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父と母と

 福井藩主松平光通と正室の国姫は長い婚約生活を経たが、お互いに19歳の時に結婚した。一旦国姫は福井に入るが、すぐに江戸屋敷詰めのため、江戸にもどる。どの大名もそうだが、参勤交代のため江戸にいるときは妻と一緒に暮らせるが、地元に帰ると1年間は妻の顔を見ることもできない。当然江戸屋敷では福井でどんなことが起きているのかもわからないことが多い。

 結婚当初は夫婦仲も良かった。国姫は京都の公家からも称賛されるほどの和歌の達人だった。江戸屋敷では国姫は光通への思いを和歌に詠んでいる。光通も教養人で返礼の歌を詠んだりしている。越前松平藩は結城秀康以来武芸に秀でた勇猛な家系であったが、越後高田から越後松平家が入ってからは家風も変わりつつあった。


 仲睦まじい2人の間には姫が一人生まれていて、名を布与ふよと名付けられていた。そしてこの頃、2人目の子が臨月を迎えていた。国姫は福井藩江戸屋敷の部屋で出産に備えていたが、父親の光通は参勤のため福井に戻っていた。江戸家老の水野氏が御正室の2度目の御出産に万全の態勢で臨んでいた。江戸屋敷のお女中衆は全員総出で国姫のお世話にあたり、産婆も江戸一番の高名のものが集められた。隣の部屋で待機した水野氏は侍女たちに

「生まれたらすぐにわしに知らせるのだぞ。よいな。」とそわそわしながら障子を見つめていた。第1子が姫だったので次は是が非でも若君を生んでもらわないと藩の存亡にかかわる一大事だったのである。跡継ぎがなきままに藩主がお亡くなりになると、幕府は容赦なく藩を取り潰して新しい大名に国替えを命じるかもしれない。越前福井藩に仕える多くの武士たちが家族もろとも路頭に迷う事態も考えられるのである。

 江戸家老の水野氏は居ても立ってもいられなくなり、障子を開けて庭に出て、クマのようにうろうろと歩き始めた。すると国姫の部屋から大きな声で赤子の鳴き声が聞こえてきた。出産である。部屋の戸が開き女中が一人出て来て、水野氏を探している。

「おい、どうだったのだ。」と庭から大きな声で女中を呼び止めて聞くと

「御家老様、姫様にございます。」と答えた。その声を聴いて水野氏はうつむき加減になり複雑な表情になったが

「国姫様はご無事か。」と聞き返した。

「国姫様も姫君もご無事でございます。」と答えてくれた。

「そうか、それは何よりじゃ。早速国もとの殿に連絡せねばならぬ。」と言って自分の部屋に戻っていった。

 国姫は第2子の出産という大仕事を成し遂げたが、女の子であったことを知るとやや眉をひそめて世継ぎを産めなかったことを残念がっていた。

「また、姫だったか。殿や高田様にどうお話すればよいものか。」と考えるとめでたいはずの出産だったが、国姫の目からは大粒の涙が溢れ出てきた。


 父親の光通が水野からの手紙を受け取ったのは7日後のことだった。江戸を出た飛脚に運ばれた手紙は東海道から北國街道に入り福井に来るのだが、早飛脚はこの道筋をわずか7日で駆け抜けた。

 福井城の城主の間で家臣の報告事項を聞いていた光通のもとに早文が来たという知らせが入り、殿に手紙が渡された。奉書紙に包まれた手紙を取り出すと江戸家老の水野からだった。巻かれた紙を放り出すようにして広げると一気に読むことが出来る。水野は達筆で実に美しい文字で書かれている。しかしその中身を見た光通は表情を曇らせた。そばにいた家老が

「殿、どのようなお知らせでございますか。」と聞くと手紙を丸めなおしながら

「国姫が無事に子を産んだ。また姫だ。2人目だ。めでたいの。」と言いながら笑っているが顔が引きつっていた。

 光通も国姫も仲睦まじい夫婦だったが、大大名の宿命か世継ぎの男子を産むことを周りから強く求められ、圧力をかけられていたのだ。しかもこの福井藩の場合、最悪なことに祖母は江戸幕府2代将軍秀忠の娘、天崇院勝姫が強い権力で2人に圧力をかけていたのだ。子供の頃に婚約したが、様々な理由で19歳の時に婚姻を成立させ、遅まきながらお世継ぎを作るために努力してきたが、2人目も女の子が生まれ、光通の頭には勝姫のおそろしい顔が浮かんでいた。しかし光通はもう一つ考えが浮かんでいた。

「国姫ももう28、もうこれ以上の子は望めないかもしれない。そうなれば世継ぎとして権蔵を充ててもよいのではないか。家老の永見に預けているがあの子ももう8つになっているはずだ。母はお三だがわしの子に間違いはない。」

そう考えた光通は永見に相談することにした。


永見は家老の中でも光通の信頼の高い越後高田家以来仕えている高田系列の家臣団の家老だ。光通が幼いころから近くにいた相談相手でもあった。加賀口御門近くに住んでいる永見家に使いを出すとすぐに登城した。光通は藩主の執務に使う広間ではなく、隣の小さな控え間で待っているように伝えていた。永見がその控え間で待っていると襖が開き、光通が入って来た。

「永見、早速の登城ご苦労であった。実は相談というのは権蔵のことだ。そろそろ権蔵をこの城に迎えたいと思うのだが、そなた、どう思う。」と本題からストレートに投げかけた。するとまだ江戸の事情を知らない永見はきょとんとした顔で

「殿、突然のお申し出、何かございましたか。若君はわたくしの家ですくすくとご成長あそばし、殿の御幼少の頃よりも元気すぎるくらいで、お三の方も手を焼いているご様子でございます。」と言うと光通が

「実は江戸から早文が参った。江戸屋敷で国姫が2番目の姫を産んだ。母子ともに無事で健やかであると書かれていたが、国姫の心中察するに心苦しいであろう。知らせを聞いて天崇院勝姫様はすぐに江戸屋敷に来られたであろう。いや、姫と聞いて挨拶にも来なかったかもしれない。なにしろ早く世継ぎを産めときつく言ってきていたし、世継ぎを産めぬおなごは大名の妻としては用がないともおっしゃっておられたのだ。そこでわしは国姫のためにも権蔵を世子に定め、国姫を安心させたいのだ。国姫ももう28だ。世継ぎを産むには既に年増だ。それよりももう安心させた方が良いと思はないか。」と永見に聞いた。下を向きながら考慮を重ね考え抜いた永見は

「そうでございますね。殿のお優しいお考えが導いたご決断でございましょう。私は殿のお考えを支持いたします。権蔵様ももう8つ。城に上がってもおかしくはございません。」と言って事は決まった。ここからは家老職の会議で発表された。福井松平家は結城秀康が結城家から連れてきた家臣団の家老と関ケ原の戦いの前に家臣に加わった武士団の中の家老と越前67万石を頂いた時に大所帯で大変だろうということで幕府からあてがわれた家臣団の家老と越後高田藩からついてきた家臣団の家老と、その構成メンバーは多岐にわたり、意見はしばしば対立した。しかし今回は藩主からの決定事項という形で申し渡された。

 その日から城の中は権蔵という新たな世継ぎ候補の出現によって様々な噂話が飛び交った。権蔵が城に上がったのは10日ほど経ってからだったが、その前に既に江戸の国姫の耳にも権蔵の存在が聞こえてしまった。江戸屋敷も権蔵のことで噂は持ちきりとなってしまった。この時代、正室が認めれば側室として城に上がることもできるが、認められなければ妾として日陰の暮らしを強いられ、子供も正式な子供としては認められなかったので、国姫がお三や権蔵のことを認めるかどうかはこの親子にとって人生を左右しかねない判断だった。


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