刃の先は(2)
小さな駐屯基地の中央に見える、新築されたばかりの綺麗な三階建ての建築物。それが、レヴ達第三独立魔術特科戦隊の兵舎兼司令官舎だ。
中へと踏み入って、まず最初に出迎えて来たのは、暖炉の効いた暖かい空気だった。新築故に防寒対策は完璧になされていて、兵舎の中は廊下ですらも快適な温度を保っている。
脱いだコートをアルトへと手渡して、レヴは一旦別れて三階の司令官室へと向かう。窓から見える夕闇の景色は、イルミネーションも相まってとてもうつくしかった。
「――以上が、今回の任務におけるおれたちの成果です」
そう言って、レヴはいつもの報告を締め括る。
この一帯での戦闘は前線部隊の大隊長が纏めて報告書を作成するため、基本的にレヴ達がやるのは自分達の戦果報告だけだ。
記録を書き終えたらしいヴィンターフェルトが、席を立って再びこちらを見据える。
「戦果報告を確認した。……ヴァイゼ大尉、今日もご苦労だった」
完璧な敬礼を送られるのを、レヴは慣れた手つきで答礼を返す。一連の公務が終わったのをお互い確認すると、ヴィンターフェルトは椅子に座り込みながらにこりと優しい笑みを投げかけてきた。
「明日からの十二日間、存分に楽しんで来るといい」
「はい。大佐も、お身体にはお気をつけて」
微かに口の端を吊り上げて、レヴが冗談交じりに言うのを、ヴィンターフェルトは苦笑する。
「まだ君達にそう気を遣われるような歳ではないよ。……まぁ、君達も羽目を外し過ぎないようにな」
はい。とレヴは頷く。退室しようと口を開きかけたところで――ヴィンターフェルトがそれを遮った。
「ヴァイゼ、少し頼まれごとをしてくれないか」
「良いですけど……なんでありますでしょうか?」
「そう難しいことでは無いよ。これを、バルツァー少尉に渡して欲しいんだ」
そう言うと、ヴィンターフェルトは一枚の書類を差し出してきた。それを手に取って、レヴは思わずまばたく。
「これは……?」
視線を向けた先、ヴィンターフェルトは微かに苦笑する。
「こちらに来る前に言っていた、例の最新鋭兵器の件についてだよ。予備パーツで製造したのはいいものの、試験の過程で色々と不具合が生じてしまっていたようでね。改良を重ねていたら、いつの間にかこんなに経ってしまったらしい」
彼の言葉に、レヴはあはは、と微妙な笑みをつくる。……そんなに欠陥だらけの兵器を使わされる羽目にならなくて良かったなと、心の底から思った。
「私はこの後も色々と仕事が立て込んでいてな。バルツァー少尉と面会する時間が取れそうにないんだ。宜しく頼む」
「はい。後で会った時に渡しておきますね」
「ああ、助かる」
「……では。失礼します」
敬礼を送りながらそう言って。レヴは司令官室を出た。
一階に戻ると、そこには食堂で談笑をしている三人の姿があった。そのうちの二人がレーナとリズなのだと分かって、レヴはつい頬を緩める。
「帰ってきてたんだ。おかえり」
「ただいま」
「た、ただいま」
「お疲れさん」
三人がこちらへ振り返って来るのを、レヴは近寄りながら空いた右手で手を振る。ふと、机の上に置かれていた紙袋に気がついて、レヴは椅子に座りながら口を開いた。
「二人ともなんか買ってきたの?」
「ええ。ちょっと、必要なものをね」
「必要なもの……?」
レヴは微かに眉を顰める。日用品ならば軍支給のものがあるからわざわざ買う必要は無いし、かといって、化粧品とかにしては紙袋が余りにも大きすぎるような。
アルトに無言で差し出されたコーヒーを啜りながら、レヴは紙袋の中身についてぼんやりと考えを巡らせる。……というか。なんで答えを出し渋られているんだ、おれは。
そんなレヴの思考を見透かしたかのように、アルトは呆れたように肩を竦めて苦笑する。
「ま、精々明後日を楽しみに待ってるんだな」
「…………?」
ますます意味が分からない。助けを求めるように視線を向けた先、リズは悪戯っぽく笑った。
「ひみつよ」
「……なんなんだよ。二人してさ」
むっとしながら、レヴは燻る気分を掻き消すようにコーヒーをぐいと飲み干す。暖かい液体が、一気に胃へと流れ落ちていくのを感じた。
先程からレーナが頑なに視線を合わせないようにしているのにふと気がついて、レヴは訝しげな表情をつくる。……もしかして、何かしてしまったのだろうか。
「そういやレヴ、その紙はなんなんだ?」
アルトの問うた声に、レヴはああ、と声を漏らして机に置いていた紙を手に取る。方向をリズの方へと合わせてから差し出した。
「リズに渡しておいて欲しいって、大佐が」
「私に?」
驚愕にリズが目をまばたかせるのを、レヴは苦笑しつつ告げる。
「こっちに来る前に言ってた、最新鋭兵器のことだってさ。なんでも、最近まで不具合改良してて、やっと使えるようになったみたい」
「……まて。レヴ」
「なに?」
隣へと視線を振り向けると、アルトはやや引き攣った顔をしていた。……ああ。多分、今、彼はレヴと同じ感想を抱いている。
「その発言が正しいなら、二ヶ月前の俺らは不具合だらけの武器を使わされるところだったってことになるんだが……」
「まぁ、そうなるね」
「……」
あ、黙った。
口にこそ出さないものの、彼の引き攣った顔はあの時に渡されなくて良かったなという安堵の感情を言外に醸し出していた。
レヴも全くもってその通りの感想なので、アルトの顔には苦笑いするしかない。
「なんて書いてあるの?」
リズの隣で、レーナが彼女の肩から書類を覗き込む。至近に見えるレーナの横顔をちらりと流し見て、リズは口の端を僅かに吊り上げた。
「明日には、私のところにその新型兵器は届くみたいね」
「え、明日!?」
「読んでなかったの?」
驚愕に目を見開くレヴを見て、リズはふふ、と少し呆れの含んだ笑みを溢す。視線を横へとずらすと、アルトが肩を竦めて苦笑を漏らしていた。
普段は気負っている癖に、こういうところで抜けているのはなんだかレヴらしい。
「ちなみに聞くけど、送られて来るのは何なんだ?」
「“試作魔術対装甲ライフル49〈グングニール〉”。……まぁ、対戦車ライフルに似たようなもの……ってところかしら」
――〈グングニール〉。この国の神話において、主神が持っていたとされる槍の名前だ。この槍を向けた軍勢には、確実の勝利をもたらすとも言われている神殺しの。
「随分大仰な名前ねぇ……」
「まぁ、それだけ期待してるんだろうけどさ」
レーナが苦笑するのを、レヴも少し苦笑いしながら首肯する。……まぁ。でも。
これならば、リズに支給されるのも納得だなとレヴは思う。
レヴは基本的に剣に魔力付与を掛けての突撃な上に、相も変わらず銃の射撃精度は壊滅的だからまず論外だ。アルトは部隊の指揮管制をしているから余り戦闘には参加しないし、そもそも、彼の戦闘スタイルは正攻法そのものだから、狙撃銃のような性質を持つ銃は相性が悪い。
残るはレーナだが、彼女は持ち前の射撃精度から〈ドラウプニル〉以上の火力を必要としない。そもそも、彼女の〈ドラウプニル〉は狙撃戦用にカスタムされているために、現状でも極めて強力だ。わざわざ使い慣れた武器を変更させる方が、かえって戦力の低下を招いてしまう。それ以前に、レーナは対人戦闘が主だし。
故に、対装甲ライフルと銘打たれた〈グングニール〉には、リズが最適なのだと判断されたのだろう。彼女は各員の支援と遊撃という戦闘スタイル故に、敵戦車等とも積極的に交戦してきた。この部隊において最も火力が必要とされるのが、リズだ。
「ガキ共! 飯ができたぞー!」
突然、厨房の方から聞き慣れた声が聞こえてきて、四人は一斉に声のした方へと顔を向ける。すると、そこには見慣れた黒髪の烹炊員の男が、四枚のプレートを持って向かってくる姿があった。
彼はレヴ達の席に来るなり、それらを机に並べて豪快に笑う。
「喜べ、今日の夕飯は久しぶりに奮発しての牛肉だ! 聞いたぜ? 今日は凄い活躍だったんだってな、お前ら!」
「……いったい、どこからその情報漏れてんですか」
レヴは半眼になりながら呻く。戦闘が終わったのは、つい二、三時間前の話だ。まだ報告書すらも提出されていないだろうに、なんでこの人はそれを知ってるんだ。
「後方部隊同士の情報網を舐めちゃあいけねぇぜ? なんたって、俺らが一番町にも出るし、前線部隊の奴らとも交流するんだからな。お前らの活躍もヘマも、全部筒抜けだ」
出された食事を頬張りながら。前半はともかく、後半はちょっと嫌だな、とレヴは思った。
お茶を持ってきたもう一人の烹炊員の男が、赤眼をにこにこと細めながら口を開く。
「しっかし、君達ほんとに凄いね。たった二ヶ月でこんなに戦果を積み上げるだなんてさ」
「そうなんですかね……?」
遠慮がちにレヴが言うのを、彼は少し興奮した様子で返してくる。
「そりゃあ勿論。並の新人特科兵なら、二ヶ月で数十人は死んでるよ。なのに、君達ときたら四人揃ったまま、全然ピンピンしてるんだから。本当に凄いよ」
「そう、ですか」
なんだか少し照れくさくなって、レヴは目を伏せる。やっぱり、こうして面と向かって堂々と賞賛されるのは、少しくすぐったい。
いつの間にか椅子を持ち出して座っていた黒髪の烹炊員が、顎に手を当てながら呟く。
「お前達なら、もしかしたら〈白い悪魔〉も倒せるかもしんねぇな」
「〈白い悪魔〉?」
聞き慣れない単語に、レーナがその言葉を反芻する。白い悪魔とは、これまた何とも不吉そうな名前だ。
「あれ、お前ら知らねぇのか?」
「この周辺のこと以外は、私達にはあまり情報が入ってこないので」
リズが申し訳なさそうに言うのを、黒髪の烹炊員はあー、と感嘆の声を漏らす。
「確か、あれ明日発令の懸賞金広報だったか。そりゃあお前らが知ってる訳ねぇよな」
肩を竦めて笑う彼の横で、赤眼の烹炊員は手に持ったコップを飲みながら言葉を続けた。
「〈白い悪魔〉。南部戦線で暴れてる帝国軍の魔術特科兵のことだよ。なんでも、この前はたった一日でそいつに魔術特科連隊が全滅させられたとか」
「え……!?」
信じ難い情報に、レヴは思わず驚愕の声を上げる。今現在、南部戦線に居るのはいずれも歴戦の部隊ばかりだ。それを、しかも連隊を、たった一日で?
「ちょ、ちょっと待って下さい。〈白い悪魔〉って個人ですよね!?」
彼らの口振りから察するにそうだと思ったが、レヴの理性はその可能性を拒否していた。自分達よりも何倍も経験を積んできた先輩魔術特科兵達を、一日でそんなに屠れるような個人など、存在するとは思えない。
「まぁ、噂の限りではそうだね」
苦笑しながら返されて、レヴは少し眩暈のような感覚を覚える。たった一人の兵士のために、自軍の魔術特科兵達は大勢が犠牲になったというのか。
黒髪の烹炊員が、苦笑を漏らしながらぼやく。
「……まぁ、流石にこの話は尾ヒレがついてるとは思うがな」
「そ、そうですよね!」
彼の言葉にレヴは首肯する。冷静に考えて、たった一人が一日で数百人を、それも一度に屠るだなんてこと、できる訳がない。恐らく、噂が一人歩きしたのだろう。でなければ、おかしい。
「とはいえ、こちらの連隊が全滅したのは事実ですからねぇ。少なくとも、凄い部隊が帝国軍に居るのは間違いないですよ」
「その〈白い悪魔〉って、他にも噂はあるんですか?」
リズが問うた。あ、ご馳走様ですと付け加える彼女のプレートには、パンの一欠片すらも残っていなくて。レヴは相変わらず早いなと胸中で呟く。
「相変わらず食べるの早ぇなリズちゃん。量、足りてる?」
「大丈夫ですよ。いつも丁度良い量で助かってますから」
にこりと、リズが微笑みながら言うのを、烹炊員の二人は嬉しそうに聞く。
「なら、いいんだが。おかわりならいつでも作ってやるから、足りなくなったら言うんだぞ? …………でも、そうだな。他の噂か……」
考え込む黒髪の烹炊員の横で、赤眼の烹炊員が口を開いた。
「確か、色んな方向から同時に銃弾が飛んでくる――ってのがありませんでしたっけ」
「あー、あったな。確か、一度に色んな方向から魔力付与された弾が飛んできて、味方が一瞬にして全滅した――ってやつだっけ」
「……それは単純に乱戦だっただけなんじゃないんですか」
これまで黙々と夕食を食べていたアルトが、少し呆れ気味に呟く。確かに、彼の言う通りな気もするが。
「まぁ、俺はそうだと思うけどな。でも、実際どうかは見ないと分かんねぇだろ?」
「あとは容姿も公開されてましたね。確か、常に黒い外套を纏っていて、長い銀髪に僕と同じ赤色の目だったはずです。年齢は……君達と同じぐらいの少女だったかな」
「それは流石に誤認な気がするけどなぁ。だって、お前らと同年齢って、十六とかだろ? それであんな活躍、相当の努力と才能がねぇと無理だぜ?」
黒髪の烹炊員がおどけたように肩を竦めて笑うのを、リズが釣られて微笑むのが見えた。
「とっとと帰って来い馬鹿共! まだ後片付けが残ってんだろうが!」
突然、厨房の方から怒鳴り声が聞こえてきて、レヴは食べていた手を止める。
「げ、料理長にバレた」
赤眼の烹炊員が顔を引き攣らせているのが見えて、レヴはあぁ、と苦笑を漏らした。
サボってたのがバレたな。
「じゃ、じゃあそういうことだから……、またな!」
烹炊員の二人がそそくさと厨房に戻っていく様子を見て、レヴ達ははぁと呆れ気味にため息をつく。ここに来てからというもの、この一連の流れは何度見たのかも分からない。多分、五十回ぐらいは見ている。
「……まぁ。私達は楽しいから良いのだけれど。料理長はたまったもんじゃないわね」
リズが苦笑するのを、三人は無言で頷いた。
「しっかし、〈白い悪魔〉ねぇ……」
風呂上がり。就寝時間も近くなって、ベッドに座り込みながら、アルトは誰に言うでもなく呟いた。
「……お前も心当たり、あるだろ?」
言われて、レヴは俯いていた瞳を微かに細める。
月白に煌めく銀の長髪に、宝石のように綺麗な真朱の双眸。レヴと同じ年齢の、幼馴染の少女。今でも鮮明に覚えている。脳裏に焼き付いている姿だ。
少なくとも、容姿の情報は烹炊員の二人が言っていた〈白い悪魔〉と完璧に一致している。そして。紅闇主と白藍種の両方の血が発現することはかなり珍しい。
つまり、それが意味するのは。
「……ヴィースハイデ基地を襲撃した、〈反逆者〉の、隊長」
そう。ルナだ。違うと考えるには、余りにも容姿情報が似通い過ぎている。それに、あの後に南部戦線へと行っていたのだとすれば、レヴ達が〈反逆者〉と接敵しなかったことも頷けるのだ。
戦っている戦線がそもそも違うのだから、出会うはずもない。
「……その、〈白い悪魔〉が使ってるの。もしかして、おれたちが逃した武器なのかな」
消え入りそうな声で問うのを、アルトはさぁなと鼻を鳴らして一笑に付す。
「……ただ。その可能性がないとも言い切れないのが辛いな」
その言葉に、レヴは悄然と目を細める。
「おれのせいだ……、とは言うんじゃねぇぞ」
「え?」
今まさに言いかけていた言葉を言われて、レヴは思わずアルトへと視線を向ける。彼は隊長用の戦果報告書へと目を向けながら、ゆっくりと口を開いた。
「あれは“お前”のせいじゃない。“俺達”の責任だ。一人で抱え込もうとするんじゃねぇ」
そう言って。ふと、アルトは挑戦的な笑みを向けてくる。
「それともなんだ? お前にとって俺達はただの部下でしかねぇのか?」
「……違うよ。それは」
緩く横に首を振って、レヴは小さな声で呟く。彼らは絶対に喪いたくない、ずっと一緒に居たい大切な親友達だ。そこに嘘偽りはない。
アルトは微かに口の端を吊り上げて笑った。
「なら、尚更だ。何かあって、一人で無理なら、俺達を頼れ。……俺達はお前の部下以前に、大切な友達なんだからな」