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長庶子

この作品は福井藩の悲劇を扱っています。同様に福井藩のことを扱った作品に「松平家の盛衰」があります。

 明暦2(1656)年 福井藩御泉水おせんすい屋敷で男の子が生まれた。名を権蔵ごんぞうと名付けられた。父は福井藩4代目藩主松平光通みつみち、母は側室のおおさんの方、光通の正室の国姫くにひめには姫しか生まれていなかったので、長庶子としての出生だった。御泉水屋敷は福井城の南にあり、大きな池が配置された美しい庭園が印象的な藩主の別邸である。

 お三は正式に認められた側室ではなかったため、光通は国姫に詳しいことは言ってなかった。しかし参勤を終えて江戸から福井に戻ってくるとお三を近くに寄せ、寵愛していた。しかしお三が妊娠して出産が近づくと、今度は参勤のため江戸へ行ってしまった。残されたお三は実家の片桐家と家老の永見家が後見して御泉水屋敷での出産となったのである。妾の出産ではあるが藩主の子の出産として、家老の永見氏がこの屋敷を手配した。

大野の片桐家から来た母がお三の手を握り

「お三、頑張りなさい。皆様、お世継ぎをお待ちじゃ。頑張るのです。」と励ましている。お三は口には手ぬぐいをくわえ額には玉のような汗をかきながらいきんでいる。周りには多くのお女中衆が板の間を忙しそうにどたばたと音を立てて走り回っている。

 陣痛は二時ほど続いただろうか。夜中の虎の頃、突然暗闇をつんざくような赤子の大きな鳴き声が屋敷の中に鳴り響いた。奥の間で控えていた家老の永見氏は

「生まれたか。若君か、姫様か?」と出産に立ち会った女中を捕まえて聞いた。

「若君にございます。おめでとうございます。」という返事に永見は複雑な思いを持った。

『確かにおめでたいのだが、御正室の国姫様はまだお世継ぎを諦めているわけではない。福井松平家は忠直様の御乱行から蟄居を経て、弟君の越後高田家と入れ替わりになり、怨恨が残っているので、さらなるお家の騒動につながらなければいいのだが。』

その心配は後に現実のものとなっていく。

男の子が生まれたことで祝賀ムードが漂う中、家老の永見氏は出産に関与した女中たちを台所に集め、重大なことを発表した。

「良いか、皆の者。本日はご苦労であった。若君の誕生はおめでたいことではあるが、この若君はまだお世継ぎと決まったわけではない。あくまでも長庶子である。この若君を守るためにもこのまま城に入れることは出来ない。若君の誕生を喜ばない者たちに命を狙われるかもしれず、危険である。若君誕生については他言無用である。母君を含めて我が屋敷でお預かりすることに致す。」と厳しい顔つきで言うと、集まった女中たちは一様にその事態の重大性に気づかされ、頭を上げることなく床に額をこすりつけ、口をつぐむことを誓った。


国姫は越後高田藩の松平家の姫だったが、江戸屋敷で生まれ高田藩の江戸屋敷から越前福井藩の江戸屋敷への輿入れだった。江戸住まいの国姫は福井での出来事などは何も聞かされずに生活していた。国姫の育った越後高田藩は越前松平藩とは深い関係だった。

徳川家康の庶子だった結城秀康が小牧長久手の戦いで羽柴秀吉の所へ養子という形で人質に出され、さらには秀吉に跡継ぎの男子が生まれると徳川家が関東に国換えになったのを契機に徳川への加増の一つとして関東の結城家へ養子縁組される。その結城秀康が関ケ原の戦いで関東の要所を固める重責を果たした恩賞に、越前の国67万石を与えられる。しかし、結城秀康は若く死去してしまったため、長子の忠直が国を後継する。忠直は大阪の乱で活躍するが、その後乱心があり蟄居となり大分へ流されてしまう。忠直の弟で幕府から越後高田藩25万石を与えられていたのが松平忠昌だが、忠直の改易に際し越前福井藩67万石を継承し、忠直の息子の松平光長が越後高田藩に入封している。つまり高田藩と福井藩が本家と分家で入れ替えになったのだ。

この因縁のある高田松平家から福井松平家へのお輿入れには、幕府は当初から乗り気ではなかった。なかなか承諾をしなかった。幕府の裁定で国替えを行った藩同士が婚姻関係を結んで再び関係を深めることに、将来的な大きな問題に発展することをおそれたからだった。

しかしそこで力を発揮するのが大分へ改易となった忠直の正室の天崇院勝姫である。勝姫は江戸幕府2代将軍秀忠の3女で、江戸城で生まれ福井藩に嫁ぐ時には、駿府で家康のもとで饗応を受け、福井へ行っているが、生涯ほとんどを江戸屋敷で過ごしている。秀忠の娘は長女が千姫で豊臣秀頼に嫁ぎ、2女は珠姫で加賀前田家に、4女は小浜の京極家へ、その3女が勝姫なのである。越前福井松平家がいかに強大であったかを推測することが出来る。

この頃には息子の松平光長が高田藩の藩主になっているので高田様と呼ばれている。その高田様は孫にあたる国姫が福井藩の若い松平光通との婚約はした。しかし幕府の承認が出ないために正式に結婚できずにいた。そこで幕府との関係が強い天崇院勝姫が3代将軍家光の死後、幕府に対して「家光様が決めた婚姻であり、御遺志である。」と強硬に迫った。2人の婚姻が成立したのは2人とも19歳になっていて、当時の大名家の婚姻としては大変遅い婚姻であった。

その江戸の国姫が権蔵の出生を知ったのは数年たってからの事だった。


杉下栄吉の歴史もの 福井藩の争いは「松平家の盛衰」では松平綱昌の悲劇を扱っています。是非、この機会に合わせて読んでみてください。また、評価やブックマークをよろしくお願いします。

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