右衛門9-4
右衛門9-4
田原藩に到着した又五郎は、誰にも告げずに弥吉と別れ、田原の街道に消えて行った。
「弥吉さんにも告げずに、又五郎さんは、何処へ行ったのだろうなあ・・。」
弥吉の船が田原の港に着くと、田村が又五郎の到来を予想して港に会いに来ていた。
田村は、又五郎のことだから、小夜から知らせを聞いたら、きっと仇を取りに田原に来ると確信していたのである。
「田村様、右衛門様はどうなさっているので・・。」
弥吉は、右衛門の動向を把握することが、これからの自分の行動の指針になることを、今までの経験で心得ていた。右衛門が動くところに波乱が待っていると、確信しているのである。
「右衛門殿は、吉重様の葬儀に参列するために、柳生義親様と尾張の吉重様のお屋敷に、向かわれました。」
田村は、知っている事実を弥吉に告げた。
弥吉は、吉重の死について何の事情も知らなかったが、なぜかその葬儀に、これからを占う何かが隠されているような気がしたのである。彼は、ただの商人ではなかった。
「それより、ずいぶん大きな荷が運ばれたようだが、いったい何が蔵に運ばれたのです。」
田村は、目ざとく大砲の運搬に気づいていた。もちろん、中身は大きな布で覆われて、わからなかった。
「いずれ、分かりますよ。ひょっとすると、今度起こる騒動の切り札になるかもしれませんよ・・。」
弥吉は、そう言って、にやりと笑った。
田村は、又五郎のことが気になるらしく、それ以上、荷のことは追及しなかった。
「ところで、大池様のお屋敷の様子は、どのようになりました。」
弥吉のもう一つの気になる質問を、田村に尋ねた。
「一触触発だ・・。われら成年組の連中は、すぐにでも大池拓を捕らえて、安住博也の仇を取りたいのだが・・。吉重様がいなくなった今では、この期に乗じて、尾張家老 成瀬様の軍勢が、騒動を理由に田原に乗り込んで来るのではないかと、噂する重役たちも多くいる。なにせ、あの堅物の大池があのような大胆なことをするというのは、後ろに誰かいるに違いない・・。家老の笹様は、そのことを苦慮して、じっと状況を見守っている次第です。しかし、このまま、ずっとにらみ合いが続くとは、到底考えられん。」
一方、又五郎は・・
「爺さん、茶をくれんか・・。」
街道の行きかう人を、見ながら、編み笠を被った又五郎は、床几に座り、この茶屋で一人腰かけている。そして、斜め向こうの針治療の医院の戸が閉まると、おもむろに腰を上げ、立ち去るのである。こうやって、針治療の医院が開き、また閉じるまで、この茶屋の片隅で、じっと行きかう人を一日中眺めて、二日が経った。
「お武家様、何かこの辺りで、お探しの方でも・・。」
勘のいい茶屋の親父が、又五郎に、不審そうにたずねた。
「こう長居をしては、爺さんも迷惑だろう。これは、迷惑料として取っておいてくれ。」
又五郎は、そう言うと一朱金を一枚、親父が湯飲みを運んでいる盆の上に置いた。
「こんなに! 何も迷惑なことは一つもございません。どうぞ、一日中お座りなってくださいまし・・。」
爺さんは、そう言うと、何度も頭を下げて、愛想笑いをした。
数日前、又五郎は田原の港に着くと、密かに田原藩家老 笹久内に会っていた。
仇討の話、又五郎から聞かされた笹は、難しい顔をして腕を組んで、目を閉じ、何か考えているようだった。
「しかし、今動けば・・。(しばらくおいて・・)まあ、それはいいとしても、おぬしどうやって大池を討つつもりだ。何か当てでもあるのか。奴は、大勢の浪人たちと屋敷に立て籠もったままだぞ・・。」
笹は、内心、いつも一緒に藩政を切り抜けてきた又五郎に会えて、手を取って頭を下げたいほど嬉しかった。
「奴は、腰が悪いのだ。それも、ただの腰痛ではない。毎日、針をかかせないほどの深刻な病だ・・。あ奴が、通っていた針の医院の近くで待てば、忍んで必ずやってくる・・。」
又五郎もまた、笹の顔を見て、言いようのない安心感で、今までの不安が吹き飛んだ。
お互い剣を極めようと日々鍛錬し、偶然、この田原藩で同僚として、政務をつかさどった二人にしかわからない友情のようなものだった。
「わしが止めても、おぬしは言うことは聞かんだろう・・。もし、おぬしの仇討がきっかけで、この田原藩で騒動が勃発したとしても、それはそれでいいような気がする。わしも、その時は腹をくくって、尾張の連中を迎え撃って見せるわ。」
そう言って、笹は、わざと高笑いをした。
「すまん・・。しかし、わしが仇を討ってやらねば、博也にどういって詫びればいいか・・。このわしが、あいつを小夜の婿にと頼まなければ、こんなことには・・。」
いつの間にか、又五郎の頬から涙がつたっていた。
「おまえらしいな・・。(しばらく黙って)後のことは、わしが引き受けた。」
笹のこの言葉を聞いた又五郎は、誰に知られることなく、笹の屋敷を出たのである。
(柳生吉重の葬儀)
吉重の葬儀は、彼を慕う弟子たちで、屋敷の外まであふれかえっていた。
その連中に、料理をふるまう女中たちが、あわただしく屋敷の内外で動いている。
しかし、吉重の遺言で、葬儀自体の規模は、尾張柳生頭首であり、尾張藩の重鎮であったにもかかわらず、質素なものになった。
やがて、吉重の仕えた竹腰正博(尾張藩付家老、今尾藩主)が、葬儀を後にすると、人の波は次第に途絶えていった。
吉重の妻のはからいで、柳生吉重、柳生孫之丞、大江宗平(尾張柳生指南役)、それに右衛門が、屋敷の客間に通された。
季節は春に近づき、簡素だが手入れの行き届いた庭では、鶯の鳴き声がいかにものどかに聞こえてきた。
「我が亡き主人の遺言により、柳生義親様、佐藤右衛門様のご助言をいただき、尾張柳生新陰流の行く末について、孫之丞様と共に話し合ってほしいとの意思でございます。」
この言葉に、大江宗平(尾張柳生指南役)が、反応した。自分の名がなかったのである。
当然、自分が尾張柳生の次期頭首に指名されると思っていただけに、一抹の不安を感じた。
また、孫之丞にしてみれば、右衛門がこの場にいることが、不満でならなかった。ただ、吉重の遺言となれば、異をとなえることもできなかった。
「御内儀、済まぬが、春の息吹を感じる季節に、吉重殿の好きな庭を見ないのも無粋な話・・。申し訳ないが、少し障子を開けてくださらぬか。」
義親は、そう言って、吉重の妻に笑顔を見せた。
「これは気が付きませんで、申し訳ありません。」
吉重の妻はそう言うと、すっと障子を開けると、その期を利用してそのまま奥へと立ち去った。
「ところで、早速だが、わが柳生流の頭首の座が、吉重殿がいなくなったことで、誰かに継いでもらわねばならぬことになった・・。よろしければ、吉重殿の遺言でもあり、江戸柳生の頭首でもある義親殿に、意見を聞きたいのだが・・。」
孫之丞は、そう言うと、義親を鋭い目で見た。
「一応聞くだけだ。文句は言わさん・・。」と言わんばかりであった。
上座から、庭を背にして、孫之丞、大江宗平が座り、二人の対面に義親、右衛門が、並んで座っていた。
義親は、腕を組んで目をつむり、黙ったまま何も言わなかった。右衛門は、大江の頭越しに、目立たず咲いている水仙の花を、ぼんやりと眺めている。
「義親殿には、別段意見もなさそうなので、この際、わたしが、次期尾張柳生流頭首を指名したいが、御異存ないものと考えてよろしいかな・・。」
黙って意見を言わなかった義親に満足した孫之丞が、気をよくしたのか、一転、柔和の顔になり、そう言った。
彼は、義親と、右衛門の顔を交互に見て、
「それでは、わしの意見を述べさせてもらう。(一拍、呼吸を入れて)わしの横におる大江宗平を、尾張柳生の頭首に推挙したいが・・。よろしいかな。」
孫之丞が、少し声の調子を上げて、そう言った。
一瞬の静寂があり、大江が、前の二人に向かって手をついて頭を下げた。
「それは、都合が悪かろう・・。」
義親は、じっと目を閉じていたが、その言葉とともに大きく目を見開いた。
辺りに、緊張が走る。
「なにゆえに!」
あっという間に、孫之丞の顔が真っ赤になった。
「大江!おぬし、吉重殿に死をもって償わねばならぬ罪を犯した覚えはないか・・。」
義親は、怒りで阿修羅の顔となって、大江を睨みつけていた。相変わらず、右衛門は、義親の言葉に反応することなく、庭を眺めている。
「何のことか・・。義親様は、私に何の恨みで、そのようなことをおっしゃるのか・・。
たとえ、義親様とはいえど、そのお言葉、聞き捨てになりませんぞ!」
義親の怒りの気迫に対抗するように、大江が義親を睨み返した。
一瞬沈黙が続き、義親が庭の向こうの開き戸の方に向かって、
「権蔵!あの女を連れて来い!」
そう叫んだ。
すると、庭につながる木戸を開けて、縄で縛られ、無理やり引きずられるように、吉重の家の台所で、料理の配膳を務める女が入ってきた。
「女、おまえが、吉重殿に毒をもっていたのだな・・。」
義親は、女の顔も見ずに、権蔵が連れてきた女にそう聞いた。
女は、観念したかのように、頭を下げて頷いた。
「わしはのう・・。お前も可哀そうな奴だと思っておるのじゃ・・。やりたくもない罪を無理やり押し付けられて・・。もし、お前が本当のことを言えば、わしはお前を許すつもりじゃ・・。(しばらく間をおいて)誰が、お前に義親殿に毒を盛るように脅したのじゃ。」
相変わらず、義親は女の顔を見ずに、自白を促した。右衛門は、相変わらず庭を見ている。
大江の顔が、顔面蒼白になって、ぶるぶる震えだした。
「申し上げます。そこにおられる大江様に・・。」
女は、すでに落とされていたのだろう。何のためらいもなく、白状した。
「そこの女!たわけたことを言うな!」
大江が、女の方を睨み付け、血相を変えて、大声を出した。
「すでに、この女の実家で親の証言も取り、大江様が女の実家を何度も訪れたという証言も得ております。この事と次第は、報告済みで、竹腰様の指示で、内々に尾張藩奉行所も確認済みかと・・。」
権蔵が、頭を下げたまま膝をついて、淡々とした口調でそう言った。
「大江・・、すでにおぬしの命運は尽きたのじゃ・・。大人しく死を選べ。」
義親の口調は、穏やかだった。前の孫之丞は、じっと黙ったまま俯いている。
すると、追い詰められた大江が自分を失った。
いきなり正面の右衛門めがけて、横にあった刀を取ると、白刃を水平に振って右衛門の体を斬り裂こうとしたのである。それに応じるかのように、右衛門は、横にあった太刀を左手に掴むや否や、右逆手で剣の束を握り、抜いた刀を素早く振り上げた。この反応は、大江の抜刀より一瞬速く、大江の右手を一閃が走った。
次の瞬間、大江の右手は刀を握ったまま、ずばっと、切り落とされ、畳に転げた。右衛門は、間を置かず、右ひざを立てると、大江の首から胸にかけて、袈裟に刀を振り下ろしたのである。天井に血しぶきが吹きあがり、大江の体はバタリと前の畳に倒れ込んで、動かなくなった。すでに、息はなく、あっという間の絶命であった。
「右衛門殿、いやな役目をさせた。済まんのう・・。」
義親は目を閉じていたが、目じりからは涙がつたっていた。
右衛門は、改めて、座りなおすと、軽く頭を下げた。
「孫之丞殿、わしは笹久内を尾張柳生頭首に推したいが、よかろうか・・。」
目を開けた義親が、静かにそう言った。
孫之丞は、諦めたように頷いた。
ここでの事件は、池に投げ込んだ石の波紋のように、じっくりと周辺に伝わっていったのである。
(佐那河内に小松が来る)
佐那河内に、薩摩藩家老 小松清三郎がやってきた。雄藩の家老ではあったが、二十歳後半の若者であった。小松の家は、代々家老を務める家柄で、彼は若いころから秀才として知られ、島津明定が藩主になるや、すぐに家老に登用された逸材だった。
薩摩の小松の乗る船を出迎えたのは、陽明と源一郎であった。
「小松殿、そのお二人は・・。」
源一郎が、小松の後ろに控える二人の若者に目をやり、そう尋ねた。
「大久保と田中と言いまして、いずれも薩摩藩士ですが、頭の出来は大久保。剣の腕は田中。両名、我が藩では抜きんでて有望な若者です。まあ、見ただけで、それとなくお分かりになるでしょうが・・。」
小松がそう言って、屈託なく笑うと、二人が、彼の後ろで、慇懃に頭を下げた。
「田中殿は、我が叔父、右衛門が目当てでしょうか・・。」
源一郎は、からかうように田中に聞いた。
「はあ、ぜひともお会いしたくて、小松殿に直談判した次第で・・。」
いきなり、前に出てきた田中が、勢い込んでそう言った。
「それは残念だ。あいにく叔父は留守でしてなあ・・。」
源一郎が、淡々とそう言った。
田中は、目に見えて、がっかりした様子だった。
「大久保殿は、陽明に関心がおありか・・。」
源一郎が、もう一人の青年にそう聞いた。
「はあ、ぜひとも西洋の事情などお聞きしたくて・・。田中と同じく、小松殿に、お供をお願いした次第です。ただ、わたしは、この佐那河内にも興味があります。小松殿の話では、この村は、未来の日本の姿を先取りしているような開かれた村だと、聞かされていましたので・・。」
大久保の言葉に、陽明は興味を示さなかった。要するに、見下していたのである。
小松ら三人は丘の上の屋敷の客間で少し休むと、さっそく佐那河内を、陽明と源一郎に案内されることになった。村の後ろの山の中腹にある崖のそびえる海岸に、巨大な隠れ港を見せられた小松と大久保は、何度も驚嘆の声を上げた。ただ、田中はそれほど感動をしていなかった。
「やはり、金ですなあ・・。要塞のようなあの港を造るには、途方もない金が必要でしょう・・。」
そう言うと、小松は大久保の顔を見た。
「それと、海を自在に行き来できる大型船でしょう。この地には、廻船問屋の弥吉という商人がいる。その後ろには、今では日本有数の大店の大前屋がいますからなあ・・。」
大久保の適格な分析に、陽明は少しだけ大久保という男を見直した。
「どうです、我らの仲間が射撃をやっているのですが、見に行きますか。」
源一郎がそう言うと、三人そろって、「ぜひ!」と共鳴した。
サムが、遠く向こうに置かれた小さな皿を銃で撃ちぬいた。
続いて、将太、哲太、マイケルと、誰も外すことなく、適格に皿を砕いたのである。
ナタリーと小夜が、手をたたいて喝さいを送る。
「小夜の奴、だいぶ元気になったなあ・・。やはり、同じ年ごろの仲間といるのが、いい薬になったのだろう・・。」
源一郎が、にこにこしながら、彼らを見ている。陽明が、源一郎に同調するように頷いた。
近くで、滝が、幼い子供を遊ばせている。その子供も、小夜とナタリーと同じように、銃が皿に命中するたびに、大きな声を出してはしゃいでいる。
この光景を、並んで見ている薩摩の三人は、何やら違う世界に来たような気持ちになっていた。
「佐那河内には、異人がいるのですか・・。」
すっと見ていた田中が、素直な気持ちでそう言った。
「別段、可笑しくなかろう。あの港を見たのなら、イギリス人がこの地に居ても不思議ではないと思うが・・。それにこの地は、自治区ですしな・・。あなたの国にも唐人がいると思うが・・。」
陽明は、「異人」という言葉に、不快感を覚えた。
「これは、失礼仕った。なにせ、田中は薩摩の田舎者ですので・・。田中!言いようには、気をつけろ!」
小松が田中をしかりつけると、田中は、狼狽したように、何度も頭を下げた。
すると、ナタリーが、見学に訪れた薩摩の客人に気づいて、大きく手を振った。
それに気づいた三人は、それに応えるべく、一生懸命手を振った。
それを見て、陽明と源一郎は、思わず苦笑した。
源一郎、陽明、小松らは、山での見学を終えると、談笑しながら丘の上の屋敷にまで通じる大きな一本道を下っている。
「田中殿が来てくれたので、黒龍党の襲撃に際して、手薄な丘の上の守りが安心できる。これは思いがけない幸運が舞い込んだ。なあ、陽明!」
源一郎は、薩摩からの剣豪に喜んでいるようだった。
「源一郎殿は、人斬り慎吾のことは、御存じないので・・。」
いきなり、田中が、源一郎に尋ねた。
「名は叔父上から・・。酒田の港で、大店を構える主人とか・・。」
源一郎も陽明も慎吾のことは知らなかった。
「奴とは、何度か道場の試合で顔を合わせたことがあるのですが・・。」
すっかり、二人に慣れた田中は、饒舌に話し出した。
「どちらが勝ったので・・。」
源一郎がそう聞いた。ただ、興味があるわけではないが、社交辞令であった。
「取られたり、取ったりでした。あの慎吾が、かわいい嫁をもらって、大店の主人になったと聞いて、驚くやら、うらやましいやら・・。」
そう言って、田中は、快活に笑った。
「平九郎、静かにせんか・・。剣豪がそのようにべらべら喋ってばかりいると、本物かどうか疑われるぞ。」
黙っていた大久保が、そう言って田中の饒舌を非難した。
「まあいいではありませんか。わしは、そんな田中殿が好きだけどな・・。」
源一郎がそう言って、田中をかばった。
「そんなことはない。大久保さんの言うことも、わからんではない。」
今度は、陽明が、大久保を援護した。
むっとした源一郎が、陽明を睨んだ。それに、応じるかのように陽明が、源一郎を睨み返した。
「不思議な二人だ。」
それを聞いていた小松は、二人を見ながらそう思い、苦笑した。
「陽明殿は、小刀しか差していないようだが・・。」
田中が、ずっと思っていたことを、思い切って聞いてみた。
「わしは、剣は苦手です。第一、これからの時代は、剣など必要もない・・。」
陽明は、大小の刀を差すみんなにお構いなく、そう答えた。
「こいつは、その代わり、懐にピストルを入れているのです。なあ、陽明!」
前を歩く陽明に、源一郎が、からかうようにそう言った。
陽明は、その言葉を完全無視した。
すると、源一郎は、いきなり刀を抜くと、陽明に斬りかかった。
陽明は、素早く源一郎の一振りをかわすと、後ろを振り返った。
「何をするんだ!危ないではないか・・。源一郎、気でも狂ったか!」
さすがに、怒りをあらわにして、陽明が、源一郎にくってかかった。
「心配するな、刃は潰してある。(しばらく置いて)伊予の伯母上がよく言っていた。陽明は、将来、叔父上に負けない剣豪になる・・とな。」
源一郎はそう言うと、大きな声で笑った。
「陽明殿、今のさばきは、ただものではござらんな。」
小松が、驚嘆するようにそう言った。
「まことに・・。」
大久保が同調する。
田中は、さっきから、陽明の刀をよけた、体のかわしにひたすら驚いていた。
「この地は、変わった人間がごろごろいるようだ・・。」
大久保は、改めて、佐那河内という不思議な村に、カルチャーショックを受けていた。
(大池屋敷)
大池屋敷は、浪人や忍び達でごった返していた。立ち働く屋敷の使用人は、彼らの食事を賄うだけで、休む暇もなく働かされた。
「大池拓は、一度もこの屋敷を出ていないのか。」
昨夜遅く、密かにこの屋敷に様子を見に来た忍びの棟梁の京成は、この屋敷を仕切る配下の忍びに、そう尋ねた。
「何度も腰が痛いので針を打ちに鍼灸院に行きたい、などと言いましたが、奴を狙う田原藩の成年組の連中が、屋敷を出る大池を密かに狙っているようで・・。」
広大な大池の屋敷は、事実上、京成の手下に乗っ取られ、家の者も自由に行動はできない始末であった。
「事情が変わってな・・。井伊様は、一刻も早く、成瀬様の鎮圧部隊を使って、田原藩を制圧させねばならなくなった。大池が外に出たいというなら、腕の立つ浪人を数人つけて出してやれ。おそらく、成年組の連中が、奴を襲いに来るだろう。そうなったら、この屋敷から援軍を送って、騒ぎを大きくしろ。その機を逃さず、尾張から、成瀬様の鎮圧隊を送り込む手はずだ。」
京成はそう言って、反乱をすぐに仕掛けよ、と命じた。彼にとって、大池拓の命など、どうでもよかったのである。
「田原藩から家老の笹久内率いる応援部隊が、成年組に合流するのでは・・。」
京成の手下は、家老 笹久内の動向を心配していた。
「そうなると、こちらの思うつぼだ。奴らは、成瀬様の鎮圧隊の到着を恐れて、必ず焦って攻撃を仕掛けてくる。だが、奴らの数は、せいぜい八十人足らずだ。藩士の中で、笹の命に従わぬ家臣が門を閉ざして、じっと家に閉じこもっているはずだ。あいつらは、この騒動の後ろに井伊様が控えているのを、薄々知っているのだ。もし、今の家老に従えば、体制がひっくり返って、反逆者になりかねないと、恐れているのだ。我らの配下の者が、相当この地で噂を広めたからな・・。」
京成の見積もりは、当たっていた。田原藩で、家老 笹の自由に指揮できるのは、成年組を除けば、五十名足らずであった。一方、大池の屋敷には六十人を超す浪人たちが、籠城していたのである。
京成がこの屋敷に来る前に、井伊祐直は、吉重の葬儀で大江宗平が右衛門に殺害されたという知らせを受けたのであった。
焦った井伊は、その日の深夜、京成と家老の坂谷を呼んだ。
「計画は急がねばならん・・。大江宗平(尾張柳生指南役)が右衛門に殺されたとなると、尾張での家老成瀬殿の立場は弱くなる。竹腰殿が尾張公にそのことを知らせれば、あのお方が、竹腰殿に傾くやもしれん・・。知らせによると、尾張公に大前屋が四万両献上したとのことだ。事態は、一刻の猶予も許されん。この際、佐那河内襲撃と田原藩の騒動は、同時に決行する余裕はないかもしれん・・。まずは、田原藩じゃ。よいな、心得てかかれ!」
井伊祐直はそう言って、二人の家臣に檄を飛ばした。その命を受けて、京成は、田原の大池の屋敷にやって来たのであった。
(茶屋にいる又五郎)
この茶屋に、又五郎が通って三日目になる。いまだ、大池拓の姿は確認できていない。
又五郎の必ず大池が来るという確信が、揺らぎ始めていた。
「お武家様は、よほど待ち人に会いたいのですなあ・・。今日で、三日になる。団子でも持ってきましょうか。」
茶屋の主人が、又五郎に気を使って、そう言った。
「いや、構わんでくれ。できれば、茶をもう一杯持ってきてくれるか。」
そう言って、又五郎は、編み笠を少し上げて、主人に微笑んだ。
「気がつかんことで・・。」
茶屋の主人がそう言って、奥へ入った時、五人の編み笠をかぶった浪人風の男たちが、茶屋の前を通り過ぎようとした。その先頭を歩く男は、腰が痛いのか、何度も腰をさすりながら、ゆっくりと歩いている。
「大池拓殿、お待ちしていましたぞ!」
又五郎が、目の前を通るその集団に声をかけた。
すると、又五郎の声を聞いた途端、集団がさっと左右に分かれて、又五郎に向かって刀を抜いた。
「何用!」
その中の一人が、大声をあげて、又五郎を威嚇した。
「わしは、安住博也の義父 安住又五郎じゃ・・。こう名乗れば、用を言わずとも察しがつこう。悪いが、大池!博也の仇をとらせてもらうぞ!」
又五郎はそう言うなり、さっと立ち上がり、刀を抜くと同時に、一番近い浪人に向かって、目にも止まらぬ速さで男の胴をさっと払った。
余りの凄まじい一撃に、胴を払われた男は、声も上げることなくばたりと倒れて、地面を血で染めた。その後も、又五郎の刀の一振り一振りは、怯んだ三人の浪人を一人一人倒していった。彼は、相手の剣をかわすことなく全て受け止め、まるで丸太を斧でたたき割るように、浪人たちをねじ伏せていくように倒していったである。後ろで震えながら刀を正眼に構える大池が、又五郎の圧倒的な剣さばきに恐怖を抱き、さっと踵を返すと、一目散に駆け出した。すると、又五郎は、今までゆっくりと浪人たちを一人一人葬っていった足取りを、急に早足に変えた。そして、大池に追いつくなり、彼の背中をズバッと袈裟に斬りつけた。
「ううう。」
大池は、低く唸るような声をたてた。次の瞬間、自力で支えられなくなった大池の体は、まるで丸太のように、地面に転がり即死した。
又五郎は、大池の息がないのを確認すると、今までの緊張が途切れたように、ふっと息を吐いた。そして、ふと前方を見上げると、十人程の塊となった浪人の集団が、刀を抜いて又五郎の方へ向かってきたのである。又五郎は、その集団を見てもひるみもせずに、にやりと笑った。しかし、街道のもう一方の方角から同じぐらいの人数の武士が、前の集団に応戦するために、脱兎のごとく駆け寄ってきた。
「又五郎殿!前の奴らは、この成年組にお任せくだされ!」
又五郎に向かって、声をかけたのは田村勝信であった。
二つの集団の小競り合いは、長く続かず、成年組が押し返し始めた。たまらず、最初の集団は、彼らの本拠地の大池の屋敷に逃げ込んだ。追ってきた成年組と又五郎たちは、多勢の屋敷には踏み込むことはできず、門の外で、屋敷の中の浪人たちとにらみ合いになった。しばらくすると、知らせを聞いた成年組の仲間が、先の仲間と合流し、屋敷の正面で、浪人たちに対峙するようにその場で居座った。お互いのにらみ合いは、次の一手を打つこともできず、小康状態に陥ったのである。
辺りは次第に暗くなり、外で陣取る成年組の三十名あまりは、夜襲に備えて、あちこちに焚火を焚き始めた。
「又五郎様。」
右衛門のように刀を肩にかけ、焚火の所で胡坐をかいて、じっと屋敷の正面を睨んでいる又五郎に、砲手として佐那河内から派遣された権蔵の手下の飛び猿が、いつの間にか近寄ってきて、小声で声をかけた。
その声に、又五郎の横で座っていた田村が反応して、刀の束に手をやった。
慌てて、又五郎は右手を出して、田村を制した。
「何だ。」
又五郎が、そう答える。
「仲間の知らせでは、成瀬様の命令で、尾張から鎮圧隊が出発したようです。どうやら、この屋敷の誰かが、成瀬様に状況を知らせているようで・・。頭の権蔵か丹波がいてくれれば、もう少し何とかなるのですが・・。二人とも右衛門様と佐那河内のことで、手一杯でして・・。」
飛び猿は、仲間の忍びの数が手薄なようで、相手の連絡役を把握できていないようだった。
「いずれ、屋敷の奴らは打って出るだろう・・。ところで、陽明のあれはどうなった。」
又五郎は、誰かに聞かれるのを警戒して、そう言った。
すると、飛び猿はにやりと笑って、
「向こうの丘に・・。又五郎様の合図で、いつでも使えます。屋敷の使用人は、別棟の部屋で眠っているので、罪のない連中は狙いません。あれは、この国の兵法では、想像もつかない代物ですからな・・。わしは、一度佐那河内で試したことがある。使った後は、震えが止まらなかった。」
と言ったとき、まるで獲物を見ているライオンのような目をしていた。
「陽明が言った通り、あれが最後の決め手になりそうだ。そうでなければ、わしらは死を覚悟で、立ち向かうしかないがな・・。」
又五郎は、二門の大砲に頼るしか、次の一手で状況をひっくり返す手はなかった。
「恐らく、明日早朝、動きますよ。その前に、先制攻撃しか手はないかと・・。」
飛び猿の言葉に同意するように、又五郎は深く頷いた。
「いったい何の話です。」
傍で、二人の会話を聞いていた田村が、いぶかしそうにそう尋ねた。
「田村、城にいる笹殿に、我らに加勢無用と伝えて来い。恐らく、今夜は、夜討ちはあるまい。奴らは、尾張の鎮圧隊と軌を一にしているのだから・・。」
又五郎の言葉に、田村は戸惑った。もし、城にいる笹の援軍がなければ、相手はこちらの倍の人数で攻めてくるのである。成年組の仲間の剣の技量では、集団の合戦となると、又五郎だけでは、正面衝突は分がなかった。
ためらっている田村に、
「この騒動、田原藩には一切かかわりはないのだ。そうでないと、明日にもやってくる鎮圧隊は、田原藩主 植松様に罪を問うことになる。そうなれば、成瀬様や井伊様の思い描いたとおりになる・・。笹殿には、我らの戦には決してかかわらぬようにと・・。」
この時、田村は、又五郎が死を覚悟していると勘違いした。
又五郎と飛び猿には、もっと大きな計画があったのである。
それは、鎮圧隊が田原に入る前に、この騒動を跡形もなく片付けてしまうという、次元の違う作戦であった。
「今すぐ、行ってきます。」
勘違いした又五郎の覚悟に、追随することを決めた田村が、不敵な笑いを浮かべて、薄暗闇に消えていった。
(田原藩城内)
「又五郎殿は、分かってないのだ。幕府の中心人物が、藩主を改易させようと決めれば、騒動を起こし、制圧するのは、いつものやり方・・。どんな言い訳をしようと、藩が関係ないでは済まされない。鎮圧隊は、又五郎殿たちを壊滅した後、必ず城に入場してくる。又五郎殿は、犬死だ・・。」
田村の知らせを聞き終わった笹久内は、眉間にしわを寄せて、苦悩をにじませた。
「されば、手勢を率いて又五郎殿に合流し、鎮圧隊が到着する前に、大池の浪人たちを壊滅すれば・・。」
今では、笹の右腕になった関兼定(田原藩剣術指南役)が、策を提案した。
「おぬし、そんなことができると思うか・・。相手は、弓矢をもって、屋敷に立てこもっているのだぞ。こちらの総勢は、せいぜい成年組を入れて八十名足らず・・(笹は、今ここにいる連中で、自分に従う藩士は二十名にもならないと、心の中で思っていた。そうなると、総勢五十名。)。奴らの数は、六十名あまり。もし、戦いが終わらなければ、鎮圧隊が到着して、我らは一人の残らず戦死するのだぞ・・。」
笹の言葉は、関への八つ当たりのようにも聞こえた。
「それでは、又五郎殿や成年組の連中を見殺しにしろと・・。」
関は、笹の言葉に納得しようとはしなかった。
笹は、関の言葉を無視して、
「田村、ご苦労だったな。(しばらく考え込んで)わしは一人でも、鎮圧隊をこの地に入れぬ覚悟で戦うと決めた。もちろん死を覚悟でな・・。焼け石に水かもしれんが、それが又五郎殿や成年組への援護にもなるかもしれん。そうせねば、尾張柳生の門弟として、田原藩家老として、義は通せぬ・・。」
腹を決めた笹の顔から、苦悩の表情が消えていた。
「わしも共に戦いますぞ・・。尾張柳生の師範として、他人にとやかく言われるのは、かなわぬわ・・。」
関はそう言うと、大きな声で笑った。この場に参加した関の門弟は、彼の言葉に同調するかのように、立ち上がり右手を挙げて、自分達の戦意を鼓舞した。ただ、残りの藩士は、黙ったまま、じっと座って、この場の雰囲気をやり過ごそうとしていた。
田村は、二人の言葉を聞くと、納得したかのように、又五郎のもとに帰っていった。
(決戦)
夜が白み始め、又五郎は、飛び丸から預けられたのろしに使う花火を藩士に託し、大砲の発射の機会を見定めていた。
「よいか!爆弾が着弾したら、刀を抜いて屋敷から出てきた奴らに応戦しろ。こちらから、飛び込むような真似はするな!出てきた連中とたちあえばそれでよい。ただ、戦いに長期戦は許されぬ。戦う相手を逃せば、相手の勝ちと思い、決死の覚悟で立ち向かえ!われら、死ぬか生きるかじゃ!」
又五郎は、あらん限りの大きな声で、成年組の連中に檄を飛ばした。
彼が、右手を上げると、その合図を待っていた藩士が空中に向かって花火を上げた。
間もなく、向こうの丘の方から、爆音の音がかすかに聞こえた。
しばらくすると、上空に轟音が鳴り響き、屋敷の母屋に着弾した。
ドカーーーン!!!
飛び出してくる屋敷の敵を迎え撃とうと、刀を抜いて身構えていた又五郎や成年組の連中は、その爆弾の破壊力に度肝を抜かれ、体が凍りついてしまった。
「何じゃ、あれは・・。この世のものとは思えん。」
成年組の一人が、思わずつぶやいた言葉に、爆弾の威力の恐ろしさが込められていた。
前を見ると、母屋の建物は、その形を留めていなかった。
数分おいて、気が狂ったように、浪人たちが丸腰のまま叫びながら、屋敷から門をくぐり、外に飛び出してきた。続いて、爆弾が着弾していない家にいた使用人たちが、浪人たちに続いて出てきた。さすがに、京成の送り込んだ忍びの連中は、それでも半壊の屋敷で立てこもり、戦意をなくしていないようだった。
「お前らは、地べたに座って、頭を伏せておれ!」
成年組の藩士の命令に、出てきた浪人たちは素直に従って、地べたに這いつくばった。
その状況をしっかり確認した田村が、屋敷に向かって大きな声を上げた。
「よいか!刀を捨てて出てこぬ奴らには、もう一発お見舞いするので覚悟しておれ!」
言い終わると、田村は、何とも言えない嬉しそうな顔をして、目で花火を上げるようにと、藩士に指示した。
花火が上がり、再び轟音と共に、母屋で爆弾がさく裂した。
今度は、数人の手下と共に、京成に指名された指揮官の忍びが、全壊した屋敷から、手を合わせ、泣きながら外へと出てきて投降した。戦いは、一刻(いっこく、一時間)もかからなかった。
「陽明の言った通りかもしれん・・。(陽明の言葉)‘この国は何十台かの大砲で、ハチの巣がつついたような騒ぎになり、やがて列強の国にひれ伏しますよ・・。’」
又五郎は、戦いの勝利の嬉しさと、得体の知れない不安を感じていた。
「いったいこの国は、これからどうなるのだろうか・・。」
又五郎の頭に、陽明の不敵な笑い顔が浮かんでいた。
(迎え撃つ笹久内)
遠くを行進してくる尾張の鎮圧隊を、街道の真ん中で阻止しようと、笹久内、関兼定以下二十数名の田原藩士が、じっと眺めている。
「関、わしらは、愚か者かもしれんな・・。」
敵の姿を見ながら、笹が呟いた。
鎮圧隊百名余り(騎馬隊五十、歩兵五十余り)。勝てる相手ではなかった。
「いいではありませんか。これだけの人数の敵と一戦交えることができれば、後々の語り草になりましょう。なあ、みんな!」
関の言葉に、関の門弟たちが奮い立とうと、大きな声でわめき散らした。
「来るなら来い!目にもの見せてやる。田原武士とはどういうものかを教えてやる・・。」
言った男は、目に涙を浮かべて、死の覚悟を自分で確かめていた。
やがて、騎兵隊が笹たちの集団近くにやってきて、笹たちはいっせいに身構えた。
すると、鎮圧隊に追いつくように馬を飛ばして、隊の後方で大声を出しながら、何かを知らせようとしている数人の馬上の武士の集団が現れた。彼らは、あっという間に鎮圧隊を追い越して、笹の集団と鎮圧隊の間に入って、隊の前で向かい合った。
「何者!」
鎮圧隊の司令官らしき侍が、大きな声で後から来た武士に声をかけた。
「ここにおわすは、尾張藩家老 竹腰正博様じゃ。皆、騎馬を降り、かしこまれ!」
竹腰の側近らしき男が、血相を変えて鎮圧隊に命令した。
それを聞いた鎮圧隊は、慌てて馬から降りると、竹腰の前で平伏した。
「尾張藩主 徳川定家様からの上意じゃ!みな、心して聞け!」
馬から降りた竹腰は、そう言うと、鎮圧隊全員が、さらに頭を低くして平伏した。同じように、笹や関たち田原藩士もすでに平伏している。
「上意!
この度、幕府の命により田原の騒動の鎮撫にあたった尾張筆頭家老 成瀬重住の命令は、我が意志にはあらず。よって、鎮撫隊は早々に解散し、田原より立ち去るよう命じる。なを、成瀬重住の行いは、余りにも軽挙。」
読み終えた、竹腰は、前に平伏する鎮圧隊に向かって、
「おぬしらは、幕府と尾張、どちらの武士じゃ・・。尾張藩は、幕府の指図を受けねばならぬような、その辺の藩とは、訳が違うのだ。馬鹿どもが・・。成瀬殿に、わしがそう言っていたと伝えとけ!(ずっと周りを睨んだ後)早々に立ち去れ!」
竹腰が一括すると、鎮圧隊は蜘蛛の子を散らすように、その場から退散していった。
その後、竹腰は笹たちの方を向いて、
「笹、おぬし、尾張柳生頭首に内定したぞ!亡き吉重同様、よろしく頼むぞ。今日は、殿に顛末を報告せねばならぬ故、また、わしの屋敷を訪ねてまいれ。それと、義親殿と右衛門殿には、礼を言っとけよ・・。」
竹腰は、笹に淡々とそう告げると、慌ただしく馬に乗って、側近と共にかけ去ってしまった。
しばらくして、平伏した頭をもたげた笹と関は、茫然と竹腰らが馬で立ち去るのを見つめていた。
「今起こったことは、何だったのだ。まるで、狐につままれたようだ・・。」
笹がぽつりと言った。
「私にも何が何だか。夢でも見ているようですなあ。」
関が、笹の言葉に付け加えた。辺りでは、低い笑いが、だんだんと池に投げ込んだ小石が作った波のようにあたりの同士に伝わっていった。
「まあともあれ、わしらの命は、助かったようですなあ・・。」
一人の武士が、確かめるように関に聞いた。
「そう言うことのようだ。」
関がそう答えると、今度は一転、大きな笑い声が、周りを覆いつくしていった。
(佐那河内襲撃)
その船出は、田原藩の騒動の一日前であった。
すでに壊滅したはずの黒龍党の残党と井伊祐直の命で集められた九鬼水軍末裔の海賊が、大きな集団となって、「黒牙」と書かれた旗を四隻の大船の帆柱にはためかせ、四百余りの軍勢を乗せて、紀州家老 安藤継正の領地である田辺の港から、佐那河内に向けて出港した。
「これだけの軍勢を止められる司令塔は、佐那河内には残っていない。京成の知らせでは、右衛門、又五郎は、それぞれ、尾張、田原で、井伊様と成瀬殿の仕掛ける罠に落ちる手はずじゃ・・。秋山正幸は、江戸へ向かったと聞く。大阪にいる小野忠成は、いまだ佐那河内に向かった様子もない。つまり、右衛門と四強の誰一人、佐那河内にはいないのだ。今度こそ、あの村を壊滅し、我らの力を柳生義親殿に見せつけ、井伊様の権勢に歯向かうことなどできぬことを思い知らせねばならぬ・・。」
黒牙を送り出した安藤が、密かに船出を見送りながら、傍にいる万座尚江に言い聞かせるようにそう言った。
「安藤様のおっしゃる通りで・・。京成様の知らせでは、イギリスから来た密輸船は、弥吉の蔵にあふれんばかりの荷を納めた後、昨日出航したそうです。何としても、その荷を奪わねば、この身の破滅になります。安藤様、その辺の実情をおわかりいただいて、私どもの店の命運をかけて、幕府の命に従ったことを、なにとぞ、井伊様にお伝えくださいますように・・。」
万座尚江は、すがるように、安藤に訴えた。
黒龍党が、右衛門に敗れて以来、大前屋と万座屋の店の規模は完全に逆転し、今では宗衛門などは、万座屋の商売を無視するほど、大前屋は日本で指折りの大店にのし上がったのである。その悔しさを一挙に晴らすべく、万座尚江は、一か八かの勝負に出た。いやむしろ、井伊の脅しで、そうせざるを得ないほど追い込まれていたのかもしれない。
「わかっておる。」
安藤は、何度も言われたその訴えにうんざりしたかのように、一言そう言って、黙ってしまった。
(迎え撃つ佐那河内)
佐那河内では、陽明を中心におもだった仲間が集まった。横でじっと見ている小松、大久保は、彼らのお手並み拝見とばかり、何も言わず耳を傾けている。
「ナタリー様が、どうして女が作戦会議に参加してはいないのかと、文句を言っていましたが・・。」
万平が、寺の講堂に入る前に、ナタリーに文句を言われたことを、陽明に報告した。
その言葉に、陽明が渋い顔をして、
「ここで話した内容は、後で、早苗さんにお伝えする。ナタリーにも・・。」
なぜか、言いにくそうに、陽明がそう言うと、周りの連中から低い笑いがおこった。
自分の思い通りやりたい陽明は、早苗やナタリーからいちいち口を挟まれるのが、嫌だったのである。そこで、日本の「女は、政治に口を出すな。」という因習を利用したのであった。
「お前が早苗さん(又五郎の妻)を呼んでいれば、こんなことを言われなかったのに・・。」
源一郎が、非難するように陽明に言った。
「お前なあ・・。」
また、二人の間で言い合いが起こりそうになった。
「お二人の喧嘩は後にして、さっそく作戦を聞こうではないか・・。」
二人の相性を理解し始めた薩摩の田中平九郎が、源一郎と陽明を無視するように、二人の顔を見ることなく、そう言った。
その様子を見ていた万平が、にやりと笑った。
佐那河内の寺と屋敷のある広大な丘の上から、ずっとまっすぐな一本道が港へとつながっている。その道は、弥吉の財力で整備され、馬や馬車はもとより、大名行列でも使えるほどの幅があった。その道をずっと海近くまで進むと、その大通りの左右には、港から運ばれた荷を納める蔵がずらりと並んでいる。その蔵を通り越して少し行くと、道は左右に分かれていた。右へ行くと、山がせり出て、海岸線は岩でできた深い凹凸でできた天然の入り江があり、そこに弥吉の廻船問屋の船が着岸する桟橋がいくつもあった。そして、大通りを左に行くと、岩の岸辺は、やがて浜辺となり左にずっと広がる浜辺は、その向こうに見える山のすそ野まで続いていた。丘の上の屋敷からは、浜辺と港が、同時に一望できたのである。
その港と浜辺が描かれた勝介の大きな地図が、みんなの前に広げられ、陽明が棒きれを使って、大砲の位置を示していた。
「大砲は五門、船の距離と狙う角度は、この図に書き込んである。詳しい数字は、砲手の連中には、何度も確認している。幸い、権蔵さんの連れてきた忍びは、火薬には慣れているので、わたしが教えた方法を、ほぼ実践できると思う。」
陽明がそう言うと、みんなは、後ろで控えめに作戦を聞いていた忍び達を一斉に見た。彼らは、照れ笑いをしながら、こっくりと頭を下げた。彼らは、作戦会議に出ることなど、今まで経験したことがなかったのである。
「サムとマイケル、それに将太と哲太は、浜辺の奥に控えて、沈んだ船から泳いで浜にたどり着いた敵を、狙い撃ちしてくれ。もちろん相手が、武器を捨てて浜に這いつくばれば、撃つ必要はないが・・。」
次の作戦を言おうとした陽明に、マイケルが、同時通訳を受けていた万平を通じて、反論してきた。
「わたしは、ナタリー様の護衛のためにここにいる・・と、言っていますが。」
万平が、そう言った。
「(英語)狙撃の役目は、ひいては丘の上にいるナタリーの護衛に通じるのだ。分かってくれないか・・。」
陽明が、英語で直接マイケルとサムに訴えかけた。彼らは、納得したのか、両手を広げ、肩をすくめて、黙ってしまった。
「しかし、たった四人で、敵に対応できますか・・。」
不審に思った哲太が、陽明に質問した。
「おそらく、大半の敵は、沖合で戦死する。奴らは、大砲の威力と飛距離を分かっていないのだ。おそらく生き残っても、刀を抱えて浜辺まで泳げるのは、そう多くはいないだろう。奴らは、浜で待ち構えるこの地の防衛隊(百姓、町人、港湾労働者)に、降伏するはずだ。刀がなければ、槍を持った防衛隊にかなわない。しかも、防衛隊に志願したのは二百人。彼らは、先の黒龍党襲撃で、戦闘の経験があるのだから・・。」
陽明の戦略は、明晰な頭脳から考えた、緻密な計算で出来上がっていた。彼の頭の中では、砲弾の軌道の距離から、狙撃手の射程の範囲に至るまで計算しつくされていた。そして、その配置図を、各自に配布していたのである。
「戦略とは頭で考えるようにはいかないもの、と思いますがな・・。」
大久保が、小松にそう呟いた。二人とは対照的に、田中は一生懸命陽明の言葉に耳を傾け、これから始まる戦に夢中になっているようだった。
そんな田中を見ていた小松が、にやりと笑い、
「まあいいではないか。この戦の結果で、われら薩摩がどれほどあの連中を信頼できるか・・。じっくり、見せてもらおうではないか。」
小松は、横にいる大久保と視線も合わさず、前を向いたままそう言った。すると、
「小松さん、わたしが一番心配しているのは、あなた方に任せた寺と屋敷の護衛だが・・。
みんなが戦っている隙をついて、忍びが何かやってきても、大丈夫ですか・・。」
小松たちの会話を聞いたかのように、陽明が小松に問いかけてきた。
「お任せください。」
小松はそう言うと、胡麻化すように笑顔を見せた。
「陽明殿、薩摩の田中を忘れては困る。頭を使う作戦はともかく、護衛に関しては信頼してもらわねば、示現流に傷がつく。」
田中は、そう言って、不敵な笑いを浮かべていた。
「奴をつれてきたのは、間違いだったかもしれん。」
小松は、田中の言葉を聞いて、ふとそう思った。
源一郎も、田中の言葉に薄笑いを浮かべて、彼を馬鹿にした。
「ところで、阿波藩筆頭家老 大林惣五郎殿に頼んだ捕虜を引き受けの件は、うまくいったかな。」
源一郎が、丹波に向かって尋ねた。
大林惣五郎は、元秋山正成(正幸の父)の側近であり、策士であった。前の阿波藩主改易では、重要な役割を成功させ、柳生義親様のはからいで、阿波藩筆頭家老に抜擢されたのである。
「喜んで引き受けるとのことです。」
丹波は、大林の屋敷へ行って、源一郎の要請を打診したのである。
「大林殿は、策士だからなあ・・。我らと井伊の勢力を慎重に見図っているのだろう。内心、我らが敵の捕虜になるのではないかと、笑っているかもしれんぞ・・。」
源一郎のこの言葉に、緊張していた佐那河内の仲間たちに、何とも言えない複雑な笑い声が起こった。
(決戦)
赤松太蔵が、転げるように走っている。丘の上の仲間たちに「黒牙」の到来を知らせるために、一生懸命なのである。彼は気の毒なことに、田原へ帰る又五郎に放って行かれ、佐那河内では、作戦を指揮する連中とは年がはなれているために、作戦会議にはあまり顔も出さなかった。しかし、作戦で自分の役割が決まった時には、何の文句も言わず、海岸の見張り台に立ち、ずっと沖合を見ながら敵の襲来を見張っていたのである。
「黒牙」の大船は、予想もしない遠方から落雷のごとく飛んできて、適格に命中する爆弾になすすべもなく沈んでいった。半時もたつと、船は跡形もなく海の藻屑となっていくのであった。海面には、かろうじて生き残った海賊が、命からがら浜を目指して泳いでいる様子が、丘の上から手に取るように見えた。
「陽明殿の言ったとおりになりましたなあ・・。」
大久保が、感動したように小松に語りかけた。
浜辺に着いた兵士たちは、待ち受けた防衛隊(農民、町人)の指示に従って、両手を頭に回し、腹ばいになって浜辺に寝転がっていく。時折、反抗して刃物を振り回す愚か者は、四人の射撃兵に、簡単に撃ち殺されていった。浜には、まるで海で漁獲したマグロが、並べられていくように、横一線に人の直線図形が描かれていった。
「計画通りだ。寸分の狂いもない。これほどまでに、陽明殿の言ったとおりになるとは・・。」
大久保の言葉を繰り返すかのように、小松が呟いた。
少し離れたところでは、早苗が着物をたすきに結び、長刀を持って辺りを警戒しながら、時折、戦場の浜辺や沖合に目をやった。女性の集団の中で、ナタリーは、洋服に着替えて、肩に最新鋭の銃をかけて、熱心に戦場を見つめていた。
その時、
「キエ―!」
田中は、けたたましい叫び声をあげて、女たちの間を通り抜けたかと思うと、彼女らの背後で、女たちに襲い掛かろうとしていた忍びとの間に立ちはだかった。田中は、逆袈裟に最初の忍びを斬り捨てると、その連続動作で、刀を横に振って二人目の忍びをあざやかに仕留めた。斬られた忍びの鮮血は、集団の中にいた春の着物にふりかかり、彼女の着物を真っ赤に染めた。その様子をあっけにとられながら見ていた小松は、女性たちの集団に前から襲いかかろうとした忍びの体に飛びついて、転がったまま取っ組み合いになった。形勢は忍びがよくなり、馬乗りになった刺客は握った剣を小松に突き立てようとした。
「エイ!」
掛け声とともに、近くにいた早苗の長刀の刃が、横一線に忍びの背中を通っていった。
「ううう・・。」
剣を小松に突き立てようとした男は、苦痛で唸り声をあげながら力を失い、下になった小松の腕で跳ねのけられ、そのまま地面に横たわり動かなくなった。
バーン
その様子を唖然と見ていた大久保の後ろに迫っていた最後の刺客のこめかみに、ナタリーが撃った銃弾が貫通して、大久保の方へ倒れ込んできた。
「うわああ!」
振り向いた大久保が、倒れ込んできた死体を手で支えながら絶叫した。
「阿呆!何という声を出しているのだ!これでは、どちらが護衛したのかわからんではないか!」
人を殺した興奮と、大久保の不意を突かれた無様な叫び声に怒った田中が、真っ赤な顔をして、大久保をしかりつけた。
小松は、地面にしゃがみこんだまま、大きな息を吐きながら俯いていた。
「早苗様、ナタリー様、何と礼を言ったらいいか・・。」
小松が、俯いたまま、恥ずかしさで彼女らに視線も合わせず、そう呟いた。
しばらくして、
「申し訳ござらん。」
小松に続いて、大久保が深く頭を下げた。
「いいのです。ねえ、ナタリー・・。われわれも、田中殿に助けられたのですもの。相見互いですわ・・。」
早苗はそう言って、ナタリーに笑顔を見せた。
それに反応するかのように、ナタリーの必死の形相が次第に緩み、早苗に微笑みを返した。
「やはり、田中を連れてきて面目がかろうじてたった。」
小松は、田中を見直した。
「この醜態は、なにとぞご身内の方々には・・。」
小松が、言いにくそうにそう言った。
「わかっていますよ。」
早苗が、そう応じると、改めて、薩摩の三人は、女性たちに向かって、深く頭を下げた。
春が、血に染まった着物のままで、ふと向こうを見上げると、笑いながら土蔵の屋根で指揮を執っていた陽明が、梯子を使っておりているのが見えた。
「どうやら、終わったようですね・・。」
春の落ち着いたその声に、薩摩の侍は、佐那河内の女性たちの芯の強さに感心した。
(佐那河内での戦勝の祝宴)
戦の勝利を聞きつけ、最初にやってきたのは久野忠純であった。
和尚と久野老人が上座に座り、いつものようににこにこ笑っている。
戦で不始末をおこした大久保は、申し訳なさそうに座敷の奥で、小松と静かに酒を飲んでいる。どういう訳か、薩摩の田中だけは、又五郎のいる膳までいって、彼の盃に酒を注いで、愉快そうに又五郎に話しかけている。
「小野一刀流の剣豪で、佐那河内四強でもあられる木内殿に会えただけでも、この地に来た甲斐がありました。」
田中が、親しそうに又五郎に話しかけている。
又五郎は、田原の騒動で、敵を討ち、田原藩の難局も乗り越えたことで、佐那河内に帰って以来、非常に機嫌がよかった。
「おぬし、そんなことを言いながら、右衛門に会いたくてこの地に来たのだろう。」
又五郎は、田中の気持ちを見抜いたようにそう言った。
「いや、そんなことは・・。」
自分の気持ちを見透かされた田中が口ごもる。
すると、又五郎の傍でいた源一郎が、田中のことを無視して、
「ところで、田原藩の家老には、誰が決まりました・・。」
源一郎は、田原藩のことが気にかかっていた。
「笹久内殿が、柳生義親様と尾張筆頭家老になられた竹腰様の推挙で、尾張柳生頭首になったので、その代わりとして、田原藩指南役 関兼定殿が皆の総意で選ばれた。それに、同じく騒動で功績があった田村勝信。この二名だ。」
又五郎がそう言うと、
「田村ですか・・。」
源一郎が、意外そうな顔をした。
上座では、弥吉が久野老人と和尚の所に近寄って、
「御子息様の紀州藩家老ご就任、おめでとうございます。」
と言って、久野老人の盃に酒を注いだ。
「水野様の後押しで、久野家から家老職が舞い込んだが、安藤殿の粘り腰で、筆頭家老にはなれなんだ。紀州は、尾張と違って、八代将軍吉宗公を幕府将軍に出しただけに、幕府筆頭老中 井伊様に表立って反目することはできんのだ。これで、義親様には、尾張。井伊には会津、桑名などの保守派が、幕府内で派閥を作ることになった。紀州は、そのどちらでもない中立かのう・・。もちろん、久野家は義親様に加担するつもりだが、これから権勢はどうなることやら・・。」
久野老人は、幕府の行方を占った。
「それだけではありますまい。あそこにおられる小松殿や大久保殿がおられる薩摩の動きが、これからの時勢を大きく動かすのでは・・。」
和尚が、そう言ったのには、弥吉も久野老人も目を丸くして驚いた。
「和尚様は、時勢が読めますなあ・・。」
久野老人が、感心したようにそう言った。
「ところで、弥吉は、万座屋店主 万座尚江が首をくくって死んだのを知っておるか。」
久野老人は、そう言うと、弥吉の表情をうかがった。
「お気の毒なことで・・。
弥吉が、しかめ面をして、万座の死を悼んだ。
「本心か・・。」
久野が、意味深な笑いを漏らした。
その時、屋敷の玄関に来客が来た。その客に応対した勝介が、普段の彼にはないほど驚いた様子で、酒宴の行われている大広間に駆け込んできた。
「どうした、勝介さん、誰が来たのだ。」
陽明が、勝介の慌てた様子に、不審そうに質問した。
「右衛門様、与助さんとそのご家族、それに柳生義親様が、玄関に・・。」
勝介がそう言うと、久野老人や又五郎をはじめ、薩摩の連中までもが、一斉に座を立ちあがり玄関に殺到した。
「右衛門、与助、義親様まで・・。」
又五郎が、嬉しそうに声をあげる。
すでに、志摩は早苗や志乃がいる台所に向かったのか、台所で、女性たちの歓声が上がっていた。そして、与助の子供たちだろうか、ナタリーを見つけて、嬉しそうに彼女の足元にしがみつき、
「お人形さんが立っている。」
と叫びながら、大はしゃぎをしている。
与助は、ナタリーを見て驚いたのか、何も言わずに、ぽかんと口を開け、ナタリーを見ていた。
「与助が、泣くように佐那河内に帰りたいと懇願するので、連れてまいった。正幸に代わりを頼んで、与助をこの地に帰すことにしたのだ。皆、与助を受け入れてくれるかのう・・。」
やっと、義親が、冗談を言うような口調で、話の口火を切った。
「与助、よう帰った。長い旅だったな。わしらと同様・・。」
又五郎は、しんみりそう言うと、与助に微笑みかけた。
与助の目には涙があふれ、皆の前で泣かないようにと、必死でこらえているようだった。
「何だ、わしらを座敷にあげてくれんのか・・。」
右衛門が、にやりと笑って、出迎えた連中をからかった。
「ささ、上がられよ。」
和尚が、笑顔を絶やさず、そう声をかる。
この夜の宴会は、今までにない盛り上がりを見せて、夜明けまで続いた。
(田原の街道)
田原の港に向かう商人が、大きな荷物の風呂敷包みを背中に背負って、早足に茶屋の前を通り過ぎようとした時、
「権蔵!今度は、わしを出し抜いてくれたなあ・・。」
笠をかぶった雲水が、茶屋の床几に座って、商人に変装した権蔵に声をかけた。
権蔵は、その声にピクリと体を反応させると、懐の匕首に手をやった。
「安心しろ!おぬしを殺すつもりはない。今日のところはな・・。先の騒動で、余りにも鮮やかに出し抜かれたので、お前に一言言っておきたかったのだ・・。」
京成は、笠に隠れて、笑みを漏らした。
「わしも、やっと自分の死に場所が見つかったような気がする。今までのわしなら、お前と張り合おうなどと、考えもしなかったがな・・。」
権蔵は、心の動揺を抑えながら、何故か京成に本音を言った。
「ほう、右衛門とは、それ程面白い男か・・。しかし、覚えておけ!あの男を仕留めるのは、この俺だということを・・。(しばらく沈黙が続き)また会おう・・。」
そう言うと、京成はすっと立ち上がり、権蔵の目の前を通り過ぎ、街道をまっすぐ、権蔵の進む方向と反対方向へ歩いて行った。
右衛門9おわり




