第十三話 力の代償
「遅くなっちゃたけど、助けてくれてありがとう」
マナはほっとしたように頬を緩め、レイに感謝を伝えた。
しかし、彼はどこか不服そうだ。
「そろそろ言葉よりも対価で支払ってほしいんだが」
青い瞳がマナを捕らえる。
──それってつまり……。
生気か血を与えろと、レイの瞳はそう言っていた。
もちろん感謝はしているが、自らそれをしてしまうのはあまりにも抵抗が大きい。
困り果てた末、マナは精一杯の答えを出した。
「さすがにキスとかは……。だから、これで……」
頬から滲み出た小さな血の粒を人差し指に乗せ、レイの方へと差し出した。
指先くらいにならキスをされても大丈夫だろうと言い聞かせながらも、やはり恥ずかしさを感じずにはいられない。
目を強くつぶり、その時が過ぎるのを待った。
──レイの匂い……。
ふわりと香った彼の匂いが鼻先をくすぐる。
彼の唇の感触は指先ではなく、頬にあった。
心臓が跳ね上がったと同時に目を開けるも、すでにレイは頬から唇を離していた。
「やはり鮮度の落ちた血は今ひとつだな。それでも、他の人間よりはマシか」
レイは口元に笑みを浮かべている。
全くもって不覚だった。この悪魔なら、やりかねないことだったのに。
「……レイの馬鹿!」
耳まで真っ赤にしたマナの声が木霊した。
…………
……
…
「これでよし、っと」
マナは大きめの絆創膏を頬に貼り傷口を隠す。
もう一回り小さいものでも良かったのだが、先ほどのレイのことを考えて、あえて大きめのものを選んだ。
「本当! あなたたち、仲が良いのはかまわないけど、私がいるってことを忘れないでよね!」
目のやり場に困ると、レティシアは少し顔を赤らめながら腕を組み、視線を彷徨わせる。
すぐにマナの絆創膏が貼られた頬に向けられて、彼女はそこに視線を留めた。
「でも、ごめんなさい。マナに怪我までさせちゃって……」
悔いるように組んでいた腕を解き、両手を身体の前に添える。
その仕草にマナは慌てて笑顔を作った。
「全然大丈夫! かすり傷みたいなものだし、私、傷の治り早いからこうしてればすぐに治るよ!」
自分で頬を軽くつついて明るく言い切る。
実際に他の人よりも傷の治りは早いので、明日にはもう塞がっているだろう。
マナの笑顔に救われたように、レティシアは胸をなでおろした。
そして躊躇いながらマナに質問を投げかける。
「……ね、どうして絆創膏なんか貼るの? 聖女なら治癒魔法使えるんでしょ?」
「そうなんだけど、自己治癒魔法はあんまり使いたくなくて」
マナは少々歯切れが悪いように答えた。
レティシアが首を傾げながらじっとこちらを見つめているのに気づき、その視線の意味をなんとなく察する。
すうっと息を吸い大人びた顔になったマナは、一度目を伏せた。
「聖女の力の根源は『他者を思いやる心』。自然界の神気を根源とする魔導士と違って、聖女は他者のためだけに力を使う存在。だから、自分自身に魔法を使うとなると、力の根源が違った場所になってくるの」
「……どこになるの?」
レティシアの神妙な面持ちとは反対に、マナは繊細な笑みを浮かべ自分の胸に手を添えた。
「自分の命」
そう答えた彼女は、どこか儚げだった。
「それって……寿命ってこと?」
こくんと頷いて、また笑ってみせる。
「……ごめんなさい。無神経なこと言っちゃったわね」
「気にしないで! 『それを利用されて一つの小さい国が滅んでしまった』っていう大昔からの伝承の影響もあったりで、意外と知られていないの。それに、私も聖女じゃなかったらそう思ってるもん」
大きく手を振りあどけなく笑うマナの顔は、十五歳の少女らしい面影を取り戻していた。
「そうだったの。教えてくれてありがとう。じゃあ、この話も内緒ね!」
顔の前で人差し指を立てたレティシアがばちっと片目を閉じ、こっそりと微笑みかける。
──レイの言ってた通りだ。
種族が違う、だからお互いに知らないことの方が多い。
それを少しずつでも知っていきたい。理解していきたい。
マナはレティシアと同じように人差し指を唇の前に立て、「うん!」ととびきりの笑顔で答えた。
二人の親睦が深まっていく中、レイは我関せずと大樹にもたれかかり剣の手入れをしている。
剣一点だけを見つめる彼の横顔は、思わず息を呑んでしまいそうなくらい綺麗だと、悔しくも、そう感じてしまった。
「さっきの話、悪魔も聞いてたでしょ? 悪魔はマナを守ってあげなきゃ駄目なんだからね」
レイと剣の間に割り入ったレティシアが彼の顔をぴしりと指差す。
「何故そうなる。俺はこいつの騎士ではない。あえて一つだけ言うなら、その心臓を大事にしろ、ということだけだ」
剣身にマナの姿を映し、レイは冷たく笑った。
──そうだよね。
別に、なにを期待していたわけではない。
とても彼らしい台詞。
自分だって、そういう関係だと理解している。
レイは目の前にいるレティシアに対して虫を払うよう指先をひらひらと動かし、剣を鞘に収めた。
レティシアは顔をしかめて「なんなのこいつ」とでも言いたそうに、騒がしくレイの周りを飛んでいる。
なんとも複雑な心境に陥っていたマナだったが、レイが納刀する姿を見て先ほどのことを思い出し、一抹の不安を抱いた。
「……さっきの人たち、ここが妖精の集落だって言いふらしたりしないかな?」
もしそうなったら、今度は大勢の妖精たちが危険な目に遭ってしまう。
「その可能性は低い。あいつらからしたらここは宝の山、それをみすみすと公言はしないはずだ」
「それより、また何かしてくるんじゃないかってことの方が心配よ」
二人の言う通りだ。
果たして怪我まで負わされて、このまま引き下がってくれるのだろうか。
「腰を抜かして逃げて行ったやつらに、何か出来るとは思えんがな」
レイは不敵に笑う。
それは圧倒的強者にしか出せない、冷酷で余裕のある微笑み。
そうしていると大樹の一部が輝き出し、中から一人の妖精が姿を現した。
「あ、いたいた! レティシア、僕と交代だよ。中でミーティス様が呼んでる。そこの二人も一緒にって!」