刃の先は(6)
死体の続く廊下を懐中電灯で照らしながら、四人は口元を覆いながらも進んでいく。一歩進む度に地に伏した死人の四肢に足をとられ、横たわる死体の数は次第に多くなっていく。
厳寒の気候にあってか、その殆どは死したままの状態を保っていた。蛆が湧いている訳でもなければ、蝿が集っている訳でもない。けれど。それ故に当時の惨劇を残酷なまでに残していて、より一層の悲惨さを醸し出していた。
いったい、どれぐらいを歩いたのだろうか。実際には数分程度だったのだろうが、レヴ達は数時間ほどを歩いたような疲労感を感じる。僅かに立ち込める怨嗟と絶望と、悲嘆と叫換の残滓に、四人は何かを話す気にはなれなかった。
廊下を歩いた先、四人の前には一つの鉄扉が現れる。その扉は少しだけ開いていて、鍵が掛かっていないことは明瞭だ。
「……開けるぞ」
短く、心底冷えた声音で呟いて。レヴは鉄扉を押し込む。何かに当たって重くなるのを強引に押し開いて、何とか人一人が入れるぐらいの隙間を作る。中を照らして、その光景にレヴは堪らず両手で口元を覆った。
「うぐ…………!?」
懐中電灯が地面へと叩きつけられるが、鳴るのは床の煉瓦ではなく、肉と骨に当たった鈍い音だ。
「レヴ!?」
アルトが駆け寄って来るのを、レヴは止めることができない。彼もまた鉄扉の中を覗き込んで、言葉を失う。
続く二人の少女を制止する余裕は、二人にはもうなかった。
鉄扉の中。それは、この世の地獄としか思えないものだった。
灰色のコンクリートの床と壁。ただそれだけの暗闇の中には、夥しい数の死体が折り重なっていた。それらは全て紅闇種の特徴を持っていて、子供か老人なのかすらも区別がつけられない。衣類の類すらも着ていなくて、これが単なる風呂場等の事故でないことは明白だった。
ふと、目が合った死体の表情は苦悶と絶望に満ちていて。レヴは咄嗟に最悪の思考がよぎる。
何とか掴んだ懐中電灯で天井を照らすと、そこにはぽつぽつと、通気孔らしき鉄網があった。
押し込められた大量の紅闇種に、門に並べ立てられていたヴァイスラント語の文字板。密閉された部屋にただ唯一ある通気孔と、苦悶と絶望に歪んだ屍人の表情。
それらが意味するのを、レヴは信じたくなかった。
「…………毒、ガス」
密閉した部屋に害獣である紅闇種を押し込め、駆除用のガスをもってして処分する。
それがこの光景から読み取れる、ここで起きた事態だ。
爆破された跡があるのは、ここを放棄することになったからとか、そういう類のものだろう。
「こんな…………、こんなこと…………!?」
ぎりと奥歯を噛み締めて、レーナは激情を滲ませながら呻く。
こんなものは、おおよそ人がやる所業ではない。悪鬼か天魔か、人ならざる邪悪がしたとしか思えない。それ程に凄惨で、卑劣で。そして、冒涜的な光景だった。
ぐ、と、真紅の双眸が折り重なる遺体を烈火のごとく睨み据える。
紅闇種の人々からあらゆる財産を奪い、衣服までおも剥ぎ取って、殺処分する。これが敵の――ヴァイスラント帝国の最終目標なのだ。穢れた紅闇種の血を浄化し、清き貴い白藍種の血を守る。連邦の大義をそのまま反転させた、現在の帝国が推し進める政策の根源。
敵を討たなければ、今度はアルト達が――果ては連邦の人々の全員が目の前の惨状に巻き込まれるかもしれないのだ。
そんな事はさせない。絶対に。
一同が立ち尽くして、思い思いに憤怒と憎悪を募らせている――その時だった。
突然、対岸の鉄扉が勢い良く開かれて――直後に、数発の銃火が閃いた。
「っ……!? 敵かっ!?」
驚愕を言葉に交えつつも、レヴ達は咄嗟にその場を退避する。銃弾が頬を掠めるのを感じながらも右腿のレッグホルスターから拳銃を引き抜くと、廊下の壁に設置されていた非常用扉の鍵穴に銃弾を数発叩き込んだ。それと同時に扉へと体当たりして、全速力でそこへと逃げ込む。
続いた三人が暗闇の中で〈ドラウプニル〉を構えるのを肌で感じながら、レヴは焦る心を何とか落ち着かせながらも思考を全速力で巡らせる。
状況と攻撃速度から察するに、敵は考えるまでもなく帝国軍の兵士だ。数は銃火の数から考えるに少なくとも三名。ここの構造は把握している可能性が高い。
……となると。この暗闇の中で彼らを相手取るのは不利だ。
逸る気持ちを必死に堪えて、レヴは努めて冷静に口を開く。
「全員右手通路を全速力で前進。まずはこの施設からの脱出を最優先事項とする」
言い切るのとほぼ同時。左手通路から敵兵の懐中電灯の光が向けられるのが見えて、レヴ達は咄嗟に銃口をそちらへと向ける。
射撃と同時に右手通路へと全速力で退避し、一本通路を全速力で駆け抜ける。左折路を曲がった直後、後方で魔力付与の付いた緑色の弾丸が煉瓦の壁を撃ち抜いていた。
それと同時に、最後尾を走るレヴは右腰に提げていた手榴弾を手に取る。口でピンを無理やり抜いて、後方へと投げ飛ばした。
――炸裂。
刹那の爆炎と耳を劈く衝撃音の後、煉瓦造りの壁がいよいよ悲鳴を上げて頽れるのが視界の端に見える。
元々中途半端に爆破解体が進んでいたせいで、建物全体が脆くなっているのだ。
淡く夕焼けた朱色の空が天井の隙間に見えて、四人は咄嗟に魔力翼を起動する。そのまま、空へと全速力で飛び立った。
外へと飛び出た先、そこには一面淡い朱色の世界が広がっていた。純白の雪は空の色を照り返し、赤褐色の煉瓦達は陰影をくっきりと映し出す。
だが、そんな景色を見ている余裕はレヴ達にはない。
崩落した天井の隙間の一つから緑の閃光が瞬き、レヴ達の間を撃ち抜く。
……簡単に逃がしてはくれないか。
暫しの思考ののち、レヴは決断を下す。
「各員対人戦闘用意! 敵を撃破する!」
了解、と耳に付けた通信機から聞こえて来るのを聞きながら、レヴは拳銃を左手に持ち替える。右手で左腰に提げていた剣を引き抜き、魔力付与を付与した刀身は鮮やかな躑躅色に煌めいた。
次の瞬間。レヴは赤く輝く光翼を背に、眼下の施設へと全速力で突っ込む。隙間から一人の敵兵が出てくるのを捉えて、レヴは剣を振り上げる。そのまま、吶喊。
出てきた黒外套の敵兵は銃剣に魔力付与を湛え、レヴの剣閃と相対する。
直後、二人の刃が衝突した。
激しい衝戟音と魔力の火花が散る中を、レヴは全力で剣を押し込める。咄嗟に相殺できないと判断したらしい、敵兵は交える角度を変えてきた。
雪原へと押し倒した先、レヴの目にはようやく敵兵の姿が表れる。――見えた姿に、目を見開いた。
「ルナ――――!?」
鋭く睨んだ真朱の双眸に、白雪にも負けぬ月白の銀髪。
なんで。彼女が、ここに。
一瞬の思考の隙を突いて、ルナは剣を弾き飛ばすとその場を離脱する。直後、彼女の小銃から『何か』が分離した。
見上げた先、ルナの小銃の銃口が閃くのが見えて、レヴは殆ど無意識のうちに空へと退避する。刹那、元いた雪原を“五つの射線”が穿った。
レヴが敵の指揮官らしき人物と相対している最中、アルト達は残りの二人と銃火を交える。
アルトが積極的に前へと出て敵の注意を撹乱し、リズが支援射撃をもってしてアルトへの射撃を正確なものにさせない。そちらに気を取られている隙を突いて、後方に待機するレーナが正確無比な狙撃をもってして敵兵を射落とす。いつもであれば数十秒で一人を撃破できるその戦術は、今回の敵兵に限ってはそうならなかった。
『なんで当たらないのよ……!?』
レーナの苛立つ声に、アルトは胸中で舌打ちする。
なんで。こんな時に限って、こんな精鋭部隊が。
『まずはどっちかを先に堕とさないと埒が明かないわ!』
忌々しげにリズが吐き捨てるのを、アルトは敵兵と撃ち合いながらも思考する。敵は強い。数的有利のはずのこちら側を圧倒するぐらいには。
「俺達は左の方をやる! リズ、右の奴の牽制はできるか!?」
『やるしかないでしょ!』
「……頼む!」
五つの射線が縦横無尽に穿たれる中を、レヴは殆ど直感だけで避けていく。魔力翼を全速力で作動させ、高速をもってして朱色の空から放たれる緑の射線を振り切っていく。肉薄する機会を伺いながらも、レヴは苦く奥歯を噛み締めた。
――これが、〈白い悪魔〉か。
なるほど、これならば連隊をたった一日で壊滅せしめたことも、幾つもの銃弾があらゆる方向から穿たれたという報告も納得できる。乱戦だからではなく、本当に全方位から発砲されているのだ。まともな感覚では、認識すら追い付かないだろうなとレヴは思う。
事実、レヴ自身も何故、そこから銃撃が来るのか分かっていない。極限まで研ぎ澄まされた集中力が、五感の全てをもってして躱しているに過ぎないのだ。
背後に赤く燃ゆる西日が来たのを感じて、レヴは全速力で翔けていた進路を直角に曲がる。強烈な重力が身体を襲い、内蔵を揺さぶる。魔力翼と同時に身体強化の魔術が付与されるからこそできる、超機動。
予想だにしない進路変更に夕暮れの朱から放たれる弾丸は虚空を穿ち、背後に輝く西日のせいでルナはレヴを殆ど捕捉することができない。
避け切れないと判断したか、ルナは再び銃剣に魔力付与を施して、防御態勢をとった。
再び、衝戟。
「退け、ルナ! おれたちはお前らと戦うために来たんじゃない!」
激情のままにレヴは叫ぶ。今、レヴ達がしなければならないのは、敵を討つことでは無い。活動の兆候をみせる〈スタストール〉を調査することだ。
そこに、帝国軍と戦うなどという無駄な時間が挟まる余地は無い。
魔力の火花が明滅する中、相対するルナは真朱の双眸をきつく睨み据える。
「何を巫山戯たことを! あれを見た貴方達を逃す訳にはいかないのよ!」
「は……!?」
「あんなのが連邦に知れたら、この戦争は益々大きくなって、沢山の人が死ぬ!」
――そんなことは、絶対にさせるものか!
決意に光るあかい瞳に、レヴははっとなる。あの惨劇を、卑劣の先にある、更なる地獄を。
憎悪が更なる憎悪と怨嗟を生み、それは最早止まらない。戦い交えるどちらかが完全に絶滅するまで、その凶行と戦火は消え去らない。
数瞬の隙を突いてルナはレヴの剣を弾き飛ばして距離をとる。思考が強制的に現実へと戻され、その全てが即座に戦闘へと向けられる。直後、虚空から四つの火線が閃いた。
「っ……!」
気付いたと同時に後退するが、流石に全ては躱し切れない。一閃の弾丸が、レヴの右足を貫いた。
魔力特有の熱線が貫通した箇所の周囲を焼き、火傷の痛みが相乗して脳へと伝わってくる。けれど。眼前の敵からは決して目を離さない。
痛みを堪え、再びの突撃態勢を整える。対するルナの銃口は既にこちらを睨み、その引金には力が込められようとしていた。
集中力を研ぎ澄まし、放たれるであろう四門の射線をほぼ直感のみで想定。後は己の本能が最低限の動きでそれらは躱してくれる。魔力翼に魔力を注ぎ、最大加速をもってして肉薄しようとした――その時だった。
『【■■■■■■■■■■■■■■■■■■◾︎◾︎◾︎■■■◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎!!】』
神々しく、そして聖なる。けれどもそれでいて悍ましい絶叫が、全員の耳を劈いた。