星(2)
ごうごうと雪が吹き付ける中、ルナは今回の作戦の中核機――〈平和の創始者〉の護衛部隊の指揮を執っていた。
〈平和の創始者〉。全長五〇メートル近くはあろう雄大な鋼の巨躯に、無数の砲熕兵装を搭載した、帝国軍の誇る最新鋭の空中機動兵器だ。
機体各所に散りばめられた魔力石と、操縦士自身の魔力容量によってスラスターの推力を増大させ、その堅牢かつどこかヤシガニを彷彿とさせる巨大な体躯を無理やり空中浮遊させている。遮るもののない〈ピースメイカー〉の進撃は、とても順調に進んでいた。
上部に聳える二対の長大な八〇〇ミリ砲は眼下の市街地を睨み、吹雪く宵闇を〈スタストール〉の如き緋色の熱線が地平線の彼方までを焼き尽くす。待ち構える敵軍を、絶大な火力をもってして市街地と民間人を諸共薙ぎ払う。
機体側面には一二〇ミリ砲の砲郭がそれぞれ五基ずつ搭載されていて、地上からの伏撃を敢行する敵戦車や砲兵達を各個に撃破しては鮮やかな朱色を咲かせていた。何とか取り付こうとする敵魔術特科兵に対しては、ルナ達護衛の魔術特科兵部隊が迎撃に当たり、時には彼らの血肉をもってして〈ピースメイカー〉を守る。
航空攻撃こそ防げはしないものの、〈ピースメイカー〉の堅牢そのものの装甲を、たかが五〇〇kg程度の爆弾やロケット弾如きが貫徹できるはずもない。せいぜい、護衛部隊を機銃掃射する程度しか戦果は挙げられていないようだった。
それどころか、機体上部に取り付けられた多数の機銃の掃射によって、数機の敵機撃墜を成功させている有様だ。
周囲の魔力は全て〈ピースメイカー〉が吸収するから、敵軍は充分な魔力付与が付与できず、近距離からの砲弾は堅牢な装甲を貫徹できない。かといって遠距離ならばそもそもの火力が足りず、逆に捕捉されて八〇〇ミリの焔に焼き尽くされる。
頼みの綱の魔術特科兵も、優秀な部隊は全て南部戦線に集中しているために、こちらにすぐには回せない。
誰も止めることのできない、殺戮と災厄の使者。この戦争を終わらせることのできる、平和の創始者。
ヴォルフハイムの敵兵を都市諸共殲滅し終えて、ルナは残った数名の護衛部隊員達に指示を下す。
「こちら〈アメシスト〉。各隊、損害を報告してください」
暫しの沈黙ののち、帰ってきたのは数名の声だけだった。何せ、ルナ達は生身で敵陣への突撃に身を晒しているのだ。損耗率は機甲部隊の比にならない。その上、〈ピースメイカー〉は全周に渡って幾多もの弾丸を撒き散らすのだ。その弾丸の驟雨には、時には味方すらも犠牲になる。
指揮系統と配置の再編を指示し終えて、更に進撃を継続すべくルナは前方へと潜入させていた偵察部隊と通信を開く。
「こちら〈アメシスト〉。〈ブルース・ワン〉、偵察結果を教えてください」
『〈ブルース・ワン〉了解。現在、ベルリーツ近郊都市フォルストリーツにて二個連隊規模の機甲部隊が集結中。連邦軍の最終防衛ラインだと思われます』
二個連隊。それぐらいならば、〈ピースメイカー〉が到着すれば殲滅は容易だろう。いくら対魔術弾塗装された戦車とはいえ、こちらには魔力付与弾を放つ一二〇ミリ砲と、何より八〇〇ミリの火力がある。都市の一区画をも一瞬にして灰燼に帰し、阻むものを等しく消し去る、最凶の焔。
「〈ブルース・ワン〉はその場で待機。私達の到着を待って、敵部隊の撹乱を行ったのち〈エコー・スリー〉の指揮下に入ってください」
『了解』
それきり〈ブルース・ワン〉とは通信を切断して、ルナは〈ピースメイカー〉へと視線を向ける。
通話対象をそれへと変更して、優しく口を開いた。
「……ステラ。もう少しだけ、頑張って」
そう。〈ピースメイカー〉に乗っているのは、他でもないステラだ。ルナの大切な、絶対に守らなければならない妹の。
『……うん。私、頑張るから。だから、お姉ちゃんも、死なないでね……?』
痛みを堪えるかのような声音に、ルナは唇を引き結ぶ。
この巨体の魔力付与も、兵装と移動の操縦も、全てステラが一手に担っている。それが、体と脳にいったいどれ程の負担を掛けているのかなど、考えたくもなかった。
……けれど。その役割を、ルナは変わってあげられない。結局私はただの一兵士に過ぎず、ステラのような最高の素質を持つ訳でもない。ルナが乗ったところで、この巨躯を動かすことすらもできないのだ。
〈ピースメイカー〉は、ステラという最高の素質の全てを犠牲にすることで、はじめて稼働する機動兵器なのだから。
なるべく不安を感じさせないように。少しでも安心を感じさせるように。ルナは、努めて穏やかな口調で伝える。
「ええ。勿論よ」
あと、もう少しで。ベルリーツさえ陥とせば、戦争は終わる。
そうすれば、ルナもステラも戦わなくて済む。
――レヴとも、戦わずに済むのだから。
†
吹雪く夜闇の空を翔け抜ける傍ら、レヴとリズは無惨に広がる市街地の残骸を見る。
駐屯基地のノルトベルクから南方七〇キロ程度。ヴォルフハイムの街は、もはや見る影もなかった。
あちこちで大破した戦車や倒壊した家屋の火煙が上がり、薄く降り積もる雪を照らし上げている。どこを見ても動くものも生きた人も見当たらず、あるのはただ、異様な静寂に遠く響く戦闘音だけ。そこには、圧倒的な絶望と破滅だけが粛然と横たわっていた。
「こんな……、こんな…………!?」
思わず、レヴの口からはそんな声が溢れ出る。
こんなの。同じ人間がやる所業ではない。軍人ならまだしも、ただの民間人をこんなにも大量に殺戮せしめるなど。
相手が憎いから。たったそれだけの理由で、これだけの大量虐殺を帝国軍は行ったというのか。そして。ルナは。こんな事をする奴らのために戦っているのか。
「…………遅かった」
ぽつりと、感情の読めない声でリズが呟くのが耳に届く。瞬間、はっとした。
ヴォルフハイム。ここは、レーナが士官学校へ入学する前に両親と一緒に住んでいた場所だ。……ということは。
気付いて、悪寒がした。と同時に、レヴの中には言い様のない激情が込み上げてくる。ぎゅ、と両拳を握り締めた。
「何としてでも止めるわよ。……こんなの、絶対に首都に行かせちゃならない」
リズの言葉に、レヴはこくりと頷いて。二人は、全速力で音のする方へと向かった。
ヴォルフハイムの更に西。ベルリーツ近郊都市のフォルストリーツに差し掛かったところで、レヴ達は吹雪と火煙の中にそれを見る。
「なんだよ…………、あれ……!?」
燃え上がるフォルストリーツの宵闇に浮かび上がるのは、二対の角のような砲身が特徴的な鋼の巨躯。全長五〇メートルはあろうその巨体はどこかヤシガニを彷彿とさせ、そこかしこで煌めく真紅の色が不気味さを際立たせている。
よく見てみると、その巨体は宙に浮いていた。
『……あれが、〈破壊者〉』
ぽつりと呟いたリズの言葉は、砲聲に呑まれて消えていく。
ともかく。まずはあれをどうにかして止めなければ。でないと、次の標的は首都・ベルリーツの民間人だ。これ以上、〈破壊者〉の暴虐を許す事など絶対にできない。
「……行こう!」
「ええ!」
二人は顔を合わせて頷いて。魔力翼を全開にして、〈破壊者〉の下へと向かう。
紅い光翼を背に、レヴは全速力で〈破壊者〉へと肉薄する。守備隊は殆ど全滅したらしく、聞こえて来るのは疎らな砲撃の音だけだった。眼下に広がる街の残骸には、悲痛に滲む叫喚も、悲嘆に満ちた涙の声も、何もない。ただ、圧倒的な破滅だけが広がる街の跡。
こちらに気付いたらしい敵魔術特科兵が銃弾を放ってくるが、その尽くは高速で翔けるレヴには掠りすらしない。ならばと接近戦を試みようと立ちはだかるのを、レヴは魔力付与した剣で体を真っ二つに斬り裂いた。
慣れた骨肉を裂く感触ののち、盛大に飛散した血飛沫が髪や顔を塗らし、まとわりつくような血の感覚がレヴの心を微かに揺さぶる。
彼らを殺す事で、彼らの妹弟もレヴは殺しているのだ。毎回の戦闘で、敵を屠る度に。自分のような子供を作らせないと言いながら、出撃する度に、同じような子供を作っては、殺している。
レヴは連邦軍人だから。やらなければならないから。
微かに細めた真紅の瞳に映るのは、後方から穿たれるリズの〈グングニール〉の射線だ。一際太い鮮緑の光線は吸い込まれるように〈破壊者〉の背面へと直撃し、そこに刹那の爆炎を咲かせる。
が、晴れたそこには、何らの変化も見られなかった。
……〈グングニール〉では、背面の装甲すらも貫けないのか。
ちっ、と舌打ちをして、リズは悔しげに声を上げる。
『私じゃあれは落とせない! 周りのは私が引き受けるから、レヴはあっちを!』
援軍は期待できず、現状の投射火力では装甲を貫徹できない。
となると、〈破壊者〉を止める手段はただ一つ。魔力付与した剣で、直接装甲を叩っ斬るしかない。そしてそれをできるのは、現状レヴだけだ。
「…………了解!」
それだけ言い置いて。レヴは通信を切ると、再び魔力翼を全開にして〈破壊者〉の下へと肉薄していった。