その少年は笑わない
自身初のファンタジー作品になります
その少年剣士は、笑わない。
たとえ自分が秘宝を見つけても、賞賛を受けても、例え己に襲いかかってきた怪物を苦もなく打ち倒したとしても、決して笑うことが無い。
「……これで、町を脅かしていた魔物の討伐依頼は完了ですね、ミサオさん。」
鬱蒼とした森の中。
彼は右手に握る剣を振るって血糊を飛ばし、左手から放出していた火の魔術を自ら打ち消す。そして最後に、若き剣士は私に確認するように話しかけてきた。
「えぇ。あとは依頼主に報告するだけだと思いますわ。」
私がにこやかに答えても、決してその少年らしい無垢な顔を綻ばせることはない。成し遂げたことを喜ぼうとはせず、表情はずっと変わらないままだ。
「そうですか。無事に終えられてよかったです。」
そうして彼は、無表情のまま静かに頷く。今だって、顔色一つ変えずに武器の歯こぼれが無いか確認しているだけだ。
……あぁ、本当にもどかしくて仕方がない。
本当にどうすれば、この少年から笑顔を引き出せるのかを知りたい。いたたまれない気持ちになり、私は今日も両手を広げて彼を褒め称える。
「凄いですよ、キア君!また一つ、立派に魔術を使いこなせるようになりましたね。さすがです!ご褒美に、私が良い子良い子して褒めて差し上げ――」
「いえ、そんなことはないですよ。ミサオさんのようにはとても魔術を使いこなせていませんから。」
普通の少年なら喜んで私のもとに飛び込んできても可笑しくない。けれど、その少年―キアはそんな素っ気ない言葉を溢しながら、無意識の内に私からの抱擁を躱してしまう。しかも、剣は握ったまま。拒絶された様で、とても悲しい……。
「あっ……。そ、そうですか……。」
「……?いえ、これは……。」
私が落胆し、キアが不思議そうに首を傾げる。そうしていると、木々の間から足音が聞こえてきた。この時々飛んでいるかのような足音は、彼しかいない。
「……周囲を確認してきた。残敵はいなさそうだ、もうこの一帯に魔物は生息していない。」
そう私達に伝えに来たのは、剣士ギタト。キアと私を含めた四人の仲間の一人だ。
「よかった……。ありがとうございます、ギタトさん。」
ギタトからの言葉で、また少し安堵したのだろう。キアは少し深い溜め息を溢しながら、ようやく剣を鞘へと収めた。
「……ふむ。警戒を緩めずにいたのか。良い心がけだ、キア。」
「はい、ミサオさんの守護を任せていただいた以上は、と……。」
「っ……!うぅう~~~!」
キアのその言葉を聞いて、私の胸が打ち震える。
う、嬉しい…!彼が私を護ろうと思ってくれていたなんて!さっきの回避も拒絶なんかじゃない、隙を生じて私を危険な目に遭わせたくなかっただけなんだ……!たとえ表情は変わらなくても、キアの心根が優しいのは間違いが無い。よしんばそのやさしさの源が任されたことを成し遂げるためという一心だったとしても、そこまで思ってくれる気持ちが、私にはたまらなく嬉しかった。
「……キアよ、先程の得物を持った魔物と一合交えていたな?遠巻きながら、私もその時のお前の剣筋を見ていた。」
「はい。」
「……っ……!」
恍惚な表情を浮かべ、無意識にキアを抱きしめそうになっていた私は、ギタトの声にすんでの所で理性を取り戻していた。
「剣筋を見れば、私が教えたことを研磨し昇華させているのがよく分かった。お前の剣裁き自体の成長速度には目を見張るものがあった。」
そこまでは満足げ、とまではいかずとも納得するようにギタトは頷いていた。けれど次の瞬間、彼は目に不満げな色を宿して鋭く問いかける。
「……だがなキアよ、お前は最初の一瞬、剣を持つ手を震えさせていたな?おそらく無意識だろうが、相手の気迫に押されてしまっているのは見過ごせぬ。これよりさらに上位の者…例えて言うなれば、闘気を纏った剣を構えるような相手と対峙した時に、それは命取りになりかねん。強くなるためには技術だけじゃない、胆力も身につけていかねばならぬな。」
ギタトはこの世界でも指折りの、『達人級』と評される剣の腕前を持つ。彼に剣術のことで異を唱えられる者はまず居ない。故に駆け出しの剣士であるキアも、彼の的確な助言には素直に従っている。当然私も口を挟む余地がない。
「やはり……そうですよね。その点は自分でも気になっていました。」
キアも少しだけ悔しいのだろう、どことなく唇を噛みながら悔しさを滲ませている。けれど、それを見ていたギタトは不満げな表情を消し、また何時もの穏やかな口調でキアを諭した。
「フッ……だが、胆力は場数や経験で身についてくるもの。焦ることはない、お前も少しずつ身に着けていけばよいだろう。」
「……はい、精進していきます。」
何一つ反論することないキアには、彼も教え甲斐がありそうだ。……私もあんな風に、ほどよい距離感で魔術を教えてあげたいんだけど、どうしても密着したくなってしまう。こういうところだけは、まだまだ彼に及ばないなぁ。私が悶々とした気分でいると、私達の真横から、豪快な大声と巨体が私達の方に向かって飛んでくる。
「おぉーい!ここから、依頼主の居る町までの近道を探してきたぜぇ!入口に戻るより、ずっと楽に町に戻れるぞ!」
そう叫ぶ彼は、拳士ジユウ。
全身を獣の体毛を模したような服に覆われた彼は、ギタトに並ぶ私達の仲間の一人だ。
「ジユウ、お疲れ様です。これで夕方までには、町に戻れそうですね!」
私はジユウに向けて大きな声で返すと、キア達を伴ってそちらへと向かった。
「……っはは!やっぱり俺の出る幕はなかったなぁ!まぁ、ミサト殿がついていれば、あの程度の魔物達なんぞ恐るるに足らんのは当然だがなぁ!はっはははははは!」
私達が近づいていくと、ジユウは愉快そうに笑い出す。
「その意見には概ね同意だ。だが、戦闘中に一人で離脱するとは、貴様という奴は――」
冷ややかな目でギタトが睨むと、彼は慌てた様子で弁解を始めた。
「あぁ、いやぁギタト殿!俺は敵前逃亡したワケじゃねぇんだぜ?ミサオ殿が楽しそ――……いや、せ、戦闘中の万一のため、退路は常に確保する。……それも立派な戦術でありましょう?」
言っていることは筋が通っているが、半分は見苦しい言い訳だ。また今日も彼の悪癖が出てしまったのか。私は溜め息をつくと、ジユウに静かに詰め寄った。
「確かにそれは立派な戦術です。……だからって、私達を完全に放っておくなんて……。せめて横から援護位は――」
「そりゃあ俺も思ってたんですがねぇ。ただ、二人の戦い方を後方から見ていて、折角だから見定めさせていただいてたんですよ?」
私達の言葉を遮るように、ジユウは語気を強めてそう言う。
「修行を始めて大分経つ。……俺が教えた体裁きと体術がちゃんと身についてるのか、この目で見定めさせてもらってましたぜ。なぁ、キアよ?」
未だに何処と無く言い訳がましさが滲み出ているけれど、キアは彼の意図を汲み取ったらしい。彼は何処と無く冷や汗を垂らしているかのように見えるジユウへ、静かに質問を投げかける。
「なるほど。……僕に試練を課してくださっていたのですね。それで……僕の体術はいかがでしたでしょうか?ジユウさん。」
その言葉を聞くと、ジユウは安堵したような息を漏らした。そして数秒考え込んだあと彼はキアの手足を指差して叫んだ。
「そうだな。実践しようとしてたのはよく分かった。……けどな、お前は体幹が未熟だから、まだ拳にも足にもしっかり力が籠もってねぇんだよ!良いか?ただ拳を当ててるだけじゃ、相手になんの影響も与えられねぇんだ。逆に、体幹鍛えて正しく力を込めたら、こんな拳でも……!」
彼は突如、後ろの樹木に裏拳を放つ。見ている限りでは幼い子供が挙手するくらいの勢い。なのに拳が当たった途端、鈍い音を響かせて拳の周囲の幹が砕け散ってしまった。
「……まぁ、剣を片手に持ちながらの体術ってのは重心が取りづれぇのも分かる。だから、そーいうのはキチンとした型が出来てからってこった。体幹がブレて、自らの攻撃でバランス崩しちまってるのはまだまだってこった。俺なら例え得物を持ちながらだって、それの重さに負けちまうことはなかった。だろ?」
「はい……ジユウさんのように、全く姿勢を崩さない域にまではまだまだ…。」
拳を震わせて答えるキアに、ジユウは豪快に笑いながら勢いよくキアの肩を叩く。
「そりゃそうだ。こんな技、一朝一夕に身につくもんじゃねぇぜ!俺だって、ここまでなるにゃ苦労したんだ、はっははははははは!」
ギタトが「剣の達人」なら、ジユウは「拳の達人」だ。武器を持たない無手での戦闘や体術において、ジユウの右に出る者なんて滅多に現れる事はない。一見滅茶苦茶に見えるその言葉にも、想像も出来ない程の並々ならぬ研鑽を積み重ねてきたという自負がある。その確かさは体術の素人である私ですら確固たる根拠を感じさせるものだ。キアが大人しく耳を傾けているのも納得できる。
けれどもジユウは、自分の右拳を見つめながら、深々と溜め息をついている。
「だけどなぁ……。お前を見てて、俺ぁ正直ちょっとだけ悔しいって思っちまったよ。」
「……悔しい、ですか?」
キアが首を傾げると、ジユウは鼻息を荒くしつつも静かに頷く。
「あぁ。……体術や体幹はともかくよ、体裁きに関しちゃお前の成長速度は驚かされっぱなしよぉ。俺がお前に本格的に教え込んでからまだ三日かそこらしか経ってねぇってのに、あの体裁きや連続の駆動を…彼処まで完璧に使いこなしやがって。ありゃあ俺が…いや、俺達拳士が一ヶ月かそこらかかってやっと身に付くモンだってのに。……一体、どうなってやがんだ?お前のその化け物じみた飲み込みの早さはよぉ。」
所々に妬みを滲ませるジユウ。それを見て、隣のギタトもふと考え込むような表情を見せた。
「……成る程。確かに貴様も私と同じ事を思っていたらしいな。ここまで教えたことをすぐに活かされると、こちらの気分も高揚するのも分かる。……そして同時に、その才能に嫉妬してしまう、と言うのもな。」
「はっははは!だから言いましたでしょう、ギタト殿?キアほど鍛え甲斐のある奴は他にいねぇって!」
大の男同士がじゃれ合うように話していると、キアがそんな二人を見ながらふと呟く。
「そんな、折角教えてくださってるお二人をガッカリさせたくない一心で…僕の力なんて、些細なものです。……きっと、ギタトさんとジユウさんのお手本が凄いからだと思いますよ?」
キアの声のトーンは、少し高くなっていた。
二人から惜しみ無い賞賛を受けて、何処と無く嬉しいのだろう。端からみても、それは分かる。……なのに、やはり彼の表情は綻ばなかった。
「キア君、ギタトとジユウの言うとおりです。教えたことをすぐに吸収してくれる貴方の溢れる才気には……私もずっと驚かされっぱなしです。」
実のところ、ギタトとジユウの気持ちは、私にだってよく分かっている。
私が彼に魔術を教え始めたのは、仲間として一緒に旅をするようになった最近のこと。出会ったときの彼は魔術の基礎すら身についておらず、詠唱すらもおぼつかない有様だった。だから私もそんな彼に庇護欲を刺激され、親身になって魔術の成り立ちから基礎に至るまでを文字通り手取り足取り教えてきた。それでも魔術を構成するには、自身の中にある感覚と自然の原理を理解し操る技術が必要になる。常人なら、魔術の体得には半年かけても身に付かないだろう。
ところがキアは、魔術を教え始めてからの僅か数日で、初級魔術の原理や感覚をほぼ掴み始めていた。幾ら私が分かりやすく教え込んだとしても、ほんの数日でそれを身に付け始めていたのである。驚くべきそのセンスと勘の良さ。このまま成長したら、私の本懐に敵うだけの力を器を身に付けてくれるだろう。
「あっ……いいえ、それもミサオさんの説明の仕方がお上手だからですよ。僕なんてまだまだ……。」
そう答える無表情な彼の瞳には私が写り、そしてほんの微かに口元を弛ませているように見えた。
「うえっ!?……うぅ~~~っ」
例えそれが私の錯覚だったとしても、抱擁を我慢していた私を勢いづけるには充分だった。
「もぉ!キア君可愛い!良い子良い子!大好き!!」
二人に言ったような尊敬の言葉を、キアは私にも向けてくれた。それを聞いて、私はいてもたってもいられなくなり、思わずキアに抱きついてしまった。
「み、ミサオ……さん?」
私は前後不覚に陥る勢いで彼を抱きしめ、頬擦りをする。きっとギタト達は呆れたように溜め息をついていることだろう。それでもキアの表情は無表情のまま、変わることはなかった。
……何時の日かこの少年の失った表情をはっきり顔に浮かび上がらせよう。彼の心の奥に潜り込んだ喜怒哀楽の感情を素直に溢れさせる時が訪れるまで、私達は彼と共に旅を続けていく。
……例えそんな彼を、最後に裏切ってしまうのだとしても。
そんな身勝手な私の気持ちを。キア、君は何処まで受け止めてくれるだろうか?
同じ日の夜。
町に戻り依頼主に討伐完了の報告を済ませた時には、もう日が暮れていた。本来ならばその町で宿を取ればいいようなものだけど、私達にはそれが出来ない大きな理由があった。
「……それでは皆、今日はこの辺りで野営をするとしましょうか?結界術を施します」
街道からそれほど離れていない森の開けた場所に着いた私たちは、野営の準備を始めた。
「いつもごめんなさい。私のせいでいつも野宿になってしまって……。」
「気にしないでください、ミサオさん。空を見ながら寝るの、僕は大好きですよ。」
……彼には私が部屋のような閉所では安心して寝ることが出来ない、と言っている。無論それは嘘なのだけど、彼はそれを素直に信じてくれている。ちょっとだけ心苦しいけど、隠している真実に比べれば些細なものだ。
魔よけの術式を構築し、夕飯を取っていれば、随分と月が高く上がっている。大人の三人が交代で見張りをするからゆっくり眠るように告げると、キアはその言葉にも素直に従い、熾火から少し離れた所ですぐに横になり静かな寝息を立て始めた。
「……キアはもう、寝入りましたか?」
共に熾火を囲んでいる二人に問いかけると、ギタトの声が返ってくる。
「……あぁ。すっかり寝入っている。やはりまだ子供なのだろう、あいつは寝付きがよくてありがたい…ですな。」
「そう。寝付きが良いのはいいことだわ。ところで……。」
私は腕と足を組み、周囲を見回しているジユウに目を向ける。
「ジユウよ。周囲に魔物達の気配はあるか?」
私は声色を変え、本来の口調で問いかけると、それに呼応するようにジユウも口調を変え、小声で返答する。
「ああ、ねぇな……いえ、御座いませぬ。」
その声を聴いて、妾は静かに笑みを浮かべた、
「ならばよし。術式も正常に機能しておるようだ……これだけ離れていれば、妾の声がキアの眠りを妨げることはあるまいな?」
「はっ。まず届くことはないかと思われます。……ですが念には念を入れ、なるべく声を抑えた方がよろしいかと。」
声を落としたジユウに同調して、妾も静かに頷いた。
「……そうだな。なるべく小声かつ短時間で行おう。さて、今宵も始めよう。我らの指針である『勇者の騎士育成計画』を。」
妾がそう呼び掛けると、二人は妾に向かって跪き、その忠義を示すかのように頭を垂れる。
「ハッ…畏まりました、ミサオ様。…いえ、我らが唯一の王よ。」
「我らの全ては、貴女様のご意向のままに。」
「「魔王、ゼルドモアリス様!!」」
……そう、我らは二つの顔を持っている。
昼の顔は若き剣士を一人前の勇者とすべく共に旅をする魔術師とその仲間達。
そして夜の顔は、我に仇名す筈の勇者を育てる奇特な魔王と、その愛しき二人の部下。
私、ミサオ・モアの…我のもう一つの名は『ゼルドモアリス』。
この世界を統べる、魔物達の王である。