史佳の懺悔
(満夫じゃないよ)
政志さんの出張中、私達は近くに住む両親の家で過ごす事が多い。
悪いと思うが、フルタイムで働いているので、つい甘えてしまう。
でも孫と過ごす両親はとても嬉しそうだから、これで良いと最近は割りきっていた。
「沢山食べなさい」
「うん!」
お母さんは食後に冷えた桃を亮二に出してくれる。
桃は亮二の大好物、嬉しそうな顔で、全部平らげた。
「じいじの桃もあげよう」
「ありがとう!」
その様子にお父さんも自分の桃が入った皿を亮二に渡した。
お父さんも桃が大好きなのに、無理しちゃって。
デザートを食べた二人は仲良く近くのスーパー銭湯に行ったから、しばらくは帰って来ない。
私は母さんとゆっくりお茶を飲みながら静かに過ごす。
こんな平和がいつまでも続くと良いんだけど...
「史佳...」
「何...お母さん?」
真剣な顔でお母さんは私を見た。
息が詰まる、どうしたって言うんだ?
「...政志さんと何かあったの?」
「え?」
なんで政志さんの名前が?
「別に何も無いよ...」
声が上ずる。
そうよ、政志さんと何もないんだ。
「それじゃ、なんで最近迎えに来ないの?」
「それは...」
確かに私が実家で過ごした後、必ず政志さんが迎えに来てくれていたっけ。
でもこの2ヶ月は一度も来てない、疲れてるからって...
「それに貴女、随分痩せちゃってるわよ」
「...う」
「今日の夕飯も殆ど手を着けなかったじゃない」
「それは...」
ここ1ヶ月食欲が無いのを気づいていたんだ。
「最初は子供が出来たのかと思った。
でも、そんな話は全くしないし」
「うん、まだだから...」
妊娠はしていない。
子作りはしているが、全くそんな前兆は無いのだ。
だって、あれから私は生理不順...亮二が政志さんの子供じゃないと知ったあの日からずっと。
「やっばり政志さんと何かあったのね」
「ううん」
とにかく否定をしなくては、絶対に感づかれてはならない。
私達夫婦の関係は良好なんだから...
「あの子...似てきたわ」
「似てきた...?」
何を母さんは...まさか...
「山内...恭平君によ」
「...え?」
母さんから出た名前に胸を突き刺された痛みが走る。
なんでアイツの名前なんか出て来るのか。
「な...なんの事?」
平静を保とうとするが、汗は噴き出し、身体の震えが止まらない。
「誤魔化しても無駄、何年アンタの母親してるとおもってるの?
小さい頃の恭平君と亮二ちゃんは...」
「あ...あ...」
山内恭平....
私の幼馴染み...ずっと一緒に過ごして来た人...二年付き合った元カレ。
「正直に話しなさい」
「言えないよ...」
言える筈か無い、言えば全てが終わってしまう。
政志さんと築き上げて来た幸せが。
「このまま隠せると思ってるの?」
「だ...大丈夫だから、母さんが心配する事にならないよ」
「そう...」
母さんはタメ息を吐き、お茶を一口含んだ。
絶対大丈夫、政志さんは亮二を疑ったりしない、あれだけ仲良くしてるし。
恐ろしい沈黙、物音一つしない室内、激しく打つ心臓の鼓動が痛い。
「そんな訳ないでしょ!!」
母さんは激しく湯呑みをテーブルに叩きつけた。
「貴女はバカなの!?
亮二ちゃんが政志さんに全く似てなくて、家の近所に住んでた恭平君の小さい頃に似てきたら、誰でも気づくわよ!!」
「でも...山内さんは三年前に引っ越したし...恭平も仕事で遠くに赴任したから...」
そうだ、私は恭平と5年前から一度も会ってない。
最初で最後のセックスをした時以来、一度も...
「それでもアンタと恭平君の関係を知ってる人は大勢居るでしょ!
そんな中、亮二ちゃんを見た人はなんて思うの?
誰が政志さんとの子供だって信じてくれるの?」
「うぐ...」
それはそうかも知れない。
私が恭平と付き合っていたのは事実。
でも、すれ違いが原因で10年前に交際は終わっていたんだ。
「なんで...恭平君と貴女は...何が不満だったの」
「お母さん...」
母さんは肩を震わせ、涙を流す。
いたたまれない、真実を話すしかないのか...
「確かに亮二は...恭平との子供よ」
「...そう」
「でも勘違いしないで、私は浮気した訳じゃない」
「...無理矢理なの?」
地を這う様な声、こんな母さんの姿は初めて見た。
「ううん...私が政志さんと付き合い出して、その事を知った恭平から連絡が来たの。やり直せないかって」
「それでセックスしてたら浮気でしょ!」
「違う!最初はそんなつもりは無かった!!」
政志さんが仕事で忙くなり、私は時折恭平と会うようになった。
でも断じて身体の関係を望んでいた訳じゃない!
だからやり直せないけど、幼馴染みとしてと...
「...まさか...一回で妊娠するなんて」
あの一回は未だに痛恨。
お酒を飲んで盛り上がってしまった私は、誘われるまま恭平の住むアパートに行ってしまった。
『なんで史佳と別れちゃったんだろ?』
『初恋なんて、そんなもんよ、恭平にも良い人が出きるわ』
『そうかな、俺は今でも史佳が好きなんだぜ』
『...冗談止めてよ』
そうだ...あの時帰れば良かった。
そうすれば、悪夢は起きなかったんだ。
『一回だけ...最後に、それで史佳を忘れるから。
そうじゃないと、俺は先に進めない』
『恭平...』
私は恭平に抱かれてしまった。
安っぽい同情、後はそのまま酔い潰れてしまい、記憶は曖昧だ。
「...避妊したの?」
「うん...多分」
本当は泥酔して余り覚えてない。
「貴女も分かってから、地獄だったでしょ?」
「母さん...」
「貴女が政志君を愛してるのは分かってるわ。
紗央莉さんから政志君を紹介して貰ってから、ずっと大好きだったもんね」
「...うん」
高校の一年先輩、逸頭紗央莉さん。
私は先輩に憧れて、東京の大学に進んだ。
紗央莉さんに誘われ、政志さんと出会った。
二人は本当に理想のカップルに見えた。
でもそれ以上に私は政志さんが好きなってしまった、紗央莉さんから奪いたい程。
だから紗央莉さんが政志さんと別れたと聞いた時は狂喜して、必死で猛アタックしたんだ...
「紗央莉さん...知ったらどう思うかな...」
「さあね、バカな後輩が政志さんを傷つけたって呆れるんじゃない?」
「...だよね」
紗央莉さんに言われたのに。
『お願い...史佳が政志を支えて上げて』
それなのに、ごめんなさい...
「恭平君も結婚してるそうだし、5年前に史佳と一回だけのセックスで責任をなんて...」
「言えないよ」
恭平が四年前に結婚したのは母さんから聞いた。
相手はずっと恭平が好きだって言ってた人だと。
その時は自分のお腹に居る胎児が政志の子供じゃないなんて、思いもよらなかった。
「紗央莉さんもお母さんしてるそうね」
「ええ」
紗央莉さんは父親の田舎に戻り、見合いをした。
なんでも相手は旧家の御曹司。
ただ相当なクズで、紗央莉さんは結納前に、ソイツの子供を妊娠してしまった。
紗央莉さんは妊娠を隠し、卒論を纏め、大学を卒業した。
でも卒業式はお腹を気にして、出なかったんだ。
『政志に酷い言葉を...』
あの時、紗央莉さんは電話の向こうで泣き崩れていた...
「とにかく、政志さんに早く言いなさい。
黙っている事は絶対に許しません」
「うん...」
「勘違いしないで、私は政志君の決めた事に従うからね。
あくまで中立よ」
「分かった」
知られた絶望、だけど僅かな安堵感...
もしかしたら許して貰えるかも。
「お父さんには私から後日伝えておくわ」
「お願い...」
いきなり伝えたら、お父さんが倒れてしまう。
だって政志さんの事を息子みたいに大切にしていたし。
「そうだ...紗央莉さんに」
紗央莉さんに相談しよう。
虫の良い話だけど、私の味方になって貰うんだ。
連絡先は知ってる、紗央莉さんは私だけに教えてくれていた。
紗央莉さんも母親になったんだから、きっと分かってくれるよね。
意にそぐわぬない子を持ってしまった母親としての気持ちを...
望みを乗せて紗央莉さんの携帯番号を発信した。
「もしもし...紗央莉さんですか?」
『史佳なの?』
懐かしい声に胸が熱くなった。