狭窄する眸(5)
世界が夕焼けの朱色に焼き尽くされる中、全身血まみれのセレは、建物の瓦礫に背を預けてこちらの方を見つめていた。
「…………ルナ。私を……撃て」
ぼそりと、弱りきった声がルナの耳を打つ。二人とも、通信機は切っていた。
「もう……、私は、助からない」
口の端から血を伝わせながら、セレは言う。
榴弾を至近距離でもろに受けた彼女の身体は、見るに堪えない無惨な姿だった。軍服の至るところからは血が流れ、破片の突き刺さった左目は抉れて元の綺麗な黒瞳は見る影もない。
右腕も、肘から下がなくなっていた。
無言で、ルナはレッグホルスターから拳銃を引き抜く。銃口をセレの脳天へと合わし、撃鉄を起こす。
セレはふ、と笑った。恨みも辛みも、何も感じさせない、綺麗な笑顔だった。
「……ありがとう」
そう言ったのが微かに聞こえて。
直後、ルナは拳銃のトリガーを引いた。
待機させていた自分の隊の場所へと戻って、ルナは再び通信機を起動する。努めて冷徹な声音を装って、ルナは告げた。
「現在時刻をもって〈折れた刃〉作戦を終了。各員、撤退を開始してください」
†
日が暮れた頃にようやく駐屯地へと辿り着いて、ルナは兵舎に入るとそのままいつものように執務室へと向かう。
少し前の〈秋桜〉作戦こそ極秘作戦故に口頭での報告だったが、普通は報告書を作成しての提出が基本だ。
年季の入った椅子に座って、これまた年季の入った引き出しから報告書の用紙を取り出す。ペンの先端にインクを浸して、ルナは今日の対連邦軍迎撃作戦〈折れた刃〉作戦の事柄についてなるべく詳細に記入していく。
作戦名及び総指揮官名、作戦の意図と結果を記入した後に、ルナは用紙をめくって裏側へと目を向ける。
そこには、損害記入欄と題された空欄が設けられていた。
紅闇種の兵士は人間ではないから、戦死者とはカウントしない。兵器や軍馬などの、軍の備品としての数字にしかならないのだ。
心が痛むのを感じつつも、ルナは今日戦死した者達の識別番号を丁寧な文字で記入していく。
これは、ルナのせめてもの抵抗だった。纏めて累計としてしか記録されないのならば。せめて、報告書には彼らの生きた証を残しておきたい。そう思ったから。
一時間ほどで報告書は書き上がって、ルナははぁと一息をつく。どのような戦術・戦法を取ったのかなどは書く欄すらもないから、正直これを書くのにあまり時間はかからない。
いつかの任務の際に拾ったコートを羽織って、ルナは執務室を出る。廊下の照明は既に灯火管制がかかってい て、薄暗かった。左右の部屋の殆どのドアが開いたままなのを見て、ルナは悄然と目を伏せる。
……この戦隊の結成から約二ヶ月が経って、戦隊員の数は三分の一にまで減ってしまった。
毎日ろくな休息も与えられずに激戦地に投入されて、無理な作戦を強制されて。毎日人が死んでいって。けれど、再三要求している人員の補充は、一向に通る気配がない。
それもそのはずかと、ルナは真朱の瞳を細めさせる。
帝国は紅闇種を絶滅させようと、毎日過酷な強制労働と戦地への投入を行っているのだ。生存率の上がる人員の補充など、通るはずがない。
そして、それは。ハンドラーの権力では、どうしようもないのだ。
暗い気持ちで廊下を歩いていると、ふと、レイラとセレの相部屋もドアが開きっぱなしなのに気がついた。照明は灯火管制の影響か、点いていない。
ちらりと中を見やって、ルナはその光景に言葉を失った。
暗闇の中に見えたのは、レイラがセレの服を抱いて頽れている姿だった。どうやらそのまま眠り込んでしまったようで、すぅすぅと寝息をたてている幼い寝顔が見える。
ルナはそっとレイラの元へと歩み寄ると、起こさないように優しく彼女の身体を持ち上げた。
医者のいないここでは、風邪すらも致命的な病気になりかねない。そんなことで、仲間を失う訳にはいかない。
そのままベッドへと移して、掛け布団を上から掛ける。帰り際にレイラの眠る顔を見て、ルナはつい両拳を握り締めた。
彼女の頬には、涙の跡が残っていた。親友を喪った喪失感と悲嘆を、彼女は一人で吐き出していたのだ。
なんて強い子なんだろう、とルナは思う。悲嘆に泣き叫びたかったはずなのに。彼女は作戦中、何らの弱音も、涙も流さなかった。
それなのに。私は。いったい、いつまで無能な指揮を執れば気が済むのだろうか。連邦から奪った最新鋭の兵器を使わせて貰っているのにも関わらず、毎日毎日戦隊員を死なせて、哀しませて。そのくせ、遺された者達の糾弾も悲嘆も受け止めきれないで。
……ほんとうに、私は、いったい何をしているんだ…………?
†
司令官舎の門前で〈アメシスト〉から報告書を受け取ったハンドラーは、自室でコーヒーを啜りながらそれに目を通していた。これを読めば、今日の執務は終わりだ。
――〈折れた刃〉作戦。戦線南部において帝国が受けていた攻勢の敵先鋒部隊を、〈アメシスト〉率いる三個特務隊が迎撃したものだ。
結果として成功はしたものの、ブラッドレイド隊は副長の〈スカーレット〉を喪失。また、その他の人員も殆どが戦死した。
今、この戦隊には〈ガーネット〉と〈マリアライト〉。そして、戦隊長の〈アメシスト〉とほか数名の隊員しか残っていない。恐らく、あと一週間もしないうちに隊長格の三人以外は全滅する。そう、今までの経験が告げていた。
ふと、自室の窓から外へと目を向けると、そこにはいつもの満天の星空が広がっていた。ハンドラーはつい、その景色に魅入ってしまう。いつ、何度見ても、ここの星空は絶景だ。
けれど。その星空の下では、二つの人類が互いを憎悪し、相手を人ではないと陥れ、罵りながら殺し合っている。
そして。それには、ハンドラー自身も加担しているのだ。
紅闇種を絶滅させるために、隷下の少年少女達を毎日戦場へと投入し、無理な作戦を押し付けて殺処分する。それが、第一三独立特務隊の指揮管制官である自分の仕事だ。
ふと、ハンドラーは自嘲の笑みを浮かべる。
今は亡き妻の写真を優しい手つきで撫でて、呟いた。
「……本当に、俺は何をしているんだろうな」
紅い瞳に、黒い髪。自分の妻も、彼らと同じ紅闇種だったというのに。
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