表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

勝姫の反対

 2人目の姫は市と名付けられ生後一月経った。この時姉の布与は5歳。国姫と周りの乳母や女官たちは2人の姫のお世話に大忙しだったが、そんな折に国もとから手紙で権蔵が城に上がるということを知らされたのだ。国姫は権蔵という子供のことを知らされていなかったので、その驚きは激しかった。その子が8つにもなっているというので、自分たちの婚姻が成立した翌年には生まれていたことになる。福井に輿入れしすぐに江戸にもどって江戸屋敷で生活を始めたが、仲睦まじくしてきたつもりだったのに、参勤で福井へ帰った時には他の女を抱いていたのだ。めらめらと燃え上がる嫉妬心を感じた。さらにその女が男の子を生んだということを8年間も知らせてくれなかったことで光通に対して不信感を募らせた。あとは既に世継ぎ候補の男の子がいたことで、れまで自分が世継ぎを産まなければという使命感、義務感を持っていたことに対してむなしさを感じた。江戸屋敷の国姫の周りは虚脱感が溢れていた。


 しかしそんな雰囲気を圧倒するような動きがすぐに現れた。勝姫である。国姫の所に入った知らせが勝姫に届くのには半日かからなかった。知らせを耳にした勝姫はこの時すでに63歳になっていたが、天性の気性の強さは年を取ってますます激しさを増してきていて、福井藩の屋敷にすぐに現れて国姫を見舞った。国姫は勝姫にとってかわいい孫なのである。しかし光通も勝姫にとって孫であり、従兄同士の結婚は意外な形で亀裂が入りかけた。

 国姫のいる部屋に案内されると勝姫は第1声から

「国姫、どうなさるおつもりですか。突然、息子が出来たのです。その息子をお世継ぎに認めるおつもりですか。」と国姫に迫った。当時、側室を迎え入れたり庶子を認めたりするのは正室の妻の役割とされ、有名な話では徳川家康の正室の築山は秀康を産んだお万の方を認めなかったので秀康は岡崎城には入らず、ひそかに家臣が城外に連れ出し育てたことがある。正室が側室と認めれば生まれた子供は順位は低いが世継ぎ候補となることもある。秀康は生まれた時から世継ぎ候補からは外されていたことになる。

 勝姫の問いに対し国姫は涙を流しながら

「口惜しくございます。私が知らされていない間に福井で殿は妾を囲い、子供まで産ませていたとは。さらにその子供が男の子だったなんて。許せません。ただ私も既に28を過ぎ、子を宿すにはいささか年を取ってしまったようにも思います。どうしてよいものか、思案に暮れております。」と話された。横にいた次女から布を渡され涙を拭く国姫を見て勝姫の心のスイッチが入ってしまったようで

「姫、私に任せなさい。来月には参勤で殿が江戸に来るはずです。殿を訪ねて妾の子を世継ぎとせず国姫の子を世継ぎにするように掛け合いましょう。」と言い放った。

 権蔵の存在は国姫の父である越後高田藩の松平光長の耳にも入った。光長は越前福井藩の2代目の松平忠直の長男で福井藩を継いでいたはずの人だが、忠直公御乱行により国替えがあり、越後高田藩に移ってしまった藩主である。彼から見れば大事な娘を嫁がせた福井藩の藩主光通が、勝手に妾を作って子供を産ませてしまったのである。本家筋が分家筋にないがしろにされた感があって、許しがたい行為に思えた。


翌月、光通が参勤交代で江戸にやってきた。加賀藩は北回りで信濃から中山道を通って江戸に向かうが、福井から江戸に向かう場合は南回りで尾張から東海道経由で行く方が近い。加賀と越前の国境付近が南回りと北回りがほぼ同じ距離になる境界になる。ほぼ1月の行程を経て江戸に入った光通は早速部屋で国姫との対面になった。

通常ならば藩主の到着を妻が玄関で出迎えるのが筋だが、今日の国姫は出迎えに出ることなく、奥の書院で殿が入ってくるのを待っていた。光通は玄関近くで籠を降りると正面玄関で足を洗って中に入っていった。国姫の出迎えがないことに違和感があったが、そのまま屋敷に入り、藩主の私的な部屋で着替えをすると書院に入り国姫との対面に臨んだ。

正面の一段高い席に座ると国姫は下段の正面に光通の方を向いて座っている。

「殿、福井よりの長い参勤の旅、ご無事で何よりでございます。」と挨拶を述べると

「国姫も息災で何よりじゃ。先月は2番目の子を出産してくれたそうで何よりじゃ。それで市という姫は元気か。」と問いかけると国姫が

「市はすこぶる元気でございます。ただ私の方は福井でのただならぬお噂を耳にして、心穏やかではございません。権蔵というお子が城に上がったと聞き及びましたが真でしょうか。」と核心に迫った質問をしてきた。光通は落ち着いて

「そのことか。今話そうと思っていたところだ。権蔵はお三という福井の城で勤めていた女官に産ませたわしの子じゃ。江戸から福井に行って国姫に会えぬ寂しさ故につい手を付けてしまった女子だが、国姫には心配をかけまいと藩主の子供とは認めてこなかった。しかし、先月、国姫が市を産んで姫が2人になった故、世継ぎの男の子を望みすぎることは国姫に心労をかけることになると思い、権蔵を城に入れて世子として国姫を安心させようと考えたわけだ。わしの思いに理解をしてもらえぬか。」と言うと国姫は

「私がすでに28になってしまい、この後、世継ぎを産めるかどうかは分からないので、殿のお考えもご理解できます。しかし8年もの間、その子の存在を隠し通されてきたことに私は寂しい思いを持っております。また、先月が天崇院勝姫様がこちらへいらっしゃって、『どうするつもりですか。私にお任せください。』と言っておられました。勝姫様のお怒りは相当なものでした。殿はどうするおつもりですか。」と事態が大きくなってしまっていることに狼狽した表情で語っていた。

 光通が国姫の問いの答えを考えているとき側役人が

「越後高田藩、天崇院様がいらっしゃいました。」と知らせてきた。光通の到着を待ちかねていたようだ。越後高田藩の江戸屋敷は福井藩の屋敷のすぐ側にあるので、到着したという知らせを聞いてから支度をしたのだろう。

光通は昔から苦手だったおばあさまの到着に嫌な予感はしたが

「こちらにお通ししなさい。」と返事をした。

 やがてお付きのものを数名連れて、廊下を静かに歩く音がして勝姫が現れた。その姿は63歳の老婆ではあるが、凛として気品が漂い、将軍家の娘としての生まれの良さを滲みだしている。書院の中で国姫の隣に座ると光通に向かって福井からの道中のねぎらいの言葉を述べると早速本論に入った。

「光通殿、先日、妙な噂を聞いたのですが、光通殿が妾として御手を付けた女官の息子を城にあげたというのは真でしょうか。」と切り出してきた。

子供の頃から厳しく叱られることの多かったこのおばあさんは徳川将軍家の生まれとして越前松平藩67万石に嫁いできたが、夫の忠直公が数々の御乱心があり国替えの憂き目にあい、今は越後高田藩25万石で暮らしている。気高き気質ゆえ、このままでは終わらないという強い思いをお持ちと思うが、光通には少々面倒な存在だった。

「天崇院様、今も国姫にそのことを話していたところです。その妾の息子というのは権蔵と申しますが、国姫に迷惑をかけたくなかったのでずっと子供として認めてこなかったのですが、先日の市の誕生でそろそろ国姫に無理やり世継ぎを求めることをやめて、権蔵を世継ぎの候補として国姫には心安らかに暮らしてもらおうと考えた次第です。あくまでも国姫の心労を取り除きたい一心で考えた次第です。」と答えた。すると天崇院は顔を真っ赤にして大きな声を出し

「何たる無礼なお考えですか。そもそも福井藩をどんな藩だとお考えか。恐れ多くも、徳川家康公の御次男、松平秀康様が家康公より頂いた67万石の大藩ですぞ。御三家に準ずる由緒ある家柄、江戸城に登城するときには光通様も特別の待遇を受けるはず。その福井藩のお世継ぎに妾の子を充てるなどもってのほか。考え直していただきましょう。この国姫はまだ28ゆえ、お子を諦めてはいけません。国姫のお子を世継ぎにするとこの婆様に約束してくださいませ。」と書院に響き渡るような声で歌い上げた。まさに歌い上げたのである。呆気にとられた光通と国姫は約束という言葉に驚いたが、もじもじしていると

勝姫が書状を胸元から出してきた。

「ここに起請文を作ってまいりました。あとは署名していただくだけです。」と言って書面を差し出してきた。お付きのものがその書状を光通に差し出すと光通がじっくりと読んでみた。

『起請文、越前福井藩のお世継ぎ問題に関し、正室国姫が生んだ男子を世継ぎとすることを約束いたします。』と書いてある。そして署名欄らしきところは空欄になっている。

決心がつかず光通がまだぐずぐずしていると勝姫は

「何をためらわれているのですか。福井藩と言う大藩を率いるにはそれなりの覚悟が必要です。長く生きて多くのことを見聞きしてきたこの天崇院のことを信じて早く署名しなさい。側の者、何をしている。早く筆を殿にお渡しせぬか。」と側役人を急き立てた。居合わせた側役人が慌てて書院の脇机の筆と墨を準備すると光通の脇に置いた。光通はそれでも思案を重ねていると勝姫がすかさず

「光通殿、何を躊躇しているのです。越前福井藩は1万石や2万石の小さな藩ではないんですよ。伝統を重んずる格式高い藩なのです。藩主の血筋は選ばないと家臣団がついて来ません。さあ、早く署名を。」と迫って来た。その気合に押されたのか、光通はついに筆を持ち、署名をして日付も書き込んだ。その様子を見て勝姫は

「それでこそ福井藩の藩主です。家康公の血筋を継ぐ由緒ある家柄の跡取りなのですから、判断を間違えてはいけません。ではこの婆さんとの約束をお忘れにならないように、国姫を大事にしてくださいよ。まだまだ若いですから大丈夫です。」と言って笑っている。光通は半笑いになりながらこのおばあさんの迫力にまたやられてしまったと後悔した。国姫は2人のやり取りを見ながら悪い気はしなかったが、光通に対する気持ちがやや冷めていくのを感じた。

 その日の夜、江戸城への登城を明日に控えて光通は江戸屋敷の寝所で休んだが、国姫の隣で床に入った。寝息を立てる彼女の寝顔を横から眺めるとまだ28歳の美しさがあったが、なぜか彼女を抱く気にはなれなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ