右衛門6-3
1
(倉敷代官所)
「しかし、伊木冬馬様(岡山藩筆頭家老)から直々に面会を求められたときは、私の一存で決められる案件ではなく・・。正直、どうしたものか思い悩みました。そこへたまたま、長谷部様が大坂から倉敷代官所にお見回りがあり・・。重大事に何という絶好の機会かと、正直安堵しております。」
矢上広郷(倉敷代官)は、長谷部春継(大坂城代家老)に訴えるように言った。
春継の横に、代官、そして最後に正幸が座っていた。
多度津藩が、孫次郎(野崎屋店主息子)を捕縛し倉敷代官所に報告して、一日も経たないうちに伊木が動いた。
「要するに、多度津藩の不始末を何とかしろと言いたいのだろう。相変わらず岡山藩は強引じゃなあ。野崎屋の訴えを吟味することもせずに、多度津藩に責めを負わせようという考えだろう。しかし矢上殿、我らとて、いくら池田様(岡山藩主)の威光を笠に着て・・、とは言え、幕府としての威信がありますからなあ。ここは私にお任せ願えるかな。」
春継は、当初から内々にこの話を処理するつもりでいた。
「任せるも何も・・。伊木様に直接訴えられて、我らのような役人では、どうしようもありません。ましてや、藩と藩の争いに、我らのような代官所の役人が仲裁に入るなど・・。」
矢上は、当然、春継に一任する意向であった。
「それにしても遅いな。約束の時間をもう半時も過ぎておる。」
じっと並んで待っていた正幸が、初めて口を開いた。
「まあここは、我慢しましょうぞ、正幸殿。相手は我らが待ち受けているとは思ってもいませんからな。」
春継は、そう言うと正幸の方を向いて微笑んだ。
そんな二人の会話を聞いて、代官の矢上が申し訳なさそうに頭を下げた。
春継は、三人の供の者を連れて大阪を出たのだが、まもなく正幸が春継を追ってきた。
護衛のために、岡山まで同行するというのである。この思いがけない嬉しい申し出に、春継の心は、ますますこの一件をまとめてやろうという意欲を掻き立てたのであった。
一時も過ぎたころ、ようやく伊木と、その後ろに従うように野崎松之助(野崎屋店主)が、障子を開けて、前に並ぶ三人を見ることもなく、始終しかめ面をしたまま、座っている三人の正面の座布団に座った。
「お久しぶりですな、伊木殿。」
春継のかけた言葉に、はっとしたように伊木冬馬が、正面を向いてまじまじと春継の顔を見た。
みるみる伊木の驚きは、表情を柔和にし始め、最後には笑顔に変わった。
「長谷部殿。まさかこのような席に・・・。いったいどういうご用件で・・・。」
伊木の顔は、いつの間にか、人がいい重役の顔になっていた。
「いや、役目上倉敷代官所を見回るのも、われら大阪城代の役目でしてなあ。ふと思い立ち、この地の代官所に立ち寄ってみると、伊木殿が来られるとのこと。ご挨拶なしで立ち去るも、ちとご無礼かと思いましてなあ・・・。」
春継は、そう言って、敢えて柔和な表情を周りに振りまいた。
伊木冬馬は、彼の話を聞きながら、端に座る正幸に目をやった。
「これは失礼した。端で座るのが長谷部正幸殿。娘美代の婿でござる。この婿殿と厳島まで旅をしようかと、わしのわがままを聞いてもらいましてな・・。」
春継がそう紹介すると、正幸が伊木に一礼した。
「お噂は・・・。確か、大目付家老秋山正直殿のご実弟で・・・。」
始終笑顔を絶やさず、伊木は正幸に一礼した。
「さすがは伊木殿、情報通でござる。池田様もおぬしのような目配りの行き届いた家臣を持たれれば、岡山藩三十八万石も安泰ですなあ。」
伊木と春継の社交辞令とは裏腹に、彼らの次の言葉に、残りの連中は神経を集中していた。
「ところで、伊木殿、今度の多度津藩との一件。失礼ながら、代官所が何やら騒がしくしていたので、事情を確かめましてな・・・。代官殿から仲裁の依頼もありまして、大阪城代家老として無視もできず・・・。いささか厄介なことになりました。藩と藩との争いとなれば、たとえ些細な争いでも、御公儀の耳に入れば、この正幸殿の兄や大目付柳沢様も放っておくかどうか・・・。」
春継は、そう言うと、伊木の顔をちらりと見た。
伊木の笑顔は、みるみる恐怖の表情へと変わっていった。
「いや、待たれよ、長谷部殿!この件、岡山の町人の訴えで、ただ軽い気持ちで、代官所の意見を聞こうかと思っただけのこと。決して、多度津藩と事を構えようなどと考えてはおりません。ましてや、大阪城代や御公儀にまで及ぶ問題ではござらん。これは、わしがうかつでござった。町人の一人や二人(鼻で笑う)・・・。岡山藩とは一切かかわりのないこと。多度津藩に捕縛された二人がどうなろうと、我が岡山藩とはかかわりのないこと。二人の処置、多度津藩と代官所にお任せ申す。京極殿にはそうお伝えくだされ。煮るなり焼くなりご存分にと・・・。」
伊木の話を聞いて、一番驚いたのは野崎松之助であった。傍で見ていても気の毒に思うぐらいで、彼はそのまま気絶するのではないかと思われた。
「まあ、伊木殿。そこもとがそこまで言ってくだされば、この一件、何の問題もござらぬ。わしも、まさかこのような些末な問題で、伊木殿が真剣に多度津藩と争われるなど、あろうはずがないと思っておった。うん、そうであろう・・。腹蔵なく申すが、岡山藩筆頭家老で、三万石以上の領土を拝領する御貴殿が、言っては悪いが、高々一万石の小藩に対してむきになって争っては、世間体が悪うござるからのう。」
春継は、そう言うと、部屋中に響き渡るぐらいの高笑いを始めた。
「長谷部殿のご意見、身に沁みますなあ。」
伊木は、苦笑いをしながら、意味深な言葉を吐いた。
「そこでどうであろう。伊木殿。わしに免じて、大前屋の多度津藩との港使用の約定、見て見ぬふりをしてはくれまいか・・。当方としても、公儀にこのような些末ないざこざ報告せねばならぬとなると、気が重うござるでのう。代官殿も、わしの顔に免じて、この一件なかったことでよろしいかな。」
春継は、代官の顔を見て、続いて、伊木の顔を見た。
その間、正幸は腕を組み、じっと目を閉じていた。一方、野崎松之助は頭を垂れたまま沈黙を守り続けた。
「長谷部殿のご配慮、いたみ入ります。それでは、すべて長谷部殿にお任せ申す。当方としては、今後一切、この一件とは関わりないということで・・・。」
伊木は、そう言うと、ほっとしたように座を立とうとした。
「お待ちくだされ、せめて、多度津藩に捕らわれた両名のことだけは・・・。」
野崎が、さすがに親として耐えきれず、すがるように春継の方を見た。
「野崎屋、おぬし、今の話を聞いたであろう。わしに恥をかかす気か。馬鹿者!」
野崎の言葉を聞いて、立ちかけた伊木が血相を変えて、松之助を罵倒した。
「いや、伊木殿、そうお怒りになられるな。当方も、この一件なかったことと言った手前、野崎屋の息子と番頭の釈放は、多度津藩主に約束させねばなるまい。もし、否となれば、この長谷部春継に恥をかかせたことになる。多度津藩もそこまで馬鹿ではなかろう。」
春継の話を聞いた野崎松之助は、何度も春継に頭を下げて、伊木に促されて席を立った。
「では、この一件、不問ということで・・・。」
最後に、倉敷代官矢上広郷が、確かめるように春継を見た。
春継は、ほっとした顔をして、軽く頷いた。
正幸と、春継が部屋に残されたとき、正幸がそっと呟いた。
「親父殿、長谷部春継という男、なかなかでありますなあ・・。」
そう言って、春継の方を見た。
「これで、美代の依頼に答えることができた。正幸殿にも少しは認めてもらえたし、何か得をしたような気持ちじゃなあ・・・。」
春継は、そう言うと、早くも次の旅の目的地、厳島神社のことに思いを巡らしていた。
(野崎屋)
野崎松之助の怒りは凄まじかった。
「見てみい、この文。万座屋から、右衛門を狙う佐平と刺客をよろしく頼む、と書いてある。伊木様に頼れば、難なく解決すると思っていたのに・・・。甘かった。この一件、背後に右衛門がいるらしい。」
松之助は、佐平の持ってきた文を悔しそうに握りしめていた。
傍らには、多度津藩を釈放されたばかりの息子の孫次郎と番頭の久三が、彼の異常な怒りに驚いて、呆然としたまま松之助を見ていた。
「親父殿、岡山藩が手を引いたとなると、打つ手は限られますぞ。下手をしたら、首が飛びますぞ。」
孫次郎が、不安そうな顔をして、怒りを抑えきれない松之助が、その怒りをこちらに向けないかと、さっきから神経をとがらせていた。
番頭は、多度津藩での痛い経験のせいもあるのだろうか、ただ俯いて口を開くのを控えているようだった。
「これで、みんな納得がいった。あの青鬼と赤鬼が、赤子の手をひねるように始末されたんも・・・。余程の剣客がいるとは思っていたが、あの右衛門の集団だったのか・・・。なにせ奴ら、紀州藩、尾張藩とたて続けに手玉にとったらしいからな。万座屋の手紙に詳しく書いてあるわ。伊木様では荷が重かったのかもしれんなあ。」
松之助は、春継との会談以来、伊木にも恨みを持っていた。
さんざん野崎屋を利用しておきながら、自分より石高の高い長谷部とか言う老人に、何の抵抗もなく引き下がってしまったのである。いくら、岡山藩第一とはいえ、余りにも情けない譲歩であった。
「しかし、旦那様、伊木様でも手も足も出なかったこの一件、どうしようもないのでは・・・。
それに、多度津藩と大前屋が交易に乗り出すと言っても、この野崎屋の商売とは、規模が違うと思うんですが。ここは、しばらく様子見の方がいいのでは・・・。」
番頭は、思い切って、松之助に進言した。彼は、松之助の無謀な企てに巻き込まれることを恐れていたのである。
「どいつもこいつも、右衛門とか言う浪人に震え上がってしもうて・・・。わしも、直接奴と対決しようなど考えてもみんけど、幸い、万座屋から佐平とかいう紀州一の鉄砲撃ちが、右衛門を一度は仕留めたそうや。運よく本島の連中に救われたが、万座屋の刺客には決め手と、実績がある。これを使わん手はない。もし詮索されたら、万座屋がやったことですと、言い逃れができる。とにかく、さっきやってきた右衛門の刺客、丁重に接待しとけ。うまくいけば、奴らがわしらの恨み晴らしてくれるかもしれん。」
松之助は、そう言って、右衛門への復讐を密かに狙っていたのである。
2
(本島)
与助と志摩の間に子できた。弥吉の吉報に、久しぶりに右衛門は笑顔が絶えなかった。
「すぐ帰ってやれ。志摩もお前の帰りを待っているだろう。それに、佐那河内の連中もな・・。」
右衛門は、すぐにでも志摩が待つ佐那河内に与助を返したかった。
「しかし、殿、まだ万座屋が送った刺客の行方も知れず、野崎屋がどう出るか・・・。
現に、弥吉が本島の船頭たちの借りた借金を返済したいと申し出ても、応対しようとしないではありませんか。」
与助は、右衛門の言葉に反論した。
「明日には、丹波と三郎がこの島にやってくるというし、何より清五郎は、最新式の銃を持ってやってくる。難題に対応できる人は整った。お前が居なくても何とかなる。」
右衛門がそう言うと、与助が少し寂しそうな顔をした。
「与助様、佐那河内も又五郎様だけでは、万が一の襲撃に不安でしょう。佐那河内の武士団は、あなたが作ったものですから、指揮する人がいなくては・・・。」
弥吉が、与助の表情を見抜いて、与助の帰郷を促した。
その言葉で帰る踏ん切りがついた与助は、渋々右衛門の命令に従うことにした。
「殿、困ったらいつでも舞い戻りますぞ。」
与助は、そう言って右衛門を睨みつけた。
「わかった、わかった。」
右衛門は、そう言いながら、頭を掻いた。
右衛門は、与助と見能林を出た頃、彼のお節介がましい言葉がうっとうしかった。
しかし、この頃、与助の同じ言葉が、右衛門には心に沁みるのであった(気分がいい時は・・)。
「しかし、与助様が言ったように、借金の約定で、本島の船頭は他の船には乗れないことになっているとは、ずる賢い借金をさせたものです。借金の誓約書を返してくれない限り、我々はこの島の船頭を使うこともできず。かといって、野崎屋は、塩飽諸島の船頭を使おうともせず。島の連中は相当参っているようなので、できるだけ支援はしているのですが、仕事もせずに支援を受け取るのを嫌がりまして・・。いわゆる、職人気質というやつですかな。私も、頭を悩ませています。」
珍しく、弥吉が右衛門に愚痴をこぼした。
「まあ、明日、清五郎たちが来てから考えよう。ところで、多度津の港はどうだ。商売になりそうか。」
右衛門は、近頃、弥吉の商売に関心があるのか、弥吉に会うたびこの言葉が出た。もちろん、佐那河内の運営に、弥吉の財力は欠かせないものになっていたのだ。
「多度津藩からは、何の制約もなく自由に商売ができています。ただ、熟練の船頭さえいれば、この地域の塩と綿花で面白い商売が自在にできるのですが・・・。人材が不足してまして。」
弥吉の顔が、右衛門の質問で、急にほころんだ。
弥吉は、急速な廻船問屋の拡張で、従来の組織を見直している最中であった。
「となると、野崎屋との決着もそうのんびりもできんわけか。」
右衛門が、独り言を言うように呟いた。
「しかし、佐平の銃が厄介ですなあ。おそらく、奴らは野崎屋にかくまわれていますからなあ・・。そのせいか、右衛門様の名前が出ても、妙に慌てた様子もないのです。」
弥吉もまた、自分に確認しているようにぽつりと言った。
「わしは、それほどの侍ではないわ。柳生吉重様ならいざ知らず。この辺では、ただのやせ浪人だろう。」
右衛門がそう言ったが、弥吉は、「御謙遜を。」とは言わなかった。なんだか、面倒な言葉のように思えたのである。それに、ひょっとしたら、右衛門の言う通りかもしれないと、少しは考えていたのである。
「弥吉、これからどうする。」
右衛門が、弥吉に尋ねた。
最近の弥吉は、都合を聞かねばならないほど多忙な人間であった。その意味では、世間では、弥吉の方が右衛門よりずっと注目の人物かもしれない。
「はあ、明日は船で大阪に帰ります。西様もご一緒に・・。近頃は、西様は大阪まで行くのに、多度津に来られて、手前どもの船を使ってくれるのです。」
弥吉が、嬉しそうに右衛門に語りかけた。
「船はいいなあ。誰にも制約されずに好きなところに行ける。わしは、船を見直したぞ。」
右衛門がそう言うと、弥吉は嬉しそうに頷いた。
「私は、誰の検疫も受けずに、全国に私の船を自由に行き来させたくなりました。右衛門様がいるなら、それも夢でないかもしれません。宗衛門様も、同じようなことを言っていました。右衛門様は、見られない夢を見させてくれると・・・。なんだか厚かましいようですけど、私は右衛門様に付いて行きますよ。地獄の底まででも。」
弥吉は、そう言うと大きな笑い声をあげて、屈託なく笑った。
右衛門にとって、弥吉の子供のような笑顔を見るのは初めてだった。
「わしは、自分のために生きていく。おぬしらの期待には添えんぞ。」
右衛門は、無理やり弥吉の夢を壊そうとした。
「それでもええんです。私の勝手ですから。」
弥吉はそう言いながら、屈託のない笑いをやめなかった。
右衛門は、困ったときにする、いつもの癖が出た。頭を撫でて苦笑いをする仕草である。
(西の屋敷)
「先生は、近頃あまり大阪には行かないようで、書斎にばかり引き籠っていますなあ。」
右衛門が清五郎と最新鋭の銃を見ているときに西洋英が、右衛門のいる部屋にふらりと顔を出した。
「わたしが医師をしているのは生活のためです。西洋の書物を買うには、大変なお金が必要でしてな・・。昔、長崎で通詞をしていて、たまたま医学に精通したのが役に立ちました。元来、私は学問好きでしてな。やりだすと止まらない。若いころは、他人の西洋の書物を借りては、寝食を忘れて学んだものです。ところがこの年になっても、自分の悪習を改めることなく同じことをしている。いたって変わり者です。」
洋英は、右衛門が何も聞かないのに、自分の人生の経歴を語り始めた。
「ほう、それは変わり者だ。そのせいですか、御内儀もいないのは・・・。」
右衛門が、遠慮せずにそう言うと、傍にいた清五郎が、笑いを堪えた顔をした。
「それも、理由ですかな。まあ、女房が欲しいと言っても、こんな変わり者の所へ来てくれる女翔もいますまい。」
洋英は、照れることなく、右衛門に率直に答えた。
「私は、隼人から重力の話を聞いたのですが、大本は先生の受け売りでしたか。」
右衛門が、そう言うと、
「いや、学問とは人から知識を得ることから始まるのです。あの青年は、学問を学ぶ才能がある。ただ、医学は苦手の様だが・・・。」
洋英はそう言って、にやりと笑った。
「先生、ありましたか。お頼みしていた本。」
清五郎が、さっきから、右衛門と洋英の会話に遠慮していたが、隙を見て思い切って洋英に聞いた。
「ありました。たまたま大阪の友人が持っていましてね。先日、便りを出して貸してくれるように頼んでいたら、弥吉さんに託してくれました。弥吉さんのおかげで、近頃では、生活の心配がなくなった。あの方は、好きなだけ書物を買ってもいいから、いろいろ西洋の知識を授けろと言うのです。後は大前屋の大旦那様の専属医になってくれれば、必要な費用はいくらでも出すとおっしゃられて・・・。そんな訳で私は、月に一度、大阪に行って、宗衛門様の体調を診るだけです。」
洋英は、病人を診なくなったことに何の未練もないようだった。この人物は、自分の学問が自由にできることが、生きる上で必要十分な条件なのだろう。
洋英が懐から差し出した書物は、清五郎が弥吉から託された様式銃の詳しい仕様書のようなものだった。
「ありがたい。これで佐吉の先が越せる。何しろ奴は、日の本でも指折りの鉄炮撃ちだから・・。奴に対抗するには、少しでもこの銃のことを知りたいのです。先生、恩にきます。」
日頃、感情をあまり出さない清五郎が、無邪気に喜んでいた。
「しかし、あの銃、千両はくだらないと友人の文にあったが・・・。あの弥吉という商人、何者なんでしょうなあ。もちろん、後ろには大前屋がいるからでしょうが・・・。」
洋英は、いまさらながら、弥吉という商人が不思議な存在に思えてきた。
「いずれあの弥吉、相当の商人になりますよ。」
そう言って、右衛門は独り納得したように笑った。
「ところで、先生、隼人から重力の話を聞いたのだが。あの発想は、エゲレスのニウトンとかいうお人が考えたことらしいですなあ。」
右衛門は、「重力」の話が、ずっと頭の片隅にあった。
「世の中は、思いもよらないカラクリになっているのかもしれない。」
そう考えると、右衛門は、何やら自分の剣術など、他愛もないことに思えてくるのである。
「あれは、私の研究課題でして・・。そうですか、右衛門様は興味がおありか。思いもよらない人物が、興味を持たれましたな。剣の腕前では右に出るものがいない、と言われる人物がなあ・・・。」
洋英は、なんだか嬉しくなった。
「どおせ、与助でしょう。そんな大げさなことを言うのは・・。困った奴だ。」
右衛門が、本当に嫌な顔をした。
「そんなにおっしゃられるな。与助殿は、心底、右衛門様に惚れこんだ家臣です。私とて、殿のためでなかったら、岡山まで来て、佐平と命のやり取りなど考えてもみませんでした。」
清五郎が、与助の弁護をした。その言葉に、右衛門は言い返す言葉がなかった。
「どうです、右衛門様。たまには私が、学問(天文学)の講義をして差し上げようか。」
洋英は、右衛門が「重力」に関心を持ったことが、よほど嬉しかったようだった。
「ぜひ。」
右衛門は、その言葉に反応し、改めて正座して、洋英に頭を下げた。
「そうですか。それでは、遠心力と引力のことについて、少しお教えしよう。」
洋英と右衛門は真剣だった。
「私はこのへんで・・・。」
その様子を見ていた清五郎は、懐に銃の説明書を入れると、逃げ出すように部屋を出て行った。
海の見晴らしのいい堤防で、丹波と滝と隼人が、漁に出た一蔵と寅松をじっと見ていた。
今、丹波と三郎は、一蔵らの護衛として、一蔵らの家で暮らしていた。もともと、お庭番としての務めのない時は、漁師として伊豆の小さな村で暮らしていた二人の兄弟にとって、西の屋敷で、右衛門や清五郎と一緒に居候するより、小さな漁師小屋とはいえ、二人の寝る場所さえあれば、一蔵の家の方が気楽でよかったのである。
「三郎さんは、下津井に行ったのかい。」
滝が、丹波に尋ねた。
「ああ、今日はわしがお前の家の見張り役だ。あいつは野崎屋の偵察だ。おおそらく何の情報もないとは思うが、右衛門様から手当をもらっている以上、ちゃんとやらねばな。」
丹波は、滝の方を振り向きもしないで、一蔵と寅松が働く沖をじっと見ながら滝に答えた。
隼人は、早朝、学問をして頭が疲れたら、釣竿を持ってこの土手にやってくる。その場所を知っている滝は、丹波か三郎を誘って、隼人のもとにやってくるのである。
「私は、おとうに、丹波が生活費を入れてくれているから、食べ物が手に入れられると言っているんだ。丹波もそのつもりで、話を合わせてくれよ。本当は、右衛門様から貰ったお金だけどな。」
滝はそう言うと、丹波の顔を見た。
「あの方は、変わったお方だ。お前たちも見ただろうが、刀を抜いたら、人でなくなる程恐ろしいお方だが、普段はいつもぼんやりしていて、どこかの隠居のように気持ちが優しい。わしはあんな使い手見たことがない。近頃、西先生の弟子のように(隼人の方をちらっと見る)訳の分からないことを熱心に聞いている姿を見ると、さすがに不安を覚えるのは、わしだけではない。三郎もそう言っておった。」
丹波は、真剣に右衛門を心配しているようであった。
「お前、私のいる所で、そんなことを言うのは、私への皮肉か・・。」
当然のように隼人がかみついた。
さっきから、釣り糸を垂れているが、一匹の魚も釣れていないのも、丹波の言葉にいら立った理由かもしれない。
「いや、お前は、剣豪ではないだろう。いくらスキがあっても誰にも襲われることもない。しかし、右衛門様は、お前も知っているように、いつ命を狙われてもおかしくない立場だ。今度も、紀州の佐平に、どこで狙われるかわかったもんじゃない。それを、あんなぼんやりしたことをしているとは・・・。わしなら、日々剣の鍛錬を怠らんがな。あの方は、人のいる所で剣の鍛錬をしている姿を見たことがない。もともとやってないのかもしれんが・・・。あれは、剣の天才だな。」
丹波の「ぼんやり・・・」という言葉は、さすがの隼人にも許せなかった。
しかし、喧嘩になって力ずくの勝負になれば、かなう相手ではないのは誰が見ても明らかだった。
「わしは、右衛門様が先生に加速度の質問をしているのを見たことがある。」
隼人がそう切り出したが、丹波は何の関心もなさそうに、相変わらず沖を見ている。
「それで・・」
反応を示したのは、滝であった。
隼人は、懐から小さなビードロ球(隼人はいつもこうやって磁石やビードロ球を懐に入れて、誰かに説明してやろうと持っている。)を取り出して、近くにあった板切れを持ってきて、平らな板の上に、力を加えて転がした。
「加速度とは、何かが動き始めた時の速さの変化なんだ。ところが、同じ速さで転げている球には、加速度は生じない。その球の転がりは、力の考えでは、じっと止まっている球と同じなんだ。加速度がないから何の力も生じない。だから、いずれ空気に邪魔されて止まってしまう。」
隼人は、丹波のような力ではどうしようもない相手には、こうやって相手の思考力をからかうのが、いつもの常套手段であった。
滝は、彼の癖を知っていながら、毎回同じように、隼人の話に引っ掛かるのである。人には、抑えられない好奇心があって、いつもそれを満たそうとするのかもしれない。その好奇心は、満たされないのがわかっていても・・。
隼人は、今度は、板を転がっていたビードロ球を、改めて手に持ち、板を少し斜めにして球を転がした。
「どうだ、今度は、私は球に何の力も入れないのに転がり始めた。板に加速度が生じたんだ。板が、私の力の代わりをずっとしてくれるんだ。板が続く限りこの球は転がり続け、止まることはない。たとえ空気が邪魔をしても、それ以上の力を持っている。」
隼人は、自己満足したようにビードロ球の転がるありさまをじっと見ている。
すると、
「馬鹿を言うな。板に力があるはずがなかろう。お前はわしが馬鹿だから、何を言っても騙せると思っているな。」
以外にも、丹波は、隼人の言葉を真剣に聞いていたのである。しかも、しっかり理解しているのである。
「こいつ案外利口なやつかもしれんな・・。」
隼人は、心の中で、丹波を見直した。
隼人は、球にかかる自分の力と重力の力とについて説明しなければならないと思ったが、これ以上説明すれば、丹波に斬り殺されるような気がして、説明するのをやめた。
「丹波の言うことが正しいような気がするな。訳は分からないけど・・・。」
滝が、丹波の肩を持った。
隼人は、そんな滝を恨めしそうにじっと見た。
丹波は、滝の言葉に反応することなく、相変わらず沖の方を見つめている。
「俺は帰る。一匹も釣れない。まったく不愉快な朝だ。」
隼人は、丹波の方を見ながら、精いっぱいの不満を丹波にぶつけて、竿をしまい坂道を下り始めた。
「あいつは、面白い奴だなあ。わしは、あんな男見たことがない。右衛門様と言い、西様と言い、この辺には変人がいっぱいいるなあ・・。だが、わしはあいつが嫌いでない。」
坂を下る隼人を見送りながら、丹波がにやりと笑った。
そんな丹波を、滝は不思議そうに見ていた。
3
(西の屋敷)
事件が起きた。寅松が、海で漁をしている時に、他の船がやってきて、彼の船に横づけすると、無理やり寅松を自分たちの船に引っ張り込んで、連れ去ったのである。
その有様を、海岸でじっと見ていた三郎と滝は、どうすることもできず、仕方なく、右衛門に知らせるために西の屋敷に駆け込んだのであった。
「すいません。わたしがいながら・・・。」
三郎は、俯いたまま、右衛門に謝った。
「お前のせいではない。いずれ奴らは、動いてくると思っていた。おそらく、寅松は野崎屋の蔵にでも放り込まれたのだろう。万座屋の放った刺客も、そうのんびりできんからな。
いずれ動いてくると思っていた。こうなった以上、こちらも最後の決着に臨まねばなるまい。三郎は、弥吉のところへ行って、わしが塩飽島の借金にけりをつける交渉に当たりたい故、二日後、下津井の野崎屋に、弥吉の船で行くと、奴らに知らせるように言ってくれ。」
右衛門がそう言うと、
「弥吉さんの船は、今、多度津に来ています。今から、大急ぎで行ってきます。」
三郎は、右衛門にそう言うと、あっという間に、その場から姿を消した。
「お滝、泣くな!寅松はきっと取り返すから。」
三郎から少し遅れてやって来た滝は、さっきからずっと、めそめそ泣いていた。
右衛門は、そんな滝を見て、当てのない安請け合いをしたのである。
次の朝、慌てて駆け付けた弥吉、丹波、三郎、清五郎、それに右衛門が、それぞれ、座敷に座り、明日の下津井での決戦の話し合いをしていた。右衛門以外の四人は、車座になって座っていた。右衛門だけは少し離れたところで、丹波が書き写した下津井の港の下絵をじっと見ながら、何やら考え事をしているようだった。
「清五郎、港にある土蔵から港の船は狙えるか。」
右衛門が、清五郎に質問した。
「港から四丈(しじょう、12m)程は、どこから狙っても難しいかと・・。あの港は広い広場がありますからなあ。それに、その広場は荷役人が、絶えず行きかっているので、射撃には不向きかと・・。港を出て、野崎屋に行く道なら、狙える場所も見つかるのでは・・・。」
清五郎は、銃の射程距離と下津井の港の射程範囲は、西のもらった銃の解説で、何度も調べ上げていた。
「よく調べたなあ。さすが、鉄砲隊隊長だなあ・・。」
右衛門は、そう言って、にやりと笑った。
清五郎は、そんな言葉に喜ぶ気配もなく、
「殿の生き死にがかかっていますからなあ。」
と、淡々と答えた。
「しかし、野崎屋までの大通りも、そう簡単に狙えませんよ。たとえ仕留めたとしても、わしらがいることは知っているはず。自分の命はない覚悟でなくては・・。」
三郎が言った。
「いや、奴らにも味方の浪人がいる。わしらを阻止できると考えても不自然ではあるまい。
それより、日の高いうちに、そんな射撃が、人の多い大通りでできるかどうか・・・。」
丹波の疑問は、違うところにあったようだ。
「みんなの言うことには、それぞれ理屈がある。ただ、佐平は、清五郎が同じ銃を持って、佐平を狙っていることは、知らないだろう。そうなると、自分の身の危険を考える必要はない。」
右衛門がそう言うと、みんな頷いた。
「奴は、鳴門の海で、小さな手漕ぎ船からわしを狙って、仕留めた。あの荒波で揺れる船の上からだ・・・。」
右衛門は、自分に自問するように、以前の自分の事件を振り返っていた。
「佐平といえば、並みの名人ではないので・・。奴なら、たとえ、自分の狙う位置が動いても、撃てる感覚を身に着けていると思います。それにこの銃なら、わしでも動きながら狙ってみようかという気になりますよ・・。この銃は、火縄銃など比較にならない程強力ですから・・。」
清五郎が、右衛門の疑念に答えるように、銃の性能のすばらしさを説明した。
「清五郎、おぬし、わしが船から降りる舟板の近くで、何かに身を潜めて、奴を狙ってくれんか。」
右衛門が、清五郎に指示を出した。
「しかし、船板の上の人間を狙うには、佐平の狙う場所がないのでは・・・。」
弥吉が、初めて口を開いた。
「わかってはいるが、それでも佐平は、船から降りる舟板の上で、わしを狙うと思う。船から野崎屋の玄関まで考えてみても、わしが必ず通るのは、舟板だけだ。舟板を通らずに、野崎屋には行けぬし、上陸もできぬ。わしなら、舟板から逆算して、自分の射撃位置を工夫する。狙撃手というのは、狙撃する前から、自分の頭の中で相手を撃ち殺す場面を想像するものだ。そうなると、奴の狙撃する相手は、舟板の上でしかない。それに、舟板の上なら、奴が万が一急所を外しても、わしは海に落ちて、落命する確率は高くなる。」
右衛門は、さっきから誰に言うでもなく自分に言い聞かせるように、しっかりした口調で話した。
「右衛門様にそう言われると、わしもそう思うようになってきた。やはり、死闘になると、殿の性格は一変する・・・。」
右衛門の言葉に、真っ先に反応したのは丹波であった。
他のみんなも、もうこれ以上反論する気もなく、押し黙って、右衛門に従うことに決めた。
「ところで、弥吉、明日わしが交渉に行くと言ったら、野崎屋はどう言ってきた。」
右衛門が、思い出したように弥吉に聞いた。
「右衛門様自らおいでになるなら、借金は清算させてもらいますと・・・。」
弥吉は、そう言いながら、にやりと笑った。
「あちらも、決着の時が来たと、覚悟したらしいな。」
右衛門が、そう言うと、残りのみんなから、機を合わせたかのように、ふてぶてしい笑いが漏れた。
(下津井の港)
「右衛門様、港に着きました。」
船頭が、緊張した口調で、下津井港到着を告げた。
右衛門は、肩に刀を置いて腕を組んでいたが、おもむろに立ち上がった。
その正面にいた弥吉の表情がみるみる強張りはじめ、最後には顔面蒼白になっていた。
「弥吉、お前はここでしばらく待っていてくれ。流れ弾にでも当たったらつまらんからな。」
右衛門は、弥吉の様子を見ながら、弥吉を外に出さないほうがいいと判断した。
人には、いくら高いところでも平気で歩ける性格の人もいれば、少し高いところに立てば、足がすくむ人もいる。私は、どうしてそんなに性格の差があるのか、調べたこともない。たとえ、調べたところで、納得がいく現象とは思えないからである。高所恐怖症の人に、「こう考えれば、平気だよ。」などと言ったところで、足がすくまなくなるなどと、考えられないのと同様、原因など言っても無駄なような気がするからである。
今の弥吉も、右衛門に「ここで居ろ。」などと言われなくても。足がすくんで立ち上がれないのである。人は、そんな様子を見て、臆病などというかもしれないが。高層のビルで逆立ちしたところで、それが何になると思えば、それ程弥吉は恥じ入ることもないのである。
右衛門の考えも、そんなところにあった。弥吉が、行きたくないと、自分の体が言っているのに、この状況では無理に行くことはないのである。
昔、与助が、あまりにも右衛門が剣の求道精神がないのに苛立って、「心頭滅却すれば、火もまた涼し。」という禅の教えどう思うかと聞いたことがあった。
「あれは快川和尚が追い込まれた状況だから、仕方なく言った言葉であって、火が避けられるのに喜んで我慢するは、愚の骨頂だ。」
右衛門は、何の迷いもなく与助に即答した。彼の、どんなに精神論を言われても、決して受け入れない性格を物語っていた。
右衛門は、ためらうことなくすっと船の外へ出ると、大きく両腕を突き上げて、船内でじっとしていて固くなった筋肉を、思い切りほぐしてやった。
下津井の港は、活気があり、絶えず荷を動かす港湾労働者でごった返していた。
ふと見上げると、空は雲一つなく、太陽の光が燦燦とこの辺りに降り注いでいた。次の瞬間、右衛門は行商売りに変装して、先に下津井に来て周辺の様子を偵察していた丹波を見つけて目が合った。丹波は、その時、右衛門に対して左右に頭を振った。佐平の姿を確認できていないという合図であった。
右衛門は、舟板に向かいながら、慎重に辺りを見た。あわただしく荷をもって行き来する港湾労働者、船の近くで帳面をつけている商人風の男達。大八車が何台か、土蔵と船の間を往来していた。どこにでも見られる港の風景だった。
右衛門は、さりげないふりをして、辺りの人の不自然な動きを察知すべく、細心の注意を払って、神経を集中していた。
すると、程なく大きな酒樽を積んで船に向かう三台の大八車が右衛門の視界をかすめた。
三台の大八車の間隔は、奇妙なほどに等間隔だった。車の前後で一人ずつ、計二人は荷が重いのだろうか、力を入れて車を押していた。そして、酒樽の横にもう一人、大きな樽が荷崩れを起こさないように、手で支えながら、前後の人夫の歩調に合わせて歩いていた。
右衛門は、その光景を一瞥しただけで、決して注視することなく、今自分の脳裏に焼き付いたその印象を、思考の中で再現していた。
「真ん中の大八車を引く人夫の足取りは、微妙に前後の大八車の人夫の動きと違っている。少し荷が軽いのだろう。前後の大八にも同じように人を乗せれば、バレないものを・・・。」
右衛門は、そんなことをとっさに思うと、自然と笑みがこぼれた。
「清五郎、あの向こうの真ん中の大八車に乗せている大きな酒樽の中で、佐平がわしを狙っているはずじゃ。」
右衛門は、舟板近くの大きな荷の間で、蓆をかぶって佐平を狙っている清五郎に声をかけた。
清五郎は、しばらく言われた大八車を探していたが、しっかり確認したのだろう。
「心得ました。」
低い声のしっかりした口調で、右衛門の声掛けに応答した。
右衛門は、清五郎の返答に反応することなく、二度と大八車を見ることもなく、船の舟板に足をかけた。
その時、土蔵に隠れていた十人余りの刺客が、遠くから刀を抜いたまま、右衛門の舟板めがけて一目散に駆け寄ってきた。そして、右衛門の注目を刺客に向けるのを合図に、真ん中の大八車の横を支えていた人夫が、さっと横に姿を逸らすと、酒樽には大きな穴があけられていて、その穴の向こうで、佐平の銃口が右衛門にまっすぐ向けられていた。
ヅトーーーーン!!!
銃声は、晴れわたった上空に、鮮明に鳴り響いた。港の人の群れが、その銃声と共にはじけるように散りはじめたが、ただ刺客の一団だけは、その音に動揺することもなく、右衛門めがけて駆け寄ってきていた。
次の瞬間、三郎の投げた焙烙が、その刺客の一段の中で炸裂し、浪人たちは慌てふためいて左右二手に分かれてしまった。
「右衛門は、撃たれてないぞ!」
浪人たちの一人が、舟板の上でじっと立っている右衛門を認めると、大きな声で叫んだ。
すると、それに合わせるかのように、右衛門は腰に差している大小二本の刀を抜くと、大きく両手でかざしながら、刺客たちの集団に向かって駆け出した。
次の瞬間、清五郎の銃が、刺客の一人を、難なく撃ち殺した。最新式の銃は、二連発式だった。その狙撃で、完全に動揺した刺客どもは、追いついてきた右衛門の剣の一閃で、次から次へと倒されていった。そして、命からがら、右衛門の殺傷剣から逃れた二人の浪人は、清五郎の二度目に装着された弾丸で、一人二人と、連続射撃で地に沈んでいった。
右衛門が、全員の死を確認して血糊のついた刀を着物の袖で拭っていると、
「佐平は見事に清五郎殿の一撃で撃ちぬかれましたぞ!」
丹波の声を振り絞ったような叫びが、弥吉の船の甲板に立つ清五郎と、刺客の死体の傍にいる右衛門の耳に飛び込んできた。
右衛門が、振り返って、船にいる清五郎の方を向き、にやりと笑顔を見せると、清五郎もまた、不敵な笑いで右衛門に答えた。
丹波は、佐平から奪った様式銃を腕が痛くなってもお構いなく、一生懸命天空にかざして、左右に振っていた。
(野崎屋玄関)
「どうかご勘弁を・・・。」
右衛門たちがやってくる姿を見ると、野崎松五郎、息子の孫次郎、それに番頭の久三が額を板の間につけて、出迎えた。
「野崎屋、塩飽の船頭たちが借りていた借金返しに来たぞ。」
右衛門が、彼らの頭越しに、用向きを伝えた。
「これに・・・。」
松之助の前に、盆の上に置かれた借金の証文、島民と交わした誓約書が置かれていた。
「ところで、寅松は返してくれるだろうな。」
右衛門がそう言うと、頭を上げない番頭が、平伏したまま、懐から蔵の鍵を前に差し出した。右衛門はそれを確認すると、近くにいた三郎に、受け取って土蔵から寅松を開放するよう、目で指図した。
三郎は、黙ったまま頷くと、その鍵をもって裏の土蔵に速攻した。
「ここに二千両置いていく。これで、おぬしらはいっさい塩飽の船頭とは関わりなしだ・・・。」
右衛門がそう言うと、後ろにいた弥吉の指図で、二人の手代が持ってきた千両箱を松之助の前にドスンと置いた。
しばらくして、
「いました。無事のようで・・・。」
三郎がそう言うと、救い出されて三郎の横でほっとした顔をしていた寅松が、右衛門に笑顔を見せた。
「手前どもは、あの連中に利用されたまでで・・・。あの浪人共とは一切関係なく・・・。」
松之助が、恐る恐る頭を上げると、右衛門に向かって言い訳をした。
その時、さっと右衛門の刀が抜かれ、松之助の頭の上を通った。次の瞬間、彼の髷が、板の間に落ちて、はっと気づいたときには、髪がざんばらになっていた。
思わず、恐怖でのけぞった松之助に向かって、
「今度この様なことがあれば、おぬしの体、もう少し下から斬り落とさねばならん。わしにそうはさせぬよう、せいぜい用心しろよ!」
右衛門はそう言うと、にやりと笑って踵を返し、もう二度と野崎屋の連中を見ることなく、帰りの道をゆっくりと去っていった。
その後を従うように、ただ黙ったまま寅松、三郎、弥吉の手代、弥吉らが、右衛門の後を追って小走りに駆け出した。
4
(西の屋敷)
右衛門は、さっきから部屋の天井に神経を集中していた。
「天井にいるのは、忍びに違いない。しかし、奴には殺気がない。むしろ、自分がいることを右衛門に知らせているようだった。そうなると、丹波、三郎・・・。しかし、彼らには天井に潜む理由がない。となると・・・。」
右衛門は、ほぼ天井の上で潜んでいる忍びの察しをつけた。
「権蔵、何の真似だ。いくら忍びとて、知り合いの人間の天井にいることもあるまい。」
右衛門は、そう言いながら、にやにや笑っていた。
「さすが、右衛門様、見破られましたか。実は、少々内密なお話がありまして・・。人目を避けるために、いささか失礼ですが、この様な場所からあなた様に近づきました。」
権蔵が、理由を言った。
「ほう、下津井の事件か。」
右衛門は、察しをつけた。
「はあ。実は、私の配下の者が嗅ぎ付けまして・・・。下津井の港で、十数名の死人が出たのに、代官所に届けられることもなく、野崎屋の下の者が死体を片付けて、口外を避けていると連絡が入りましてな。よくよく調べてみると、岡山藩の重要人物がちらちら浮かんできまして・・。ご存じのように、岡山藩と幕府は、北前船の権益のことで、相当裏で、やりあっていまして・・・。私は、大目付家老秋山様のお耳に入れる準備をしていたのですが・・・。何と、その調べの途中で、右衛門様があの死体の相手だと知りまして・・・。さらに、驚いたことに、わしの息子の丹波と三郎が、一緒にいたと聞きまして・・。さすがに、わしの配下のお庭番だけに、わしの判断なしではどうしていいものやら、困ってしまい・・。わしとて、いかに息子とはいえ、お庭番の務めを身内という理由で曲げる訳にもいかず、こうやって右衛門様のいなさる天井に忍び込んで、右衛門様の考えを聞きに来たという訳で・・。」
権蔵は、何度も言葉を詰まらせながら、言いにくそうに、長々とやってきた理由を話した。
「権蔵、この事件、おぬしの一存で、なかったことにしてくれんか。やっとこの一件で片が付き、わしも明日、佐那河内へ帰るつもりだ。おぬしの息子たちも、すでにこの地を離れ、佐那河内に向かっているだろう。別段、わしにとって、やましいことはないのだが、幕府が出てくると、話は振出しに戻る。いらぬ苦労は、したくないでな・・。それに、この事件、幕府と岡山藩の小競り合いになるかもしれんが、それ以上には発展はせん。要するに、皆の徒労に終わると思うのだが・・・。」
右衛門は、内心、また江戸まで行って、秋山正直(正幸兄、大目付家老)に会い、後始末をつけなければならないかと思うと、正直うんざりし始めた。それに、お庭番が、私的な融通をつけるなど、できない相談だとも考え始めていた。要するに、八方ふさがりになり始めていたのである。
その時、
「右衛門様、話があるんだけど、入っていいか。」
滝の声であった。
「ああ。」
右衛門は、断るわけにもいかず、そう返事した。
障子を開けて入ってきた滝の目は、涙をいっぱい貯めていた。
「どうしたんだ。」
右衛門が、滝の涙を見ながら、驚いたように尋ねた。
「丹波が、佐那河内へ帰ってしもうた。私に別れも言わんで・・・。」
滝はそう言うと、もうそれ以上話せなくなり、堰を切ったかのように大きな声で泣き始めた。困った右衛門は、
「心配するな、また、いつでも会える。その気になれば、お前が佐那河内に行けばいいではないか。それよりお前、丹波が好きなのか・・・。」
右衛門は、この手の話が苦手であった。戦う相手の心理は読むが、惚れあった同士の気持ちには、かなり音痴な男であった。
「右衛門様、わたし、明日、右衛門様に付いて行く。丹波に会わせてくださいな。」
いつの間にか、泣くのをやめて、滝は真剣に右衛門を見つめていた。
「一蔵は、いいと言ったのか。」
「おとうは、丹波ならいいと言った。お前の好きにしろと・・・。いいだろう。」
どうも、滝は初めから右衛門にくっついて、佐那河内に行くつもりだったらしい。
「そう考えると、あの涙も仕組まれたのだろうか・・。」
右衛門は、ふとそんなことを考えた。
しかし、いったん「丹波に会える」といった以上撤回もできず、右衛門は言われるままに頷くしかなかった。
「それじゃ、旅の支度をして、明日来るから。一人で出かけたら、一生恨むから・・・。」
滝はそう言うと、最後は笑顔で右衛門の部屋を出て行った。
「権蔵、聞いたか。とんだ邪魔が入ったな・・。」
右衛門はそう言って、自分の頭を掻いた。
権蔵の忍び笑いが聞こえてきた。
「お滝という娘ですかねえ・・。」
権蔵が、右衛門に尋ねた。
「そうだ。おぬしどうして・・・。」
驚いたように、右衛門が尋ねた。
「三郎から聞きました。どうやら、丹波もあの娘のことが・・・。」
右衛門には、権蔵の忍び笑いが見えるようだった。
「そうか、それなら、わしも心配することもない。おぬしも、いい嫁の父親になれそうだな。」
右衛門は、そう言って笑った。
権蔵は、右衛門の冷やかしには答えず、しばらく沈黙が続いた。
彼は、何か考えているようであった。
そして、
「右衛門様、丹波とお滝さんのこと、頼みます。こうなったら仕方がない。わしも、下津井の一件の事、右衛門様の言われた通り、なかったことにいたします。この権蔵、お庭番として、主君への初めての裏切りです。人とは、やはり子供に勝てないのですかなあ・・・。私も一生未熟者です。それでは・・・。」
権蔵は、最後に右衛門にそう言うと、風のように右衛門の息づく空間から消えた。
5
(本島の桟橋)
四国まで送り届ける一蔵の船には、編み笠を被って、船に腰かけてじっとしている右衛門と、桟橋まで見送りに来た寅松、隼人、西先生に手を振る滝の姿があった。朝の光は、海をキラキラ輝かせ、一蔵が漕いでいく櫓の跡に、小さな渦が沸き起こっては、白い泡を立てて消えて行く。滝の旅立ちを祝うかのような快晴だった。
「とうとう行ってしまったなあ・・・。」
寅松が、そう言って、隼人の顔を見た。
隼人は、目にうっすらと涙をためていたが、寅松が振り向くと慌てて顔を下に俯けた。
寅松は、見てはいけないものを見たかのように、再び手を振る滝の方に視線をやった。
「さあ、帰ろうか。いつまで見送ってもきりがない。それに阿波と言えば、讃岐の山を越えればすぐそこだ。いつでも滝に会いに行けるしなあ。」
西先生は、そう言って、優しそうな笑顔を隼人に送った。おそらく隼人の気持ちがわかっていたのかもしれない。
「そうだな。また、三郎や丹波に会えるべえ・・。」
そう言って、寅松が西先生に同調した。
「隼人、朝の勉学を怠るなよ。」
寅松が、隼人に気を遣うように、声をかけた。
「ああ、私には学問があるからな・・。」
隼人は、そう言って、滝の未練を断ち切るように、小道の向こうにある西の屋敷に向かって歩き始めた。
(佐那河内)
弥吉、丹波、三郎の帰宅。さらに、宗衛門が、佐那河内の坂の上の連中に、ぶどう酒の樽とカステーラを手代に持たせて、志摩の懐妊祝いのためにやってきた。
志摩、美代、早苗、伊予の四女傑(最近は誰が言い出したか、みんなが四人のことをそんな称号で呼び始めた)が集まり、忠成、正幸、又五郎、与助の四強(鬼の嵐以来)と言われる連中も集まった。
「宗衛門殿、このように珍しいものどうやって手に入れなされた。」
助左衛門が、湯飲みに継がれた葡萄酒を一口飲みほして、宗衛門に尋ねた。
大人の連中から少し離れたところで、佐吉の子供、それに陽明や小夜が、おいしそうにカステーラを食べている。
「右衛門様とお知り合いになった西様という蘭方医の先生の知り合いを通じて、長崎から取り寄せました。」
宗衛門は、軽く頭を下げて、助左衛門に答えた。
「まあ、宗衛門様の方から一言みんなに・・。」
和尚に促されて、宗衛門がみんなを見た。
それに答えるかのように、みんなは話すのをやめた。
「まずは、与助様と志摩様に、ご懐妊おめでとうございます。」
宗衛門にそう言われて、与助志摩が、恥ずかしそうに頭を下げて礼を表した。
「さらには、私どもの商売事ではありますが、思わぬ幸運を右衛門様から頂き、瀬戸内の航路を拓くことができました。そのことにつきましては、美代様のお父上、長谷部春継様の御尽力あってのこと。勝手ながらこの場で、改めて御礼申し上げます。」
そう言うと、弥吉と宗衛門が、深々と美代に向かって頭を下げた。
この時の美代は、やっと早苗と志摩の以前の佐那河内騒動での論功に肩が並べられたと、内心誇らしさで胸がすく思いであったが、さすがに、顔には出さず、二人に向かって、軽く頭を下げて応じるだけだった。
宗衛門に促されて、弥吉が、
「手前どもが手に入れた、西洋式の最新銃は、論功行賞として清五郎様に差し上げました。しかし、同じ銃をもう一丁、佐平から奪い取り、丹波が持って帰りました。清五郎様の進言で、哲太と将太に託すことにいたします。」
そう言うと、丹波が座に据わる前に後ろに置いていた最新銃を取り出すと、
「ほれ!」
そう言って、横に据わる哲太に手渡した。
受け取った哲太は、何度も着物の袖で銃を拭きながら、目をキラキラ輝かせていた。
「兄貴!わしにも後で触らせろや!」
正面に座っていた将太が、腰を浮かせながら哲太に叫んだ。
「たいしたものじゃなあ。千両もする銃が、哲太と将太になあ・・。大切にせえよ。」
にこにこしながら又五郎が、二人に声をかけた。
二人は、かしこまって頭を下げた。
「ところで、そこでじっと座っている浪人は何者じゃ。」
さっきから、気になっていたのか、又五郎がさっそく声をかけた。
「わしは、赤松太蔵という浪人。野崎屋の用心棒をしていましたが、右衛門殿に見事に敗れ、野崎屋を裏切って右衛門殿に宗旨替え(しゅうしがえ)したやせ浪人です。」
太蔵はそう言うと、ぺこりと頭を下げた。
又五郎は、その言い草が余程気に入ったのだろうか、にこにこしながら赤松を眺めている。
「ほう、それでおぬし、どこの出身か・・・。」
又五郎が、何かを感じ取っていたのだろうか、赤松にまた聞いた。
「筑前、元黒田藩藩士でして・・・。木内又五郎殿の剣豪としての名声は、我が郷土でも鳴り響いております。」
太蔵という男、なかなか人を持ち上げるのが上手であった。
「やはりな。聞きなれた訛りがあると思うたわ。」
又五郎は、そう言って大きな声で笑ったかと思うと、太蔵に近づき何度も何度も肩をたたいた。
「また黒田節が増えたぞ。この後、二人前の黒田節が飛び出すかもしれんぞ・・・。」
忠成が、正幸に小さな声で囁いた。
正幸は、何とも複雑な顔をして、又五郎と太蔵の親交を見守った。
その時、
「丹波!お滝を連れてきたぞ!」
玄関で、みんなの集まる広間に聞こえてくる大きな声がした。
「おお!右衛門の奴、やっと帰ってきおったわ!」
又五郎がそう言うが速いか、全員座を立ち、先を争うように玄関に向かって行った。
「右衛門6」おわり
他に「ジョッショの友達ナナ」掲載中!




