第十六話 ブラックアウト
マナが結界を張っている場所から数キロメートルほど離れた木々の茂み。
そこにシルクハットの男たちはいた。
互いに向かい合い、にやにやと陰湿で満足気な笑みを交わしている。
「ボス! やりましたね! 三匹も妖精がいたら一生遊んで暮らせますよ!」
先ほど背後からマナを捕らえた体格の良い男は、麻袋の口を握り締めながら揚々とした声を上げた。
「ここから出せ!」
「お前ら絶対許さないからな!」
「私たちを帰して……」
その麻袋からは、捕まってしまったダニエルたちの叫び声がひっきりなしに漏れ出している。
「ボス〜、こいつらの声キンキンでうるさいっすよ。……先に羽を捥いじまってもいいんじゃないですか?」
男は麻袋を顔の高さまで持ち上げ目の色を変えた。まるで己の欲望を映し出しているかのような色だ。
「ロビー。お前の逸る気持ちもわかるが、素人が下手に羽を捥ぐと価値が暴落する。手数料は取られるが、それでもプロに頼むのが一番だ」
体格の良い男は「了解っす」と大人しくなりながら麻袋を下げた。
ボスは煙草を咥えながら何度もオイルライターのホイールを回す。
空回りしているようで煙草に火がつけられない様子だった。
「クソッ……。あの木にオイル全部ぶちまけてきたからな……」
「それにしても、すごかったですね! 爆発したみたいに燃え広がって! 俺、火遊びするガキの気持ちが分かりましたよ!」
レティシアの羽を摘んだ男が手を広げて笑いながら言うと、ボスはニタっと下卑た顔をした。
「はしゃぎすぎだ、ニック。ともあれ、作戦通りだったな。炙り出し成功だ」
「なんか勿体無い気もしますけど。あの木の一帯、もう駄目っすよね。もっと妖精狩り出来たんじゃないんすか?」
「ロビーの言うことも一理あるが、この三匹を売るだけで一生金に困ることはないからな。それに、こんな怪我まで負わされて徒で済ませられるかっての」
レイに切られた膝をさすり、ボスはまた苛ついたようにライターのホイールを回す。
いくらやっても全く火が付かない。
自身でやったことだが、オイルを全部撒いてきたことにも苛ついているようだ。
「……チッ。おい、お前ら本当に火は持ってないのか? マッチでもなんでもいいから、もう一度探してみろ」
機嫌悪そうにボスが口を開いた瞬間だった。
「ぁがっ……!」という小さな呻き声と共に、ニックが黒い焔に包まれた。
焔は闇が揺らいでいるかのように男の全身を覆い尽くして燃えている。
それでいて全くの熱さを感じない、不気味で禍々しい光景。
そして、その焔はあっという間に消えてしまった。
そこには塵一つですら残っていない。
ニックという男は初めからこの世に存在していなかったというくらい、跡形もなく姿を消した。
「ニック!」
ボスとロビーは同時に叫ぶ。
何が起きたのか瞬時には理解出来なかったようで、二人とも裏返ったような声をしていた。
「やはり屑は燃えるのが早いな」
聞こえたのは、ざわっとするほど非情で冷炎な声。
二人の目線の先にはニヒルに笑うレイの姿があった。
「どうした? 火が欲しかったんだろう? まあ、もう消滅してしまったがな」
レイは薄ら笑いを続けている。
咥えていた煙草を勢いよく握り潰したボスは憎悪を剥き出した。
「お前はさっきの……! ニックを殺ったのもお前か……!」
「こいつ炎魔導士だったんすか⁉︎」
怒り心頭に発するボスと取り乱しているロビーを尻目に、レイは肉眼では追えない速さでロビーから麻袋を奪い取ると、また不敵な笑みを浮かべた。
「……‼︎」
瞬きをするよりも早いその動きに、二人は思わず硬直してしまう。
そしてレイにより解放された三人の妖精は、涙目になりながら「ありがとうございます、助かりました」と彼の周りと飛び交った。
一度は最悪の未来を思い描いてしまった三人からしたら、レイは紛れもない救世主である。
ただそれを鬱陶しそうにしながら、レイが口を開いた。
「早く向こうに行け」
「……あの、燃えている木や他の妖精はどうなりましたか?」
レイの素っ気なさや立ち振る舞いは、三人が想像していた救世主像とはかけ離れている。
そのためダニエルは少し慎重になりながら彼に尋ねていた。
「行けばわかる。早く行け」
ぎらっと光る瞳にたじろぎながらも「わかりました、ありがとうございました」と頭を下げ、三人はマナたちのいる方へと向かっていった。
「……さて。これで小娘の『命令』は聞いてやったわけだが。お前たちについては、特に言われてなかったな」
ふっと笑った顔にある青い瞳は、冷たく不吉な予感を醸し出す。
男たちはその威圧感に気圧されてしまうが、仲間がやられて黙っていられるほど冷静でも無情でもなかった。
ボスはマナの頬に傷をつけた折りたたみナイフを取り出し、ロビーは格闘術のような構えをとりながらレイを睨む。
「腰を抜かして逃げた割には、威勢がいいじゃないか」
嘲笑うレイに襲いかかろうと先に動いたのは、ロビーの方だった。
彼の言葉で火がついたロビーは、唸るような雄叫びを上げた。
「……ボス! 俺、もう我慢の限界っす!」
目の横に浮かんだ血管が、彼の怒りの昂ぶりを物語っている。
渾身の一撃を放とうとロビーは拳に全ての力を込め、地を蹴り出してレイへと向かって突進していく。
しかし、その拳が届くことはなかった。
ロビーもまた、ニックと同じように黒い焰に包まれ、瞬時に消えてしまったのだ。
息が詰まるような静寂が訪れ、ボスはその場に立ち尽くす。
──なんなんだ、こいつは……⁉︎
現実とは言い難い悪夢のような光景に、ボスの怒りは次第に恐怖へと変わっていく。
冷や汗が額を伝い、ナイフを握っている手が震えだす。
今までに聞いたことのない心音が、身体中を駆け巡る。
「……お前! さっきからどんな魔法を使っている⁉︎ こんな黒い焔の炎魔法なんて、見たことねぇぞ⁉︎」
恐怖を隠すように声を張り上げたが、その怒声にレイが答えることはなかった。
「俺は今、気分がいい。それに剣の手入れもしたばかり、小汚い血の後始末も面倒だ」
レイは上唇に軽く舌を沿わせ、まるで何かに陶酔しているかのような笑みを浮かべながら、一方的に言葉を発していた。
「人間ごときが俺の魔術を拝めたんだ。お前も、喜んで逝け」
「……魔術⁉︎ 馬鹿か、お前⁉︎ 魔術を使う人間なんて、いるわけないだろ!」
ボスは歪に引きつった顔をしながらも鼻で笑う。
──そうだ! 魔術なんて、冗談にも程がある……!
だが、寒気が背筋を走り、疑念が湧く。
──あの黒い焔は一体なんなんだ?
感じたことのない不気味さに、冷や汗が大量に吹き出だす。と同時に、身体が焔に覆われた。
──なんだこれは……⁉︎
何も見えない。何も聞こえない。五感全てがない。
熱くもない。寒くもない。皮膚感覚がない。
時間の感覚もない。一瞬であり永遠であるかのような。
恐怖だけを残して、闇の中へと誘われていく。
「人間じゃないからな」
傲慢そうに微笑んだレイが呟いた時には、もう焔は消えてなくなっていた。