一夕の夢(3)
「第一フェイズは終了。これより第二フェイズに移行します」
隣でルナが冷然と告げるのを、レヴは剣を抜き放ちながら聞く。
視界の最奥、航空型よりも一段と大きな白鉄の竜。〈スタストール〉の軍勢をここへと導き、指揮する死の使者。
指揮管制型。
奴を倒さぬ限り、ここにいる〈スタストール〉の軍勢は全滅するまで撤退しない。
魔力翼を起動し、レヴの背には制御しきれない魔力が紅く輝く翼となって顕現する。今やレヴの代名詞的存在となった、悪魔のような赤翼の。
ちらりと、隣を見やった。大切な幼馴染で、〈白い悪魔〉と畏れられた月白の少女。今だけは敵ではなく、この上なく頼もしい仲間の。
「周りのは任せる」
「ええ」
こくりと頷き返して来るのが見えて。瞬間。レヴは全速力で空へと翔け上がった。
身体強化をもってしても相殺し切れない重力が身体を襲うが、加速の手は止めない。
ものの数秒で航空型の高度まで上がり、そこで一旦急停止。今度は、北へと全速力で直進した。レヴが討つべき〈スタストール〉は指揮管制型。ただ一匹。他の有象無象はアルト達に任せていればいい。
幾重にも連なる航空型の群れを置き去りにし、進路の先に立ち塞がるのを剣で真っ二つに両断する。後方で爆発が起こるのには、一切の意識を向けない。
事態をようやく把握したらしい航空型の一群が手当たり次第に緋色の光線を放つのを、レヴは直感と高速をもってして回避する。が、流石にこの数だ。全てを躱し切れはしない。
頬を、左腕を、右脚を緋色の熱線が掠め、皮膚を焼く。思わず速度を緩めたその瞬間を待っていたかのように、周囲の航空型が一斉に熱線をレヴへと撃たんとした――その時だった。
本物の鷲ならば心臓部分――核のある部分を、五つの緑の射線が一斉に貫いた。
咄嗟に撃破を不可能と判断したらしい残りの航空型が回避機動を展開するが、それすらも見越して鮮緑の弾丸は次々と航空型の核を貫き、薄暮の空に鮮やかな炎を灯していく。
『貴方に直撃は絶対にさせない。早くあの竜を!』
通信機から聞こえるのは、少女の玲瓏の声。
「――ああ、分かってる!」
再び突撃体勢を整え、急加速。眼前に阻む航空型は緑の射線の前に次々と撃墜され、レヴの突撃進路に遮るものは何もない。
そのままの速度で、指揮管制型へと剣を突き立てんとした。その瞬間。
レヴの耳に、聞き覚えのある声が鳴り響いた。
「【――たすけて】」
「え…………?」
その声に、レヴは思わず動きを止める。
幼い女の子に特有の、甲高くて少し舌足らずな甘い声。レヴは、この声を知っている。忘れられる訳がない。
だって。その声は。
「シャロ…………!?」
そう。シャロ。シャーロット・ヴァイゼ。四年前にレヴが見殺しにした、妹の声だ。
でも。なんで。妹の声が、〈スタストール〉から。
慄然と宙に立ち尽くすレヴを、指揮管制型は好機とばかりに口を開けて魔力を一点に集中させていく。魔力の凝縮された光の玉は鮮緑から緋色へと色を変え、輝きは強くなっていく。それが熱線となり、レヴを消し去ろうとした直前。突如、白鉄の竜の頭を、五つの鮮緑が穿った。
流石に堪えたらしい指揮管制型は攻撃を中断し、放たれた方へと頭を向ける。
それを呆然と眺めていると、突然、横から強引に腕を掴まれた。
そのままレヴの手を引いて退避する最中、ルナは振り返ってきて怒鳴るように叫ぶ。
「何やってるんですか! 敵の目の前で立ち止まるだなんて!」
「…………ごめん」
必死な声色に、レヴは悄然と目を伏せる。返す言葉がなかった。
冷徹な、それでいて微かに悲愴のこもった玲瓏の声が、怒りを滲ませながらも叫ぶ。
「あれはシャロちゃんじゃないんです! レヴなら分かるでしょう!? シャロちゃんは――貴方の妹は、私達帝国軍が殺したんです! もう、この世界のどこにもいないんです!」
ルナの言葉に、レヴはぎりと奥歯を噛み締める。
そう。妹は死んだ。四年前に。帝国軍の急襲で身体をずたずたにされて、衰弱していくのをレヴは見殺しにしたのだ。
守れず、それどころか逃げ出して。何もしてやれなかった。
変えられない過去。どうしようもない事実。
「私じゃあの装甲は突破できない! 今、あれを倒せるのは貴方しか居ないんです!」
白鉄の竜の装甲を穿つ爆音が耳に響く。けれども、指揮管制型が動きを止める気配は一向にない。あの堅固な装甲の前に、人類軍は幾度となく敗退を強いられてきたのだ。小銃程度の魔力付与弾では貫けない。
脳に響く妹の声を、レヴは苦渋に満ちた表情で剣の柄を握り締める。
分かってはいるのだ。妹がもう、この世界のどこにも存在しないことは。死者は決して生き返らず、犯した過ちは二度と戻らない。それが、この世界の法則だ。
一度消えた命が、再び現れるなどということは存在しない。
ぜんぶぜんぶ、頭では理解しているのだ。けれど。妹を、その声を討つなんてことは。
「――“誰も死なせない”んじゃなかったんですか!」
「っ……!?」
迷うレヴの心に、ルナの怒声が突き刺さる。はっとした。
“誰も死なせない”。いつかの黎明の戦場で、ルナに対して放った言葉だ。
もう、大切な人は喪わない。四年前に誓った、そして今もなお強く想う願い。二度とあんな後悔と絶望は味わいたくなくて、だから力を欲した、レヴが軍を目指した根源の気持ち。
毅然と、それでいて優しさを感じさせる玲瓏の声が、決然と告げる。
「指揮管制型は貴方の大切な、守りたいものなのですか!?」
何を討つべきで、何を守るべきなのか。それは、最初から決まっているはずだ。
今、レヴが守らねばならないのは、妹の声を騙る指揮管制型ではない。
そう。あれは偽物だ。今を生きる人々の心を揺さぶり、死者の命を弄ぶ殺戮の使徒、〈スタストール〉だ。断じてシャロなんかじゃない。
妹は、この世界のどこにもいない。
「……ありがとう。ルナ」
憂わしげに見つめてくるルナに、レヴはどこか吹っ切れたような声音で告げる。真紅の双眸には、決然とした光が灯っていた。
「あれはシャロじゃない。ただの敵だ」
そう。敵。世界中の人々を殺戮し、人類を滅亡の危機に追いやった、鋼鉄の使徒。ただ、それだけだ。
死者は生き返らない。犯した過去は変えられないし、変わらない。
これから先の世界に妹は存在しない。二度と現れない。だから。
ふ、と自分の愚かさに自嘲の笑みが溢れる。
いったい、おれは何を狼狽えていたんだろう。妹がこんな暴威を振るう怪物な訳がないのに。――死んだ人間は、どのような形であれ生き返ったりはしないのに。
「……ばか」
き、と腕を引くルナの双眸が細められる。何を今更、当たり前のことを言っているんだと、揺らめく真朱の瞳は言外に告げていた。
ルナから目を離して、再び指揮管制型の巨体を見据える。今居る背面からは、流石に核までは到達できない。こいつを屠るには、一度正面へと回ってから再度突撃するしか術ない。
「援護は任せていいか?」
「勿論。今度はしっかり当てて下さいね?」
こんな状況下なのに冗談混じりに微笑んでくるのを、レヴは少し苦笑して。ルナの腕を離れると、再び、魔力翼を最大出力で加速した。
機動兵装群〈ルイン〉を操作しながら、ルナは赤く輝く光翼を少し呆れたように見つめる。
克服したように見せかけていただけで、結局、彼は家族の――とりわけ妹の死を受けれられていなかったのだろう。
だから、偽物の声を聞いて、レヴは取り乱した。手を止めてしまった。
心のどこかで、生きていると思って、願ってしまっていたから。
けれど。死者は決して生き返らない。犯した過去は取り戻せない。どんなに後悔しても、何も変わりはしない。
今を生きる私達にできるのは、残った大切なものを守るために必死に足掻くことだ。そして。今の彼に大切なものは、妹の偽物ではなく、仲間なのだろう。
だから、今、彼は再び剣を手に取って、妹の声を放つ指揮管制型と対峙しているのだ。
レヴの周囲に群がる航空型を掃討しながら、ルナは誰に言うでもなくぽつりと呟いた、
「討つべき敵、ね」
周囲の航空型には意識もやらず、レヴは宵闇の中で蠢く指揮管制型のみに意識を集中させる。
指揮管制型は飛行性に大火力。そして堅固な装甲を誇るが、それだけだ。
元々が戦闘用として設計されていないらしく、近接防衛火器などは一切存在しない上に動きそのものは鈍重だ。取り付いてさえしまえば、ただ硬くて大きいだけの的でしかない。
とはいえ、この距離では装甲を貫く勢いが足りない。一旦、距離をとらなければ。
指揮管制型から遠ざかる最中、白鉄の竜は口腔に紅い光玉を形成し、レヴを消し飛ばさんと魔力を凝縮させる。が、それもただの一発に過ぎない。
即応機動のできない通常部隊ならばまだしも、レヴ達は魔術特科兵だ。射線さえ分かれば、躱すのは容易だ。
『全軍へ通達。指揮管制型の熱線攻撃が予想されます。各員注意されたし』
ルナの極めて冷静な通告を聞きながら、レヴは再度突撃体勢を整える。
剣と魔力翼へ持ちうる全ての魔力を注ぎ込み、剣の刃は緋色に近い赤色へ、魔力翼は更に広い光翼となってレヴの背に顕現する。
指揮管制型が熱線を放つのと同時。魔力翼を一気に最大まで加速した。
傍らを極太の熱線が通り抜け、焼かれた雪原には鮮やかな炎の直線が描かれる。不運にも射線上にいた戦車型と猟狼型が、跡形もなく消し飛んでいた。
反動で無防備となった自分を守護するように周囲の航空型を指揮するが、その尽くはルナの射撃によって撃墜されていく。
悪足掻きに妹の声を響かせるのを、レヴは真紅の双眸を嫌悪に細め。吐き捨てる。
「その声を喋るなっ!!」
突撃の勢いのままに胸部へと剣先を刺し込み、激情のままに振り上げた。