兄の溺愛のススメ
医者の診察の後、寝てしまったエヴァンジェリンは部屋が明るくなっていることに気が付いた。
ああ、もう朝なんだわ。
そういえば痛みが和らいでいる。
身体を起こそうとして、あちこちが痛い。どれぐらい寝ていたのかと思う。
朝陽が昇ったばかりの時間だろう、屋敷は静まり返っている。
サイドテーブルには冷えたスープが置かれていた。
メイドを呼んで温めてもらうことも出来るが、エヴァンジェリンはそうせずにスープの皿を手に取った。
お腹が空いた感じはないが、何か食べた方がいいのは分かっている。
スプーンを口に運ぶ。
冷たい。
やはり温めよう。
ガウンを着て、ベッドから降りる。少し身体がふらついたが、スープ皿を手に取ると寝室を出た。
私が何も出来ないから、ミッシェルに愛想つかされたのかもしれない。
これから、生まれ変わってパーフェクトになるのですわ。
まずは、スープぐらい温めてみせます。
やる気に燃えたエヴァンジェリンは、ふらつきながら廊下を歩く。
昨日、倒れて絶対安静なのに無理し過ぎである。
エヴァンジェリンは、公爵令嬢として最高の教育も作法も受けている。
スープを温めるのは使用人の仕事である為、出来ないのが普通なのだ。
それでも、自分を変えたいと思ってしまった。
ミッシェルに捨てられたままの自分がイヤなのだ。
「お嬢様!」
朝一番早いのは調理人達だ、その一人にエヴァンジェリンは見つかった。
「どうされたのですか?」
使用人達にも、昨日のエヴァンジェリンの様子は伝わっていた。
「エヴァンジェリン」
声を聞いて廊下に出てきたのはケーリッヒだ。
「ダメじゃないか、まだ安静にしないと」
スープ皿をエヴァンジェリンから取り上げ、調理人に渡すと、エヴァンジェリンを抱き上げ、エヴァンジェリンの部屋に向かった。
「そうか、メイドを起こすまいとして自分で行ったのか」
ケーリッヒは、自分で何か納得しているようである。
「優しいな」
ケーリッヒが何を言っているか、エヴァンジェリンには理解出来ないが、エヴァンジェリンを誉めているようだと分かった。
それで、思わず言ってしまったのだ。
「お兄様、良くなったら、料理を習ってもいいですか?」
調理人のいる屋敷で暮らしている公爵令嬢に、料理は必要ない。
「どうしてだ?」
「スープの温め方も知らない、もしもの時は一人で生きていけるように」
エヴァンジェリンの言葉を遮って、ケーリッヒが優しく言う。
「もしもの時はないよ。
大事な妹だ。
でも、エヴァンジェリンが作った料理を食べるのは楽しみかもな」
婚約破棄されても不名誉な娘として疎外されることはない、とケーリッヒは言いたいのだ。
そして、エヴァンジェリンの弱った身体が、料理をする目的を持つことで回復に向かえばいいと願う。
エヴァンジェリンも聡い令嬢だ、兄の気持ちが嬉しい。
「もし料理ができたら、お兄様に一番に食べてもらいますね」
後で、このことを聞いた公爵の機嫌が大いに悪くなるのだが、兄のケーリッヒは大喜びである。
一番の取り合いである。
妹が自分の為に料理を練習するという。
妹可愛い!
それに反して、こんな可愛い妹を苦しめたミッシェルはますます憎い。
あの男爵令嬢も、妹の苦しみを味あわせてやる。
寝室に戻され、温めたスープが届けられると、ケーリッヒが飲ませようとする。
さすがに、それは恥ずかしすぎる。
「お兄様、一人で食べれます」
抵抗むなしく、ケーリッヒは妥協する気はないようだ。
「あ~ん」
と催促してくる。
エヴァンジェリンは覚悟をして、口を開けた。
私は3歳児、と心の中で念仏のように唱えて羞恥心を封じる。
食べさせられるというミッションは、何故か心が温かくなっていく。