第十四話 聖樹地の大妖精
現れたのは男の子の妖精だった。
赤褐色の髪に茶色い瞳。溌剌とした表情と物言いが、その子の陽気な性格を醸し出している。
そしてレティシアと同じように、綺麗な羽を羽ばたかせていた。
「マナ、仲間の紹介は後でもいい? 先にミーティス様の方に行きたいんだけど……」
顔の前で手を合わせたレティシアが「お願い」という目でこちらを見る。
もちろん断る気なんてないのだが、敬称が「様」なことと懇願するような瞳から、その人物がすごい人に違いないことはわかった。
「全然かまわないよ! ミーティス様って?」
「聖樹地の長、この大樹の中でしか生きられない大妖精。大樹はミーティス様の命でもあって、ミーティス様は大樹の命でもあるの」
「そうなの⁉︎ そんな人のところにお邪魔しちゃっていいのかな?」
想像以上にすごい人だった。中に入ってみたくもあるが、恐れ多くて少し躊躇してしまう。
「ミーティス様が来てほしいって呼んでるんだから大丈夫! 早く行ってあげて」
ニカッと笑いながら言った男の子が木の幹に触れると、男の子が現れた時と同じ光が触れた場所から発せられた。
「ここから中に入れるから。僕、人間を招待するなんて初めてだよ! なんだかわくわくするね!」
頭の後ろで手を組んで明るく振る舞う男の子は、レティシアとはまたちょっと違った印象だ。
妖精にも個性があって、いろいろな人たちが寄り添いながら集団生活をしているんだろう。
種族が違うだけで、本質はきっと人間と変わらない。
「ありがとう! 君はなんていう名前なの?」
「僕はダニエル。よろしくね、マナ」
「あんた、なんでマナの名前知ってるのよ?」
白い歯を見せて笑ったダニエルに、レティシアは片眉をさげながら不思議そうな声色でつっかかった。
「レティシアがさっきそう呼んでたじゃん。覚えてないの?」
「覚えて……るわよ! 本当、地獄耳なんだから!」
「地獄耳って使い方、なんか違くない?」
「違くないわよ!」
可愛いらしい言い合いに、マナは思わず吹き出す。
「二人とも、仲が良いのね」
「そんなことないから!」
ツンとしながらも、顔をほんのり赤くしているレティシアがまた可愛かった。
レティシアのそれは、素直になれない女の子の仕草そのものに見える。
──きっと、ダニエルのことが好きなんだだろうなあ。
なんだか応援したくなってしまう。
マナは目を細めて二人を視界に入れた。
「じゃあレティシア、二人を案内してあげて。僕は見回りに行くから」
「はいはい。果実のつまみ食いしちゃダメだからね」
「僕はそんなことしないよ、たぶん! じゃあマナ、またね」
ダニエルの羽の残光が虹のように輝く。本当に綺麗だ。
「まったく……。それじゃ、行きましょうか。ミーティス様をあまりお待たせしたくはないし」
「案内よろしくお願いします。ほら、レイも早く行こう」
「俺は行かない。勝手に行ってこい」
レイはまた無愛想に口を開いた。
ついさっきと同じような台詞。
目を伏せている彼に、やるせなさを抱く。
「ミーティス様が、ふ・た・りを呼んでるの! 本来なら悪魔なんて絶っ対入れない場所なんだから、ありがたいと思ってよね!」
「興味ない」
無表情で言う、彼らしい答え。
でも今回はそうはさせたくない。だって、種族の違う自分たちが触れ合える貴重な瞬間。
「レイ、命令。一緒に行こう。せっかくのご厚意を無駄にしたくないもの」
さらりと口にしたマナは屈託のない笑顔を浮かべている。
『命令』なのに、偉ぶったの様子は微塵もない。
純粋に「レイを連れていきたい」という思いしか感じ取れなかった。
彼女の笑みを凝視するレイの顔はわずかに歪んでおり、そして不信感を抱いていた。
──とんでもなく、くだらない命令。こいつは本気で言っているのか?
命令一つで誰のどんな命でも奪うことができる悪魔を従えておきながら、それはせず、こんなちんけな命令は躊躇せずにしてくる。
どういう心理なのか全くわからない。
だが、彼女の瞳には濁りがなかった。だから、本気なのだろう。
「……行くのか?」
「行くの。命令」
変わらない表情をしているマナから視線を逸らし、大きくため息をついた。
「ほら。一緒に行こう」
そう言った彼女に手を引かれて、大樹の中へと足を踏み入れた。
…………
……
…
「うわぁ……! 綺麗な場所……」
マナは驚きの声を上げる。
大樹の中は思っていた以上に広かった。
空という概念はなさそうで、空間自体が淡い光に包まれているように見える。
たくさんの木も草も花も、外に存在しているものとまったく同じなのに、全てのもの透明感があって、まるで夢の中の世界。
「この先にミーティア様がいらっしゃるわ」
先頭を行くレティシアがまっすぐ前を指差す。
幻想的な大樹の中を歩きながら、マナはレティシアに尋ねる。
「ミーティス様ってどんな人なの?」
「そりゃもう、すごい人よ。でも、そうね……みんなのお母さんみたいな人かしら」
心なしか、レティシアの口調が穏やかになった気がした。
──お母さん……。きっと優しい人なんだろうな。
ミーティスがどんな人物かを思い描きながら、心が温かくなっていくのを感じた。
「さ、もうすぐよ。この木々の間を抜けてすぐの場所にいらっしゃるから」
入り組んだ木々を抜け、マナたちはその人物と対面した。
「はじめまして。マナ、レイ、よく来てくれました。それと、レティシアを助けてくれてありがとうございます」
凛とした声。
エメラルドグリーンの長い髪と瞳、美しい鎖骨のラインがベアトップのドレスをさらに際立たせている。
神秘的なその妖精はマナより頭一つ分ほど高い背丈をしており、顔つきも大人そのものだった。
「とんでもないです! こちらそこ、ご招待いただきありがとうございます!」
マナの緊張感が一気に高まる。
大妖精とはいえ、背丈や姿などはレティシアたちと似たようなものだと勝手に思っていた。
だが実際に目の前にいるのは、とても淑やかで麗しくて、なんだか心が安らぐような揺らぎを持っている大妖精。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。立ち話もなんですし、あちらのテーブルの方にでも行きましょうか」
マナの緊張をほぐすようにミーティスは微笑んだ。
…………
………
…
マナとミーティスがアンティーク調の白い椅子に対面になって腰かける。
レティシアはマナ側のテーブルの隅で、置き物のようにちょこんと正座した。
レイは木の幹に背を預けて腕を組み、空気と同化するかのように無関心に佇んでいる。
「私たちの名前、ご存知だったんですか?」
自己紹介はまだだったので、先にミーティスに名前を呼ばれたことが不思議だった。
「ええ。でも知ったのは、あなたたちがここに来てからです。この大樹を通して聞きました。外には出られませんが、付近のことは見えたり聞こえたりするんです」
ミーティスの微笑みに春の木漏れ日のような温もりを感じた。
そして、大樹と彼女は繋がっている。
レティシアが『ミーティスと大樹で一つの命』と言った意味を改めて実感した。
「ところでマナ、突然変なことを聞くのだけれど……」
ミーティスが顔をわずかに傾げて、控えめに問いかける。
「マナのお母さんは、もしかしたら聖女ではないですか?」
「……え、はい。ドロシアって名前の大聖女ですが……」
唐突な質問に少し口ごもる。予想もしなかった話題に驚きを隠せなかった。
「やはりそうなのですね。生気の波長がドロシアに似ているから、そうかと思いました」
「お母さんを知ってるんですか⁉︎」
思わず声を張り上げ、勢いよく身を乗り出してしまった。
ミーティスは口元に手を当て、気品ある笑い声を漏らした。
「ええ。でも嬉しいわ、ドロシアの娘にお会いできるだなんて。生気もそうですけど、そのまっすぐな瞳もドロシアそっくりですね」
ミーティスの言葉と視線は昔を思い出すかのようで、マナの背後にドロシアの存在を重ねているようにも感じられた。
──お母さんに、そっくり。
その言葉がマナの中で反響する。
リリィに「似ても似つかない」と言われたことがずっと気になっていた。
でもミーティスの優しい揺らぎが、胸の蟠りを解かしてくれた気がした。
「……お母さんはどんな人だったんですか? 私が小さい時に死んでしまって、あんまりお母さんの記憶ってなくて」
「私も数回しか会ったことはないのですが、とても人思いで、明るくて。みんなの心まで温めてくれる、そういう人でした」
叔母からもそういう風に聞いたことがある。聖女になるべくして生まれてきたような子だ、と。
──きっと、お母さんはどんな人にも優しかったんだ。
瞼を落とし、母の顔を思い浮かべた。
「ねえマナ。今度はあなたたちのことが知りたいのだけれど、よろしければ聞かせてもらえないでしょうか?」
口元を柔らかくして「はい!」と答えたマナは、これまでのことを話し始める。
王宮で魔女が復活し、レイが召喚されて魔女を倒した、浄化の力を貸してもらうためレイと契約を結んだ。
起きたことやしたことを身振り手ぶりに話した。
「……契約の代償が心臓だなんて、マナはそれでいいわけ?」
レイが「心臓を大事にしろ」と言ったことに合点がいったレティシアは、気遣わしそうにマナに尋ねる。
「うん。もしこの先、また私の力不足で救えない人が現れたとして、レイの力を借りることでその人を助けられるなら……。そう考えるとね、この契約を交わしたことに後悔なんてしてないんだ」
そう言った彼女からは慈愛すら感じられた。
聖女としてどう生きるべきか、マナの決意はとうに固まっていたのかもしれない。
「私はマナのお母さんのこと知らないけれど、マナもきっと聖女になるべくして生まれてきた子だったのね」
「そうだったら……嬉しいな」
レティシアは肩の力を抜いて感服するようにマナを見つめる。
その眼差しを受けたマナは、胸に手を当てて目を伏せた。
──いつかお母さんみたいな大聖女になれたらいいな。
改めて、その気持ちを胸に刻みつけた。
「…………なんだか外が騒がしいですね」
実の母親のように二人を見守っていたミーティスの表情が、突如として険しく変わる。
すぐに一人の妖精が、驚くほどの速さでこちらに向かってきた。
その顔には必死さが滲んでおり、ミーティスの前に着くやいなや息を切らしながら声を荒げた。
「ミーティス様! 外で木が……燃えています!」