エピローグ きっと大丈夫!
6年前、東京の大学へ進学するのを期に親元を離れた。
卒業後も東京で就職をして、一人暮らしとなったお母さんに寂しい思いをさせてしまった。
お母さんは気にしないでと、いつも言ってるけど、どうしても罪悪感は消えなかった。
でも半年前、お母さんから結婚すると話を聞いた時はビックリした。
あの時は、会社の有休を取って翌日実家で直接確認した程だ。
『どうして今さら急に?』
『まあ...ケジメかな?
来年政志さん日本に帰って来るの、もう海外赴任は終わりだって』
そう言って笑うお母さんの顔は幸せのオーラが溢れていたっけ...
「...懐かしい」
昼前に実家へ戻って来た私は、新しく新居に引っ越す為、箱に詰められていた荷物から取り出したアルバムを見ていた。
どの写真にも私とお母さん、そして史佳さんと亮二さんが笑顔で写っている。
その中には時折、お父さんの姿も...
式は明後日の日曜日だが、今日から有休を取った。
興奮すると眠れなくなるので、少しでも寝不足にならない為。
これは昔からそうで、未だにみんなから笑われるけど。
「志央莉、もう帰ってたの?」
「お帰りお母さん」
夕方になり、お母さんは仕事から帰って来た。
相変わらず綺麗なお母さん、まだ20代に...は無理だけど、30代で通じるよ、うん。
「あら出しちゃったの」
「うん、後で片付けとくから」
アルバムに気づいたお母さんが笑う。
せっかく荷造りしたのに、ごめんなさい。
「いいわよ、私も見ようかしら?」
「そうね一緒に見よ!」
お母さんは肩に掛けていた鞄を椅子に置き、コーヒーを淹れてくれた。
食器類も殆ど荷造りされていて、食器棚は僅かな物しかない。
「どうぞ」
「ありがとう」
コーヒーを飲みながら、二人並んでアルバムを捲る。
一人で思い出に耽るのも良いけど、やっぱり二人で見た方が楽しい。
「...懐かしいわ」
「入学式の時ね」
それは小学校の入学式、校門の前で撮影された一枚。
真新しいランドセルを背負ったまだ幼い私と正装した若い頃のお母さん、そして私の隣には亮二さんと史佳さんが写っていた。
「政志さんが撮ってくれたのかな?」
「お父さん、この為に一時帰国してくれたんだよね」
本当に懐かしい。
私が小学生に進むのに併せ、お母さんは引っ越しをした。
それがここ、史佳さん家族の住む町だった。
「政志さん翌日には戻ったから...」
少し寂しい表情のお母さん。
お父さんと初めて会ったのは、私が5歳になる少し前だった。
それまで父親という存在が分からなくって、お母さんと二人が当たり前の日常だった。
余りよく覚えてないが、急に現れた父親という存在にしばらく戸惑っていたらしい。
お父さんは転勤で海外に赴任して、一緒に過ごす事が殆ど無かったから。
「史佳さんも嬉しそう...」
「亮ちゃんもよ、久し振りに会えたから」
「あら志央莉から久し振りに聞いたわ、亮ちゃんって」
「そうでしょ?」
私と亮二さんはずっと一緒に育った。
お母さんの両親は私が生まれた時、既に亡くなっていて、史佳さんの両親が私を孫の様に可愛がってくれた。
お母さんの仕事が忙しい時は、史佳さんの家でお泊まりするのが恒例だったし。
「私達母娘を受け入れてくれた史佳さんには感謝ね」
「ええ」
初めての町、不馴れな生活を史佳さんは同居する両親と一緒に支えてくれた。
「志央莉ったら、亮二君の後ろばかり」
「仕方ないよ、人見知りだったから」
学校の運動会、遠足に発表会、写真の私はいつも亮二さんの隣で隠れるように写っていた。
「たくさん友達出来たのよね」
「そうだね」
学年が上がるにつれ、私は積極的に前へ出られる様になってきた。
それは間違いなく亮二さんのお陰、男女を問わず友達が多くて、人気者だったから。
「亮二君も辛かった筈なのに...」
「...うん」
亮二さんは史佳さんの離婚で、お父さんを失った。
その理由は随分後で聞いたが、正直史佳さんの不用意な行動が原因で余り同情は出来なかった。
亮二さんはずっと、今も昔もお父さんが大好きだ。
まあ、私のお父さんでもあるんだけど。
お父さんと亮二さんの嫡出否認は出来なかった。
離婚理由も性格の不一致、自分の我が儘から離婚をお願いしたと周りに言った。
その離婚理由が信じられない人達から何度も真相をと聞かれたが、どうしても亮二さんの、史佳さん家族を思うと、それだけは言えなかったそうだ。
でも史佳さんの両親から親子関係不存在は同意して、一旦亮二さんの籍を抜いた。
そして数年後、養子縁組をしたんだ。
亮二さんと私の...
「あの時、志央莉が支えてあげたんだよね」
「まあ...恩返しかな」
お父さんが出て行き、史佳さんの両親は住んでいた自宅を引き払い同居を始めた。
亮二さんを寂しくさせる訳に行かないとの配慮と、お父さんと母親の離婚を誤魔化す為だった。
お父さんも日本に帰る度、史佳さんの自宅を定期的に訪れ、亮二さんの為、家族の様に頑張っていたが、結局はバレてしまった...
お父さんと亮二さんに血の繋がりが無い事が...
それは血縁上の父親、山内恭平の実家からだった。
『一体どういう事ですか?』
10年前、突然現れた山内家の人々。
なんでも亮二さんの容姿が血縁上の父親そっくりだと、山内家と繋がりのあった、お節介な奴が教えたのだ。
『実は...』
史佳さんと両親は真相を伝えた。
一夜の過ちから亮二さんを身籠ってしまった事、それが原因で離婚した事、そして認知やお金等を請求するつもりが無い事も。
『分かりました、恭平の嫁には伝えません。
息子夫婦は娘も生まれ、仲良く暮らしてます。
お互い波風は立てないようにしましょう』
向こうも不本意な波乱は避けったかったらしく、アッサリ話し合いは着いた。
弁護士を挟み、念書も交わして終わった筈だった。
「なんで会いに来たのかな?」
「まあ、一目は会いたかったんじゃない?」
「いきなり来るのは卑怯だよ、亮二さんの事をなんだと思ってるの」
「そうね、志央莉の言う通りよ」
今思い出しても腹が立つ。
忘れもしない、私達が中学二年の時だ。
いつもの様に一緒に帰っていると、突然山内恭平が現れたのだ。
『君が弓留亮二君かな?』
『あなたは?それに弓留はじいちゃんの姓ですけど...』
奴は亮二さんがお父さんと養子縁組して、真保姓だとさえ知らなかったのだ。
『行こ、不審者よ』
首を捻る亮二さん、山内恭平に関しての話を聞いていた私は必死で彼の腕を掴み走った。
『待て!俺は君の父親だ!!』
『なんだって?』
必死で叫ぶ男に亮二さんの顔が歪んだ。
帰宅した亮二さんは史佳さんとおじいちゃん達に噛みついた。
『なんだよ、俺は父さんの息子じゃないのか!?』
涙を浮かべ、詰め寄る亮二さん。
あんなに苦しそうで、辛い彼を初めて見た。
『それはね...貴方が18歳になったら伝えるつもりだったの』
...史佳さんは全て話した。
自らの過ち、托卵という罪を...
隣で聞く私も辛くて聞いてられなかった。
『ふざけるな!
俺は父さんからすれば悪夢の象徴じゃねえか!!』
『亮二!』
『亮二ちゃん!』
話を聞き終えた亮二さんは部屋に掛け上がり、呆然とする史佳さん一家。
この時だ、私の中で何かが弾けたのは。
『亮ちゃん...』
『帰ってくれ!誰にも会いたくない!!』
自分の部屋に閉じ籠る亮二さん。
私は扉越しに語り掛けた。
『私もなんだ...お母さんは見合い相手から無理矢理乱暴されてね...』
私の出自はお母さんから、ちょっと前に聞かされていた。
どうして、お父さんと結婚しなかったのか。
なぜ田舎と一切の関わりを持たないのかを...
『...結果として、私はお父さんの実の娘だった...でも養女なの...お母さんが言ったんだ、一生背負う十字架だって...でも私は生まれてきて良かった...お母さん、お父さん...亮ちゃん達に会えたんだから...』
見合い相手の家は本家が潰れたとはいえ、まだ分家は残っている。
いくら念書があるとしても、警戒の為だった。
『志央莉...』
涙声に気づいた亮二さんが扉を開けた。
『大丈夫、私は亮ちゃんの隣に居るよ、お姉さんなんだから』
『...なんだよ、半年だけじゃん...同じ学年なのに』
『そうだね』
泣き笑いをしながら、私達は見つめあう。
その後、私が帰宅してから家族でじっくり話し合いをしたそうだ。
『ありがとな、志央莉』
翌朝、学校に行く為迎えに来た亮二さんは小さく言った。
無断で奴が来て、亮二さんと接触した事は山内家に伝えられ、結局嫁にバレたそうだ。
(次にこんな事をしたら離婚ですからね!貴方は人の心が無いの!?)
そう向こうの奥さんは怒鳴ったそうだ。
以来接触は無いから、良かった。
『まだ全部納得出来ないけど、母さんが父さんを今も事が好きなのはよく分かったよ。
志央莉が居なかったら...俺きっと話も聞かないで...みんなを憎んでたかも...』
『そっか』
(闇堕ちはダメだよ、亮二はモテるんだから)
言葉を飲み込んだ。
『これからも一緒だ』
『ええ、一緒よ』
しっかり握手をして、学校に向かったっけ...いや待て、あの時に初めて恋人繋ぎしたんだっけ...
「どうしたの志央莉?」
「な...なんでもない」
「顔が赤いわよ、亮二君の事思い出してたのかな?」
「もう!」
図星だよ!!
「長いわね、付き合って10年だっけ?」
「12年よ!!」
「へえ、小6からなの?」
しまった...いつから付き合ったかは内緒だったのに。
お母さんはあの騒動の後から付き合っていると思っていたんだ。
「それならお母さんこそどうなのさ!」
「な...なにが」
「ずっとお父さんを待ち続けて、22年も」
「う...」
反撃だぞ、覚悟してね。
「史佳さんに悪いからって遠慮してさ、向こうはもう良いって言ってるのに」
「だって...政志さんがなかなかだったから」
なんだ、お父さんが原因だったか。
「幸せになってね」
「ありがと、貴女もね」
「うん、来年には」
こんな話をするなんて、なんだか不思議、きっとお母さんもそんな気持ちだろう。
私達は深夜遅くまで語り合うのだった。