エピローグ 悪いと思わない人間も居る
すみません、一話追加します。
妻が元妻と娘、義父母に孫とで三日前から旅行に行った。
こう聞けば一体何の事かと周りの人間は首を捻るだろう。
簡単にいえば、娘夫婦が妻達に旅行をプレゼントしたのだ。
今日まで外せない仕事があった私と息子はそれぞれの家で留守番。
残念だが仕方ない、明日には帰って来るし。
行き先は私が元妻と新婚旅行で行った神戸。
国内旅行が新婚旅行だったのは、元妻がまだ学生なのに妊娠させてしまい、そんな余裕が無かった。
まあ...お腹の子供が私の息子では無かったのだが。
「お久し振り、マスター元気だった?」
「いらっしゃ...真保さんじゃありませんか」
この店は25年前、元妻と離婚する前によく来ていた店で、当時は足繁く通っていた。
「あれ真保さんじゃないですか」
「川口さん久し振り、まだ通っていたの?」
店内には昔からの常連だった川口さんもおり、懐かしそうに近づいて来た。
「何にしますか?」
「そうだな...」
何を飲もうか、なにしろ最後に来たのは10年近く前になる。
確かあの時は娘が亮二と結婚を前提にお付き合いをしていると聞いて、日本に一時帰国したんだっけ。
その娘も今や二児の母親、私もおじいちゃん、本当に月日が流れるのは早い。
「洋酒の21年ですね」
「覚えていたの?」
「はい、いつものですから」
マスターは凄い、よく記憶している。
「どうぞ」
「ありがとう」
ロックのグラスを受け取り、口を潤す。
久し振りに飲む高いアルコール、喉を通る感覚は昔を思い出す。
「今はどちらの国に?」
「8年前から日本勤務だよ、今日は妻が旅行でね」
「そうですか...再婚したんでしたね」
「...真保さん、お幸せそうでなによりです」
しまった。
私と史佳の離婚話はタブーだった。
離婚理由も詳しく言ってない。
あの時は、みんな私の夫婦仲が良好だと思っていたので、ビックリしていた。
托卵されていましたなんて、言える筈も無かったし。
「奥さ...史佳さんとは?」
「ああ連絡は取り合っているよ、子供の事もあるし」
「そうですか」
実際は連絡どころか、会う事すら珍しくない。
史佳は紗央莉の元を頻繁に訪ねて来るし、なんと言っても娘の婿は元息子、更に義父母は曾孫にメロメロだ。
最近は娘夫婦の近くにあるシルバーマンションに引っ越す事を検討しているらしい。
「よ、マスター元気?」
「ん?」
少し乱暴に扉が開き、一人の男性が入って来た。
少し太った髪の薄い中年男性、おそらく私と同年代だろう。
顔が赤い、既に酔っているな?
「...いらっしゃいませ」
僅かにマスターの表情が曇る、初めて見る人だ。
「真保さん、こっちに」
川口さんが私の腕を取り、カウンター隅に移動させた。
「あの人は?」
「...すみません、実は私達知っているんです」
「何を?」
「奥さんと離婚された理由です」
「は?」
川口さんからの言葉に声を失う。
つまり史佳が私以外の男に抱かれ、妊娠してしまった事を知っているのか?
「あの男性が以前言ったんです、俺は過去に元カノを...史佳を妊娠させてしまったって」
「...どうして...それを...」
その事は口外しないと弁護士を挟んで念書まで交わしたのに。
一体何を考えているんだ?
史佳の名誉だけじゃない、息子の出自に関わる事を!!
「落ち着いて下さい、あの時も随分酔っていたみたいでして、口を滑らした様でした。
私を含め、誰も口外してません」
「そうですか...すみません」
最悪の事態は避けられた様だが、コイツは何を考えているんだ。
昔、亮二の所に突撃して、キツいお灸を据えられたのに、反省してないのか?
酔っぱらい男は私の視線に気づかない。
カウンターの真ん中にドッかと腰を下ろし、人差し指をピンと立てた。
「いつもの」
「いつものですか?」
マスターが首を捻る。
このバーはボトルキープが存在しない、客はマスターに好きな酒をオーダーするシステムだ。
「あの、前回はスコッチとブランデーを飲まれてましたが」
なるほど、男は特定の銘柄を決めている訳じゃないんだ。
そりゃマスターも分からないだろう。
「いつものは、いつものだよ。
スコッチモルト!バランタインの14年物をロックで」
「へ?」
男のオーダーは滅茶苦茶だった。
バランタインはスコッチモルトウイスキーでは無い、ブレンデッドウイスキーだ。
「旨い!
やっぱりウイスキーはスコッチモルトだよな」
出されたウイスキーを一気に呷る。
あんな飲み方では酒の味なんかよく分からない...いやそれよりも。
私は立ち上がり、男の席に向かって歩く。
心配そうな川口さんを手で制し、胸のスマホの録音アプリを起動させ、声を掛けた。
「失礼、隣良いですか?」
「貴方は?」
突然声を掛けられ男は怯む。
いきなり髭面で190センチの大男が来れば驚くのも無理は無い。
「驚かしてすみません、私はこの店の常連でしてね、初めて貴方をお見かけしたもので」
「そうでしたか...いや私はここに来たのが三回目でして」
「そうでしたか」
そんな事はどうでも良いんだよ。
「さっき小耳に挟んだのですが」
「な...何をです?」
そんなに怯えないでくれ。
孫ですら怯えないんだぞ?
「なんでも別れた恋人を後で妊娠させてしまったとか」
「ああ聞いたんですか、若さ故の過ちですよ」
「...ほう」
過ちか、確かにそうだな正確には酒の上でだろ。
「そんなに興味がありますか?」
「いや特に...」
何を勘違いしているんだ?
武勇伝を誇るみたいな顔をしやがって。
「私も若かったんですな。
彼女に恋人が出来たと聞きましてね、つい連絡をしてしまったんです。
まあ未練ですね、復縁を迫りましたが、こっぴどくフラれてしまいました」
なんで勝手に喋り出す?
男の顔に亮二...息子の面影があるのは余計に辛い。
「それで、まあ私の事を好きだという女が何度も...それが今の妻でしてね、悩んだ私は最後に史佳とお願いしました。
まさか妊娠させてしまうなんて、離婚までさせて、悪い事しました」
「...もういい、これ以上は聞きたくない」
男を黙らせる。
こういう手合いは反省しないのがよく分かった。
「はい?」
「アンタこの町に何しに来たんだ?」
「何しにって...お前に関係あるのか?」
「答えろ山内恭平!」
「何で俺の名前を...誰にも言ってないのに」
名前を呼ばれた山内は目を白黒させる。
史佳の名前を言いながら、自分は名乗らない...卑怯者め!
「何の為にこの町に来たんだ、お前はあの一家と一生関わらない約束だろうが!」
「む...息子を...みんなの事を探すのが悪いのか!!」
「なんだと...?」
「認知してなくても亮二は俺の息子だ!
運命に翻弄されて、離れ離れになった俺の気持ちがアンタに分かるのか!?
せめて行方を探すくらい...」
「ほう...」
そんな言い分か。
「ならちゃんと弁護士を雇って手続きを取れば良いだろうが、息子に会いたい、父親だと名乗りたいと」
「出来ないんだ!
嫁に次は無いと言われたんだ、親も嫁の味方で、俺の自由になる金なんか殆ど無い、弁護士に頼める筈無いだろ...
娘達に知られる訳にも....軽蔑されちまう」
泣き出しやがった。
「諦めろよ...お前が悪かったんだ」
「俺は悪くない!」
「はあ?」
「何度もフラれて、やっとセックスして、吹っ切ったら、史佳に子供が出来てたんだぞ?
未練が残るのは当然だ!
なのに...認知や面会はおろか...援助すらも...畜生...俺は悪くない...」
「おい...」
酔い潰れやがった。
ここに来る迄に結構飲んでいたみたいだ。
「...真保さん」
「すまんマスター、川口さんも」
店には迷惑を掛けてしまったな。
「それは良いですが...」
「私もですけど」
今日の事もこの二人が口外する心配は無い。
問題はコイツだ。
「...俺は悪くない...か」
なんだろう?
俺の立場と違うからか、スッキリしない。
「...責任でしょう」
「マスター...」
「この方はきっと自分に言い訳を重ねて来たんでしょうね。
昔も今も、不満は全部周りのせい、自分は悪くないと」
「そうかもしれませんね...」
「無責任なクズ男とまでは言いませんが、こればかりは...この方の性でしょう」
「...ふむ」
マスターの言葉に川口さんも頷いている。
そんな人間は治らないのか。
「マスター、紙とペンある?」
「ありますよ」
「貸して」
一気にペンを走らせる。
今日の事は黙っててやるが、次は無い、破ったら弁護士に連絡すると。
ついでにさっきの会話も録音した事も書いた。
「起きたら渡してくれ」
「分かりました」
紙とペンをマスターに渡す。
これでまたうろつくなら...そんな覚悟は無いだろう。
「それじゃ帰ります」
コートを羽織り鞄を持つ。
せっかく...次来にくいな。
「お代は要りません」
「いやマスター、それは」
「次の機会にお願いします」
マスターは静かに笑った。
「息子さんと...お孫さんの写真がスマホから見えましたよ、楽しみにしてます」
「...ありがとう」
覚えててくれたんだ。
亮二といつかこの店で飲みたいと言ってた事を...
店を出る。
酒は完全に抜け、どこまでも高い夜空には大きな月が。
私は携帯を取り出し、発信ボタンを押した。
「もしもし」
『どうしたの父さん?』
電話口の向こうから聞こえる亮二...息子の声。
「今からそっちに行って良いか?」
『え?』
驚いているな、私一人でなんか初めてだ。
「いやなに、母さんも居ないし...ゆっくり親子水入らずで飲まないか?」
『...待ってるよ』
「亮二...」
『待ってるから、とっておきのお酒を用意して、ずっと...父さんを僕は...』
「分かった...直ぐ行く」
それ以上は声が出なかった。
ありがとうございました