あなたから届いた一枚の便箋
私、イリス・スカーレットには婚約者がいる。この国の王子、アーク・セドリック。幼い頃、彼とはスカーレット家との関係を持つための政治的な理由で婚約することになった。
「僕は将来国王になる身だ。だから、この国をもっといい国にしたい。そのために、君にも協力してほしい」
「……わかった。私も協力する」
子供ながら開口一番そんなことを言っていたのを覚えている。そして、二人で国を良くしていこうと誓い合ったことも。
政治的な理由が発端だったけれど、少なくともお互いに国を良くしようと思っていた。だからこそ、私も妻として国のために夫を支えていこうと誓った。彼だって完璧ではない、私が支えてあげないと……。使命感にも似た思いを抱いていたのは確かだった。
そんな彼と長い時間を過ごしていると、そこに情が生まれるのも自然だと思う。それが私だけかと思っているとどうやら彼も同じようで、お互いに少しずつ惹かれ合っていった。
一緒にいるのが当たり前。離れることが考えられないくらいに、お互いが大切に想っていた。
丁度その頃だろうか。国の大事な仕事として、彼は隣国との外交のため大使として出向くこととなった。期限は決められていないようだったけれど、早くても半年だそうだ。
「国から命令が下った。私は大使として隣国に向かわなければならなくなった」
「えぇ……。聞いたわ……。あなたと離れたくはないけれど……」
「私も同じ気持ちだ。だが、こればかりは仕方ない……」
彼と離れることになるのは寂しくはある。けれど、国の命令であるため異を唱えるわけにはいかない。
彼が出立するその日、私は表情に出さないようにしながら、彼を静かに見送った。
彼は彼で隣国で国のためにすべきことをするのだろう。ならば、私もこの国で彼の代わりにできることをしなければ、彼に笑われてしまう。私も彼に負けないように頑張ろうと誓った。
彼には近況を伝えるためにも、毎月手紙を送った。仕事以外にも他愛のないことを書いたりもした。そんな手紙に対し、彼も同じように手紙を返してくれていた。場所は違っても心は一緒。そう思えて嬉しかった。
けれど、そんなやり取りが続いたのも最初の数か月だけだった。私は毎月手紙を出しているけど、彼からの手紙は返ってこなくなった。
きっと忙しくて手紙が書けないだけだろう。それか、順調すぎて書くことがないから返信しないだけ……。私はそう思っていた。
状況が変わったのはたった一通の手紙。私がいつものように手紙を送ると、久しぶりに彼からの手紙が返ってきた。
やっぱり忙しかっただけだったのね……。
あまりに音信不通であった彼のことが不安だったけど、手紙を見て安心した。よかった、無事だったんだ。安心感とともに、彼からの手紙を開く。
彼は今何をしているのだろう。そんな彼の状況を知るべく手紙へと目を通す。
他の文章よりその前。冒頭の一文。それだけがはっきりと目に入った。
『イリス・スカーレット。君との婚約を破棄する』
後の文章には色々理由が書かれていたようだけど、この時は全く頭に入らなかった。
頭の中は困惑でいっぱいだった。彼とはお互いに国を良くしようと誓い合った仲だったのに。お互い気持ちが通じ合っていると思っていたのに。なのにどうして……。
きっと何かの間違いに違いない。そうよ……。
彼の真意を質すべく、急いで手紙を送る。けれど、数日経っても返事が返ってくることはない。
もしかして、本当に彼はそう思ってるの……。
不安に押しつぶされ泣き出しそうになる。けれど、気持ちを必死にこらえる。
国王陛下なら何か知っているかもしれない……。
彼の手伝いとして王城で仕事をしていた私は、一縷の望みをかけ、陛下に拝謁の許可を取る。許可が下りたことで、私は陛下のいる執務室へと入った。
「陛下、お聞きしたいことがございます」
「うん? 何の用だ、イリス?」
「現在隣国にいるアークからこのような手紙を貰いました。陛下は何かご存じでしょうか?」
私は陛下に手紙を渡す。陛下は受け取り中身を見ると、眉間にシワを寄せた。しばらく何を言うか迷った表情をしていたので、私は陛下が何か知っていると感じた。
「知っているのですね?」
「う……む……。誠実なあいつらしいか……」
「一体これはどういうことでしょう?」
私が尋ねると、少し悩んだ後陛下は口を開いた。
「他言無用だぞ。あいつが隣国との外交を担当していると知っているな? 向こうの国と友好を結ぶためには、こちらの国の王子と婚約を結ぶのが条件と言ってきたのだ」
「婚約が条件?」
「あいつは国のためを思っている。だから、自分の気持ちよりも国のためを優先した」
国のために自らが隣国の女性と婚約を結ぶ……と。
「あいつから言い出したことだ。私だってお前たちの仲は知っている。……あいつとしても苦渋の決断だったのだろう」
長い時間が経ち、彼とはお互いに気持ちがわかる。お互いに大切に想っているし、離れたくはないと思っている。けれど、彼の根底には国のために尽くすという気持ちがある。だからこそ、迷ったのだろう。その結果、自らを犠牲にしてでも国に尽くすことを決めた。
元々私と彼も政略結婚。たまたま情が生まれただけで、本来は利益のみを優先するだけの繋がり。その対象が私から隣国に変わっただけだ。
「教えてくださり、ありが……とう、ございます」
私は重い足取りで部屋を出た。出口に振り返るときに見えた陛下の顔は、申し訳なさそうな表情をしていた。
それから数か月が経ち、彼が国へと帰国する日となった。合わせてこの日に隣国の相手と婚約を結ぶそうだ。
謁見の間に王子の無事を祝うための人がたくさん集まっていた。その中に元婚約者として私も含まれていた。
しばらくして部屋の扉が開かれる。そこには数か月ぶりに帰国したアークの姿と、恐らく隣国の王族であろう女性の姿があった。
二人はまっすぐ進んでいく。その途中で、女性が何かに気づいたように足を止め、合わせて彼も止める。女性は何故か私の方に振り向き、こちらへと歩いてきた。彼もその後を追ってくるが、私の姿を見て申し訳なさそうにしていた。
「あなたがイリス・スカーレットかしら?」
「は、はい……」
「そう……。これが噂の王子に捨てられた可哀そうな元婚約者ね」
「おい……。やめるんだ、サリナ」
可哀そうな婚約者……。確かにそれは間違っていない……。
「あら、いいじゃない? 事実なんだから」
「そうであってもだ」
彼の言葉に体が反応する。そう……彼とはもう婚約者でも何でもない。それを彼の口から告げられたと思うと、涙が浮かんできた。
「何、この子? いきなり泣き出したんだけど……」
アークは私を見て悔しそうな顔をしている。けれど、私に手を差し伸べることはしない。すでに赤の他人だからだ。
「こんな子だから彼に捨てられるのよ。アーク、行きましょ?」
「あ、あぁ……」
サリナが踵を返していく。少し迷った後、アークは彼女の後に続こうとした。
「待って!」
その言葉にアークの動きが止まる。
「あなたはこれでいいと思っているの?」
割り切ったつもりだった。仕方ないと。政略結婚とはそういうものだ。だけど、彼の顔を見ると感情が溢れてきた。返事が返ってくるとは思っていなかったが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「これが国のためだ……」
予想に反して彼から言葉が返ってくる。
「どうして? 私たちで国を良くしていこうと誓ったわよね?」
「……隣国はこれから先、この国にとって重要な相手だ。そこと関係を持つことは戦略的にも必要なことだった」
「だとしても、どうして一人で? なんで私に相談してくれなかったの! 私だってあなたの苦労を分かち合いたかった! 私はそんなに信用できないの?」
「……君には迷惑をかけたくなかった。だから、私のことをきっぱり忘れてもらおうと、一方的な書き方をしたんだが……」
一度アークは陛下の方を見る。
「知られるとは思わなかった。……君には申し訳ないことをした」
「だったら……だったら、一緒に考えましょう。これからこの国がどうするべきかを! あなたが犠牲にならなくてもいい方法を!」
「……すまない。もう、決まったことだ……」
彼はそれを最後に、サリナの所へと向かう。サリナはこちらを向いていて、今の様子を楽しそうに眺めていた。
「行こう」
未練を断ち切るように、傍のサリナを連れて国王陛下の前へ向かおうとする。
「もうよい!」
その時だった。部屋中に重々しい声が響き渡ったのは。声の主は国王陛下その人だった。
「お前たちを見ていて私もようやく気づいた。いくら国のためとはいえ、愛する者の仲を裂くのがどれだけ愚かなことかを」
陛下は決定的な言葉を告げる。
「隣国のお嬢さん。こちらの都合で申し訳ないが、今回の婚約はなかったことにしたい」
「は、はぁ? どういうことかしら?」
「そのままの意味だ。アーク・セドリックとサリナ・リンブルムの婚約を取りやめると言っている」
「それ、どういうことかわかってますか? 我が国との友好もなくなるということですよ?」
「わかっておる。その上で言っておるのだ」
「父上!」
アークが遮るように言うが。
「アークよ、済まなかった。国のためになるとはいえ、お前にそのような選択をさせてしまった。お前がどれだけ苦しんだかわかっていたはずなのにな……」
「父上……」
アークは父親の言葉に何も言えなくなった。
「陛下、これは問題になりますよ? 国を守るものとして本当にいいんですか?」
このままではせっかくの話が流れてしまうため、サリナはそうさせまいと忠告をする。しかし、
「よい。国王は国、ひいては国民を守る立場の者だ。そんな者が一国民の前に我が子たちすら守れない様では話にならん。どうかお引き取りを」
「後悔しても知りませんからね!」
それだけ言い残し、サリナはこの場を去っていった。この場には静寂が流れる。
「申し訳なかった!」
それを破ったのはアークの謝罪だった。イリスのもとへ行き、頭を下げる。
「私が一人で決めてしまったため、君にも父上にも辛い思いをさせてしまった。もっと誰かに相談するべきだった」
「アーク……」
自らが犠牲になればすべて上手くいく。国のためだけを考えればそれで問題なかっただろう。けれど、大切に想っている人がいる。ならば、一人ではなく二人で困難を乗り越えるべきだったと思う。
「でも……まだ、やり直せるわ……」
「あぁ、そうだね」
アークは陛下の方を見る。
「父上、すみませんでした」
「いい。私も国のためとはいえ一度は許容したからな。謝られるべきではない。……イリスよ。申し訳なかった」
「い、いえ。謝らないでください。こうなったのも陛下のおかげなのですから」
「この事態を起こした者として、せめてもの贖罪だ。これくらいでは足りないと思うが……」
「い、いえ。大丈夫です」
そうか、とひとまずの言葉をもらえたので、アークへと向き直る。
「アーク。これからは一人で決めないで。特に、自分を犠牲にしようとするのはもうやめて」
「あぁ、わかった」
アークは頷く。
「何か困難が起きたら私にも背負わせて。私はあなたの婚約者なんですから」
「あぁ、わかった」
アークは頷く。
「それと……。そういえば、まだ言ってなかったわね」
「何をだい?」
不思議そうにしている彼の顔に、満面の笑みで返す。
「おかえり、アーク」
彼の胸に勢いよく飛び込む。少し驚いた様子だったが、彼も優しく私を包み込んでくれる。
「あぁ。ただいま、イリス」
その光景を見ていた人々から、溢れんばかりの拍手が送られる。
こうして、私たちはたくさんの人たちから祝福されたのだった。
こんな話も書いてます。よければ見てください。
「婚約破棄代行者 ~学園に通う陽気な少女、裏で日々依頼に奔走す~」
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