弾ませた。
「そうだったのですね。彼女の簡易結界晶はとても精度が高くて、私たちも助かっているんです。なにせこの二十年間、魔獣や瘴気による害はもたらされていませんから」
胸に手を当てたミーティスは、心の中で「ありがとう」と母に語りかけているようにも見えた。
そして、母の結界晶がどれほど優れているのかを実感する。
聖女なら誰でも作れる結界晶だが、その効果は生成者の聖力や、生成過程の克明さで顕著に違いが現れる。
浄化不足や注いだ聖力が足りない半端物はすぐに壊れてしまい、結界の意味をなさない。
また、大半の結界晶は持って数十年と言われているが、稀に半永久的に効果を発揮する物もあるという。母の簡易結界晶は、きっと後者に当たるものだ。
「ここがその大樹でよかったです。お母さんの日記って抽象的で。それに、妖精がいるってことも書いてなかったし」
正解に辿り着けた解放感から、母ももう少し詳しく書いてくれればいいのにと、ついぼやいてしまう。
「きっと、マナ自身の目で真実を見てほしかったのではないでしょうか」
その言葉に、マナははっとして顔を上げた。ミーティスは優しく口角を上げているが、その眼差しは真剣そのものだった。
「マナが見たこと感じたこと、悩みや迷い。それがマナの成長に繋がると思ったのでしょう。だから、あえて抽象的な日記にしたのです。日記はドロシアの生きた証であり、マナへの道標でもあると、私はそう思います」
ミーティスの言葉の一言一句が胸にすとんと落ちた。
日記に記された場所の先で、母が待ってくれている。そう思うと、心がじんわりと温かくなった。
「ミーティス様、本当にありがとうございました」
マナは明るい声で告げて、大きく腰を折り曲げる。
いよいよ別れのときが訪れた。
本当なら、聖樹地の昔話やレティシアの恋心など、まだまだ話していたかったのだが。じとっとした目を向けたレイが「いつまで続けるつもりだ?」と口を挟んできたため、名残を惜しみつつも出発することになったのだった。
「こちらこそ。聖樹地を守ってくださって、本当にありがとうございました。マナに会えて嬉しかったです」
ミーティスもまた、マナに応えるように頭を下げた。
「また遊びにきてくださいね。マナでしたら、いつでも歓迎いたします」
「はい! 必ず、また!」
言葉とともに想いを交わし、レティシアの誘導で大樹の中から外へと向かう。
別れがたくもあり、ミーティスの姿が朧になるまで何度も後ろを振り返った。
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現のくっきりとした配色の景色と、焦げついた木の匂いが鼻を突く。幻のような世界から帰ってきても、燃えてしまった木々が戻っていることはない。
でも、ミーティスが言っていたように、きっと緑は帰ってくる。ただ悲観するだけなのは、彼女にも聖樹地にも失礼だ。
「ここでお別れね」
レティシアが少し寂しげに羽を揺らす。マナはまっすぐ彼女を見つめ、感謝を口にした。
「レティシアもありがとう。初めて会った妖精がレティシアでよかったよ」
「私もよ。初めて会った人間がマナでよかった。マナみたいな人もいるんだって、人間の価値観も変わったわ」
その言葉通り、彼女の表情には、初めて会ったときのような不信感はどこにも見当たらない。代わりにあるのは、これから友を送り出す、やさしくも切なさの色を宿したものだった。
「ミーティス様も言っていたけど、マナならいつでも歓迎する。だから、絶対また来なさいよね」
「うん。今よりももっと立派になって、絶対また来るよ」
お互いの目線を合わせ、約束を交わす。
ミーティスのとき以上に、別れが胸に迫った。けれど、これが最後ではない。いつかまた会えると、そう信じられたからこそ笑顔で締めくくりたかった。
マナは一度大きく深呼吸をして、潤みそうになった瞳を上へと向ける。「……よし!」と、気合を入れた明るい声で自分を鼓舞した。
「じゃあ、あとはお母さんの結界晶をこの目で確かめるだけね」
マナは視線を大樹へと移す。
「ミーティス様は上のほうって言ってたけど、どこまで上を見ればいいんだろう」
見上げた大樹の葉は風が吹くたび波のように揺れて、底が見えない海原のように上空を隠している。下からでは全貌がまったくわからない。
なら、直接行ってみるだけだ。
「ちょっと上のほうまで登ってみる!」
「登る……って、本気で言ってるの!?」
「うん。小さいときはよく木登りしてたから平気なんだ」
レティシアの不安と驚きの表情は「そんなの無理よ」と言っているようだ。そんな彼女をよそに、マナは昔は出来ていたから大丈夫だと意気揚々と飛び跳ねて、一番近くにある木の枝にしがみついた。
昔の感覚を思い出しながら幹に足を沿わせる。なんとかして枝の上に乗ろうとしたものの、腕や脚、どこに力を入れても身体は一向に持ち上がらない。
──あれ、どうして……?
成長して身体が大きくなったせいか、当時のような身軽さが無くなっていた。
最後に木登りをしてから十年は経っていないはずなのに、こうも登れなくなってしまうものなのか。自由の利かなくなった身体に、少しショックを受けた。
「なんとなく、そんな気はしてたけど……マナってけっこう無鉄砲よね」
四苦八苦しているマナの姿を見たレティシアは、苦笑いをしながらため息混じりにぼやいた。
「ただの阿呆だな」
腕組みをしているレイも同意するように呟く。
「二人とも! 全部聞こえてるんだからね!」
意気がったのにひとつも登れなかった事実が恥ずかしすぎて、掴んでいた枝からなかなか手が離せなかった。




