第十二話 王都の商業人
「やめて! その汚い手を離して!」
レティシアは一人の男に羽を摘まれたまま、じたばたと手足を振り回している。
だが、男は彼女の叫びに耳を貸そうともしない。
摘んでいる指の力を緩めるどころか、意地悪くぎゅっとつまむ力を強めた。
そのすぐそばには、もう一人男が立っている。
目尻に皺を寄せ、唇をニヤリと歪ませている男の顔は、この光景を楽しんでいるかのようだった。
くたびれたスーツに、同じようにくたびれたシルクハット。
肩まで伸びた髪は清潔感に欠け、年齢は三十代くらいだろうか。
「随分と威勢がいい妖精だな。おい、羽は傷つけるなよ」
その男はククッと笑い、羽を摘んでいる男に指示を出した。
「……レティシアを離して!」
急いで戻ってきたマナは男たちに怒りのこもった視線を向ける。
この人たちがどこの誰なのかなんてどうでもいい。
レティシアを捕まえて、売り払おうとしていることは一目瞭然。
なんとしてでも止めなければ。
「これはこれは聖女様、お早いお戻りで。凄いじゃないですか、あの魔女をやっつけたって王都中で噂になってますよ」
ククッと笑うシルクハットの男に、マナは鋭さの増した眼差しを向ける。
「……離してって言ってるの!」
「おお、怖い。おしゃべりをする気はないってことですか。じゃ、もう謙って話す必要もないか」
なにが謙るだ。
最初からそんな気などないことは、あからさまに態度に出ている。
「本来はお前の持っている金貨が目当てだったんだが、妖精とはとんだ収穫だ。後を付けてきて正解だったぜ」
レティシアの方を見てククッと笑う。
「俺たち王都で商業をやってるんだけどよ。ここ数年赤字続きで、ついには借金……。かわいそうだろ? 聖女様なら助けると思ってこの妖精を俺たちにくれよ、な?」
「ふざけたこと言わないで! 赤字になったもの借金を背負ったのも、全部あなたたちのせいでしょう⁉︎ なら、自分たちの力で解決しなさいよ!」
怒りの視線に軽蔑を加えた。
男は「はあぁぁ」と大きなため息をつくと煙草を吸い始め、オイルライターの蓋をわざとらしく何度も開閉する。
その余裕と馬鹿にされている感じが不愉快極まりない。
「やっぱガキだな。なぁんにもわかっちゃいない。それにこれだって、立派な『自分たちの力』ってやつだぞ? 行動したから目の前にお宝があるんだ」
「そんなの屁理屈じゃない!」
マナの怒りも、この男たちからすれば子猫が威嚇しているようにしか見えない。
嘲笑うように「そうかいそうかい」と男は深く煙草を吸い込んで、真っ白な煙を勢いよく空に向かって吐き出した。
終始こちらを馬鹿にしてくるような態度に、いい加減腹が立ってきた。
「……あなたたち二人くらいになら結界を張れるわ! でも、手荒なことはしたくない! 早くレティシアから手を離してどこかに行って!」
「手荒なことをしたくないのは、こっちも一緒さ」
はんと男が鼻を鳴らすと、マナの背後から突然もう一人の体格の良い男が現れた。
その男に腕を掴まれ、あっという間に後ろ手に両腕を押さえ込まれてしまう。
「……!」
「実はもう一人隠れてたんだなあ。詰めが甘いよ、お嬢ちゃん」
煙草をこちらに向ながらククッと笑う。
さっきからこの男の笑い方が嫌で嫌で仕方がない。
全てを見下すような、下品で耳障りな笑い声。
「あなたたちがなんの商業をしているかは知らないけど、なんで失敗したかわかったわ。利己的で、他者の目線に立てないからよ。相手と同じ立場になって考えなければ、お金も気持ちも動かないもの」
王宮で騎士たちが金貨を用意してくれたことが頭をよぎる。
彼らの行動は、きっと自分と同じ立場になって考えてくれたからこそ出来たこと。
「……知ったような口を利くねえ。でも、あまり大人を怒らせない方がいいぞ」
男はポケットに入れていた折りたたみナイフを手に取ると、手慣れた手つきで刃を出し、マナの頬に軽く当てた。
うっすらと切れた頬から血が滲む。
吸っていた煙草を地面に投げ捨て靴の底で踏み潰すと、こちらに顔を近づけてきた。
「知ってるかい? 聖女の血を欲しがるマニアもこの世にはいるんだぜ? そこまではしないでおこうと思っていたのに。お嬢ちゃん、もっと世渡りがうまくならなきゃ駄目だよ」
そう言って、またあの笑い方をする。煙草の匂いも相まってとことん不愉快だ。
「マナ! 私のことはいいから、それ以上相手にしないで!」
観念したかのようにレティシアが泣きそうな声で叫ぶ。
「ククッ。なんとも素晴らしいものだね、女の子同士の友情ってのは。おじさん感動しちゃうよ」
マナの頬からナイフを離すと肩をすくめながら両手を上げ、小馬鹿にするよう首を横に数回振る。
我慢の限界に達しようとしたまさにその瞬間、その男が勢いよく片膝を折り曲げ地面に転がりこんだ。
「……痛ってええぇぇ!!」
右膝を抱えながら、汚い叫び声とともに地面をのたうち回る。
マナとレティシアを掴んでいた男たちは反射的に二人から手を離し、「ボス!」と血相を変えてその男へと駆け寄った。
「馬鹿野郎っ! なんで! 妖精から手を離したっ!」
「だってボス……! 足から血が……!」
痛みに耐えながら叱咤してくる男にうろたえながらも、男二人はボスの身体を気にかける。
すぐにその様子を鼻で笑う、聞き馴染みのある声が聞こえた。
「手下たちの忠誠心もなかなかに素晴らしいじゃないか。実にくだらないがな」
「レイ⁉︎ どうしてここに……!」
驚いている彼女の元にレイは無言で近寄ると、撫でるように血が滲んでいる頬に手を添えた。
あまりにも優しい触れ方。
改めてレイの顔を覗くと、青い瞳に恍惚とした輝きが宿っているように見えた。
それが、とても綺麗で。
「美味そうな血の匂いがして戻ってきた。やはりお前だったか」
レイの口元から鋭い歯が見える。
──そうだ、そういう悪魔だった……。
傷口に唇を当てようとしてくるレイに反応が遅れてしまった原因は、迂闊にもその瞳に見惚れてしまったことにある。
そして、それを止めてくれたのがレティシア。
「はい、ストーップ」と、レイの唇に淡いピンク色の花を押しつけていて気まずそうにしていた。
「助けてくれたのにはお礼を言うけど、そういうのはここじゃないところでやってくれない? 本当、見てるこっちが恥ずかしいから」
「レティシア! 無事でよかった!」
「マナもね。……ありがとう、かっこよかったわよ」
二人が安堵の表情を浮かべ手を取り合う傍らで、レイは退屈そうに腕を組んだ。
「お前ら! ただじゃおかないからな!」
ボスと呼ばれていた男の怒声が響き渡る。
左右の手下たちに肩を支えられながら、レイに切られた右足を庇うように立っていた。
マナとレティシアが身構えるよりも早く、レイが動く。
「……では、どうする? 俺は今、少し機嫌が悪い。二度と立てぬよう、その足掻っ切ってやろうか?」
レイは鞘から少し剣を抜き、殺意すら感じられるほどのぎらりとした眼差しを男たち向けた。
「ボス……! こいつヤバいですよ……!」
「くそっ! お前ら行くぞ!」
彼のあまりの凄みに怯んだ男たちは、ボスを担ぎながら逃げるように立ち去っていく。
覚えてろよ、という捨て台詞がいかにも負け犬のようだった。
「誰が忘れるもんですか」
マナは腰に手を当てながら辟易するように呟き、息を吐いた。
「……ねえレイ、あの人の足は大丈夫なの?」
あの男がやったことには腹を立てているし許せもしない。
それでも、傷ついた人を心配してしまう性は切り捨てられそうにない。
「お人好しめ。出血ほど深い傷は負わせていない」
「そうよ! あんな傷じゃ足りないくらいだわ!」
レイに同意するように、レティシアはふんっと鼻から息を吐いた。
男たちの情けない背中が、王宮の方へと向かい小さくなっていく。
ひとまず、嵐は去っていた。