甘すぎるクッキー
ヘルフリートがエヴァンジェリンの見舞いに訪れたのは、昼を過ぎたころだった。
早朝から執務を終え午後を全部フリーにして、ケーリッヒを従えて公爵邸を訪れたのだ。
まとまった時間を作ったのは、休みが取れないケーリッヒの為でもあり、ヘルフリートの希望でもあった。
「殿下、軍の方での人選も今日には終わるでしょう。
明日から、夜はその者達のローテーションになります」
それは、昼間はケーリッヒが詰めると言っているのだ。
ケーリッヒは宰相の息子として教育を受けているので、軍人になったとはいえヘルフリートの補佐として不足はない。
今までも王弟として警護を受けていたが、それでは不安だと警護の人選になったのだ。
「殿下、ようこそおいで下さいました」
エヴァンジェリンとオフィーリアが、玄関に出てヘルフリートを迎えた。
ヘルフリートがエヴァンジェリンに薔薇の花束を渡すと、エヴァンジェリンは嬉しそうに抱える。
「可愛い」
ヘルフリートの声が聞こえて、エヴァンジェリンが頬を染める。
ミッシェルがエヴァンジェリンを遠ざけるようになって、長い間そんなこと言われてなかったのだ。
素直に嬉しいと思う。
この人と結婚するのだ、ちょっとずつでも近づいていきたい。
エヴァンジェリンがヘルフリートを見つめると、ヘルフリートが手を取り甲にキスを落とす。
さらにエヴァンジェリンが赤くなるのが初々しい。
「あらあら、いつまでも玄関でいけませんわ」
オフィーリアの声が聞こえて、応接間に移動する。
「私と娘が作りましたの」
オフィーリアがテーブルに用意されていたクッキーを説明する。
初めて作ったクッキーが嬉しくって仕方ないのだ。
「私はアーモンドクッキー、娘はチョコチップ、プレーンは料理長が作りましたの」
「いただいても?」
そういうヘルフリートは迷うことなく、チョコチップクッキーを手に取る。
「初めて作りましたので、厚さがイロイロで」
言い訳をするエヴァンジェリンである。
「初めてにしてはお上手です。額に入れて飾りたいぐらいです」
ヘルフリートは本気で言っているのだ。
「殿下、また作りますから味見してくださいな」
エヴァンジェリンに勧められて、ヘルフリートがクッキーを口に入れるのを見てケーリッヒは驚いた。
ヘルフリートは潔癖症であることと、毒を恐れて、決められた料理人の作った食事しか食べないからだ。
「こんな美味しいクッキーは初めて食べました」
とろけるような笑顔でヘルフリートが言う。
見るからに、焼きむらのあるクッキーだ、絶対に料理長のクッキーの方が美味しいはずだ。
誰だ? これは?
昨日、王と死闘すると誓った人間と同一人物か?
ヘルフリートの笑顔に身震いするケーリッヒである。
長年、王宮に出仕しているが、王弟殿下の笑顔など滅多に見られない。
いつも神経質そうに執務をしているからだ。
「エヴァンジェリン、殿下に庭を案内してさしあげたら?
ウィンターローズが盛りで美しいもの」
「はい、お母様」
エヴァンジェリンが立ちあがると、ヘルフリートも席を立つ。
公爵邸の庭なら安心だろう、とケーリッヒは自室に戻ることにした。
「母上、僕は部屋に戻りますので、御用がある時はお呼びください」
ヘルフリートとエヴァンジェリンが庭に出るのを確認して、ケーリッヒは母親に告げた。
「ええ、大丈夫でしてよ」
オフィーリアは今日も完璧な美しい笑顔である。
ケーリッヒも、この笑顔には感情が隠れていると分かって来た。
庭に出たエヴァンジェリンとヘルフリートは、ウィンターローズではなく東屋に向かっていた。
「殿下、この木に実がついているのです。
昨日、初めて食べたのですがとっても酸っぱいのです」
東屋の周りには様々な木が植えられていて、赤い小さな実を垂らしている木があった。
「これをですか? 公爵令嬢の貴女が?」
ヘルフリートが驚いて確認する。
「ええ、食料事情の乏しい地域では、この実を食べると聞いたのです。
食べてみて、この酸っぱい実を食べざるを得ない地域の領民の事を思いました」
料理がとても難しいって知ったし、クッキーだって均等の厚さにするには簡単じゃないって分かった。
「エヴァンジェリン嬢、貴女は素晴らしい。手を握ってもいいでしょうか?」
コクン、とエヴァンジェリンが頷いたのを見て了承と確認したヘルフリートは手袋を外した。
常にヘルフリートは手袋をしているので、驚いたのはエヴァンジェリンだ。
手袋を外した手で、ヘルフリートはエヴァンジェリンの手を取る、
相手の体温が伝わってきて、温かい。
手を繫いだまま、ヘルフリートとエヴァンジェリンは、東屋で午後を過ごした。
夕方になって、ヘルフリートとケーリッヒは王宮に帰って行った。
それを見送って、エヴァンジェリンは自室のベッドで悶えていた。
ちょろすぎる、私。
ミッシェルに失恋したてなのに、王弟殿下にときめいちゃったわ!
だって、手を繫ぐなんて初めてだったし。
殿下は見目麗しくって、頼りがいのあるお兄様って感じで、優しいもの。
私の作ったクッキーを美味しいって・・・