4 最低限の義務を果たしたのに奪われたもの
思いがけない人との面談を終えてから数日。
「陛下。お話があります」
国王専用の執務室を訪れると、アルテュール様は迷惑そうな顔で私を出迎えた。
アルテュール様は、私が誰と会っていたかなど、全く興味が無い様子だ。
おそらく、知ろうともしていない。
今日はそんな彼に、伝えなければならない事があった。
彼に対する、私の最低限の義務だ。
「マヤさんの散財が目に余ります」
それを言葉にすると、すぐ様舌打ちされた。
「たかがその程度の事で、この俺を煩わせるな」
「マヤさんが使うお金の財源がどこからくるものか、ご存知ですか?」
「貴様が贅沢をしなければ、その分でマヤが使う金額くらい工面できるだろう」
「何故、私の実家のお金をマヤさんのために使わなければならないのですか」
その言葉の意味をちゃんと理解したのか、アルテュールは視線を逸らした。
つまり、彼は知っていて私の実家のお金をマヤに使ったのだ。
私の存在を否定しながらも、私の実家のお金をあてにしているのだから、呆れてものも言えない。
冷静にと、自分に言い聞かせる。
「今年は不作の年となります。王家は国民に寄り添っているのだと示すためにも、マヤさんが公に見せる姿は考慮された方がいいかと思います」
それは、本当に心配していることだった。
マヤのせいで、国民から王家に対して反感を抱かれるのではと。
すでにその兆候はあるのだから。
小さな火種を放置すれば、やがて大きなものになる。
「俺に相手してもらえないからと、醜い嫉妬を見せるな。はんっ!マヤが注目される事が許せないのだろう。浅ましい女だな。貴様のせいで俺とマヤの人生は狂わされた。結婚すれば、俺がお前のものになるとでも思ったのか」
でも、私の言葉はアルテュールには届かなかったようだ。
今度は自分にとって都合の悪いことを誤魔化すように声を荒げて言った。
それこそ言いがかりで、支離滅裂なことだ。
「何度も申し上げましたが、陛下は誤解なさっています。私達の結婚は私達の両親が話し合って取り決めたものです。そこには私の意思などいっさい考慮されていませんし、私との結婚がなかったとしてもマヤさんは正妃にはなれません。私が妃にならなければ、他の高位貴族の令嬢が貴方の妃になるだけです。もっと、現実を見つめてください。このままだと、マヤさんにとっても取り返しのつかない事にっ」
その瞬間、パンっと乾いた音と共に、頬に衝撃が走った。
勢いで体をよろめかせ、ジンジンと痺れたように痛む頬に思わず手を添える。
あまりに突然のことに、驚いて言葉を失い、呆然とアルテュールを見たのだけど、それはほんのわずかな時間のことではあった。
「貴様はマヤを貶めた。この程度で許された事を感謝しろ」
憎々しげに私を睨みつけ、自分の行いが正しいのだと傲慢に振る舞う目の前の男の様子に、ああ、この人はもうダメだと、完全に諦めがついた瞬間だった。
そんな仕打ちを受けても、アルテュールの前では表情を引き締めて、毅然とした態度を取り続けていた。
私に落ち度は何一つ無いのだと、無言の抗議をする為に。
そんな私の態度も気に入らない様子だったけど。
「身の程を弁えろ。貴様が俺に意見するなど、許されないことだ」
アルテュールは誇示するように傲慢な態度をとり続け、口角を歪に持ち上げ、私に嫌味な視線を向けてきた。
「そうだ。いいことを思いついた。貴様の侍女をマヤの専属とする。たしか、ジャンナといったな。敬われるべきマヤに人手が足りないから、ちょうどいい」
「そんな、ジャンナは公爵家から連れてきた侍女です。いくら陛下といえど、それは聞き入れられません」
まさか矛先がジャンナに向くとは思わなかった。
私の焦りを感じ取ったのか、アルテュールはさらに強気な態度となり、
「うるさい!!今日中にマヤの元へ向かわなければ、罰を受けるのは貴様の侍女だ」
それ以上私に反論の機会を与えずに、突き飛ばされるように、部屋から追い出されていた。
ハッキリと物事を言いすぎて、彼のことを煽ってしまったのかもしれないと後悔した。
でも、それでも、こんな風に暴力を振るうとは思わなかった。
それに、ジャンナを巻き込んでしまって……
部屋を出ると、廊下で控えていたジャンナがすぐに駆け寄ってきた。
「ヴァレンティーナ様、すぐにお顔を冷やしましょう」
私を支えるように腕を伸ばしたジャンナを制して急いで部屋に戻ると、彼女に伝えるべき事を伝える必要があった。
自室では、他の侍女達も心配そうに私の周りに集まって来たけど、その中でもジャンナを正面から見つめた。
王家に嫁いでから、ジャンナの自慢の金髪に陰りがあるように見える。
それだけ苦労させてしまっているのだ。
少しだけ年上のジャンナがまだ若いのは当然のことで、そしてとても綺麗な容姿をしている。
姉のように思っている彼女に、これ以上の苦労をかけたくはない。
彼女には彼女の幸せを見つけてほしい。
「貴女は今すぐに公爵家に戻って。公爵家に帰ってしまいさえすれば、手出しはできないのだから」
「それは、何故ですか?」
ジャンナは酷く驚いた表情を見せた。
「貴女をマヤの侍女にしろと、陛下から命令されたの。従わなければ、ジャンナが罰を受けると」
それを伝えると、ジャンナは不安がるどころか、トンと自らの胸を叩いて笑ってみせた。
「大丈夫ですよ、ヴァレンティーナ様。むしろこれは好機です。私がマヤの元に行って状況をお知らせします。それで、マヤを蹴落とす弱点を見つけましょう」
その言葉に、慌てたのは私の方だった。
「そんなことはしなくていいの。必要のないことよ」
「私よりもヴァレンティーナ様の方が心配です」
「お母様に仕えていた侍女の方々がいてくれるから、心強いことよ」
それには、周りにいた侍女達が頷いてくれた。
みな、ベテランの信頼できる人ばかりだ。
「だから、私は大丈夫。ジャンナ、本当に平気なの?」
「お任せください。ヴァレンティーナ様が耐えなければならない期間が平穏に過ごせるように役に立ってみせます」
「心強い言葉だけど、危ないことはしなくていいのだからね」
わかってくれたのかどうか、ジャンナの輝くような微笑みからは読み取ることはできなかった。