飢えを凌ぐために
『マルクの実』は、セイヨウナシのような形の果実を
ギタトの翼は、コウモリの翼のようなものをご想像ください
私の体力は、魔力と密接に関わっているのかもしれない。
建物や町の一部を破壊し、一時は魔獣さえ吹き飛ばしてしまったほど強力だった私の魔力も、空腹のまま数日歩き続けて体力が底をつきかけている状態では、満足に使える量さえも残っていなかった。だから、身体が今よりも成長していき、体力がついてくるようになれば。
いつかは、もっとたくさんの…傷付いた魔物達を治療してあげられるのかもしれない。
「…ふぅ……。」
「ミサオ?だいじょうぶなの?」
「ミ・サ・オ?ダ、ジョウブ、ナノ?」
私がそんな魔力で初めて治してあげられた二人の男の子は、とても心配そうな顔で見つめてくる。
「うん、大丈夫だよ。ギタト、ジユウ。」
身体を横にしながらも私は、二人の頭を優しく撫でてあげた。
そして私達が二人から三人になってから、はや丸一日が過ぎ去った。
その場で横になりながら出来る限り身体を動かさず、果実で飢えを凌いでいたら、少しずつ楽に動ける程の体力が戻ってきたのを感じていた。そして、それと同時に自分の身体に内在する魔力も戻ってきているのが分かる。
「うん、これなら…もう大丈夫そうね。」
「ミサオ!」
「ミ・サ・オ!」
私が身体を起こしたことに気が付いたのか、離れた場所に居た二人が足早に駆け寄ってきた。
「ゴメンね、心配を掛けて…ギタト、マルクの実の残りはあとどれくらい?」
「ギゥ!……まるく、のこり、すくない。」
ギタトは深刻そうな顔で、そう私に報告してくれる。
私の渇きと飢えを満たしてくれたあの果実に、私は『マルク』という名前を付けた。
あの果実は、身体に栄養を与えてくれるのと同時に、ほんの少しだけ魔力までをも回復させる効果があるのだと分かった。先日持ってきたパンを食べた後とでは、魔力の回復が桁違いに違っていたからだ。魔力が…と呟く私の言葉をジユウが反復したとき「マ、ルク」と舌足らずに言っていたのを耳にして、なんだかその語感の可愛さが気に入り適当にそう名付けたんだ。
「そう…もう食べ尽くしちゃいそうなのね。」
そうはいっても、残りが少ないと分かっていても…当然お腹は減り、喉も渇いてくる。
「ご飯を食べないと……。」
「ギゥ!」
私のご飯という言葉に反応したのか、ギタトは勢いよく飛び立ち、そしてまた上手く宙に浮かぶようにして果実を集めてきた。
「これで、まるく、ない。」
「あっ……そっかぁ、これでついに最後なのね?」
「……ギゥ。」
ギタトも、残念といった表情を浮かべつつ、手に持つマルクの実を私達とジユウに渡す。私とジユウは、ギタトから果実を受け取ると思わず合掌してしまっていた。といっても、ジユウは私の仕草を真似ただけだ。
「いただきます!」
「イタダ、キマ、ス!」
マルクの実をがっつく私達に対して、ギタトは呆れたような表情を見せた。
「……ミサオ、たべもの、かじつ。ジユウは、まものたべた。」
不意に自分の名前を呼ばれたジユウは、果実を口に入れたまま不思議そうにギタトを見つめている。
「ガウ?」
「ジユウ、まものたべた。ミサオ、まものたべない。」
苛立つようなギタトの声に、思わず彼は縮こり弱々しく声をあげている。
「ガウゥ……クゥゥゥ……。」
「あっ…そうか!ギタト、ジユウを怒らないであげて!」
「ギゥ?」
そうだ、どうして気が付かなかったの……。
ギタトもジユウもその姿になってまだ慣れてないはずなのに、私みたいに果実だけで飢えが凌げる訳がないんだ。ギタトは元は生き物の血液を食料とした魔物で、ジユウは肉食の魔獣だったんだから。だからジユウが、私が休んでいる間に魔物を狩って食べていたとしてもなんら不思議じゃない。
「ジユウ…いいの。お腹が空いたんだよね?」
私は持っていた残り少ない果実を全て渡すと、ジユウは嬉しそうにそれを受けとる。
「……アオォ、カジツ……。」
「ジユウ、『ありがとう』『いただきます』いう、ミサオに。」
「ウゥー……。アリ、ガト……イタダキ……マス。」
ギタトの言葉にジユウは申し訳なさそうに耳を下げながらも、とても美味しそうに果実を貪っている。
ジユウはこれで今はお腹が膨れるかもしれないけど…今度はギタトの飢えも満たしてあげないといけない。
そう思った私は、ギタトの前で服の袖を捲り腕を露わにして見せた。
「ギタトも、ほら……貴方は血液が主食だったんだから、私の血を吸って?」
「ギゥ!?ミサオ、ち、すう、だめ……。」
腕を囓り易いように肩まで捲ってみせた私に、ギタトは首を大きく横に振って狼狽える。
「ゴメンねギタト…あなたがとてもお腹を空かしてるかもって、頭が回ってなかった私を許してね。」
「ギイィィィ……ミサオ……ごめんね、ミサオ……。」
やがて魔物としての本能に抗えなくなったのか、ゆっくり私の傍に寄ると、大きく口を開けて腕にその牙を突き刺した。そして私の血を少しずつ吸い取っていく。
「んっ!……んんっ……今は、これでどうか我慢してね、ギタト、ジユウ。」
「……ンンン、みひゃお、みひゃお……。」
「ミサオ……ジユウ、ガマン…………。」
人族の子供が我慢から解放されたときみたいに、ギタトとジユウは目に涙を溜めている。
私が自分達の飢えを満たそうとしてるのを理解し、そして申し訳なく思ってくれているのが分かり、胸が締め付けられる思いがした。
「いいの…今は二人の空腹を満たせられればそれでいいんだからね。」
この先も二人が飢えに困らないように…私がなんとかしなきゃいけない!
私は二人の頭をゆっくりと撫でながら、そう決意を固めた。
まだ少しクラクラする頭を振ると、私は周囲の森を見渡した。
私が住んでいたミシルの町から離れ、森の中にあったあの洞窟に辿り着いたのは、日が昇った回数から考えて二日ほど。そして洞窟での夜明けからこうしてまた森の中に来て丸一日…つまり合わせて三日間ほどが過ぎてる。ということは現在、結構な森の奥深くにいると考えて間違いなさそうね。
「闇雲に歩き回ったんじゃ、あっという間に体力が尽きちゃう……か。」
どうにかして、この森を抜けることが先決だわ。それにはまず、私達の現在の居場所を把握することと、進む方向を見失わないための目標物を見定めることが必要不可欠になる。とはいっても、この周りを見回しても木々しかないこの中でどうやって――。
「ミサオ……。」
これからどうするか不安なのか、あるいは苦心する私を心配してくれたのか、ジユウがおずおずと声を掛けてくる。
「……ジユウ、ミサオ、だいじにする、がまんする。」
「ガゥ?……ミサオ、ダイジ。」
ん?なんだろう?
ギタトとジユウの二人が、顔を見合わせて何かを話し合っている?……ううん、まだ完璧に言葉が通じ合ってはいないみたいだから、何か視線や身体の動きのみで、意思の疎通を図ろうとしてるのかな?…そうだ、身体と言えば、なるべく早く二人に何か服か何かを着せてあげなきゃいけないなぁ…。
いつまでも、二人のオトコノコを見ちゃうのはイケない気がするし…それに、まだ身体の一部分に微かに残る魔物だった跡みたいなのも隠してあげないと…。
そう思って、ギタトの背中部分に目をやった時だった。
「……あれ?ギタトの背中のそれ……。」
「ギゥ?ミサオ?……せなか。」
私の視線と言葉に反応したように、ギタトが自分の背中を私に向けてくれた。
「あっ!やっぱりそれ、大きくなってる!?」
「それ?……ギゥ?」
私の『それ』というのが何か分かったようで、背中のそれを見せつけながら動かしてみせる。
ギタトの背中に生えていた小さな翼が、身体の横幅から少し出て見える程に大きくなっていた。……もしかして、さっきまた魔力を注入した影響で、さらに進化が進んだってことなのかな?そういえばさっきから、言葉遣いも少しだけ流暢になってきているのにも何処か気が付いていた。
翼が……ひょっとして、さっきまでよりも高く飛ぶことが――。
「――あっ!」
私は自分が立つ場所から、真上を見上げた。
まるで円を描いたように丸くぽっかり空いた頭上から、綺麗な青空が見えていた。さっき自分が真上に向けて放った風魔術で空いた穴だとすぐに分かる。
「そうか…空から!!ね、ねぇギタト!」
「ギゥ?」
「えっとね、あなたの翼で空へ……あの、あなたのそれで、上に――。」
私は身振り手振りを添えて、自分がしてほしいことをギタトに伝えようとする。
だけどすぐ、その手段には無理があるかもしれないと思い至る。
「――っ、ダメだ……。」
「ギゥ?」
もし想定通りにギタトがあの穴から上空へ出られたとしても、その目で見たものを理解し、そして私達に説明をするのが今のギタトにはとても難しそうだ。何度か同じ事をすれば少しは分かってくるかもしれないけど、そんなに何回も飛行が可能なのかどうかも分かんない……ひょっとすると、結構体力を使わせてしまうかもしれない。
だから同じ上空に行くにしても、私自身がその目で見ないことには意味がない。
「うーん……ギタト、えっとね、私を…こうして――」
今度はギタトに、私を後ろから抱きかかえるように説明する。
「ギゥ……ミサオを、こうして?」
「ふにゃぁ!?」
後ろから回されたギタトの手が私の胸元に触れて、思わず声を上げちゃった。
「ギゥ!?ミサオ!?」
「あっ!ご、ゴメン!なんでもないの……。」
ビックリして手を離したギタトに、私は思わず頭を振って謝った。
な、なんだろう今の……?ギタトに、お胸を掴まれたと思ったら、自然と変な声が出ちゃった。なんだか顔まで赤くなってきちゃったけど、ギタトは私の言った通りにしてくれただけだもんね……。
「な、なんでもないから、ほらギタト…こうして抱えてみて?」
「……ギゥ。」
ギタトも彼なりに何かを思い至ったのか、さっき掴んだ箇所から少し下の辺りにおずおずと手を回す。
「う、うん…そう!それでね、こうしたままで、上に……飛べる?」
その姿勢のまま、私は上空を指さしてギタトにその場から飛ぶように促す。
「こうした、まま…うえ、とぶ。」
私の言った言葉を反復したあと、ギタトは背中の翼をパタパタとはためかせながら上を見上げた。そして、地面を蹴るようにして一気に上空へ――。
「――うわっ!!わっ!わっ!うわあぁぁぁーーー!!」
ゆっくり地面から離れていくような想像をしていた私は、もの凄い速度で地面から離れて上へと舞い上がっていってしまい、思わず悲鳴を上げてしまった。
「あ、あわわわわ……うわぁぁぁ……た、高い…高い…高いぃぃぃ!」
「ミサオ!ミサオ!?だいじょうぶ!?」
「あっ……。」
大声で呼ぶギタトの声に反応して、ずっと下を向いていた私は思わず顔を上げた。
そこには――。
「――え。」
森の木々よりも高い場所から見たその視界の先には。
「ふあぁぁぁ………………す、凄い!な、なにこれ……広い、とっても広いよ……!」
果てしなく広がってる空と、そして自分が彷徨っていた森と、そしてその先には大小様々に連なる山々が見えていた。
その広大な景色が目に映った瞬間。
それまであった感情が、全て一瞬にしてこの景色へと吸い込まれるように消えていった。
三人の冒険はもうしばらく続きます