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右衛門シリーズ全編  作者: FZ
19/43

右衛門7-4

1 (オランダ船平戸に入港)

オランダ船が平戸に入港し、長崎代官の指示で、長崎会所に運び込まれたオランダからの荷物は、長崎代官預かりとなり、尾張藩お抱え商人 大前屋が入札に応じたのである。

これに驚いたのは、言うまでもなく、薩摩藩家老 別所広家だ。彼は、知らせを聞くや否や、側近の稲葉秀郷を代官所に向かわせた。

「ケンペル(オランダ船長)と我らはすでに、貿易の交渉を済ませておる。直ちに、長崎会所に預けられたオランダ商品は、薩摩藩がすべて買い取る故、平戸に滞在中のケンペルとの契約お許し願いたい。」

稲葉の代官に対する依頼は、終始、上から目線で高圧的にさえ見えた。

「稲葉殿の言われることと、船主アダムスの言われたこととは、若干の相違がござってな。アダムスの申すには、薩摩藩との交渉では、この取引は長崎代官の承認を得た商談と聞いていたが、少し違っていたようなので、彼らは幕府の取り決めに従い、全ての商品を長崎会所に一旦預け、後は代官所の管理の元、自由に商品を売りたいとのことでありましてな・・・。」

代官 野中要の態度が、いつもと違うことを、稲葉は感じ取っていた。

「もしや、野中の後ろで誰かが操っているのでは・・・。」

勘の鋭い稲葉は、一抹の懸念を抱き始めた。

「それでは、代官所はどうなさるおつもりか・・・。わが藩の意向をないがしろにして、勝手な振る舞いをなされると、わが方も素直に引き下がれぬ事態になりかねませんぞ・・。」

こうなると、稲葉の脅しであった。

野中の眉間が、怒りでピクリと動いた。

「船主の希望は、あくまで我らの支持の元、商品を売りさばくこと・・。それに、薩摩藩には悪いが、この商品に尾張藩徳川様が興味をお示しになられて、お抱え商人大前屋を長崎に送り込んでおられましてな。」

明らかに、野中の表情に、留飲を下げたような表情が見られた。

その言葉に驚いた稲葉は、危うく狼狽の表情を野中に見せるところだった。

「尾張様が関わるとなると、私の判断ではどうにもならぬ。上司と相談の上、改めてお伺い申す。」

稲葉は、そう言い残すと、逃げるように長崎代官所を出た。


この報告を受けた薩摩藩家老 別所の動きは早かった。長崎代官所に圧力をかけるために、総勢五十人にものぼる薩摩藩士を、石本善兵衛(薩摩お抱え商人)の長崎別邸や、薩摩藩主長崎別荘に送り込んだのである。

これに対して、右衛門にも援軍が駆け付けた。大坂の長谷部正幸、小野忠成とその門弟十人が、柳生義親が宿をとる代官 野中要の屋敷に入ったのである。


(義親と別所)

柳生義親にとって、事態は予定通り運んでいた。

別所の画策で、薩摩藩主 島津公が長崎に入るのを阻止するために、義親は、尾張の柳生吉重に頼んで、尾張藩 徳川公が長崎に行きたいという希望を、幕府老中筆頭 上野生馬に申し出たのである。慌てた老中は、尾張公の長崎行きを断念してもらう代わりに、島津公の長崎行きを止めるようにと、家老 別所に厳重に命じたのであった。


「代官や右衛門の後ろに誰かいる。それも、相当の大物だ。」

密貿易の失敗を逆転すべく考えた最後の切り札(島津公長崎訪問)を阻止された別所は、膝に何度も扇子を打ち据え、怒りを露わにした。

「代官の屋敷を探らせていましたが、どうやら誰か来客がいるようで・・・。かなり大事な客と見えて、野中の内儀など、忙しそうに立ち働いているとの知らせが入っております。」

稲葉が、別所の様子をうかがいながら報告した。

「こうなれば、野中の屋敷に乗り込むしか仕方があるまい。薬士、おぬしの剣が最後の手段じゃ。頼むぞ・・・。」

そう言って、別所は、腹を決めたように座を立った。

彼に続くように、稲葉と薬士が彼の後に従った。

やはり、この別所という男、ただの知略家だけではない。いかなる苦境にも、自分の胆力で、事態をひっくり返すだけの肝が据わった男であった。

「ご家老、どうなされるおつもりで・・・。」

別所に従っていた稲葉が、家老の考えを聞いてみた。

「こうなれば仕方がない。わしが直接、野中の屋敷に乗り込んで、誰が黒幕か確かめてやる。相手次第では、薬士と右衛門の死闘で決着をつけるつもりだ・・・。」

別所はそう言って、後ろを振り返り、付き従う薬士を見た。

「望むところです。右衛門に示現流と他流派の違いを身をもって味わさせてやります。示現流こそこの国の最強であると、天下に知らしめる絶好の機会になります故・・。」

薬士は、そう言って、刀の束をぐっと握りしめた。

「おぬし等は、ついてこなくてもよい。わし一人で野中の屋敷へ行く。多人数は、返って談判の邪魔になる。」

別所は、そう言うと、一人足を速めて薩摩藩別邸を出た。



2 (野中の屋敷)

義親を上座に、お互い対座して、右衛門、正幸、忠成、野中要、大前喜一郎がそろった。

「与助も呼べばよかったのに・・。」

正幸が、与助の名前を挙げた。

「与助には、大屋の家を守ってもらわねば、薩摩藩士がしつこくうろついているようなのだ。わしも陽明が心配なのだが、筑紫先生の所へ預けたので、心配はないと思うのだが・・・。」

右衛門が、正幸の言葉に応じて、事情を説明した。

「今回、我らは、右衛門尾援軍として、長崎にいる薩摩藩士たちの対抗として、大阪から来たのだ。楽しむための寄り合いではないぞ・・。」

小野忠成が、正幸をたしなめた。

「それにしても、右衛門殿の四強の内の三人まで長崎に来たとは・・。やはり、おぬし等は仲間意識が強いのじゃのう・・・。」

柳生義親は、さっきから上機嫌である。今回の事の次第が、思惑通りに運んでいるのもあるが、これだけの連中を前にして、剣豪の血が沸き立つのかもしれない。

「四強という言葉が、お殿様の口から出ると、どうしても又五郎様のことが気になりますなあ・・。」

喜一郎が、口をはさんできた。

「先日、田原藩で会ったが、元気にしておった。ぜひ、自分もつれていけ、などと言うと、

与助が、田原藩が大事な時に、何を言っとるかとたしなめられていたがのう。」

義親の口は、滑らかだった。

やはり、義親が機嫌がいいと、周りはほっとした雰囲気になっていた。

出される酒魚にも、長崎の珍味が多く、座は次第に騒がしくなっていった。

「ところで、野中殿は秋山正幸殿の友人だと聞いたが・・・。」

右衛門が、野中の話題を取り上げた。

「友人も何も、こ奴とは幼いころからの知り合いでして・・。この男が、この長崎代官に任ぜられたのも、私の兄の差し金でしてなあ・・・。」

正幸は、あまり人を警戒しない性格、悪く言えば軽率なところがあった。野中は、そんな正幸の言葉にひやひやしていた。

「正幸、そのへんで・・・。わしのことなど、誰も興味がなかろう。」

野中が、慌てて、正幸の会話を止めようとした。

「野中は、柳生道場でもかなりの使い手でのう・・。正幸も申し稽古では、一本取るのに苦労しておった。」

上機嫌の義親が、正幸の会話を引き継いだ。

さすがに野中も、義親の言葉を止めることはできなかった。

「役目においてもなかなか切れ者で、奉行所でも将来を約束されていたのだが、腕の立つのが禍となり、同じ旗本仲間と喧嘩沙汰になり、果し合いの上、相手に大けがを負わせたのじゃ・・。本来、江戸では仲間同志果し合いは御法度・・。お役御免の上、蟄居謹慎となったのだが、我が家臣だった秋山正直の計らいで、長崎代官に任ぜられたのじゃ。当時、長崎代官は誰も嫌がってな・・。野中もいやいや就任したらしいのだが、今度、ここへ来て話に聞くと、案外面白い役職らしい。のう、野中・・。」

義親は、そう言うと、野中の顔を見た。

残りの連中は、納得したように、話を聞いていたようだが、内心あまり興味を持つ者もいなかった。

「はあ。」

野中は、きまり悪そうに、そう答えるだけだった。

「ところで、忠成は、薬士のことは知っておろう。おぬしの門弟から何人か、流派間申し試合で、奴に敗れたと聞いたが・・・。」

正幸がそう言うと、今までの話題とは一変して、座にいるみんなが会話をやめて、忠成の言葉に集中した。

「ああ、(少し、しかめ面になり)奴の一撃をかわすのは、至難の業だ。さばきを得意とする連中が、ことごとくかわしきれずに、奴の一撃で半死の状態にさせられた。我が父も、示現流の野獣のような一撃をどうかわすか。いつも考えていたようだが・・・。まさか、右衛門殿が、奴の相手になろうとはなあ。」

忠成は、そう言うと、右衛門の顔を見た。

「まだ、薬士なる御仁と、果し合いになるとは限らんが・・。わしは、挑まれねば、やる気持ちなどない。剣の優劣など、わしには関係ない。」

右衛門は、そう言いながら、前の膳に置かれた小鉢の里芋の煮っころがしに箸をたてて、ぽいっと口に運んだ。

その仕草が面白かったのだろう。みんなが苦笑をし始めた。

「おぬしは、いつもひょいっと、勝負に挑んで、すっと勝ったかと思えば、何事もなかったように、その場から立ち去る。功名心というものがまるでない・・。」

忠成が、右衛門を見ながら、あきれたようにそう呟いた。

「そこが、右衛門殿のたまらんところなのだ。わしにしても、尾張の吉重殿にしても、剣とは何ぞやと問い続けてきたが、いきなり、まるでそんなことに関心すら示さぬ最強の男が現れたのじゃ・・・。いくら無視をしようとしても、そう簡単に無関心ではいられまい。」

義親は、今夜は、驚くほど饒舌だった。余程機嫌がいいのだろう。


その時、野中の内儀が座のふすまを開けて、野中に何やら耳打ちした。

野中の顔が、みるみる強張っていった。

「柳生様、薩摩藩家老 別所広家殿が、我が屋敷に来られたようで・・・。」

野中は、そう言うと、義親の前で軽く頭を下げた。

「一人か。」

義親が、確認する。

「そのようで。いかがいたしましょうか。」

野中が、義親の指示をあおいだ。

「会わねばなるまい。野中、別間に別所を通してくれ。わしが話を聞こう。」

義親はそう言うと、確認するように、笑って右衛門を見た。

それに応じるように、右衛門は義親に軽く頷いた。


(義親と別所)

別所の前に、野中がかしこまって座っている。ただ、別所の正面の座は、座布団が敷かれたまま座が空けられ、まるで二人が最後に入ってくる男を待っているような状況になった。

「随分失礼な対応である。薩摩藩筆頭家老 別所広家と言えば、そこいら小藩の家老とは話が違う。たとえ、尾張の家老と言えども、後から入ってきて挨拶するほどの格の違いはないはずである。」

別所は、黙ってうつむいたまま一言もしゃべらず、かしこまっている野中の方を睨みつけながら、そんなことを考えていた。

すると、正面のふすまが開き、別所を待たせた男が入ってきた。

別所は、一瞬その男の顔を見て、態度が一変した。

「すまんのう、待たせた。別の座敷で、親しいものと酒宴を模様していて、少し飲みすぎた。別所殿には、失礼だが、酒臭いのは勘弁願うぞ・・・。」

義親は、そう言うと別所の正面に空けられた自分の座に、どかっと座った。

別所は、いろいろ見当をつけようと、野中の屋敷にいる実力者の実名を想像していた。さっき上げた、尾張藩家老 竹腰正博、大目付 秋山正直・・・など。しかし、柳生義親の見当はつけていなかったのである。義親と言えば、老中筆頭 上野生馬も一目置く、幕府での陰の実力者であった。

「噂には聞いていたが、右衛門のためにそこまで動くとは・・・。」

別所は、そんなことを思いながらも、さすがに豪胆な男である。

義親と分かるとすぐに頭を下げたが、顔を上げた時には、動揺の表情が消えていた。

「柳生様が、長崎においでになるとは、さすがに驚きました。」

別所の半分正直な言葉であった。

「なにしろ、尾張の徳川様からの依頼となると、他の者には任せられんからな・・・。ところで、島津様はご壮健か。」

義親は、わざと二人の大名の名を挙げて、雄藩薩摩をけん制した。

「はあ。殿はいたってご壮健で・・。この度も、長崎行きを楽しみにしていましたが、あいにくの都合により、残念なことになり申した。何やら、尾張様も長崎行きを幕府に打診したそうで・・・。さすがに、お二人が、長崎に来るとなりると、長崎代官の野中殿には、手に負えられないとのことで・・・。(野中の方を見て)さようか、野中殿・・。」

別所は、そう言って、野中に確認を取った。

野中は、うつむいた頭を、さらに低くして頷いた。

「そうであったか。それは、折が悪かったのう・・・。」

義親が、とぼけて、薄笑いを浮かべた。

「ところで、柳生様、今回のオランダ船の商品、薩摩藩に譲っては戴けませんか・・。」

別所は、そう言って、義親の顔を初めてまともに見た。

「幕府の法度では、長崎会所に預けられたオランダ商品の払下げ相手は、長崎代官所の判断に任せることになっておる。それ故、わしも尾張公の依頼を受けて、こうやって尾張お抱え商人の大前屋を伴って、長崎に参っておる。別所殿とは、いわば競争相手でな・・・。知っての通り、わしは幕府に官職を持たぬ自由人なので、幕府の横車などと、邪推する向きもあろうが、それは当たらぬこと・・。島津公によくよくお伝えねがいたい。」

義親は、そう言うと、わざと視線を別所の後ろのふすま絵に移した。

「ほう。義親様とこのようなお話になるとは、思いもおよびませんでした。さすがは、幕府の知恵袋・・・。抜かりはございませんなあ。」

別所は、そう言うと、声をたてて笑った。

「別所様!お言葉すぎるのでは・・・。」

野中が、たしなめるように、別所に対して声を荒げた。

「野中殿の今の言葉では、代官所の判断を待つべくもなさそうですなあ・・・。(義親の方に、真剣な表情を向ける)柳生様、どうでしょうか。我らとて、このまま引き下がれば、殿に申し訳が立ちませぬ・・・。ここは、右衛門殿と我が藩士 薬士実人との公開試合で、決着を着けては・・・。そうなれば、殿はもちろん、我が藩の跳ね返り者も、どのような決着に至っても、文句はつけられますまい。」

別所の提案は、最後の逆転を狙った切り札だと、誰もが予想できたのである。

もちろん、別所の頭の中には、薬士の敗北など想像もしていなかった。

義親にしても、自分の策略通りに事は運び、完全勝利の一歩まで歩を進めたのである。

もちろん、義親の頭の中にも、右衛門の敗北などという筋書きは皆無であった。

二人の知略は、右衛門と薬士の死闘で、自分の方の敗北を想定しない、不思議な密貿易問題の決着に向かおうとしていたのである。



3 (死闘)

「陽明、なぜ地球は太陽の周りを回り続けるのだ。ころがった賽の目が、いずれ決まった数を見せるように、地球は止まることはないのか。」

二人は、台所の隣の板の間で、箱膳を並べて朝飯を食べている。

陽明がみそ汁の椀に手を付けた時、右衛門がいきなり尋ねた。

「そりゃあ、地球だっていつか止まる日が来るのです。太陽がなくなれば、地球だってただでは済まない。ただ、それは何億年の先かもしれませんよ。つまり、われわれ人間にとって、地球は永遠に太陽の周りをまわっていると言っていいんですよ。」

陽明は、そう言って、みそ汁の椀を口で啜った。

「不思議な話だ。やはり神が万物を操っているのだろうな。ひょっとすると、神は、わしらの未来を決めているのかもしれんな・・・。」

右衛門は、茶碗を左手に持ち、箸を右手に持って、じっと何やら難しそうな顔をして考え込んでしまった。

「私は、神という言葉で、すべてを解決することが嫌いです。地球は、あるきっかけで動き始めた。そうすると、叔父上も御存じでしょう、この前、くまさんたちに手伝ってもらった慣性の法則の実験・・。物に力を加えれれば、その物は、動くことをやめないのです。ただ、地球には、空気があるからどんなものも止まってしまう。サイコロのようにね。しかし、地球は、空気のない真空の中では、まっすぐ動こうとしているんです。ところが、太陽の重力に引かれて、地球は太陽の中心に落ちようとする。そのまっすぐ進もうとする力と、重力の落ちる力がつり合ったとき、地球は太陽の周りを永遠に回り続けるのです。」

陽明は、言うだけ言って、右衛門がどう考えようと、これ以上説明するのはやめようと思っていた。

「そうか。」

右衛門は、陽明の判断を察したかのように、それ以上、地球の公転について聞こうとしなかった。

「それより、叔父上、そろそろ出かけなくては、果し合いに遅れるのでは・・・。」

陽明が、心配して、右衛門を促した。

「そうだな。出かけるか。」

右衛門は、台所の障子窓からこぼれる光を見ながら、茶碗に残った飯にみそ汁をかけて、勢いよく口にかっこんだ。

「今日は、かねさんが夕方来られないそうなので、叔父上が蕎麦屋でも連れて行ってくだされ。」

陽明が、立ち上がった右衛門に声をかけた。

「お前は、わしが負けることを心配せんのか・・・。」

右衛門は、そう言って、陽明の顔を見てにやりと笑った。

「私は、叔父上が負けることが想像できないのです。ただそれだけです。」

陽明は、沢庵を箸で小鉢から挟みながら、右衛門の顔も見ないでそう言った。

「お前というやつは・・・。」

右衛門は、そう言うと、刀を差して薬士の待つ代官所へと向かった。


代官所の庭には、薩摩示現流の藩士と、正幸、忠成、与助、赤松、田村等、長崎に右衛門のために駆け付けた仲間が、かたずをのんで二人の死闘を見つめていた。

奥の板の間には、別所、野中、それに柳生義親が、並んで床几に座り、じっと前を見つめていた。

二人が戦う庭には、大弾幕が張られ、右衛門にとって、今までで一番物々しい戦場になった。


薬士は、すでに頭に鉢巻をして、着物を十字の襷で結んで、静かに腕を組み床几に座っていた。 しばらくして、右衛門が大弾幕を払い、薬士の待つ戦場となる庭に、すたすたと入って来た。二人の立ち合いには、試合の合図を告げる審判はいなかった。どちらかが、戦いを始める間合いに入った時が、果し合いの始まりだった。

右衛門は、床几に座る薬士を確認し、一瞬空を見た。

「この分なら、夕方にはこの地を旅立てる。」

右衛門がそんなことを考えていると、薬士がすっと立ち上がり、いきなり剣を抜き、右衛門めがけて駆け寄ってきた。

「きえーー」

走りながら上段に構えた薬士の剣は、何の迷いもなく、右衛門の頭上を狙って振り下ろされた。すると、右衛門は左手逆手で小刀を抜き、薬士の刀の一閃と鋭角に交わるように、小刀を上に跳ね上げるようにかざし、薬師の渾身の一撃を受け止めようとした。

次の瞬間、右衛門の小刀は、薬師の長剣の激しいぶつかりで鋭い金属音をたてたかと思うと、そのまま真っ二つに割れた。薬士の凄まじい腕力が、刀に伝わったのである。そのまま振り下ろした薬士の刀の軌跡は、右衛門の小刀で少しずらされただけで、右衛門の頭めがけて振り下ろされようとした。


「勝った。」

身を乗り出した別所は、思わず声を出しそうになった。

しかし、義親はもとより、忠成、正幸、与助に限っては、薬士の勝利を勘違いしたものは誰もいなかった。

薬士が振り下ろした渾身の一撃は、右衛門の頭に達することなく、みるみる力を失った。そして、薬士の体はバランスを失い、右衛門に倒れ掛かってきたのである。

右衛門の右手には、小刀と同時に抜いて薬士の胴を払った長剣が、白刃の先から血を滴らせていたのである。

「わしの負けじゃ。両刀をあのように素早く操るとは、おぬしやはり日の本一の剣士じゃなあ・・・。」

右衛門肩に寄りかかった薬士の体は、ぐったりとなっていた。それでも、薬士は自分の生気を振り絞ってそう言うと、笑顔をたたえて息絶えた。

「だれか!」

右衛門は、薬士の体を支えたまま、死体の処置の助けを求めて大声を出した。

その声に答えるように、薩摩藩士が右衛門のもとに駆け寄り、薬士の死体を受け取った。右衛門はそれを確認すると、義親、別所が座る正面に一礼すると、いつものように大急ぎで横断幕を払い家路に向かった。


「別所殿、この度は、約束通りこの一件、わしの思うようにさせてもらうぞ。」

義親は、今の死闘に酔いしれるように、半ば上の空でそう言った。

「あの男・・。義親様が、わざわざ長崎に来て助成する理由が分かりました。私も薩摩藩士です。二言はありますまい。お好きになされよ!」

じっと前を見つめる別所の顔には、これ以上争う意志のない吹っ切れた表情があった。


「さすがだなあ・・・。」

正幸が、右衛門の後姿を見ながらそう呟いた。

小野忠成が、無言で頷いた。

「お二人は、今更、殿に感心しているようだが。わしは、当たり前の光景を見たにすぎんです。」

与助が、誇らしげにそう言い放った。



4 (右衛門の家)

「叔父上は、みんなと別れを告げないのですか。」

果し合いの後、家に帰るといきなり旅の支度を始めた右衛門を見て、陽明が尋ねた。

「あの連中とは、とっくに挨拶は済んでおる。我らの間で、未練がましい別れの挨拶は無用なのだ。また、どこかで会うのは避けられんからな・・(にやりと笑う)。それより陽明、筑紫先生の元でこれからも勉学に励まねばならんから、お前を長崎に残していくぞ。弥吉には、お前のこれからの生活の資金や、世話をする使用人は頼んでおるから安心して勉学に励め。」

右衛門がそう言うと、陽明は少し寂しそうな顔をして、こくりと頷いた。

「叔父上、しょっちゅう会いに来てくだされや。」

陽明が、そういうのを聞いて、

「やはり子供だ・・。」

右衛門はそう思いながら、陽明に大きく頷いた。

右衛門の側には、本橋慎吾が大きな荷物を背負って、二人の会話をじっと聞いている。

右衛門は、慎吾を連れて長崎を出ようと決めた。

理由は、慎吾が長崎にいて、薩摩藩士といざこざを起こすのを危惧したのと、慎吾からの「お伴がしたい」との執拗な頼みからであった。

慎吾の剣は、人を殺すだけのために鍛えられてきた殺人剣である。右衛門は、そんな慎吾の剣をあまり好まなかった。

「この男の才能を、少し真っすぐ伸ばせれたらなあ・・。」

右衛門は、そう思いながらも、どこかで慎吾の剣の才能をかっていたのかもしれない。

「いくぞ、慎吾!」

陽明との別れを吹っ切るように、右衛門は大きな声で、慎吾の名を呼んだ。


その時、大屋吉長と被り傘ををかぶり、着物を不自然に身に付けた大男がやって来た。

「やれやれ、間に合いました。この度は、私のみならず、大屋の家をお救い下され、何とお礼を言えばいいか・・・。この通りです。」

大屋は、そう言うと、いきなり土間に正座して手をつき、深々と頭を下げた。

「吉長殿、おやめくだされ!そのようなまねは・・。これは、たまたま好転して、うまくいったまでのこと・・。誰の尽力でもござらん。それに、そのように頭を下げられると、私はどうしていいかわからなくなる。」

右衛門は、心底困っている様子だった。

それを察したのか、吉長は、すぐに立ち上がり、もう一度軽く頭を下げた。

「ところで、大屋殿の横におられる方は・・。」

右衛門は、不審そうな目をその男に向けた。

すると、右衛門の言葉に応じるように、大屋の傍らにいた男が笠を取った。

「アダムス様!」

陽明が、驚いて大きな声を上げた。

「(英語)再会できたね、陽明君・・。」

アダムスは、英語でそう言うと、笑顔を見せて、大屋にあらかじめ話していた自分の希望を、陽明達に日本語で告げるように目で促した。

「実は、急ぎここに来たのは、私がどうしても右衛門様にお礼を言いたかったのと、アダムス様の依頼を告げるためなのです。」

大屋がここに来た理由を話そうとした。

すると突然、

「(英語)わたしは、右衛門さんの死闘を代官所の片隅で、野中様に頼んで、見ていたのですよ・・。あなたの叔父は、日本最強の男だ。美しい試合だった。このことだけは、右衛門さんに陽明君から言っておいてください。」

アダムスは、よほどそのことを言いたかったのだろう。大屋の会話を中断してまで、陽明に自分の伝言を頼んだ。

「(英語)後で叔父に言っておきます。」

陽明はそう答えたが、右衛門にそんなことを言っても、何の関心も示さないことは知っていたので、アダムスの強い要請にもかかわらず、あまり約束を守る義務感は抱いていなかった。


アダムスが、横やりを入れて話し出したので、終わるのを見計らって、大屋が話し始めた。

「実は、アダムス様が、平戸に停泊している船で、陽明君をエゲレスに連れて行って、かの地で勉学するのを援助するとおっしゃられているのです。」

大屋の言葉は、右衛門と陽明、側にいる慎吾を仰天させた。

「しかし、それは密出国をすることになるのでは・・・。」

今まで、アダムスの姿に少し怯えていた慎吾が、思わず口を挟んだ。

「そうなのですが・・・。アダムス様が、直接、柳生義親様に直談判して許可をもらったのです。今の義親様は、右衛門殿がお望みになれば、何でもお許しになられるほど上機嫌で・・・。代官所は、見て見ぬふりをしてもいい。と代官 野中様にお命じになられたのです。このアダムス様、さすが大貿易商です。人の心を読むのがお上手で・・。アダムス様のおっしゃるには、陽明様をこの国に放置するのは、もったいないと・・。ヨーロッパで、数学や天文学がどんなものか、直に学ばせたいそうなのです。」


この頃のヨーロッパの富豪層や王朝では、数学や物理のできる天才たちを、必死でリクルートしていたのである。彼らを庇護し、その研究成果を世に発表させることは、発表した研究者本人はもとより、その学者を庇護していたパトロンにとって、自分の社会的地位と権威を高める絶好のチャンスになったのである。ガウスと並ぶ史上最高の数学者オイラーなどは、フリードリッヒ2世に庇護されていた時代があった。他にも、フーリエはあのナポレオンに認められ、将校としてエジプトに向かい華々しい戦績を残している。つまり、この時代のヨーロッパは、学者と権威者が互いに手を取り合って、近代科学社会を目指していたのである。イギリスの貴族であり、富豪のアダムスもその例外ではなかった。思いもかけない日本の地で、陽明という天才少年を見出したのである。彼は、オランダ船を平戸に停泊させてからずっと、陽明のイギリス留学を実現しようと思案を巡らせていたのである。そんな中、右衛門と薬士の果し合いは、彼が日本の施政者に近づく絶好のチャンスとなり、まんまと幕府権力者の柳生義親の許可を手にしたのである。


大屋の話が終わり、陽明と右衛門は言葉を失い、しばらく沈黙が続いた。

「叔父上、私はアダムス様とエゲレスに行きます。」

陽明が、迷いを吹っ切ったかのように、右衛門に訴えた。

右衛門は陽明の勇気に唖然としながら、何故か、死んだ姉の伊予のことを思い出していた。

「伊予姉様だったら、きっと反対しただろうな・・。」

そう思いながら、陽明になんて言ったらいいのか迷っていた。

「叔父上は、私が一人だから不安なんでしょうが、私は望遠鏡をもって、エゲレスへ行ってまいります。望遠鏡を見れば、母がきっと住んでいる星がいつか見つかるような気がする・・。よしんばいなくても、私は星を見るだけで、母がそこに住んでいるような気持になって、自分は独りじゃないと感じるのです。母は、私がどこにいても見守ってくれるのです。だから私は、自分が行きたいところへ行きたい。いつも、母はいるのだから・・。」

少し強引な説得だったが、陽明は涙を流して、必死に右衛門に分かってもらおうと話していた。

「そうか、お前がそこまで言うなら・・・。(慎吾の方を向いて)今日の旅立ちは取りやめだ。ちゃんと陽明を見送ってやらねばな・・。わしの仲間のように、いつでも会えるような所ではないのだから・・。」

右衛門は、そう言いながら、必死で涙をこらえた。

ふと慎吾を見ると、頬から涙が幾筋もつたっていた。



(オランダ船が見える長崎の小高い丘の上から・・)

晴れ渡った海の水面に真っすぐに伸びた船の軌跡を残し、ゆっくりとオランダ船が、港から外洋へ向かって進んでいた。

右衛門、大屋隼人、慎吾が、丘の上から陽明を乗せた大きな船を見送っている。

「私は、いつも誰かを見送る役回りになっている。」

隼人が、ポツリと言った。

「いいではないか。人を見送るのも悪い気分ではない。ましてや陽明は希望に胸を膨らませて、自分の一番好きな学問を学びに、はるばるエゲレスに行くのだ。そのことを想像するだけで、気持ちが浮き立ってくる。」

慎吾が、隼人の言葉を吹き消すように、晴れ晴れとした声で言った。

「そうだ。たまには慎吾もいいことを言う。陽明の、まさに船出だ・・。隼人、辛気臭い愚痴をこぼすな。」

そう言って、右衛門が隼人に笑顔を見せた。

「二人にそう言われると、そんな気もする。私も陽明に負けずに、通詞の勉学に励みます。」

隼人が、気を取り直して、二人にそう言った。

「そのいきだ。今度、お前のところに陽明からの便りが届くころには、わしらもまた長崎に来るから・・。その時は、もっと心の大きな男になっていろよ。」

右衛門が、隼人にそう言うと、隼人は照れたように苦笑いをしながら、ぺこりと頭を下げた。

「慎吾、そろそろ行くか。陽明も広い海原に行ってしまったしな。」

右衛門は、そう言って、ふっきったかのように勢いよく立ち上がった。

「はあ。これからどこへ。」

慎吾は、行先も知らなかったのである。

右衛門は、晴れわたった空を見上げて、

「わが故郷、見能林の仁内寺の和尚に会いに行くか・・・。和尚から、金の無心をされていたのを思い出してな・・・。」

右衛門は、そう言うと、本堂で酒を飲んで寝転んでいる和尚の顔を思い浮かべて、にやりと笑った。


              「右衛門7」終わり

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