シェレス公爵家の報復
国軍の参謀官ケーリッヒ・シェレス。
父の宰相の後を継ぐことなく軍に入隊したが、直ぐに頭角を表した。
公爵家が嫡男に施した教育は、軍の中核部隊に引き抜かれ才能を発揮し、参謀司令官直属となった。
剣技だけでなく、国際情勢、外国語、幅広い知識、深い教養、最年少で参謀司令官になると目されている。
ミッシェル・ビスクス、学校を出て第一部隊に配属されたばかりの新米武官である。
学校を卒業したことで、エヴァンジェリンとの結婚が進められていたのだ。
貴族の子弟は卒業後、王宮に武官か事務官として出仕する者が多い。ミッシェルもその一人であった。
王宮で何年か実務を学び、人脈を形成した後、領地経営に入る予定だ。
ケーリッヒは参謀指令室で、ミッシェルが軍に登録してある人物証明書を見ていた。
僻地の砦に飛ばすのも、貴族子弟が最初から持っている士官の官位を取り上げるのも簡単に出来る。
だが、軍でのミッシェルに瑕疵はない。
あからさまな降格は、軍全体の士気を下げる。
ならば、ミッシェルの汚点を作ればいい。
ニヤリ、と笑ってケーリッヒはミッシェルの書類を机の上にポンと投げ捨てた。
エヴァンジェリンは吐血して倒れたのだ。
決して許すことなど出来ない。
シェレス公爵は、エヴァンジェリンの婚約破棄の書類と新しい婚約の申請書を提出した。
これは、王の目につく前に王の補佐である王弟が処理して、王には見せないだろう。
婚約破棄はいいが、新しい婚約は王にとって大きな脅威と認識されると認可が降りないからだ。
それを終えると、ビスクス伯爵家宛てに請求書を用意した。
原因がミッシェルの浮気である限り、免責はありえない。
公爵家は共同事業に供していた資金を引き揚げる。
事業契約の凍結、それに伴う損失がどれ程でもかまわない。
シェレス公爵家より、ビスクス伯爵家の損失の方が巨額だからだ。
請求するのは、エヴァンジェリンへの慰謝料だ。損失と慰謝料、伯爵家の体裁を保つのも難しくさせてやろう。
エヴァンジェリンが街のカフェで倒れた事で、ミッシェルの浮気の目撃者は多く存在する。
シェレス公爵家に見限られ、契約相手を裏切ったビスクス伯爵家に支援の手を差し伸べる者はいないだろう。
ましてや、エヴァンジェリンが王弟と新しい婚約を結べば、ビスクス伯爵家は王派に入るしかない。
王と一緒に没落してもらおうじゃないか。
腕を腹の上で組み、宰相の執務椅子に身体を預けると、キイと音を立てて椅子が軋む。
まずは、ケーリッヒを王弟の護衛と参謀を兼ねて異動させねばならない。
公爵は事務官を呼ぶと、軍司令官の予定を確認し、予算の件で話があると伝えるように指示を出す。
これから予算承認という名目で、頻繁に会合することになる。
この名目ならば、王補佐が参加しても不自然ではない。
貴族の婚約、結婚は多数になる為、王補佐のヘルフリートにも決裁権がある。
提出された書類にサインをして、ヘルフリートはほくそ笑んだ。
王位、兄と争うのを避けるためにエヴァンジェリンを諦めた。
エヴァンジェリンを手に入れることは、シェレス公爵家と縁を結ぶことだ。
王位争いにエヴァンジェリンを巻き込みたくない、エヴァンジェリンが幸せなら婚約者との結婚を祝福しようと思っていた。
だが、それは間違いだった。エヴァンジェリンは幸せではなかった。
私がエヴァンジェリンを幸せにする。
私の天使。
王という義務が必要なら、受け入れよう。
花を贈ろう、心穏やかに静養できるように。
私達が初めて会った教会に咲いていた花は、なんという花だったか・・・
エヴァンジェリンは、教会に咲いていた花なんて覚えてないと思う・・・