父の思い
護衛の騎士達が、家令に確認して新たに雇い入れた者達を集めた時には、厩番の男は逃げた後だった。
メイドは縄で縛られ、見張りを付けて公爵邸の一室に閉じ込められていた。
「お父様、申し訳ありません」
エヴァンジェリンが、王宮から帰ってきた父親の公爵に謝る。
公爵が怪訝な顔をしたので、エヴァンジェリンはさらに畏まる。
「安全の為に領地に行ったのに、戻って来て、お父様のお仕事の邪魔をしてしまいました」
公爵は、エヴァンジェリンが宰相の仕事の邪魔をしたと恐縮していると、理解した。
「いいんだよ、お前が無事でよかった。
領地から急に戻ったのは、迂闊だったかもしれないが、護衛を近くに置いていたのは、自分の立場を理解している」
護衛が側にいるのは不自由だろうが、エヴァンジェリンが気をつけていたのを褒めているのだ。
シェレス公爵は宰相の仕事に誇りを持っていたし、レクーツナ王国との関係、王家のバランス、一時も気を緩める間はなかった。
だが、エヴァンジェリンが血を吐いて倒れたと聞いた時、何よりも大切なのは家族だと思ったのだ。
「疲れたろう、お前は休みなさい。
私は、そのメイドに話がある」
公爵は、家令と護衛を従えてエヴァンジェリンの部屋を出ていった。
残されたのは、エヴァンジェリンと古参のメイドのマリアだ。
「お嬢様、こちらにお茶を置きますね。
お嬢様のお好きな、ジャムを入れてますよ」
乳母のように身分は高くないが、母の代わりに世話をしたメイドの一人だ。
「ありがとう、マリア」
エヴァンジェリンが寂しい思いをしてきたのを、良く知っているマリアである。
おとなしいエヴァンジェリンが、護衛をつけているとはいえ一人で領地から戻ってきたことに驚いている。
マリアにとってエヴァンジェリンは、公爵令嬢として誇り高く、物静かなお姫様だ。
シェレス公爵は、領地から護送されたミッシェルを王宮の牢に入れたが、おびき出したい王妃が動かないでいた。
王妃がミッシェルと接点を持ったのは、調べがついている。
王妃はエヴァンジェリンが邪魔で、害しようとしたのは明白だ。馬車を襲ったり、ミッシェルを送り込んだのだから。
そこに、公爵邸でエヴァンジェリンがメイドに襲われたと連絡がきたのだ。
危害を加えるのではなく、眠らせようとした。拉致しようとしたという事だ。
それは、エヴァンジェリンを公爵令嬢として使いたい人物のする事だ。
公爵家にメイドを入り込ませる事の出来る人物は限られている。
ヘルフリートのように、エヴァンジェリン自身を欲しいという訳ではない。
宰相として、王弟を支持してきた。
だが、今、父として王弟を支持する。
メイドを閉じ込めている部屋に入った公爵は、ソファに座ってメイドをしばらく見ていたが、何も言わずに部屋を出て行った。
部屋の外にいる騎士達に指示を出す。
「跡をつけろ」
それは、わざとメイドを逃がすと言っているのだ。
このメイドが大きな情報を持っていないと判断した公爵は、失敗したメイドを口封じに来る人間を捕まえよ、と指示したのだ。
メイドが殺されてもいいから、囮につかえと。
公爵家の護衛は、私兵となった騎士達だ。
宰相であるシェレス公爵の権力は、メイドの存在がなかった事に出来るのだ。
たとえ死体で発見されても、公爵家に関係のない人間になる。
娘の為なら、その権力は躊躇なく使う。
騎士達は頷くと、メイドの居る部屋に入って行く。
「部屋を移動する。立つんだ」
乱暴にリリの腕を掴むと立ち上がらせ、前後に挟んで歩かせる。
乱暴に腕を掴んだのは、縄に切れ目を入れるのを気づかせないためだ。
歩いているうちに、切れ目から縄が切れて、縄が緩んでくるはずだ。
外の小屋に連れ出しながら、わざと逃げられる隙を作る。
小屋にリリを入れたら、鍵をかけた振りをしながら扉を閉めて出て行く。
縄がほどけたリリは、扉を確かめるはずだ。
厩番の男とリリで、眠ってしまったエヴァンジェリンを運び出す準備がされていた場所から逃げるに違いない。
そして向かうのは、エヴァンジェリンを連れ込むはずだった場所だ。
騎士達の想定通りに、ゆっくり開いた扉からリリが出て来る。
夜の暗がりに紛れて、リリは庭園の奥に走って行く。
その後を、騎士達が音も立てずに追って行った。
リリが王都の中の一軒の家に入ったのを確認して、護衛達が周りを囲む。
公爵家の書斎で待つシェレス公爵に、メイドの死と逃げたはずの厩番の男の確保が伝えられたのは、夜明けに近い頃だった。
「そうか、よくやった」
護衛達を労う公爵の顔は、国を憂う宰相でも、王弟派の長としてでもなく、娘を守る父親の顔だった。