友好条約締結
「ロダン地方に視察に行った?」
「はい」
ケーリッヒは部下から、レクーツナ王太子の動向の報告を受けていた。モーゼフとネバエがシェレス公爵邸に逗留している間、各地方の情報を集めていたのだろう。
こちらが、友好条約を草案から作っているように、レクーツナ側も過去の条件のままということはあるまい。
ロダン地方は王都に近い穀倉地帯である。馬で駆ければ数時間で着く。
早朝から出かけ、午後からの会議までには戻ってくるのだろう。
軍事大国のレクーツナにおいて、食料供給は大きな問題である。
「穀物の関税が大きな争点となるだろうな」
ケーリッヒの横でリュシアンは話を聞いていた。
戴冠式と結婚式があったとはいえ、調印に大国の王太子が臨席するのは、破格の待遇である。
事務官レベルでの条約の調整はすでに始まっていて、午後からはケーリッヒも合流する予定である。
翌日の締結までに、友好条約を合意できるレベルに作成しなければならない。
ヘルフリートが蜜月に入れない理由でもある。
視察から戻って来たサムエルは、関税ではなく、麦の品種を指定してきた。
北冷地で栽培できる麦の輸入だ。
北にある国への侵攻を考えている、といっているようなものだ。
深夜まで及ぶ討論を経て、条約案は完成された。
メルデア王とレクーツナ王太子の調印で、条約は締結された。
サラティ王女が嫁いで来て、一度は調印された条約、そして破棄されてから、常に開戦を危惧していた。
シェレス宰相とホルエン司令官は、調印に立ち会い、30年の年月を振り返っていた。
そして、夜は条約締結を祝っての夜会が開かれていた。
王が王妃を伴って、レクーツナ王太子と共に大広間に現れると大きな歓声が沸き起こる。
ヘルフリートとサムエルがグラスを掲げ、飲み干すと夜会の始まりだ。
ヘルフリートがエヴァンジェリンを誘って、広場の中央に進むとワルツが始まる。
「一緒に踊るの初めてですね」
うふふ、とエヴァンジェリンが笑えば、ヘルフリートも笑みを返す。
「ずっと、貴女と踊りたかった」
夜会で見かけるエヴァンジェリンは、一人で佇んでいたが、凛として静かな雰囲気を纏っていた。
婚約者の男の姿は近くに無く、何度ダンスに誘おうと思ったか。
あの頃のヘルフリートには、勇気を出すことはできなかった。
「今、夢が叶った」
「お上手ね」
エヴァンジェリンが、呆れたように言うが、ヘルフリートが踊っている姿は見たことない、と思い出す。
「私は、君以外とは踊れない」
潔癖症のヘルフリートは、女性と踊るなど出来ない事だった。
サムエルは、ケーリッヒと話していた。
「殿下には、大変お世話になりました」
ケーリッヒは、リュシアンをチラリと見て話す。
それで、リュシアンが使者としてレクーツナ王国に来た時の事だと、察する。
「騎士達が、メルデアに滞在するのを、快く受け入れてくれた」
サムエルも、ケーリッヒに礼を言えば、王太子という地位に、あぐらをかくではなく、リュシアンの好感度は上がっていく。
ガヤガヤ、庭園の方が騒がしい。
リュシアンは、ケーリッヒに囁くと、庭に向かって駆け出した。
夜会は、始まったばかりである。