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右衛門シリーズ全編  作者: FZ
33/43

右衛門11-3

(忍びの権蔵、双栄)

右衛門は、寺院の長い階段を降りて、空を見上げると、秋の高い空が晴れ渡り、何とも言えないいい気分になった。あちこちの参道の脇の木々は黄色や赤に紅葉して、殺伐とした京の現状とは不釣り合いな穏やかな雰囲気を醸し出していた。着物の裾に手を入れて、気持ちが晴れ晴れした右衛門が、ふと向こうからやってくる二人の行商人らしき男の方を見て、にやりと笑った。やがて、右衛門の近くまで来た時、

「どうしたのだ権蔵・・。」

と、さりげなく声をかけた。

それは、佐那河内の忍びの権蔵だった。彼は、懐かしそうに右衛門に笑顔を見せて、

「京成の一見以来ですな・・。右衛門様には、ご無事で何より。」

そう言って、頭を下げた。

「おぬしの横にいる男、確か・・。」

右衛門は、双栄のことを覚えていた。

「へえ、生駒山の麓で・・。」

双栄は、そう言うと、手首の傷を右衛門の方に差し出して見せた。

権蔵は、双栄と右衛門の会話が終わるのを待って、

「ここでは何なので、あの茶屋に行って・・。」

そう言って、右衛門を参道にある茶屋に誘ったのである。


茶と団子をわざわざ注文した右衛門は、朝から機嫌が良かった。透き通るように何処までも高い空、心地よいそよ風、晴れ着を着たお宮参りの少女が、親に連れられはしゃいでいる。右衛門は、串に刺された団子を手に取ると、一挙に口に運んで頬張った。

「この双栄とは、古い付き合いでして・・。いつも味方同士でもなく、敵方の冠者として出し抜かれたこともありましてな。」

権蔵は、そう言って苦笑すると、床几しょうぎの上に黙って座っている双栄の顔を見た。その視線を感じたのか、双栄がにやりと笑った。

「で、わしに何か頼みでも・・。」

右衛門が、そう言って権蔵の顔を見た。

「わしが、息子たち丹波と三郎を右衛門様にお願いしたのは、確か、阿波からの船の中でしたな・・。」

いきなり権蔵が、息子を右衛門に雇うように頼んだ昔の話を持ち出した。

「何だ、そのような昔の話を持ち出して・・。まさか、この双栄もわしに雇えというのではあるまいな。(双栄の方を見て)確か、おぬし会津藩の冠者のはずだが・・。」

右衛門は、双栄が会津の誰に雇われているのかまでは、察しがつかなかった。

「会津藩家老 折田周明様の冠者です。わしは、その主人を裏切ろうと思っておりましてな。そこで、権蔵に口をきいてもらった次第でして・・。」  

双栄の言葉は簡潔だった。「雇わないなら、それでいい。」そう思っていたのである。

「右衛門様、源一郎様が、長州の戦に参戦するのをご存じで・・。」

右衛門にとって初耳だった。

彼には、双栄のことより、むしろ権蔵のその話に関心が移った。

「そうか。あいつは、父のこともあり、背を向けぬ戦を望んでいたのかもしれん・・。それにしても、あいつは、忠成の娘美桜殿と祝言を上げた・・と、忠成から便りがあったが、美桜殿は、反対せんかったのかな。」

話題は、自然と源一郎の方へ向かった。

「その話は、いずれ忠成様が右衛門様に会いに来た時にでも・・。」

権蔵は、そう言って、話を戻した。

「わしなら、会津藩の動静が手に取るように分かります。」

なかなか自分の話にならない双栄が、自分から売り込んだ。

右衛門が、意見を求めるように権蔵の顔を見た。

「長州の戦の敵方の要は、会津藩に違いありません。源一郎様が長州に向かった以上、右衛門様も会津とは何かと関わるかもしれません。この男を雇っておけば、いずれ役に立つかと・・。」

権蔵が、双栄を雇うように提案した。右衛門は、それでも忍びを雇うことには関心がなかったが、権蔵が勧める話を断る理由もなかったので、

「条件は・・。」

権蔵の言葉に促されるようにそう言って、双栄を見た。

「わしには、五人の配下がいます。もし、右衛門様の役に立てれば、権蔵のいる佐那河内の忍者の連中と合流できまいかと・・。」

双栄は、報酬を求める代わりに将来の補償を要求した。

「権蔵はそれでいいのか。」

右衛門は、権蔵に打診した。

「佐那河内では、将太や哲太の射撃手が、源一郎様の後を追って長州藩に加勢するそうです。佐那河内の守りが手薄になりますし、双栄ほどの忍びが加われば、我らも何かと頼りになります。」

右衛門は、権蔵の言葉に頷くと、

「権蔵、双栄と大坂へ行って両替屋の佐吉に会ってくれんか。わしが、忍びを雇うので、百両をこの双栄に渡すように言ってくれ。」

そう言って、双栄が納得するか様子をうかがった。

「これは、剛毅ごうきじゃ。これで、わしの配下も喜んで納得する。(右衛門の方を見て)右衛門様、決して損はさせぬ働きをしますからな・・。」

双栄は、右衛門にそう言うと、嬉しそうな笑顔を見せた。

右衛門には、双栄がどれほど役に立つのか、この時には一向に予想がつかなかったが、権蔵の勧めを受け入れたのであった。

「右衛門様、確か、息子たちを雇う時に、右衛門様が金子(きんすをくれた時も、わしは今の双栄と同じ言葉を言ったような気がしますなあ・・。」

権蔵は、昔を懐かしむかのように、右衛門に、柄にもなく精一杯の茶目っ気を見せて言った。 



(美桜が長州に向かう)

美桜は、密かに佐那河内を抜け出すと、蘭方医西が住む本島に向かった。

「それにしても驚きました。美桜様が男装をして玄関に現れるとは、予想もしない珍客ですなあ・・。」

西先生は、居間に美桜を招き入れると、正直な気持ちを美桜に話した。

「夫源一郎が、長州にいるのです。何とか、無事を確かめに一目だけでも会えればと・・。」

美桜も西に本心を隠す理由もなかった。

「お父上や一龍齋様は、ご存じで・・。」

西が、確認するようにそう言った。

「私は、源一郎の妻です。たとえ両親と言えど、私の考えに反対する権利などないと思うのですが。」

美桜のきっぱりとした言葉に、西は反論する言葉を失った。結局、西は美桜の源一郎を思う気持ちに共感して、美桜の長州入りの頼みを受け入れることになったのである。

「美桜様がそこまで言うなら、私のできる範囲でやってみましょう。(少し考えた後)美桜様は、忍びの丹波と妻の滝をご存じで・・。」

西が、そう尋ねると、美桜は当たり前だと言わんばかりに頷いた。

「その滝の父親で、一蔵と言う漁師がこの島に住んでいるので、頼んでみましょう。一蔵なら、密かに長州に渡ることも可能かと思います。」

そう言って、西は余り反対することなく美桜の願いを実現することになったのである。


一方、美桜が旅立った佐那河内では、美桜が源一郎に会いに長州に行くという置手紙を見た祖父の一龍齋は、すぐさま又五郎に相談した。ちなみに、佐那河内での環境を気に入った一龍齋は、美桜と共にこの地にとどまり、朝は道場に顔を出し、昼にかけては、佐那河内の連中と交流することで、すっかり居心地のいい場所を見つけて、住みつくことになったのである。もともと、この地に住む人間は、彼のように、いつの間にか佐那河内に居着くようになった連中が多く、一龍齋が丘の上で住みつくようになっても、誰も気にもしなかった。朝夕、早苗たち厨房を守る女性たちが、食事を一龍齋のために用意し、まるで当たり前のように、日々彼の部屋に運んでくるのである。一龍齋は、気兼ねをするという感覚が麻痺したように、当然のように彼らの応対を受け入れたのであった。

話を戻そう。

集まったのは、又五郎の他に陽明と丹波(忍び)であった。

「美桜さんは、本島の西先生を頼ったはず。あすこには、西先生の知り合いの漁師に頼めば、長州へ密かに渡る手段があるのでは・・。」

又五郎は、陽明の推察を聞いて、相談を持ち掛けたことが間違いでなかったと自信を持った。

「恐らく、滝(彼の妻)の親父おやじ様に話を持ち掛けたのでは・・。」

陽明の推測を確信して、丹波がそう言った。

「そこで、この問題は丹波と又五郎さんが組んで、事に当たればと思うのですが・・。」

陽明は、相談を受けた時から又五郎だけでは不安もあって、丹波に期待をかけていた。

「それは有難い。ついでに、赤松も連れて行きたいのだが・・。」

又五郎と赤松の仲を知っている陽明と丹波が、目を合わせてにやりと笑った。

三人の話を黙って聞いていた一龍齋が、

「皆に迷惑をかける。この通りじゃ。」

そう言うと、みんなに向かって深く頭を下げた。それに応じるかのように、又五郎も一龍齋に頭を下げた。

「一龍齋様、気になされなくても・・。美桜さんの行動で、私も決心がつきました。源一郎のためにも、長州藩のために動いてみます。私は、弥吉さんとも相談した後、明日、叔父上に会いに行くつもりです。」

陽明は、この時初めて、長州藩勝利のために計略をめぐらし始めたのである。

「これで、やっと佐那河内も一つになったわ。わしは支度をして、今日中に出立するから、丹波とは本島で会おう。」

そう言って、又五郎が丹波を見ると、丹波は承諾して頷いた。



(陽明が京にいる右衛門を訪ねる)

「あら!」

春の大きな声に、昼寝をしていた右衛門が飛び起きた。

彼が、慌てて春のいる玄関に行くと、頭は散切りでぼさぼさ、仕込みらしき杖を右手に握りしめ、僧侶姿の陽明が、にこにこ笑いながら玄関に立っていた。台所で飯を食っていた新次郎と傷がすっかり治った浮田史郎が、右衛門に遅れて駆け付けて、片手に茶碗を持ったまま右衛門の後ろから、来客の様子をうかがっている。

「この方は・・。」

新次郎が、どうして春が大声を上げたのか、不思議に思いそう尋ねた。

「わしの甥の陽明だ。」

新次郎の質問に答えるように、右衛門がそう言った。

「なるほど、これは珍客だ。これが、あの洋行帰りの変人ですか。」

新次郎は、長州の草津源九郎から聞いたままの陽明の噂をつい口にした。

すると、驚いたように右衛門と春が、新次郎の顔を見た。

「変人だなんて・・。陽明さんが可哀そうよ。」

春がすかさず、陽明を気遣って新次郎に反論した。新次郎の横では、史郎が必死で笑いをこらえている。

「叔父上、この失礼な男を紹介してくれませんか。」

陽明が、新次郎の言葉にやり返した。

「これは、長州藩士 高山新次郎。わしの家によく来る変わり者だ。その横にいるのが、新選組の人斬り浮田史郎だ。」

右衛門が、そう言うと、史郎が挨拶のつもりで、陽明に頭を下げた。

「相変わらず。叔父上の周りには得体のしれない者が集まるようですな。もっとも、私もそんな連中の一人かもしれませんが。」

陽明のこの言葉に、すっかり場が和み、まるで旧友を迎えるように、みんなで陽明を迎え入れたのであった。


春は、陽明が来たことが嬉しかったのか。昼から仕出し屋に料理を注文し、精一杯のもてなしをした。

「ところで、ヨーロッパとはどのような所ですか。」

新次郎は、西洋の国に興味があった。もともと、この狭い日本人の偏狭な考えを嫌い、型破りなことが好きな新次郎にとって、陽明のような人間は、無視のできない人物であった。

「あなたもいずれ行ってみたらいい。この日本がどれだけ旧式な文化にしがみついた階級世界か、身にしみてわかるはず・・。」

陽明の返答は、新次郎の期待通りの言葉だった。

「面白そうだな。わたしも行ってみたいが、この体が許さんので・・。陽明さんが、羨ましい。」

新次郎のいわくありげな言葉に、陽明は右衛門の顔を見た。しかし、右衛門は、二人の会話には入ってこず、ただ黙って出された料理を食べていた。

一方、史郎は、部屋の片隅で、二人の会話を他人事のように黙って聞いていた。住んでる世界が違うのである。

陽明は、なかなか右衛門の所へ来た用件を話さなかった。いくら雰囲気が打ち解けたと思っても、新選組の史郎の前で、長州の戦については言えなかったのである。

障子が開けはなれた向こうの庭には、ただ、一本の木だけが紅葉した色どりで、来客の目を楽しませているだけだっが、陽明はその紅葉が気に入ったのか、何度もその木を眺めていた。

「お前、用があってわざわざ来たのだろう。何をためらっているのだ。」

普段なら単刀直入に物を言う陽明の性格を知っている右衛門には、彼の様子が奇妙に思えたのだ。

「その・・。浮田とやらは大丈夫なのですか。」

陽明はそう言うと、史郎の顔を見た。

「史郎のことを気にしていたのか。(史郎の顔をちらっと見て)安心しろ、奴は新選組に戻る気はない。なあ・・。」

そう言って、右衛門は史郎に声をかけた。

史郎は、にこりと笑うと、頷いた。

「浮田、佐那河内でも来るか。」

陽明が、笑いながら史郎に声をかけた。

「わしは、右衛門様が京にいる限りここでいるつもりです。後のことは考えていません。ただ、新選組には帰るつもりはないです。」

史郎は、最後の言葉に語気を強めた。

その言葉を聞いた陽明は、右衛門に長州戦争に加担する決断をした事を打ち明け始めた。源一郎が長州へ行き、美桜が後を追ったことで、どうしても動かざるを得なくなった動機もしっかり伝えたのである。

話し終わった陽明は、新次郎の方を向くと、

「ところで、高山さんはなぜ長州に帰らないのですか、戦火はそう遠くないうちに開かれるというのに・・。」

陽明は、新次郎が京にいる理由が分からなかったのである。陽明がそう言って、史郎が座っている方を見ると、彼は気づかないように座をはずし、自分が居候している二階に上がっていた。

「この一戦は、いつ会津の本隊が長州に動き出すかで決まると思っておるのです。だから、会津軍の指揮官 折田周明(会津藩家老)の動きに合わせて、行動しようと思っているんですよ。その折田が京にいる限り、私が長州に慌てて帰っても、敵の動きがつかめんしね。」

新次郎は、陽明の疑問にさりげなく答えた。内心、陽明を中心とする佐那河内の連中が、長州に味方すると聞いたとき、小躍りするほどうれしかったが、態度で示すことはしなかった。彼の性格は、他の長州藩士 木場や草津とは違っていた。人に自分の本性を見せないという名家の士族のプライドが身に染みているのである。

今、長州は、幕府方の諸藩の軍隊が続々と集まって、長州軍が籠城する各地の防衛基地を取り囲み始めた。しかし、各藩は幕府の命令で挙兵をしたものの、長州軍が守る基地を攻め落とす程の決意も熱意もなかったのである。ただ、彦根藩や小倉藩のようないくつかの親藩だけが、長州軍の防衛拠点に奇襲攻撃を繰り返し、小競り合いを続けていたが、長州藩の鉄砲部隊が最新鋭の銃で応戦して、決定的な攻略もできていなかったのである。そんな拠点である大島口で、源一郎は、哲太と将太や十数人の長州藩士と共に敵の攻撃に絶えていたのである。一方、幕府の諸藩は、「いずれ、会津の大軍が京を出立して、長州に流れ込んでくる。その時が、勝敗を決する総攻撃になる。」と暗黙の了解をしていた。

一方の長州軍も、会津がいつ動くかが鍵になることは、百も承知であった。その動静を探っていたのが、ここにいる高山新次郎であった。


陽明と新次郎は、いつの間にか、真剣な顔で戦いの戦術を議論し、身を乗り出して話をし始めた。

「しかし、長州には幕府軍を撃退するだけの決め手がないと言ってもいい現状ではないかな・・。ただ、最新の銃と兵士の士気の高さで勝てるほど、戦は簡単ではないと思うが・・。」

陽明の言葉は、新次郎の痛いところをついていた。

「薩摩が、動くかもしれん。奴らとて、幕府が勝てば、次は自分たちが危ういと言うことは、分かっているだろうし。」

新次郎の苦し紛れの打開策を、陽明が鼻で笑った。

「私の情報では、大久保も西田も動かんですよ。あなたの言ったように、彼らに頼めば、手助けはするかもしれんが、薩摩軍は長州藩に加勢するほどあなたたちに恩義はないし、第一、今まで憎み合っていた長州のために薩摩の兵が動くはずもない。これは、理屈ではないんです。」

陽明の言うことは正しかった。それだけに、新次郎は反論することなく沈黙を保つしか仕方がなかった。そんな新次郎の困った顔を見て、右衛門が口を出した。

「それでも、お前は長州が勝つための戦略を持っているんだろう。そうでなくては、わしにわざわざ会いに来るはずがないし、新次郎と戦略について話し合うはずもない。」

右衛門は、陽明の合理主義的な考え方を熟知していた。無駄な議論は大嫌いで、負けると分かった戦に手を出す人間ではなかったのである。

陽明は、右衛門に自分の性格を見抜かれたような気がして苦笑いをした。

「ないことはないです。」

陽明の言葉に、新次郎が真剣な顔をして、陽明の顔をじっと見た。

「別同部隊だな・・。会津軍が長州に着く前に、長州の軍と応援部隊とで、各藩の烏合うごうの兵に奇襲をかける。恐らく、驚いた幕府軍は、鳥が飛び立つように敗走するかもしれん。こんなところだろう。」

右衛門の戦略を聞いた陽明が、目を丸くして右衛門の顔を見た。

「やはり、叔父上は数々の戦で勝ち抜いてきただけはある。見直しました。」

そう言うと、感心したように右衛門の方を見た。そして、

「どうです、新次郎さん。わたしと見能林藩に行かないですか。あの藩には、見能林藩鉄砲隊頭 内田清五郎さんがいる。清五郎さんの村の村人を募れば、百人を超える鉄砲隊が、あっというまに出来上がると思うんです。それに合わせて、弥吉さんが、最新鋭の銃百丁と最新鋭のアームストロング砲四門を積んで見能林の港に向かっている。外見は商業船ですが、実際は、アダムス卿に依頼して建造した最先端の軍艦ですがね。」 

陽明の話をじっと聞いていた新次郎が、いきなり泣きながら陽明の手を握りしめた。その声に驚いた春が、慌てて三人のいるの部屋をのぞきに来た。

「どうしたの、新次郎さん。何を泣いてるの・・。」

春が、驚いて、普段は見られない新次郎の感情をあらわにした行動をじっと観察していた。

「これで、長州は救われるかもしれん。陽明殿、わしはおぬしをわれらの恩人と思っておるからな・・。」

新次郎のプライドは、いつの間にか、陽明への感謝で押し流されたのだった。

「別に、あんたに恩にきられても仕方ないが・・。私にもいろいろあってね。(源一郎と美桜のことを考えていたのである。)」

新次郎に手をしっかり握られた陽明は、新次郎の感謝の行動で窮屈になった雰囲気を振りほどくように、わざと突き放すようにそう言った。そして、さっきから二人の会話を薄笑いを浮かべながら聞いていた右衛門に向かって、

「ところで叔父上、見能林藩主 佐藤伊織様に鉄砲隊依頼の件で手紙を書いて下され。」

そう言うと、右衛門の承諾の返事を待った。右衛門はそれに応じて、頷いて快諾した。

「それにあと一つ、会津藩家老 折田周明。何とかして下され。」

そう言うと、今度は、陽明の方が右衛門の反応を見たくてにやりと笑った。

「何とかと言っても、どうしろと言うのだ。」

右衛門の顔から笑顔が消えた。

「権蔵さんから双栄と言う忍びのこと、聞きました。叔父上なら、どうにかするでしょう。何しろ、井伊祐直を斬った刺客だから・・。」

陽明は、そう言うと、意味ありげに、再びにやりと笑った。

「わしは、人斬りではないぞ。」

右衛門は、陽明にくってかかろうしたが、途中であきらめた。右衛門の不満に耳を傾けるような人間ではないことは、とうに知っていたからである。 



(京薩摩藩邸)

明日の朝、見能林藩に陽明と行くことになった高山新次郎は、右衛門と春に別れの挨拶をしようとした。

「急ぐ気持ちは分かるが、どうしてもお前が京にいる間に、一緒に会っておきたい人物がいるが・・。どうだ、付き合ってくれんか。」

新次郎の挨拶をさえぎるように、右衛門がそう言ったのだった。

「誰に会うのですか。」

新次郎は、右衛門の意外な言葉に戸惑っているようだった。

「薩摩藩邸にいる西田義厚だ。」

右衛門は、そう言うと、新次郎の反応をうかがった。

「高山さん、ぜひ叔父上の提案を受けなさい。」

右衛門の提案に興味を持った陽明が、新次郎を促した。その進言を受けるように、新次郎が、右衛門のさそいを受け入れたのだった。


薩摩藩邸は、日頃から賊の襲撃を警戒して、護衛の藩士が常駐していた。

「どなたかな。」

薩摩藩邸を訪れた右衛門と新次郎に対応したのは、西田の側近の上原武兵衛と言う男だった。上原は、西田の護衛を兼ねていた男だけに、剣の腕前は相当なものだった。それだけに、右衛門の一見無防備なようで、相手が斬りかかれば、攻め入るスキを与えない不気味なたたずまいに、得体のしれない恐怖を感じた。

「西田殿に、浪人佐藤右衛門と長州藩士高山新次郎が会いに来たと言ってくれんか。」

さっきから、右衛門の動きをじっと注視していた上原が、その言葉に驚いて一歩後ろに引いて、刀の束に手をやった。さらに、右衛門の大きな声をき聞きつけた数人の薩摩藩士が、大急ぎでやってきて、騒然とした中、右衛門と新次郎を取り囲んだ。

しかし、右衛門は彼らの反応に微動だにせず、じっと西田が現れるのを待っていたのである。新次郎は、薩摩藩士の敵対的な威嚇が、長州藩士である自分に向けられているのを感じ取ったのか、相手に応戦できるように中腰に構えて、いつでも刀が抜ける態勢をとっていた。しばらくの間、にらみ合いが続いた後、玄関の異様な雰囲気に気づいた西田が、廊下をゆっくりと歩いて、右衛門と新次郎の前に現れた。 

「これは、珍客。よう来られました。」

西田は、表情を崩して、友好的な態度で声をかけ、二人を取り囲む薩摩藩士をぐるっと睨みつけた。

「何をしとる!おぬしら、右衛門殿に勝負でも挑むきか。(上原の方を向き)やってみい。

後のことは心配いらん。」

西田の言葉の端々に、上原がとった対応への不満がのぞいていた。

「申し訳ござらん。」

さすがの上原も、西田に右衛門との勝負をけしかけられて、子供のように謝るしか仕方がなかった。

「さあ、わしの部屋へ・・。ちょうど、大久保も来てましてな。」

西田は、部下への厳しい態度を一変させて、二人を奥へと促した。 


右衛門と新次郎が通された西田の部屋には、丸いテーブルがあり、その周りには結構手の込んだ椅子が五つほど置かれていた。

「右衛門殿には、佐那河内で何度かお目にかかりましたが、お変わりなく・・。」

大久保は、始終機嫌が良かった。新次郎に対しても、笑顔を絶やさなかった。

テーブルには、葡萄酒の瓶とグラスが置かれていて、二人が座ると、早速、西田が葡萄酒をグラスになみなみとついで、二人の前に置いた。

「ところで、高山殿、今日は右衛門殿と何のお話で来られた。」

大久保の目が、きらりと光った。

「右衛門殿の家にいたら、陽明さんが佐那河内から来られてな。」

新次郎の西田と大久保への駆引きが始まった。

右衛門は、あまり酒は好きではなかったが、珍しい色の葡萄酒に興味をひかれて、手に取ると口元に運んだ。すると、いきなり渋そうな顔をした。

「右衛門殿は、葡萄酒をおきにめさぬようですなあ。」

西田が、右衛門の表情を見て、笑いながらそう言った。

「ところで、陽明さんは何用で、右衛門殿を訪ねられたのですか。」

大久保が、西田の言葉を無視して、新次郎にそう尋ねた。

「長州と幕府の戦の状況を知りたかったようです。」

新次郎は陽明の真の目的を言うことなく、大久保の質問をそらすようにそう答えた。。 

西田と大久保と新次郎の会話は、お互いの探り合いが続いて、なかなか本音の会話が引き出せなかった。しばらくして、らちが明かない会話に新次郎がじれた。

「どうなんです、大久保殿、西田殿。薩摩は、この戦、どう対応するつもりなのです。陽明さんの話では、薩摩は、幕府には従わぬが、長州にも味方はしない。そう言ってましたが・・。」 

二人はただ笑顔を絶やさず、新次郎の言葉を聞かなかったかのように返事を避けた。そんな様子を見た右衛門が、新次郎に助け舟を出したのである。 

「珍しく、陽明は長州に味方するつもりらしい。もう武器も準備して、兵も調達する計画を立てたらしいのだ。」

今まで、三人の話に関心を示さず、話題に入らなかった右衛門が、誰の顔も見ずに、独り言のように呟いたのだ。

大久保と西田の顔から笑顔が消え、お互い目を合わせると、

「右衛門殿は、どうなされるので・・。」

大久保が、真剣な目をして右衛門に聞いてきた。

「わしなどの出る幕はないと思うが、佐那河内が動けば、皆の総意に従うまで・・。」

右衛門は、大久保の質問に素直に答えた。

「実は、崎田弥次郎君から長州との話し合いをするように言われてましてな。」

西田が、ようやく本音をのぞかせた。

「そうか。弥次郎に任せれば、動きそうだな。」

右衛門は、これ以上この場で話を進めることを止めて、弥次郎の行動に託そうと思ったのである。

「わしは、交渉は苦手だ。後は、木場や草津に任せるから、大久保殿、西田殿、よろしく頼む。」

新次郎も薩摩の考えを確認すると、ほっとしたようにそれ以上、薩摩の長州に対する出方を聞こうとはしなかった。二人の潔く話をひっこめた態度に満足した西田が、

「何をしとる。お二人に、薩摩自慢の豚鍋でも食してもらわんか。」

後ろで控えている上原武兵衛にそう命じると、満面の笑みを浮かべて二人をもてなしたのだった。新次郎にとって、薩摩の考えが見えたことは、大きな収穫だった。

「この戦、ひょっとして勝てるかもしれん。」新次郎は、今までのしかかっていた戦への重圧を、この場で一気に希望に変えられたような気分で、右衛門の顔を見た。

右衛門は、そんな新次郎の気持ちも知らず、さっき飲んだ葡萄酒をグラスを手に取って、不思議そうに眺めていた。


(新選組、史郎、陽明)

右衛門の不在をついて、新選組の土方が手下十数人を率いて右衛門の家に押しかけた。

二階にいた史郎が、転げるように階段を下りて、陽明のいる座敷の障子を開ける。

「奴らが、押し入ってきます!」

慌てた口調で、訴えるようにその場にいた春と陽明に叫んだ。

「落ち着け。新選組の奴らか。」

陽明の口調に慌てた様子はなかった。

「はい。」

史郎がそう言って、玄関の方を向いたとき、引き戸が開いた。

土方の部下が、四人玄関になだれ込んできたのである。

「浮田を出してもらおう。抵抗すれば、斬る!」

家の者は誰も出てきていない土間で、新選組の隊員が、奥へ向かって大声で叫んだ。

玄関に面した障子戸がすっと開けられ、春が笑顔で四人の浪士の顔を見た。

「浮田さんは、確かにここにいますけど、本人はあなた方とは会いたくないと言ってます。」

四人の不意打ちをかけるかもしれない挙動に注意を払いながらも、笑顔を絶やさない春が、彼らにそう言ったのである。

「ふざけたことを言うな!浮田の気持ちなど聞いてはないわ。問答無用!」

浪士の一人が、春に向かってそう言うと、刀の束に手をやった。その時、奥の方から陽明が、ピストルを手にして現れた。

「刀を抜いた奴から撃ち殺す。」

陽明は、そう叫ぶと、春を奥の間へと誘導した。

外でその様子を見ていた土方が、大声で玄関にいる部下に叫んだ。

「何をしとる!一人撃ち殺されても、三人残れば、奴を斬り殺せる。うって出んか!」

その命令は、凄まじい気迫がこもっていた。

その声を聞いた四人の浪士が、刀を抜いて一挙に陽明に襲いかかろうとした。

その時、「バアーーン」と銃声が響き渡った。次の瞬間、その銃の発砲と共に、浪士がもんどりうって倒れたのである。同時に、陽明の余りにためらいのない殺傷に、襲ってきた浪士たちに恐怖が走り、その場に立ちつくしたのである。陽明は、その瞬間を見逃さなかった。近くの柱に立てかけていた仕込みに手をやると、瞬時に白刃を抜いて、躊躇していた三人の浪士に斬りつけたのである。陽明の仕込みの白刃が、一度、二度と左右に振り子のように振られるたびに、彼らの体から血しぶきが上がり、気づいたときには、四人の死体が土間に転がっていたのである。

「陽明さん・・。」

陽明のためらいのない刺殺に驚いた春が、思わず彼に声をかけた。その横で、押し込んできた元仲間に応戦しようと刀を抜いた史郎が、自分の刀の行き場を失い、陽明の凄まじい刀の躍動に呆然としていたのである。

「ほう・・。おぬし何者なのだ。だがな、浮田とおぬしだけで、我ら全員を倒せると思っているのか。」

土方は、不敵な笑いを浮かべながら、先陣を切って陽明を斬り倒そうと、激しい戦意をみなぎらせていた。その後ろにいた土方の部下たちも、彼に合わせるように、ゆっくりと刀を抜いた。彼の気迫に負けまいと、史郎が陽明と並んで、刀を正眼に構えて応戦しようとする。その時、陽明の大声が、

「先頭の大将に言っとくが、お前が、私に襲い掛かれば、私の銃が確実にお前の脳天を吹き飛ばすからなあ。勘違いするなよ。この銃は、この辺で出回っている浪士たちの銃とは訳が違うぞ・・。私が構えるこの武器は、お前を殺したくてうずうずしてる最新鋭の三連発銃だということを心得て、かかってこい!」

と相手を威嚇したのである。

「奴の脅しが事実で、連発銃なら殺されるかもしれん・・。」土方がひるんだ。

しかし、部下の手前、この場を引くこともできないことは、百も承知である。土方は、気を取り直すかのように、刀を更に上段に構えて、死を覚悟で、陽明に襲い掛かろうとした。

「こいつは、なぜ笑っているのだ。俺が引くことができず、斬りかかることは、分かっているだろうに・・。」土方の思考が混乱し始めた。次の瞬間、陽明の部下に見せた剣さばきを思い出し、「こいつは、銃でわしを撃ち殺した後、わしの部下を全員殺せる自信があるのだろうか・・。まさか、こいつは右衛門程の・・」彼の思考は錯綜した。死を覚悟した緊張状態の土方の判断力は、必死で状況を把握しようとしていたのである。

その時だった。新選組の集団の後ろから声をかける武士がいた。

「おぬし、桜井ではないか。こんなところで何をしとるのだ!」

土方の腹心桜井長治に声をかける者がいたのである。

斬り込もうと決断した土方の剣が、一瞬止まった。

その声に聞き覚えのある桜井が、思わず後ろを振り返った。

「小野忠成先生・・。」

桜井は、かつて忠成の門下生だったのだ。

「お前は、新選組におるのか。」

この場の殺伐とした光景を気にとめることなく、忠成は笑顔で元門下生に話しかけたのである。

「はあ。」

桜井は、ばつが悪そうに忠成の言葉に応じた。この二人のやり取りは、今までの血なまぐさい死闘の極限状態を一挙に冷ませた。

「お前、刀など抜いて、まさかわしの友の家を襲うつもりでもなかろうな。もしそうなら・・。」

忠成は、そう言うと、ぐっと桜井を睨みつけて、差していた刀を抜いた。

一方、小野一刀流の小野忠成という名を聞いた新選組の連中は、得体のしれない威圧に押され、争う戦意を完全に失ってしまったのである。

次の瞬間、その場の雰囲気を感じ取った土方は、刀をすごすごと鞘におさめると、忠成の視線を避けるように、

「ひけ!」

と、部下に号令をかけ、一目散に逃げ去ったのである。

陽明は、新選組の逃げ出すように駆け出した後姿を見送りながら、にやりと笑って、忠成の方を向いて丁寧に頭を下げた。

「助かりました。」

近づいてきた忠成に、陽明がお礼を言うと、

「そうかな、陽明君は、皆殺しにするつもりでいたのではないか。」

忠成は、そう言うと、大きな声を出して笑った。忠成の予想は、外れてはいなかった。陽明は、ピストルで、大将と副将を射殺せば、後の連中は、自分と史郎で片づけられると、瞬時に判断していたのである。状況がパニックに陥れば陥るほど、陽明の判断力が瞬時にさえてくるのは、叔父の右衛門譲りの才能かもしれない。

史郎は、陽明の後ろで今の光景をじっと見ながら、興奮した自分の感情の高ぶりを、大きな息をしながら必死で沈めようとしていた。



(美桜と又五郎が長州に入る)

美桜は、丹波(忍び)の義父一蔵の手引きで、源一郎が戦っている長州の大島口に入り、彼の昔の漁師仲間の甚五郎の家に厄介になることになった。甚五郎は、七十近い老人で、若いころは一蔵と同じように瀬戸内海で漁をしていたが、今では若い漁師たちに漁具を分け与え、船を貸して生計を立てていた。元々は、網元ではなかったが、金儲けの才覚があり、今では網元以上の財政的力があった。しかし、甚五郎は昔のように、近在の漁師と変わらぬ質素な生活を送っていたのである。子供たちは、すでにそれぞれ家を出て、妻も二年前に亡くし、この家で独り暮らしだった。一蔵が、美桜の宿をこの男に頼んだのは、甚五郎の誠実さと、頼んだことを決して裏切らない律儀な性格を見込んでのことだった。


「ほお、あの小野一刀流のお嬢様か・・。旦那様のためにこんな危ない所まで来られるとは、見上げたもんじゃ。わしができることは、精一杯やらせてもらいます。」

そう言って、美桜が頭を下げるのを見ながら、優しく笑顔を見せた。


数日後、甚五郎の家を訪れたのは、又五郎と赤松だった。

「ごめん。」

そう言って、又五郎は家の土間に入ると、網の穴を編んでいた甚五郎に軽く頭を下げた。

「どなたかな。」

甚五郎は、屈強な侍が家に入ってきたとき、胸の高鳴りが収まらなかった。

「もし、美桜様に敵対する幕府の侍だったら・・。」と、思ったのである。

「本島の一蔵さんに聞いたのだが、美桜様がこの家に厄介になっているそうなので、よかったら、取り次いではくれんか・・。」

又五郎がそう言うと、後ろで槍を持ち、いかめしそうな顔をした赤松が、又五郎の言葉に合わせるように甚五郎に頭を下げた。

「そうかい。やれやれほっとしたわい。もし、幕府のお侍なら、この首飛ばされても仕方ないかと、覚悟を決めるところだったわ。」

甚五郎は、冗談めいてそう言うと、二人を土間に残して美桜に来客を知らせに奥に入って行った。

しばらくして、美桜が小走りで又五郎らの前に現れた。

「又五郎さん・・。」

そう言ったなり、言葉が詰まり何も言えなくなったのである。美桜にとって、ここでの時間は、不安にさいなまれる生活だった。そんな時に、又五郎が現れたのである。彼女の不安は一挙に解消された。

「しょうがないお嬢様だ。一龍齋先生が心配なされてますぞ・・。」

又五郎は、そう言いながらも、美桜の安否を心配していただけに、一瞬、肩の荷がおりたような気持ちになって、思わず大きな声で笑ってしまった。

「強そうなお侍が、このお嬢様と一緒にいてくれたら、わしもほっとするわい。今、部屋を用意しますからな。」

甚五郎はそう言うと、又五郎と赤松の部屋の片づけに、また奥へと引っ込んだ。


(源一郎、哲太、将太)

その頃、長州軍は、長州各地に防衛拠点構えて兵を分散し、幕府軍に対峙していた。源一郎は、その中でも最強と言われる彦根藩の軍隊二千人余りと何度となく攻防を繰り返していたのである。源一郎に預けられた兵は、歩兵200、銃撃隊50余りであった。彼らにとって、砦の防御と最新鋭の銃撃隊が、相手の攻撃を撃退する切り札だった。その射撃隊の中に、源一郎と共にこの戦に加わった将太と哲太の姿もあった。彼らの銃は、長州藩の狙撃手の持つ最新鋭のエミール銃より、もう一段優れた銃であった。そのため、彦根藩の指揮官たちは、攻撃を仕掛けても、自分たちが狙い撃ちされるのを恐れて、決して姿を敵に見せることができなかった。もし、指揮官だとはわかると、哲太と将太の銃が確実に指揮官を撃ち殺すのである。そのせいか、最初のころは彦根藩も源一郎らの拠点に接近することすらできなかったのだが、次第に歩兵を前面に出しながら、大軍を散らして、攻撃を独りの指揮官で統率することなく、死に物狂いで源一郎の防御拠点に、三々五々の人数で接近するようになっていたのである。そして、そのたびに、源一郎は歩兵部隊の先頭に立って、最前線の敵と接近戦で刀を交えることで、ようやく押し戻すのであった。

いつの間にか、源一郎の体は、刀傷で埋め尽くされ、体力の消耗は極限に達していた。そんな源一郎の本拠地に、丹波が戦況を知るために忍び込んだのであった。


「どうだ。まだ生きてるか。」

門の近くで肩に銃を担いだまま、胡坐をかいて仮眠をとっていた哲太と将太の前に丹波が現れた。夕暮れ近くの薄暗闇の中で、哲太が声の方に目を凝らす。

「おお。丹波か・・。」

哲太の顔が、笑顔に変わる。

「かなり苦戦のようだな。」

丹波も笑顔で応じた。

「ここは、他の防衛拠点とは違うからな。何せ、彦根藩は死に物狂いで攻撃してくる。

親藩の意地なんだろう・・。」

将太は、そう言うと、ふっとため息をついた。

「源一郎は、援軍を本部に要求しないのか。」

丹波が、憔悴した顔をした二人を見かねてそう言った。

すると、哲太が首を横に振り、

「わしの目からも、源一郎はこの戦に自分の命をかけているのがわかる。和尚が言っていたことは、当たっているようだな・・。」

そう言うと、薄笑いを浮かべながら丹波を見た。

「もう少し我慢しろ。佐那河内のみんなも、お前たちを見殺しにはせんから。」

丹波がそう言うと、よほど辛さを我慢していたのだろうか、将太が薄暗かりにまぎれるように、すすり泣きを始めたのである。

「馬鹿!泣くな・・。お前は、どんな覚悟で源一郎についてきたんだ。死ぬ気で絶えろ!」

哲太の叱咤に、将太がこくりと頷いた。哲太が、丹波の声の方を見上げると、彼の姿は消えていた。


(丹波、佐那河内へ)

丹波は、美桜や又五郎のいる甚五郎の家へ行くのを止めて、佐那河内に源一郎の戦況を知らせた。もし、甚五郎の家で、素直に戦況を話したら、美桜がどんな行動に出るかが心配だったのである。


「このままでは、源一郎様はどうなるかわからんほど追い込まれた戦をしてるようで・・。」

丹波は、佐那河内に着くとすぐに、与助と志摩に相談した。

「しかし、どうすればいいのだ。又五郎殿に佐那河内を任されたのは、わしだからな・・。」

与助の顔が、苦悩でゆがんだ。

弥吉と陽明は、見能林に向かい、忍びの権蔵まで、この地にいなかったのである。

そんな中、マイケルとサム、それに弥吉の側近の勝介や忍びの三郎、春の弟辰雄が、志摩に呼ばれてかけつけて丹波の話を聞いた。

「勝介さん。弥吉さんの船は明日つきますよね。」

志摩が、勝介に尋ねた。陽明と弥吉が佐那河内で使っている自前の船には、巨大な商船と、今、弥吉が乗船して見能林に向かっている中型の偽装軍艦があった。

「船に乗れば、いくら敵が攻めてきても女・子供は、大丈夫です。」

勝介は、志摩の言おうとすることを理解していた。

「聞いたでしょ。戦力になる男たちは、みんな長州に行ってもかまいません。」

志摩の決意が言葉に込められていた。

「サム、マイケル、わしと長州へ行ってくれるか。」

与助が、椅子に座って話を聞いていた二人に問いかけた。

サムが、親指をたてて、「OK!」と一言呟いた。それに合わせるように、マイケルがにやりと笑って頷いた。

「わしも明日仲間を連れて、向かいます。」

丹波の弟の三郎が、遅れまいとそう言った。

「ただし、わしらが長州へ行くのは、源一郎殿のいる大島口の援護であって、他の長州の戦に加わるわけではないですよね・・。」

最後まで黙っていた辰雄が、志摩に念を押した。

「その通り、辰雄さんが言わなかったら、みんな、目的を見失っているところだったわね。

特に、主人の与助は、血の気ばかり多くて、肝心の目的が分からないのだから・・。」

志摩が、意気込んで、今にも長州に駆け出しそうな与助をいましめた。

「分かっておるわ。人の前で恥をかかすな!」

与助が、志摩に文句を言った。

「相変わらず、仲のいいことで・・。」

辰雄の最後の冗談で、興奮でいきりたったみんなの表情に冷静さと笑顔が戻ってきた。



(陽明、新次郎が見能林へ)

「叔父上、私も人を斬って血にまみれたのです。そのこと、お忘れなく・・。」

朝霧の中、鴨川の橋のたもとに史郎、右衛門、忠成、春が、陽明と新次郎を見送りに来ていた。

陽明の言葉に、史郎と春が右衛門の反応をうかがった。

「どういう意味だ・・。」

右衛門は、それでもとぼけて陽明の言葉にまともに答えなかった。

「叔父上が私の言った頼みを忘れるはずがない。(新次郎の方を向いて)会津藩家老の折田周明は、程なくこの京を離れて、会津軍を率いて、長州に向かうはず・・。」

陽明は、そう言って、暗に右衛門への頼みを確認させたのかもしれなかった。

「折田とは何者なのだ。」

みんなの会話を理解できずに黙って聞いていた忠成が、初めて口を出した。

「会津の家老で、長州征伐の司令官です。陽明殿が右衛門様に・・。」

史郎が、忠成に説明しようとしたとき、

「そのことは、まあいい。忠成には関係のないことだ。」

そう言って、右衛門が史郎の言葉を中断させた。不満そうに、忠成が右衛門の顔を見る。

右衛門は、源一郎と美桜のこともあり、忠成に心配をかけて、この戦に巻き込みたくなかったのである。

「それにしても、陽明さんは何処で剣術を修行されたのでしょうね。」

右衛門が話を逸らせようとするのを引き継ぐように、春が話題を変えた。

「伊予姉さんは、陽明に誰にも負けない剣の達人に育てたくてな・・。もっとも、こいつは、剣の才能はあったが、学問が好きだったようで、いつしか刀を遠ざけるようになった。ただ、陽明の剣は、死闘になれば無類の強さを発揮するはずだ。何しろ、度胸だけは、人並みはずれているからな。」

右衛門がそう言うと、集まったみんなが、納得するように頷いた。

「それでは・・。」

自分の話題で居心地が悪くなった陽明が、早々に別れを告げると、新次郎に出発を目で合図した。

陽明の困難に対しての解決策を考え出す知力は、誰にも真似のできない才能である。そのことが、誰の心にも、彼なら何とかするのではないかという、信頼感を抱かせるのも確かであった。

「陽明には、人を引き付けるだけの人望はないが、誰もが持っていない並外れた知力を備えているからな。そのずば抜けた知能が、人から見ると横柄で自信過剰に見えるのだろう・・。」

陽明が去って行く後姿を見ながら、右衛門がぽつりと呟いた。

「おぬし、あの甥をよほどかっているようだな。」

右衛門の横顔を見ながら、忠成が笑顔でそう言った。

「なにせ、奴は、わしが持ってないものを持っているからな。(はっと気づいたように)いや、源一郎も陽明に負けない能力がいっぱいある。わしにとっては、可愛い甥だ。」

右衛門は、忠成の息子になった源一郎を慌てて褒めた。

「おぬしに言われなくても、わしがよく知っておるわ。」

忠成は、気を使った右衛門をからかうようにそう言うと、大きな声で笑い始めた。

この時、うっすらと事情を呑み込み始めた忠成の胸の奥で、美桜と源一郎のために、ある決意が固まり始めていたのである。



(双栄・権蔵)

最初に出会った寺の近くの茶屋で、双栄と権蔵が右衛門を待っていた。

「今さっき、忠成が大坂へ帰って行ってな。ついでに、浮田と春も大坂に連れて行ってもらった。この京は、何かと物騒になったし、先日の新選組の浪士を殺害したことで、奉行所が、うろうろし始めたので、わしも弥次郎の定宿に移ることにした。」

右衛門は、聞かれもしないのに、二人に自分の近況を話した。

「それがよろしいようで・・。会津家老折田様も何かと策をめぐらして、あなた様の殺害を狙っているようです。」

小物売りの恰好をした双栄が、小声で右衛門にそう言った。

「その折田だが、いつ長州へ動き出すかわからんか。」

右衛門は、双栄に向かってそう尋ねると、茶の入った湯飲みを口に運んだ。

「長州軍を取り囲む各藩の先発隊が、ほぼ陣を敷いたようなので、残りの後発隊と共に、会津軍を率いて、まもなく江戸に軍を移動させ、京で後発隊と合流して、長州に向かう計画です。恐らく、一週間ほど先では・・。」

双栄は、会津軍の移動の正確な日程は掴んでいないようだった。

「そうか、もし、動いたらすぐに知らせてくれ。」

右衛門が、そう言うと、双栄が軽く頷いた。

「権蔵、佐那河内はどうなっている。陽明がわしの所へ来るぐらいだ。この一戦に関わるつもりだろう。」

右衛門は、双栄の隣に座っていた権蔵に尋ねた。

「長州にいる源一郎様の所に、美桜様が行かれまして・・。佐那河内の連中は大騒ぎです。」

権蔵の言葉に驚いた右衛門が、彼の顔をじっと見た。

「よほど気の強い娘だな・・。」

右衛門は、そう言うとにやりと笑った。

「陽明様からは、お聞きではないので・・。」

権蔵の言葉に、右衛門は首を横に振った。

「また、何かあったら、弥次郎の定宿の俵屋という宿屋にいるから知らせてくれ。」

右衛門は、そう言い残すと、すっと立ち上がり、二人と目を合わせることなく立ち去った。「権蔵、これからどうする。」

二人になった時、双栄が尋ねた。

「わしは、陽明様が気にかかるから、見能林に行って、その後、長州に向かう。」

権蔵は、そう言うと、毛氈の上に茶代を置いて、双栄を一人残し、無言で立ち去った。



(陽明、新次郎)

見能林に通ずる山越えで道に迷った二人は、山中で焚火をたいて野宿をすることになってしまった。季節は晩秋、少し肌寒いが、僧侶姿の二人は、衣を地べたに着けて火のそばで寝るか、そのまま夜道を歩き朝を迎えるか、選択は二つであった。

幸い、山のふもとで酒を買って徳利を腰にぶら下げて、山道を登ってきた新次郎は、夜の間、酒を飲んで、野宿をしながら夜明かしをするつもりで、近くの丸太に座って、夜空を眺めていた。

「わしは、死んだらあの星のもとに行きたいものだ・・。」

新次郎の妙な言葉に、陽明は彼の顔をじっと見ると、にやりと笑った。

「あの星は、恐らく、太陽と同じ灼熱地獄だ。たとえ、あなたの魂であっても焼きつくすに違いないですよ。」

陽明は、からかうようにそう言うと、焚火に目を落として、枝木を投げ込んだ。

「もう、陽明君も分かったと思うが、私の命はそう長くない・・。いつも死神にとりつかれているんだ。まったく、たまったものじゃない。だから、幕府との戦は、私にとって死神のことを忘れさせてくれる絶好の機会になったようなものだ。皮肉な話だがね・・。」

新次郎は、陽明に語りかけながら、自分の気持ちを確かめようとしているようだった。

「私が、パリの牢獄で友になったガロアというフランス人も二十歳で死んだんだ。つまらない決闘でね・・。あいつも、自分の死を予感して生きることと戦っていた。彼の頭の中には、誰も真似のできない数式で構築された宇宙があったんだよ・・。彼の数学的理論は、歴史を大きく変えるほどの理論なんだ。それなのに、自由を求めて、現実の世界で命をかけて、最後は秘密警察の術中にはまって死んだんだ。あんたは、戦いに命をかけなくては、死の恐怖から逃れられないから戦うのか。他に死ぬことを忘れるために、自分の命を懸けられるものはないのか・・。」

新次郎は、なぜ陽明がそんな話をするのか理解できなかった。それでも、何故か彼の話した友に興味がわいた。

「自分にどんなに言い聞かせても、自分の死を自分自身に納得させられるわけがない。それに、あんたの友達のように、私にはこの世に残せるものもないんだ・・。だから、死を覚悟して戦える戦場があることに、私はほっとしているのかもしれない。」

新次郎は、自分の気持ちを、精一杯正直に言葉で表そうとしたのだった。

「人から、正直な言葉を聞くのは、気持ちのいいものだ。」

じっと、新次郎の言葉に聞き入っていた陽明が、ぽつりと呟いた。

「まあ、湿っぽい話はこのぐらいにして、飲まんか。」

新次郎はそう言うと、酒の入った徳利を右手に持って、左手に湯飲みを差し出して、陽明に酒をすすめた。陽明も新次郎の誘いを素直に受けて、湯飲みをもらうと、なみなみとつがれた酒を一気に飲み干した。

「ところで、陽明君。この戦、勝てるか。」

笑顔を取り戻した新次郎が、陽明に尋ねた。

「叔父上が、会津の家老を何とかすれば、勝てるような気がする。そのためにも、一刻も早く、この地で鉄砲隊を編成して、見能林の港に停泊する弥吉さんの軍艦に乗って、長州に向かわねば・・。会津の軍が、長州に着く前にな・・。」

陽明がそう言うと、

「夜明けを待って、すぐに見能林藩へ向けて出発だな。」

応じるように、新次郎がそう言った。

陽明の頭の中では、見能林藩の鉄砲隊を弥吉の船に乗せて長州へ向かう計画が、はっきりと現実のものになりつつあった。


明け方、陽明が、木々の間から朝日が差し始めたのを確認すると、おもむろに立ち上がり、出立の準備をし始めた。

「新次郎さん、行こうか。」

そう言って、丸太に座りさっきからじっと腕を組んで目を閉じている新次郎を見た。

「わしはな、あんたの友達のような、途方もない才能はないけど、三味線に合わせて小唄を歌えば、みんなが喜んでくれる。実際、京の色街では、わしの作った小唄があちこちで歌われてるんじゃ・・。もし、戦に命を懸けないとしたら、一生、三味線片手に面白い小唄でも作り続けたいもんだ。」

目を開けて、陽明に促されて立ち上がった新次郎が、楽しそうにそう言った。

「そりゃいい。戦で死ぬよりよほどましではないですか。」

新次郎の言葉に応じるように、陽明がけしかけた。

「まあ、あんたの友達と同じように、今度生まれたらそうしよう。」

新次郎は、そう言うと、大きな声を出して笑い始めた。

その姿を見ていた陽明も、陽気になった新次郎につられるように笑顔を見せた。



(双栄、権蔵、右衛門)

「どうやら、見能林から鉄砲隊を乗せて長州へ向かう計画は、敵の冠者にも知られてないようです。」

もっとも、密かに会津藩を裏切った双栄自身が、敵の冠者であったのだが・・。

いつものように、三人がいつもの場所の同じ床几に座って、権蔵と双栄は、行商売り姿、右衛門は、編み笠を深々と被っている。

「新次郎が、見能林藩に行く前に、相当、長州藩士に作戦の口止めをしたようだ。」

双栄の情報に、右衛門がそう言った。

「奇襲作戦ですか・・。これは面白い。」

双栄が、二人の会話を聞いて、そう言った。

「二人の情報を聞かせてもらえるか。」

右衛門が、忍びの二人を促した。

「見能林藩は、内田清五郎様(鉄砲隊頭。大越村出身)鉄砲隊百名を率いて、弥吉さんの船に乗り込み、長州へ向け見能林港を出ました。見能林藩主佐藤伊織様、それに筆頭家老野瀬聡明様以下全員、陽明様の計画に異論はなかったようで・・。高山新次郎様と陽明様も、内田様の鉄砲隊と共に長州に向かわれました。途中、敦賀港で食料などを補給した後、一週間後には、長州での奇襲を始めるとのことです。」

まず、権蔵が右衛門に見能林での情報を知らせた。

「まずいな・・。」

双栄が、権蔵の知らせを聞いて、そう呟いた。

「何が、まずいのじゃ。」

すかさず、権蔵が双栄に言葉の真意を尋ねた。

「会津軍も会津公を大将に、家老折田様を指揮官として、今朝、江戸から極秘に長州に向けて進軍して行ったのだ。もしかしたら、陽明様らより早く長州に到達するかもしれん。」

双栄の知らせを聞いた権蔵の表情が、厳しくなった。

「なぜ、すぐに、そのことを右衛門様に知らせに来んのだ!」

権蔵の言葉は、双栄を叱責するかのように激しかった。

「無理を言うな。わしが家老を裏切ったことがばれたら、この首から上が胴体についておらんわ。わしの立場にもなってみろ、奴らの目を盗んでやっと京に来たのだぞ。」

双栄が権蔵に言い返した。

「双栄の言う通りだ。権蔵、双栄を責めるな。わしらは、長州藩士ではない。長州の味方に回ったが、戦の成り行きまで責任はない。自分の命が一番だ。やるだけのことをすれば、それでいいのだ。」

そう言って、編み笠を上げて顔を見せると、権蔵に冷静さを取り戻させようと、いたずらっ子が悪だくみをするような目で、権蔵に微笑んだ。次の瞬間、笑顔が消えて、

「双栄には、引き続き、家老 折田周明の動向を探ってもらえるか。特に、京に入ってからの行動が分かれば、逐一知らせてくれ。万が一、裏切りが発覚すれば、いつでも仲間と共に、佐那河内に逃げろ。もっとも、今の段階では、会津の連中も、味方を疑う余裕もなかろう。」

双栄も、右衛門の言葉を納得したのか、にやりと笑って、応諾するように頭を縦に振った。

「わしはどうすればいいので・・。」

権蔵が、右衛門の指図を要求した。

「おぬしのしたいようにしてくれ。恐らく、息子の丹波もあの地でいるのではないか・・。」

右衛門は、指示など出さなくても適切な行動がとれる忍びだと、権蔵を信頼していた。その意味が分かった権蔵は、嬉しそうに微笑むと、深く頷いて、最初に立ち上がって、その場を立ち去った。それにつられるように、双栄も何も語らず、右衛門の前から姿を消した。 



(源一郎の危機)

主力の会津軍進軍の知らせは、長州の大島口で必死に戦う数少ない親藩である彦根藩を一層活気づかせた。

歩兵の襲撃を繰り返す彦根藩に対して、銃で勝る源一郎の指揮する大島口防衛軍の鉄砲隊は、寺の土塀に組まれた足場に駆け上がって激しく応戦した。しかし、いつもなら激しい銃撃に潮が引くように退却する彦根の兵士は、今回は、火縄銃と西洋式銃の混成部隊が、射程がはるかに長い長州軍の銃撃にひるむことなく、本拠となった寺の正門を一斉に射撃して、激しく抵抗した。両者の銃声が一瞬止まったのを機に、寺の正門が開くと、源一郎を先頭に百人余りの歩兵部隊が、門の近くまで迫ってきた彦根の兵士めがけて、押し返そうと激しい勢いで斬りかかったのである。次の瞬間、一つの銃声の音が上空に響き渡った。その音に合わせるかのように、門から出てきた長州隊の先頭の侍が、崩れるように地面に沈んだのであった。


「丹波、大変なことになった。」

源一郎らの砦に、闇にまみれて彦根藩の警戒網をかいくぐってやってきた忍びの丹波に、将太が、泣きながら訴えた。

「どうしたのだ。」

ただならぬ悲壮な声に、丹波は低い声で問いただした。

「源一郎が、彦根の鉄砲隊に撃たれた。」

将太の声は、鳴き声になっていた。

「なに!・・お前、泣いてる場合か。源一郎はどこにいる。」

丹波の顔が、鬼の形相に変わった。将太は、黙って俯いたまま源一郎の横たわる場所を指で示した。


源一郎は、哲太に見守られて、寺の本堂の一角の板の間に横たわっていた。他にも、若い長州兵がなすすべもなく、じっと立ったまま源一郎を上から見つめていた。

丹波が、慌てて源一郎の側に近寄ると、

「おお、丹波か・・。久しぶりだな。」

源一郎は、丹波の顔を見ると、無理に笑顔を見せて丹波に声をかけた。

「傷はどんな具合だ。見せてくれんか。」

丹波は、なるべく優しそうな声でそう言うと、近くにいた哲太の顔を見た。冷静を保とうと穏やかな顔をしようとしていた丹波とは対照的に、哲太の顔は始終険しかった。

「大したことはない。戦はこれからよ。」

源一郎は、そう言って自分を鼓舞しようとしたが、彼の表情は、気持ちとは裏腹に、苦痛に精一杯堪えているのは明らかだった。すると、哲太が、源一郎の上着をそっと広げて、丹波に源一郎の傷を見せ、首を横に振った。どうやら、心臓の近くを弾が貫いているらしく、晒で巻かれた白い布の表面は、真っ赤な血で染まっていた。丹波は、美桜の顔を浮かべて、何と報告すればいいのか考えると、目の前が真っ暗になりそうになった。しかし、丹波は気を取り直し、「あきらめるわけにはいかん。絶対に・・。」心の中で、何度も自分に言い聞かせたのだった。

「源一郎、待っていろよ。わしらが、きっとお前を助けてやるからな。それまで、絶対に死ぬな!」

大声でそう言うと、源一郎の手をしっかりと握りしめた。

「美桜に会いたいな・・。」

源一郎は、目を閉じたまま、丹波だけに聞こえるように、ささやく声でぽつりとそう言った。彼の目じりから、一筋の涙が頬まで伝わっていた。丹波は、哲太の方を向くと、

「佐那河内の連中が、長州に来ているのだ。美桜様もな・・。きっと、わしらが何とかする。それまで、源一郎を死なせるなよ。」

丹波の激しい口調は、哲太を叱責しているように聞こえた。そして、その言葉は、源一郎にも絶望の淵から救い出してくれるような励ましの言葉となったのである。

「丹波、源一郎を助けてくれ。それまで、わしらは、死に物狂いでこの砦を守り抜く。

なあ、みんな!」

いつの間にか、源一郎のそばにやってきていた将太が、丹波にすがるようにそう言うと、大きな声で、砦を守る仲間を励ましたのである。その声を合図に、辺りで、自分たちを鼓舞する声があちこちで巻き起こった。

「源一郎。みんなの声が聞こえるか。この威勢ならまだ大丈夫じゃ。それに、美桜様もお前に会いに、この長州に来ているのだぞ。お前、よほど惚れられてるな。」

丹波は、辺りに聞こえるように大きな声でそう言うと、いままで沈んでいた隊員の顔が、血の気が戻ったように明るい表情に変わってきた。

源一郎の明るくなった様子を確認した丹波は、ひとまずほっとした気持ちになり、時を惜しむかのように、みんなの前から闇の中へと消え失せた。

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