褒美の言葉
『良くやった、ゆっくり休め』
リュシアンは、ヘルフリートの言葉を噛み締めていた。
信用されるには、経歴が悪すぎる。
リュシアンは誰よりも分かっている。
リュシアンがヘルフリートに褒められて嬉しがっている様子が、楽しくない。
そう思ってしまったケーリッヒは、自分の狭量に苦虫を噛み潰したような思いだ。
公爵家に連れ帰った時に、リュシアンの事は調べた。
田舎の男爵家に生まれた綺麗な子供。
背中に残る無数の傷跡。
伯爵夫人から王妃に献上された経緯。
教えてくれる人間などいない中で、剣技や教養、語学、どれほどの努力をして身に付けたか想像できる。
「殿下、すぐに王宮に戻りますが、少しの時間ならエヴァンジェリンと庭に出ても大丈夫です」
ケーリッヒが婚約者の二人に気を使うように声をかけると、ヘルフリートはすぐにエヴァンジェリンをエスコートして庭に出て行く。
「母上、リュシアンの看護ありがとうございます。
我々が戻った後もお願いしますので、少し休まれてきてはいかがですか?
僕が残りますので」
いない人間のはずであるリュシアンを、使用人の目に触れさせないように、オフィーリアが付いていたのだ。
ケーリッヒは、母親も変わったと思っていた。
娘を思い、宰相の妻として、我々が何かしようとしていることを察して、リュシアンを匿っているのだろう。
シェレス公爵も、ケーリッヒも、オフィーリアとエヴァンジェリンには子細を教えていない。二人を守るためだ。
「そうさせてもらうわ。サロンでお茶にしてますから、出る時は声をかけてちょうだい」
母親のオフィーリアが部屋を出て行くと、ベッドサイドに立っている騎士二人に向き合う。
「レクーツナから、ここまで彼を介助してくれたことに感謝する。
僕は、ケーリッヒ・シェレス」
「私はレクーツナ王国黒騎士隊、モーゼフ・ゲオパルド」
「同じく、ネバエ・アマンド」
ケーリッヒに礼をする二人に、ケーリッヒは驚きを隠す。
軍事大国レクーツナ王国は、近衛団、第1師団から第4師団まで巨大軍隊を誇っている。その中でも各部隊から選び抜かれた精鋭による集合部隊、黒部隊。
普段は通常部隊に所属しているが、有事の時のみ黒部隊の招集がかかり名乗ることが出来る。レクーツナの最強部隊。
そして多分、この二人は通常は近衛なのだろう。制服がそれを表している。
「近衛と名乗られず、黒部隊と名乗られるという事は、敵地への護衛ということか?」
これは、ケーリッヒの牽制である。
答えたのはモーゼフだ。
「黒部隊と言って、近衛まで読むとは、さすがは宰相のご子息。敵国などではありません。ただ、陛下より事態を最後まで確認するよう使命を受けております」
ヘルフリートが勝つか、負けて敵国となるかを見届けよ、と言うことなのだろう。
「そして王太子殿下より、使者殿の安全を最優先するよう指示を受けております」
「それは、もしもの場合は、リュシアンをレクーツナに連れ帰るという事か?」
王と王太子が別の指示を出している。
国状を見届けるのは、精鋭隊でなくとも出来る。
内戦になった時に、リュシアンを守る為の黒騎士隊なのだと言っているのだ。
王太子の指示。
ケーリッヒは、ベッドにいるリュシアンを横目で見ると、驚いたようでもなく静かに座っている。
レクーツナ王太子と取引をして、裏切ったのなら、ヘルフリートの言葉にあれほど喜ぶまい。
人の機微に聡いリュシアンが、黒騎士の言葉に動じないのは、すでに何かしらのモーションがあっても、ここに戻って来たということだ。
ケーリッヒは、そっとリュシアンの頬を撫でる。
リュシアンは大役を果たしたのだ。この傷でよくぞ馬を駆って戻って来た。
「待っていたよ。よく戻って来た」
ほっとしたように、リュシアンが笑みを浮かべる。
リュシアンなりに、ケーリッヒと黒騎士の話を聞いて緊張していたようだ。
傷が痛々しい。危険な任務と分かっていて出したが、リュシアンのケガは想像以上にケーリッヒにダメージを与えていた。
「本当によくやった。僕は王宮に戻らねばならないが、時間を作って出来るだけ来る。
甘いものは食べれるか? 褒美に買ってこよう。だから、少しでも休め」
「はい、ケーリッヒ様」
ケーリッヒは、見送るというリュシアンをベッドに寝かし、黒騎士に振り返る。
「ゲオパルド卿、頼んだ」
返事を聞くまでもなく、ケーリッヒは部屋を出て行った。