間章『それぞれの決意』+ルナ(1)
夜明け前。フォースター大尉の“処遇”についての業務があらかた終わり、そろそろ仮眠を取ろうかとしていた時だった。
息せき切った様子の副官からの報告を聞いて、ヴィンターフェルトはき、と目を細める。
「……遂に、か」
報告の内容。それは、〈スタストール〉が一斉に進出を開始してきたというものだった。つまり、今度こそ再開される。〈スタストール〉の侵攻が。世界を絶望の淵へと叩き落とした、あの悪夢の再演が。
深く息を吸って、吐く。冷徹と決意の声音で、フリーヴィスは副官へと告げる。
「司令官殿に連絡を。……今度こそ、こんな無意味な連鎖を終わらせる時が来た」
†
同時刻。こらちも同様の報告を副官から聞いていたフリーヴィスは、それを聞き終えてそろそろと席を立っていた。
決意の灯った空色の瞳が、眼前の副官へと差し向けられる。
「遂に俺達も動く時が来た。……二人のことはお前に任せていいんだな?」
「勿論です」
こくりと副官は頷く。こちらも決意の灯った、蒼の瞳がフリーヴィスを見つめていた。
「なら、後は任せたぞ」
そう、言い置いて。フリーヴィスは執務室を後にした。
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翌日。司令官室にてヴィンターフェルトから告げられたそれを聞いて、レヴは怒りと驚愕が等分に入り交じった声を上げる。
「な、なんなんですか! この指令は!?」
手渡された書類を彼のデスクへと叩き付けて、レヴは沸き立つ激情のままに吠えた。
「こんなの、ルナに死ねって言ってるようなもんじゃないですか!?」
レヴが伝えられたのは、ルナの今後の処遇についてだ。
一つは、銃殺刑。十日以内に駐屯基地にて射殺処分とするものだ。そして。もう一つが。
「ルナ一人での〈スタストール〉討伐任務だなんて、どう考えてもおかしいですよ!?」
シェーンガーデンにて跋扈する〈スタストール〉のルナ単騎での殲滅。それが、ルナに対して提示されたもう一つの選択肢だった。
これに関してはもう怒り以外の何も湧き上がらなかった。直截書いていないだけで、自殺しろと言っているのと同義だ。相手を人間扱いしていないからこんな指令を下せるのだとしか思えない。
そして。ルナはよりにもよってそれを選択してしまったのだ。
一人孤独に戦った末に、誰にも看取られることなく散って死に逝くだけの作戦任務を。背負う必要のない苦痛と過酷な戦闘の選択肢を、ルナは何故か選んでしまった。
き、とヴィンターフェルトを睨み付けて、レヴは問い質す。
「そもそも、ルナは連邦軍人じゃないんです。なのに、なんでこんなふざけた作戦任務が下りて来るんですか!」
百歩譲ってレヴに下るのならまだ理解できる。だが、この作戦任務の対象はルナだ。彼女は帝国軍人であって、決して連邦軍人ではない。
敵軍の筈のルナに、何故、作戦任務などという名の自殺命令が下ったのか。まるで分からなかった。
それに。
「できる限りのことはするって……、守ってやれってのは嘘だったんですか!?」
そう、彼は言ってくれた。なのに。下りてきたのは目の前で死ぬか、遠い地で死ぬかの二択だけ。生きるという選択肢は、ついぞなかった。
レヴの激情を全て受け止めて。ヴィンターフェルトは冷徹の双眸を向けて口を開く。
「連邦は一部の例外を除き、白藍種を人と看做していない。それは知っているな?」
「そ、それは……!」
連邦の紅闇種人の婚約者で、かつ、特別な技能がある者。それが今の連邦で帝国人が――白藍種が唯一生きる権利を得る方法だ。
それ以外の帝国人や白藍種には、一切の生存権が許されていない。それどころか、害獣として“駆除”対象なのだと喧伝されているのがこの国なのだ。
押し黙るレヴに、ヴィンターフェルトは冷淡に言葉を続ける。
「現状、彼女はその要件のどちらにも適していないと判断された。そして、その法規は今の私達には覆す権限を持たない」
「……」
「だから。私達には、それ以上の条件を彼女に提示することはできなかった。……そして、何故、フォースター大尉に作戦任務が下ったのかだが。それは、彼女が捕虜ではないと判断されたからだ」
「は……?」
「捕虜でないのならば、今の彼女は『聞き分けのいい害獣』だ。軍が徴用しようが、そこに異論を唱える者など居はしない」
「な……、」
余りの暴論に、レヴは開いた口が塞がらない。彼女は人間ではないのだから、無謀な殲滅任務を与えてもいいのだと。軍は、本気でそんな事を考えているのか。
――ふざけるな!
奥歯を割れんばかりに噛み締め。レヴは一目散に部屋を出る。
基地の武器倉庫。そこで、ルナは作戦任務のために供与された武器の動作確認をしていた。連邦軍の制式小銃である〈ドラウプニル〉に、近接戦闘にと用意された二振りの剣。そして、X|ADDMAG《全方位分離式機動兵装群》〈ルイン〉。それだけでも十分過ぎるほどなのに、大佐は試作兵器の魔術防護盾まで与えてくれた。
使用こそ一度限りなものの、致命弾を防ぐ事のできる優れ物だ。魔術特科兵を正規兵として活用している連邦軍ならではの開発兵器。
最後にバックパックに入れた食糧品と弾倉の確認も終えて、そろそろ出撃しようかという、その時だった。不意に名前を呼ぶ声が聞こえて、ルナはそちらへと視線を向ける。そこには、やはりレヴがいた。
こちらに来るなり、彼は悲愴な表情で叫ぶ。
「そんなの、行っちゃダメだ!」
ただ、無駄死にするだけの作戦任務など行くべきではないと。彼の言う事も分かるけれど。
「だからって、行かなければただ命を無駄に浪費してしまうだけですよ」
「な、なにを言ってるんだ……!?」
狼狽えるレヴをよそに、ルナの心はどこまでも穏やかだった。にこりと、笑顔を向けてルナは今の感情を伝える。
「ようやく誰かのためになれるんです。誰かを助けられるんです。……だから。その邪魔をしないでください」
「っ……!」
レヴの顔がくしゃりと歪む。けれど、これだけはルナは退けない。死ぬしかなかった自分に。生きる価値も、意味も消え失せた自分が。唯一、その意味と価値を見出して散ることができるのだから。
くるりと、レヴに背を向ける。心の奥底で何かが揺れている。頬で何かが伝い落ちるのを全力で無視して、ルナは最期の言葉を告げる。
「……最期に貴方と話せてよかった」
これで終わりだ。もう、この身に未練はない。
魔力翼を起動し、身体が軽くなって宙に浮かぶ。決して振り返りはしなかった。
「…………さよなら」
吹き荒れる風の中で、小さく呟いて。ルナは北の空へと向かった。
ルナが北の空へと翔んで行くのを、レヴは呆然と見つめる。見上げる蒼穹は憎い程に澄み切っていて、とても綺麗だった。月白の影はどんどん遠ざかり、見えなくなっていく。
ようやく会えた、分かり合えた筈の幼馴染が。大切な人が、二度と帰らぬ人となってしまう。その事実を目の当たりにして、レヴは膝から崩れ落ちていた。
……もう。二度とルナには会えない。その声も、笑った顔も、何もかも。聞くことも見ることも叶わない。
喉から嗚咽が溢れ出る。涙が溢れて止まらない。
瞬間。レヴは声を上げて泣き叫んでいた。
「ああああああああああああああああ――――!?」
理解ってしまった。ルナがもう、生きることを放棄してしまっていることを。死ぬことを渇望していることを。
また、おれは大切な人を守れなかった。救えなかった。やり場のない後悔と悲嘆がレヴの全身を焦がし、心を掻き乱していく。
「……これでよかったのかな」
「そんなの、分かるもんか」
いつの間にか来ていたらしいレーナとアルトの言葉は、虚しくも風に流れて消えていく。
けれど。その言葉に、レヴは一つの疑問が沸き起こっていた。押し寄せる悲嘆と後悔の感情を何とか押し留めて、レヴは思考を巡らせる。
本当に、これでよかったのか?
確かに、ルナは満足そうに去っていった。私の邪魔をするなと、穏やかながらも確固とした決意の声音で告げた。けれど。
――なら、なぜ。ルナは泣いていたんだ?
確かに、今の彼女には生きる意味はないのかもしれない。死を望んでいるのかもしれない。だけど。彼女の声と涙には、少なくとも歓喜の感情は一欠片も感じられなかった。そんなのは。
怒りに目を細めて、レヴは下唇を強く噛み締める。
「……これで、いい訳がないだろ」
生きる為に。誰かを守る為に。そうして心をすり減らして戦って、戦い続けて。その果てにあるのが孤独な死なのだと。そんなの、いい訳がない。
それでは、ルナがあまりにも報われない。
き、と濡れた真紅の双眸が蒼い空を睨み据える。その瞳には、確固とした決意の炎が宿っていた。
「どこに行く気だ? ヴァイゼ」
背後から声を掛けられて、レヴは振り返る。そこにはいつの間にかヴィンターフェルトが保安隊員を連れて来ていた。
「なにって……、ルナを守りに行くんですよ。そうしろって言ったのは大佐じゃないですか」
自分の身がどうなろうが構わない。けれど、ルナを遠方の地で一人孤独に死なせるのだけは、何としてでも阻止しなければならないのだ。でないと、彼女があまりにも報われない。
保安隊員達がざっと一斉に銃口を向けてくる。だが、レヴはヴィンターフェルトから視線を逸らさない。
「彼女に下されたのは単独での殲滅だ。その他の一切の支援は許されていない。……それに」
保安隊員に片手で指示を出して、彼は続ける。
「予備弾倉もなしに、魔術銃ですらもないたった一丁の拳銃でいったい何をしようと言うんだ?」
「っ……!」
図星だった。今のレヴが持っているのは、魔術銃でも何でもないただの拳銃だけだ。それで〈スタストール〉の群れへと向かうなど無謀でしかない。
「命令だ。全てが終わるまで大人しくしていろ。……私がここを離れた後も、くれぐれも勝手な行動はするんじゃないぞ」
今はまだ、動けない。その事に、レヴは強く両拳を握り締めた。




