閑話 紗央莉の後悔
閑話!
満夫登場!
「すみません、逸頭ですが」
「はい、お聞きしております」
史佳の電話から一週間後の土曜日、私は指定されたホテルの受付で名前を告げた。
「ここでお待ち頂けますか?」
「分かりました」
ホテルのラウンジに腰掛ける。
久し振りの遠出、心は全く晴れない。
「ママ...」
「何かな?」
一緒に連れて来た娘はキョロキョロしながらラウンジ内を見渡していた。
「...何か飲みたい」
「ええ良いわよ」
「やった!」
嬉しそうに娘が笑う。
本来こんな場所に娘を連れて来るべきじゃないのは分かっている。
だがここまで新幹線と在来線を乗り継ぎ、6時間も掛かったので、日帰りは難しい。
両親は既に亡くなっているし、泊まり掛けで知り合いに預けるのも、人見知りな娘が可哀想なので、連れて来るしかなかった。
「おいしい?」
「うん!」
娘は運ばれて来たオレンジジュースを嬉しそうに飲む。
この子はもう直ぐ5歳になるんだ、時が過ぎるのは本当に早いもの。
「...ん」
「眠いの?」
「うん...」
目を擦り始めた。
朝6時の新幹線で、昨日の夜は興奮して寝付けなかったから当然ね。
「寝てていいよ、後で起こしたげる」
「...はーい」
言い終わるや、娘は小さな寝息をつき始める。
ウェイトレスがブランケットを娘に掛けてくれた。
「難航してるみたいね」
私が到着しているのはホテルから史佳に伝わっている筈だ。
約束の時間は過ぎている、でも迎えに来ない...いや来られないのか。
「離婚しちゃうんだろうな...」
説得を頼まれたが、それで事態が変わると思えない。
事情は聞いたが、史佳は旦那以外の子供を托卵した、それが全てなんだ。
どれだけ謝罪しようが、愛を叫んだところで、政志の考えは変わらないだろう。
政志はこうと決めたら、譲らない頑固なところがあった。
「なのに...私は...」
政志と別れて、残りの大学生活は地獄だった。
キャンパスを歩く政志を見て、どれだけ寂しかったか。
自分で決めた事、後悔はしないと誓ったが、実際は後悔の連続だった。
『もしもし紗央莉か?』
卒業式の日、政志から掛かってきた電話。
久し振りに聞く政志の声に心が踊ったのを覚えている。
『何か用?』
嬉しさを堪え、ぶっきらぼうに答えた。
「今日卒業式だったけど、来てなかったみたいだから」
(気にしてくれていたんだ!!)
ありがとうと叫びたい気持ちを必死で我慢し、私は....
『結婚しました。
妊娠したの、もう連絡して来ないで』
『そっか...幸せにな、それじゃ』
これが最後の会話、その直後、史佳と政志の交際が始まったんだ。
「それにしても史佳もバカね」
いくら政志がずっと好きだったとしても、浮かれ過ぎだ。
だから心の隙を元カレに突かれてしまったんだろう。
政志にバレないか、怯えながら過ごした時間は間違いなく地獄だったろう。
だからといって赦される筈もない。
「政志も気づいていたなんて...」
皮肉な話だ。
史佳の母親から説得され、政志に真実を打ち明けたら、既にバレていたのだから。
「史佳は過呼吸で倒れた...」
証拠のDNA鑑定を見た史佳、政志から離婚を言われ、自宅で気を失ったとおばさんから聞いた。
救急車を呼んで貰い、息子を預かっていた史佳の両親が迎えに行ったそうだ。
そのまま、政志は家を出てホテルに移った。
それがこのホテル、現在弁護士立ち会いの元、最後の話し合いを行っている。
「離婚か...大変だろうな」
なんだか結論ありきの話で悪いが、仕方ない。
「...史佳、好きな人の奥さんで居られただけ貴女は幸せだよ」
私の見合い相手は父親の親戚筋だった。
どこからか、父親の病気と私の事を聞きつけ、見合いの話を持ってきたのだ。
『結婚すれば、治療費と卒業までの学費を全部出してやろう』
父親の病気は高額の医療費が掛かる難病、仕送りが止まれば卒業も危うい。
既に預貯金を使い果たしていた私と母に、他の選択肢は無かった。
政志に別れを言ったのは彼のアパート。
最後のセックスを終えた後だった。
『そっか...俺に力があれば...ごめん』
苦しそうに呻きながら、別れ話を受け入れてくれた政志。
病気で両親を亡くしていた彼は、その金銭的苦痛がどれ程辛いか、学生の力ではどうにもならないのかを分かっていた。
こうして政志と別れた翌日、私は見合いをした、相手は今は無い、曳地下利家の嫡男、満夫35歳。
小太りな体型、顔一杯の吹出物は不摂生が原因だと分かった。
『写真より綺麗じゃないか』
初対面の私を舐め回す様に満夫が見る。
気持ち悪い視線に耐えながら、何とか笑顔を作った。
『健康そうね、これなら跡継ぎも期待出来そう』
満夫の母親まで私のお尻を。
吐き気を覚えながら、私はうつむいた。
食事の後、急に眠気を覚えた私が気づくと隣には裸の満夫が怒っていた。
『な...何を』
余りの衝撃に言葉が出ない。
身体の中から汚ならしい液体が流れ出ているのが分かった。
『初めてじゃないじゃないか!ふざけるな!』
抵抗も出来ない満夫に凌辱され、罵倒される。
『イヤアア!』
私は叫んだ。
こんな屈辱は無い、処女に拘るなら最初から調べろと思った。
慌てて服を来て飛び出した。
帰宅後、家族に事情を話し、被害届けを出そうとする私達に、満夫の家族は援助の話は無くなるぞと、逆に脅され泣き寝入りを余儀なくされてしまった。
これが絶望の始まりだった。
約束通り治療費と私の学費は出してくれたが、間もなく私の妊娠が発覚した。
堕胎は許されず、出産を余儀なくされた。
父は心労が祟り、身体は余計に衰えた。
そして母も気に病み病床に着いてしまった。
お腹は出てくる、そんな中での卒業式、出席なんか出来る筈が無かった。
そしてお腹の子供は女の子と診断された。
『女ですって?』
産婦人科に同行していた満夫の母親が叫んだ。
『なんで?アンタなら男を産めると思ったのに!』
『そんな...』
『もう良いわ、別の女が妊娠した子が男の子だったの、貴女は用済みよ』
『え?』
『念書を書くから、逸頭家と曳地下利家の縁談は無しにします。
手切れ金は出すから安心なさい。
あー入籍させないで正解だったわ、満夫ちゃんの籍に傷がつく所だった』
ババアの言葉に頭が真っ白になった。
悔しいが、金の前には何も出来ない。
一方的に公正証書を作成され、産まれてくる娘の認知は無し。
子供に関して、今後一切文句と、何があっても、お互い請求しない旨を書かされ、現金1000万を押し付けられた。
その1ヶ月後父が、その2ヶ月後には母と、私は失ってしまった。
その後臨月のお腹を抱え、私は遠縁の親戚を頼って、そこで娘を...志央莉を産んだ。
念書が後で役に立ったのは皮肉な物だったけど。
「逸頭さん、弓留様からお電話です」
悪夢の記憶に苦しんでいると、ホテル従業員が内線電話を持ってやって来た。
「はい逸頭です」
『紗央莉さん、直ぐ政志さんに電話をして!』
「え、なんで?」
一体どうしたというのか?
『お願い!番号は昔のままだから!!
政志さんが部屋を出て行っちゃったのよ!』
「分かったわ!」
どうなってるんだ?
とにかく私は携帯を取り出し、政志の携帯番号を押した。
未練から、ずっと消せなかった政志の携帯番号を...
「政志!」
電子音が止まり、向こうが話をする前に私は叫ぶ。
「どうしたのママ?」
初めて聞いた私の叫び声に、志央莉が飛び起きた。