サムエル王太子の行軍
ヘルフリート王の戴冠式の招待状を持ったレクーツナ王太子の一群は、国境から王都まで大きな波紋を起こしていた。
戴冠式の二日前に、レクーツナ王太子がメルデア王宮に入城した。警護の近衛隊と数名の側近を連れての入城だが、王都のすぐ外には大隊を引き連れて逗留させていた。
その大隊の規模を見た人々は、恐れ、不安を抱き、今まで忘れていた軍事大国レクーツナの存在を思い知らされた。
王宮の玄関には、王補佐官としてケーリッヒが出迎えていた。
ケーリッヒの後ろには、リュシアンと黒騎士のモーゼフ、ネバエの二人と護衛の騎士達が控えている。
「ようこそいらっしゃいました。
ケーリッヒ・シェレスと申します。謁見室にご案内いたします」
ケーリッヒがサムエル王太子に礼を取ると、サムエルは片眉を上げた。
「そちがケーリッヒ・シェレスか」
モーゼフから報告がいっているのだろう、ケーリッヒの名前に反応したようだが、それだけ言うと歩み始めた。
モーゼフとネバエは、片膝をつき深く頭を下げた。
「お待ち申し上げておりました」
サムエルがケーリッヒに案内されて謁見室に向かうために、二人の横を過ぎると立ち上がり、サムエルの直ぐ後ろに付き従った。
サムエルの護衛の近衛の前に立つことから、モーゼフとネバエは近衛としても高官であると思われる。
リュシアンは一行を見送ろうとして立礼をしたままだったが、サムエルの視線を感じていた。
王太子であるサムエルにリュシアンの方から声をかけることなど出来ないが、レクーツナから無事に帰りつけるように二人の騎士を付けてくれた事のお礼を言う機会があればと思っていた。
ヘルフリートとエヴァンジェリンは謁見室で出迎えた。
ヘルフリートとサムエルは初めて会う従兄弟でもある。ヘルフリートの母がサムエルの父の姉であるが、ヘルフリートよりサムエルの方が1歳年上である。
「よくぞ参られた。今回のご尽力に感謝いたします」
サムエルが、ヘルフリートに勧められて、応接のソファに座ると、その向かいに、ヘルフリートとエヴァンジェリンが座った。
それぞれが護衛を引き連れているが、エヴァンジェリンはサムエルの後ろに立つモーゼフとネバエが気になっていた。
リュシアンをレクーツナ王国から連れ帰って来たレクーツナの騎士は、それからずっとシェレス公爵邸に滞在しているからだ。
「王にとって、サラティ王女は大切な姉であった。
その王女の指輪の使者殿に、我が国の愚か者が恥ずかしい真似をした。
使者殿が、勇気と忠誠心を捧げる主君を見たくなった、ということだ。
どうやら、それは従兄弟殿ではなく、別の人間のようだが」
面白くなさそうにサムエルが言う。
モーゼフを横目で見るが、モーゼフは微動だにせず立っている。それも、モーゼフから報告がいっているらしい。
「戴冠式の後の友好条約調印の詳細を、決めようではないか」
サムエルが身を乗り出してきた。
ヘルフリートも、調印されれば、国境の封鎖が解け交易が盛んになると分かっている。その時に、関税など自国が不利にならないようにしなければならない。
「別の部屋を用意してあります。事務官を入れた話が必要ですから」
その頃、ケーリッヒは人を使って、王都に流れる噂を否定するよう、動いていた。
平民の不満は大きくなっており、アナクレト王の死を悼む声が大きく上がっていた。
『レクーツナでは、誓約で嫁いだ王女が産んだ王子ではなく、側妃が産んだ王子を王太子にした事で、誓約をないがしろにされたと怒りが大きい。
レクーツナとの開戦を避ける為には、両国の血を引く王が必要だったのに、アナクレト王は理解していなかった』
噂を流したのだ。
すぐに、王都の外に滞留している、レクーツナの大軍を恐れている人々の間に浸透していった。