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右衛門シリーズ全編  作者: FZ
14/43

右衛門6-2

1

「ハックション! 誰か、わしの噂をしているな・・。」

そう言って、右衛門は苦笑した。

近頃、右衛門は西先生の書斎で、隼人と珍しい文献を探しては、熱心に読む時間が多くなってきた。余程、隼人から聞いた「重力」の話が衝撃的だったようである。

隼人と右衛門の後ろで、滝が窓越しに、ぼんやり海を眺めている。

滝はこの頃、暇さえあれば、右衛門の傍で何もせずに、ぼんやりと時間を過ごすのである。

借金の一件で右衛門に助けてもらい、赤鬼が右衛門に懲らしめられたのを聞いて以来、彼の近くでいるのが、いちばん気持ちが落ち着くのかもしれない。

「お滝、どうしたのだ。元気がないな。少し顔色が悪いようだが・・・。」

右衛門が、何もしゃべらない滝の方を向いて、心配そうに声をかけた。

「こいつ、飯を食ってないんですよ。一蔵さんが、野崎の家から出入り禁止になったので、雇われ船頭もやれなくなって・・。寅松の漁だけで親子三人食っていけないんですよ。西先生が、時々、米など持って行っているようですけどね。それだって限界がある。」

隼人は、滝の目の前で、遠慮をするでもなく、淡々と右衛門に事情を話した。

「何で、早くそれを話さんのだ。隼人も、もうちょっと心配してやれ。」

右衛門が、怒ったように隼人を睨みつけた。

「そう言ってもなあ。私自体、西家では、役立たずの居候のような身なのですから・・・。

いつまでたっても、私の患者など一人もいない。やっていることは病人のさらしを交換するぐらいですから。」

隼人にも、人の心配などできない理由があるのである。

隼人は、頭脳は明晰で、西先生の所にある書物を読んでもたいていは理解できた。それにもともと書物を読むことが好きな青年で、西洋の科学への関心も人一倍であった。しかし、西洋医学にだけは、余り向いてはいなかった。知識はあるのだが、なぜか患者を診ることが苦手であった。しかし、西先生は隼人の才能を見込んで、文句ひとつ言わず、彼の面倒を見ていた。

「お滝、このお金取っておけ!」

そう言って、右衛門は、部屋の片隅に置いていたこうりから十両取り出した。

二人の若者の視線が、十両に集中し、じっと目線をそらすこともなく、飽きずに神経を集中していた。

「佐藤様、こんな大金、お滝にやるんですか・・・。」

やっと金から目をそらせることができた隼人が、驚いたような声を出した。

「ああ、どうせ使うつもりでもってる金だ。お滝が使おうが、わしが使おうが、変わりはあるまい。」

右衛門は、そう言って、照れ笑いをした。

「いや、大ありだ!私なら十両もあれば・・・。」

隼人が、自分の金のように未練がましく、右衛門に異を唱えた。

「このお金、いらん。第一、おっとうに言ったら、すぐ返すように言うのは、目に見えてるから。」

やっと、心の動揺を抑えた滝が、右衛門にきっぱりと断った。

「お前が、黙って持っていればいい。困ったときに、少しずつ生活の足しに使えば、誰にも迷惑をかけんだろう。一蔵もそれなら気づく訳がない。」

右衛門はそう言って、滝に受け取るように促した。

すると突然、滝が右衛門に抱きついてきた。

「何するんだ!」

右衛門は、滝の予想もしていなかった行動に、そう言って滝を引き離すのが精いっぱいだった。

「見ろ!隼人が驚いて見ておるではないか!おなごというものは、もう少し控えめでないと・・。隼人のような男に嫌われるぞ! もしわしが、無礼をしたと、お前を殴っても仕方がないぞ・・。もっとも、お前のような無邪気な女を殴れる男もいまいとは思うが・・・。」

右衛門は、自分の戸惑い隠すように、言葉を一生懸命考えているようだった。

余りにも驚いた隼人は、ぽかんと口を開けたまま滝の行動を見ていたが、右衛門の言葉に、われを取り戻したかのように、二人に背を向けて、

「これだから、私は滝が嫌いなのだ。」と、独り言を言うように呟いた。

「佐藤様、なんてお礼を言っていいやら、おっとうに気づかれないように、少しずつ使います。まず、味噌と醤油と米から・・・。」

滝は二人の言葉など意に介する様子もなく、嬉しそうに何度も何度も右衛門に頭を下げた。

「これだけ感謝されれば、金も本望だろうなあ。」右衛門は、ふとそう思った。

その時、

「先生が、佐藤様をお呼びです。」

使用人の男が、右衛門を呼びに来た。


右衛門が、客の対応に使っている座敷の障子を開けると、西の他に二人の男が座っていた。

「わざわざお呼びして申し訳ありません。」

西が、右衛門に言葉をかけたが、他の二人は右衛門に目を合わせることもなく、表情が暗かった。

「こちらは、この本島の勤番所で政務を取っておられる年寄りの大江栄太郎殿、そして、横におられるのが、多度津藩家老の矢上広郷殿。」

西が、簡単に右衛門に紹介した。

「ところで、私に何用で・・・。」

そう言いながら、右衛門は三人に対面するように座って胡坐をかいた。

「実は、昨日、下津井の豪商野崎松之助様からのお話がありまして・・・。

佐藤様を即刻この島から出て行ってもらうこと。それに、一蔵一家をこの島から追放せよという話でして・・。もし、聞けぬとなると、本島勤番所年寄りに貸し付けた二千両を即刻返してもらうと迫られまして・・・。」

年寄りの大江が、言いにくそうに右衛門に切り出した。

「ほう、それにしても二千両とは大金ですなあ。なんでそんな大金を借金したので・・・。差し支えなければ、お話願えまいか。」

右衛門が、丁重に質問した。

彼の質問に応答したのは、多度津藩家老矢上広郷であった。

「我が藩にも、野崎松之助から本島に圧力をかけるように催促ががありましてな・・・。以前、わが多度津藩とこの本島の年寄りが相談して、自前で北前船を建造し、商売をしようかということになりまして・・・。我藩は、資金はないが下津井に負けないだけの良港があり、本島には腕のいい船頭がたくさんいる。成功間違いないと、わが藩主京極貴文様の命で話を進めたのですが・・・。」

家老の顔は始終暗かった。

「なるほど、本島の連中にすれば、野崎家の締め付けなしに仕事ができる。多度津藩にすれば、港を差し出すだけで、財政が楽になる。両者いいことばかりですなあ。」

なぜか、右衛門の表情は明るかった。

「おっしゃる通りで。それに、なぜか下津井の野崎家は、快くこの話に乗ってこられて、資金まで援助してくれるということで・・・。我ら、本島の連中も、多度津藩も大喜びで、とんとん拍子に話がまとまりまして・・・。」

家老の表情は、さらに暗くなっていった。

「相変わらずじゃなあ、京極殿は・・・。楽天的でおられる。」

右衛門のその言葉に、前に座った三人は驚いたように顔を見合わせた。

「佐藤殿は、わが藩主をご存じで・・。」

右衛門の顔を上目遣いに見ながら、家老の矢上がおそるおそる右衛門に尋ねた。

「わしは、元見能林藩主佐藤右衛門と申す。こうなった以上、自分の素性を言わぬわけにもいくまい。以前、江戸屋敷にいたころは、京極殿とお勤めでよく助け合ったもので・・。いわゆる、小藩の悲哀です。こまごまとした些細な仕事を任されましてな。しかし、京極殿は、文句ひとつ言わず、コツコツとこなしておられた。わしとは違ってな・・。」

そう言って、右衛門は大きな声を出して笑った。

その話を聞いた家老と本島年寄りは、座を後ろにやって頭を下げた。

「いや、今は藩主を追われた浪人です。妙な配慮は、おやめくだされ。」

そう言うと、右衛門も二人に向かって頭を下げた。

「あなたは、あの剣豪の右衛門様でしたか。」

西が、納得したように頷いた。

「ご家老、塩飽島(本島含む)年寄り殿、あの豪商野崎家が、黙ってあなた方の応援をする訳がなかろう。あなた方の商売の行き詰まりは、目に見えていたのじゃ。」

右衛門がそう言うと、

「おまけに、三度目の航海で舟は嵐に沈んでしまい。何とか船頭たちは助かったのですが、残ったのは借金だけで・・・。それ以来、野崎家には、この島の連中は決して逆らえないので・・・。」

年寄りの大江はうつむいたまま、まるで叱られた子供のようにぽつりぽつりと話した。

「多度津藩も、この失敗以来、野崎家に財政がひっ迫するたびに借金を申し入れ、今では三千両もの大金を借料している次第で・・。わが藩主など、野崎家の婚礼まで参列せねばならず・・。殿はああいう性格故、決して愚痴はこぼしませんが、見てる家臣が情けなくて・・。」

いつの間にか、家老は涙を浮かべて、右衛門に訴え始めた。

右衛門は、その言葉を聞くと、あの人の良かった京極貴文の顔を思い出し、また大きな声をあげて笑ってしまった。しかし、右衛門の高笑いにもかかわらず、家老と年寄りは、不満な表情一つ浮かべず、じっと俯いていた。

「ご家老、わしに考えがある。これは、わが知人の大前屋宗衛門殿や弥吉にしたら、よだれが出るほどおいしい話かもしれん。」

右衛門は、そう言って、改めて、薄笑いを浮かべた。

右衛門の悪企みを楽しむ遊び心が、ふつふつと湧き上がってきたのである。

やはりこの男、仲間が評価するほど善人ではないかもしれない。特に、与助は少し右衛門を妄信し過ぎかもしれなかった。



2

(佐那河内襲撃)

弥吉の情報網は、大組織にも勝るとも劣らぬ機能を持つまでに至っていた。

「情報こそが商売の要」という信念の基、余裕のある財力を情報組織に注ぎ込んでいたのである。そんな弥吉の情報組織が、黒龍党の総力を挙げた佐那河内襲撃の計画を入手したのである。

「何と、船四隻、兵二百人。鉄砲二十か・・・。」

又五郎が、驚きの声を上げた。

「して、いつ頃この浜に押し寄せるのじゃ。」

久野老人の様子は、決して驚いているようには見えなかった。

久野老人が佐那河内に家臣三十名を引き連れて、この地にやってきた時、誰もが陰でその大げさな援軍に冷笑を浴びせていた。しかし、襲撃が現実のものになると、みんなが、久野の家臣団に信頼を寄せずにはいられなかった。

「二日後の朝には、船の軍団が姿を現すかと・・・。」

弥吉の番頭の勝介が、老人に答えた。

「やはり、家臣団を編成すべきであった。申し訳ない。」

吉田八郎(田原藩剣術指南役)が、すまなさそうに謝った。

「誰も予想はしていなかったのだ。八郎殿には非はござらんよ。どうだろうか、阿波藩家老の大林殿に、援軍を求めれば・・・。」

佐吉が、正幸の方を向いて打診した。大林惣五郎は、以前正幸の父正成の家臣であった。

「いや、大林に頼るのは危険だろう。奴は、今は阿波の家老だ。一度、佐那河内に恩を売ったら、事あるごとに阿波藩がこの自治区に介入してくるぞ。それほど人のいい人物ではないからな、大林は・・・。」

正幸はそう否定すると、意味ありげな苦笑いを見せた。

「清五郎殿、おぬしと哲太との鉄砲隊二十名で、奴らの総攻撃の勢いは止まらんか。」

忠成が、いきなり清五郎(見能林鉄砲隊長)に声をかけた。

「それだけの人数の攻撃になると、鉄砲だけでは、最初の脅しにしかならんでしょう。もちろん、百丁ほどあれば、別だが・・・。」

見能林の鉄砲隊でも、最近は財政面から、幕府の監視もあり、最初の黒龍党襲撃の時のように、百人の鉄砲隊を駆り出すのはほぼ不可能になっていた。

「やはり、ここの百姓らに武装させて・・・。」

又五郎が、そう呟くと、

「もうその手は食わんでしょう。前の襲撃で学習したはずですから。」

今まで、じっと黙っていた与助が初めて発言した。

「それぞれ、明日までに案を出し、合議の下で防御のやり方を考えようではないか。」

そう言いだしたのは、安住助左衛門であった。

結局、この日は結論を出さずに、明日の話し合いに先送りしたのである。

襲撃まで、あと二日。


その夜、和尚の依頼で佐那河内の連中たちが寺の本堂に集まった。

「実は、志摩さんからの依頼でみんなに集まってもらいました。今度こそ、佐那河内と黒龍党も最後の決戦になるでしょう。たとえ無駄でも、思いついた考えがあったら悔いのないように話し合ってもらおうと、集まってもらいました。よろしくお願いいたします。」

そう言って、和尚は、深く頭を下げた。

和尚のその言葉に、突然の招集に不満を口にするものは一人もいなかった。

「ご足労願い、申し訳ありません。実は、私もまさか黒龍党が、これほどの兵力で攻めてくるとは思いませんでした。右衛門様が欠けている今こそ最後の好機と思っているのでしょう。そこで、どうでしょう。今から手分けして、この近隣の農家を訪ねて騎馬になりそうな馬をできるだけ買いあさり、明日一日、騎馬に心得のあるものは、馬を乗りこなしてみては・・・。まさか騎馬隊の大群で攻めようとは、相手も思ってもいますまい。」

志摩がそう言うと、集まった連中からどよめきが起きた。

「久世様の御家臣を除いて、こちらの武士は合わせて、五十人足らず、その中で騎馬の心得があるものは半数はいますかな・・・。」

助左衛門が、そう言うと与助の顔を見た。

「いずれも剣術を心得る侍、ほぼ全員が騎馬に加われるかと・・。弥吉、どうだろうか。後は、お前の資金が頼りだが。」

そう言って与助が、弥吉の顔を見た。

「予め、志摩様からお話を聞き、今私の使用人を周辺の村に向かわせています。相場の二倍の値段で買い取れと言っていますので、三十頭は間違いなく集めてくるかと。」

この頃、弥吉の言動は、名のある商人の風格を備えてきていた。

「久野様の騎馬隊と合わせて、六十頭。これなら二倍以上の勢力にも対抗できるのでは・・・。」

与助が、志摩の考えを自分の発案のように誇らしそうに、みんなに言った。

「明日の早朝、集まった馬を乗りこなせねばならん。又五郎、今晩のうちに与助と騎馬隊に参加させる佐那河内の武士団を選抜しておいてくれ。」

忠成の少し高揚した声が、甲高く響いた。

「おお!」

合図のように与助と又五郎が呼応した。

「この村の大将は、噂通り、おなごのようですな。」

久野老人が、近くにいる和尚に小さな声で呟いた。

「志摩を指揮官に推すのは、右衛門様の方針でしてな・・・。」

和尚は、そう言って久野老人に笑顔で答えた。

なぜか、側で聞いていた吉田八郎が、下を向いてにやにや笑っていた。

結局、志摩の考えに異論を唱えるものはいなかったのである。



「何者!」

志摩が、刀に手をやった。

「こいつら、合戦があるんで、この山に避難してきた女と子供だ。兄貴どうする。」

避難してきた佐那河内の女と子供が、山の高台に通じる小道で二人の野盗のような男に出くわした。

「気の毒だが、こっちも命がかかっているんだ。死んでもらおうか。」

兄貴と呼ばれる、男が刀を抜きながら、そう言った。

「こやつら、黒龍党の斥候に違いない。まず、子供たちを後ろに下がらせなさい!」

そう言って、早苗が一歩前に出た。

伊予と美代は、同じように、一歩前に出ようとしたが、足がすくんで出られなかった。

いつものように、戦になると男のような格好で刀を差した志摩が、ぴたりと早苗の後ろにつけて、刀を抜いた。どうも、彼女も前に出る勇気がないらしい。


「やあ!」

最初に刀を抜いて、早苗に襲い掛かった年上の男が、早苗の上に跳ね上げた長刀で、襲う動きの動作を止めた。次の瞬間、首を押さえて、必死に出血止めようとしている男の顔が、みるみる土色に変わっていき、ついに自分を支える力もなくなり、早苗の前にばたりと倒れた。息が絶えたのである。それを見ていた、もう一人の男が、坂の上に背を向けて逃げようとした。

「やあ!」

二度目の気合いの声と同時に、早苗は、背を向けた男の背中めがけて、まだ血糊のついた刃で、袈裟掛けに振り下ろした。

男は、一瞬静止したままで立っていたが、次の瞬間もんどりうって地面に転がった。

早苗の立ち回りを呆然と見ていた志摩が、恐る恐るその男の顔を覗き込んだ。

「死んでいます!」

志摩はそう言って、早苗に報告した。

早苗は、伊予と美代の方に振り返ると、

「美代様、志乃さんたちが、坂を下って逃げて行きました。呼び戻してください!」

そう言って、美代に命令した。

美代は、早苗に頷くと、慌ててさっき通ってきた小道を下って行った。



一方浜では、襲撃を試みるために、黒龍党の兵隊が、続々と浜に降りてきては、隊を組んで寺に通ずる一本道を前進し始めた。

その道の途中には、木の策が設けられ、清五郎率いる鉄砲隊が、銃口を前進してくる黒龍党の隊に向けて構えていた。

「いいか、我らは、敵の最前列にいる鉄砲隊が火ぶたを切るのに応戦すれば、それでよい!後は、まっすぐ坂の上の寺まで駆け上がって、弾を込めなおせ!」

清五郎が、大きな声で鉄砲隊に命令を下した。

その間にも、一つの塊となって、鉄砲隊を先頭に、黒龍党の集団が小走りに前進してきた。

「隊を乱すな!横からの襲撃は、百姓の偽兵じゃ!奴らにかまうことなく、柵を突破して、坂の上の敵を襲撃する!油断するな!わしらは、奴らの兵の数の二倍で攻めているのだ。ひるむ事は何もない!」

黒龍党の大将らしき男が、檄を飛ばすと、その集団から異様などよめきが上がり、まっすぐ清五郎らがいる、柵めがけて攻めてきた。

しばらくして、策の近くで接近戦になりかけたとき、両者の鉄砲が火を噴いた。

「退却!」

相手の火器を使い切らせた清五郎は、躊躇なく隊を後退させた。

その逃走を見ていた黒龍党の集団は、なおも勢いづいて柵を破壊しながら、前進し始めた。


「いよいよ、突進してくるわ!」

寺の丘からじっと眺めていた安住助左衛門が、武者震いしながらそう呟いた。

寺の上には、最後の反転攻勢に備えて、騎馬隊以外の十数名がいるだけだった。

弥吉の配下の使いの者は、一昨日の夜に三十五頭の馬をかき集めてきたのである。


黒龍党の部隊が、寺への道の中央付近を通り過ぎた時、得体のしれない轟音ごうおんと共に、土煙をたてて向かってくる軍団があった。

「なんだ、あれは・・。」

黒龍党の戦闘員が、一瞬、その軍団の騒音に気合をそがれて立ち止まり、その一塊の方に目を凝らした。彼らは、自分の視界に入ってきたその塊が、自分たちが予想していた動きとは、あまりにも違った速い動きであったことに、まず驚いた。

すると、後ろの方で叫ぶ声が聞こえた。

「みんな馬に乗って、向かってくるぞ!」

むしろ、後ろの連中のほうが、予想がつかない速さの物体を、正常に判断できたのかもしれない。しかし、彼らは気付くのが遅すぎた。最初に、槍を頭上で振り回しながら、正幸が集団の中に飛び込んだ。彼は馬術が得意であった。旗本のたしなみとして、幼いころから馬術には、慣れ親しんでいたのである。

遅れまいと、忠成、又五郎、与助、佐吉と続々と、隊列の中へと突入したのである。

「遅れるな!紀州武士の名が廃れるぞ!」

久野老人のその言葉に刺激されたかのように、紀州の武士団が、勇猛果敢に黒龍党の武装集団を、馬上から斬り殺し始めた。

間もなく、騎馬隊の凄まじさの恐怖で、板にはじかれた水のように、散らばり始めた黒龍党の武装集団は、自制心を失って、命令に従うことなく、逃走を始めたのである。

「今じゃ!駆け下りて、奴らをなぎ倒せ!」

安住老人の、叫び声と共に、坂の上の連中が、雄叫びを上げながら坂を下り始めた。

その行動と気を一にしたかのように、民家に隠れていた農民たちが、黒装束に槍を持ち、得体のしれない叫び声をあげながら、敗走する黒龍党の残党を追いかけ始めた。


結局、浜に停泊した四隻の船は、帰りの乗客を確認することなく、次々と出向し始めた。

いつか見たような光景が、過去の映像のように繰り広げられ始めた。侵入者の逃げる泳ぎは、今度もまた、競泳の選手のように速かった。

この時以来、黒龍党を「逃げ泳ぐ集団」と、世間が揶揄やゆするようになったのである。  この合戦で、黒龍党は壊滅的な打撃を受けることになった。




3

(大前屋屋敷)

「ごめん!」

右衛門が、三人の男を後ろに従え、大前屋の裏の屋敷玄関で大きな声を上げて、応対を待った。

「右衛門様!」

驚いた声を上げて、その場に立ち尽くしたのは喜一郎であった。

慌てて使用人らしき女が、喜一郎の後ろに現れた。

「親父に、早う伝えてこい!右衛門さんが現れたと・・・!」

喜一郎が、その使用人を急き立てた。


「ご無事で、ようおました。」

喜一郎はそう言いながら、右衛門の方を振り返った。

彼らは、案内されるままに、奥の間に通された。

(廊下を小走りで、喜一郎たちの方へ向かってくる足音)

「右衛門様!」

彼らが座敷に入りかけたとき、右衛門の姿を見つけた宗衛門が声をかけた。

振り向いて、相手を確かめた右衛門が、宗衛門に笑顔を見せた。

「どないしてましたんや、この人は・・・。みんなを心配させてからに!」

宗衛門は、笑ってはいるが、恨めしそうに右衛門を言った。

右衛門は、恥ずかしそうに、無言で頭を掻いた。


「こちらは、多度津藩藩主京極貴文殿、横に座っているのが、家老の大家武元殿、そして蘭方医らんぽういの西洋英殿。」

右衛門が、喜一郎と宗衛門に三人を紹介した。

「ほう、右衛門様と一緒に来られるとは、予想もつかない方々ですなあ。ほんまに右衛門様は、剣と同じ自在流やなあ・・。」

喜一郎が、そう言って、笑い始めた。

「西様と言えば、今、大阪で評判のお医者様ですなあ。お名前だけは聞かせてもらっています。確か、瀬戸内海の島から大阪に通っておられるとか・・・。」

宗衛門が、笑顔を絶やすことなく、西の方を見た。

「さすがじゃなあ。宗衛門の情報量は、たいしたものだ。」

右衛門が、感心したように宗衛門を持ち上げた。

「ところで、多度津の藩主様がわざわざ手前どもの所へお立ち寄りくだされたとは、どんな目的がございますのやら・・・。」

宗衛門は、そう言って、京極貴文のほうに向きなおり、慇懃に頭を下げた。

「佐藤殿とは、昔からの知り合いでな。本島におられると聞いて、びっくりしました。

細かい内容は、家老の方から説明させますが。ありていに言えば、佐藤殿を頼って、大店のあなた方に借金をお願いしに来たというのが、本音でござって・・・。のう、こんなところだな、佐藤殿・・・。」

貴文は、事の詳細を、うまく説明できるほど、弁に長けた男ではなかった。強いて取り柄と言えば、まじめで、何事にも忍耐強い性格の男であった。しかし、右衛門は、昔付き合いのあった多くの藩主の中で、この貴文が一番好きであった。

「されば・・。」

家老の大家武元が、主君の指示を受けて、塩飽諸島勤番所と多度津藩の野崎家への借金。一蔵と右衛門の追放。そして、右衛門の提案で、大前屋に相談にやって来たことをできるだけ細かく説明した。


黙って聞いていた宗衛門が、話し終えた家老の説明が終わったのを確認して、口を開いた。

「面白いお話ですなあ・・。要するに、この問題解決出来たら、私ども大前屋に、多度津藩の港と、本島の航海技術を持つ人材を提供くださると理解してよろしいのですかな。もちろん、それ相応の藩への港の賃料を条件で・・・。」

宗衛門は、そう言うと、念を押すように家老の顔を見た。

「その通りでござる。われら決して法外な賃料要求するつもりはござらん。何卒、良しなにお取り計らい下され。」

懇願するように家老がそう言うと、話を聞いていた西(本島代表として来ていた。)と貴文が、合わせるように頭を下げた。

「これは、もったいない。頭をお上げくだされ。右衛門様のご依頼となれば、私どもには断る理由がございません。それどころか、このお話、私どもにとっても願ってもないお話かと・・・。」

宗衛門は、そう言うと右衛門の方に笑顔を見せた。

「喜一郎、さっそく弥吉を呼んで来い。それに、一刻も早う忠成様と正幸様に・・・。」

宗衛門が喜一郎に指図をした。

「親父殿に言われるまでもない。もうとっくに・・・。」

喜一郎は、宗衛門の命令に反抗するように、厳しい表情をして返答した。



(正幸屋敷)

右衛門の行動は早かった。

彼は、多度津藩主と家老が帰った翌日、正幸の義理の父、長谷部春継(大阪城代家老)に面会を求めたのである。

春継は、大阪城代吉良三郎に乞われて城代家老になったが、もともと城代の先代からの家臣ではなかった。城代にとって、長谷部の政治手腕は言うまでもないが、もう一つ、長谷部家の権威が狙いであった。長谷部家は、四万五千石の領地を持ち、吉良家に劣らない家の格であった。西国の大名に睨みを利かせるためには、春継の家の格は城代にとって欠かせないものであった。


「右衛門殿と、大前屋がわざわざ私に面会を求めるとは、またどういう用向きかな。」

長谷部春継は、すこぶる機嫌がよかった。

娘の美代が、春継を屋敷に招待するのは半年ぶりだったのである。


春継にとって、美代はたった一人の子供であった。母親は美代が幼い時に他界し、この春継は、それ以来後添い(のちぞい)を娶ることなく、男手一つで、美代を育て上げたのである。それだけに、美代は何不自由なく、長谷部家の姫君として育てられた。元来、容姿が人よりよく、育ちの良さからくる気品を備えた美代は、少しばかり自信過剰な所があった。そんな美代だけに、婿選びには厳しい条件が付いた。その条件を満たしたのが、正幸である。家の格、容姿、剣の腕前。どれをとっても申し分なかった。春継は、縁談の話が上がった時、彼に飛びついた。美代に限って婚儀が破談になるなど思ってもみなかったのである。しかし、正幸は美代との縁談が持ち上がった時、乗り気ではなかった。元来、気性が自由奔放であり、家柄の古い四万五千石の大家に婿養子になるなど、考えてもみなかったのである。

それでも、父正成の執拗な説得もあり、一度だけ会ってみることになった。その後は、以前紹介した通りである。美代を見るなり、正幸はその場で結婚を決意したのである。原因は、美代の容姿にあった。美代もまた、正幸をすぐに気に入った。原因は、正幸の剣豪としてのたたずまいが醸し出す、ぴんと張りつめた雰囲気が気に入ったのである。

ところが、この恵まれた夫婦、意外とうまくいっている。いわゆる、相思相愛は今でも続いているのである。世の中とは、稀に人がうらやむ偶然があるものである。


「実は、大前屋の商売の話なのですが・・。」

右衛門が、春継の機嫌のいい顔を確認しながら、話を始めた。

「ほう、右衛門殿は、商売に関心がおありか・・・。」

春継が意外そうな顔をする。

それを聞いていた正幸が、思わず苦笑をした。

「いや、今度ばかりは、自分に降りかかった火の粉の一件もありまして・・・。」

右衛門が、話の出鼻をくじかれて、余分な言い訳してしまった。

「そうじゃ!これはご無礼。右衛門殿は、この度、大変な危険にあわれたとか・・・。

お見受けする限り、難は克服されたご様子、執着でござった。」

春継は、慌てて右衛門を見舞った。

「父上、もう少しお言葉は慎重に・・・。右衛門殿は、生死の境を切り抜けられたのですよ。まずは、その話題を出すのが順序ではありませんか。」

美代が、春継をたしなめた。

この老人、美代に叱られるのが一番堪えられないらしい。一変に表情が暗くなった。

「美代、そう口を出すな。かえって、話がややこしくなる。」

正幸がそう言うと、美代は押し黙ってしまった。

春継にとって、そんな美代を見るのは衝撃的だった。

「あの美代が、従順に黙ってしもうたわ・・・。」

春継は、そう思いながら、正幸を見直した。

「実は、塩飽島の本島という北前船の船頭がいる島で、私は助けられまして・・・。」

右衛門が、強引に話を本題に戻した。


話はこうである。

多度津の港に大前屋の船を出入りさせ、瀬戸内海で自由に交易するには、対岸の岡山藩下津井の豪商野崎家から、本島の船頭と多度津藩の拘束関係(借金による)を解消しなければならなかった。しかし、そのためには、野崎家の後ろにいる岡山藩筆頭家老伊木冬馬を中心とする池田家とも対峙しなければならなかった。右衛門が、その対抗として担ぎたかったのが、名門長谷部家の頭首である大坂城代家老長谷部春継であった。


「しかし、下津井の隣には、幕府直轄領の倉敷がありましてな・・・。池田家と幕府は、北前船の利権でいつも争いが絶えないのをご存じかな・・・。外様とはいえ、池田家と言えば、西国指折りの雄藩、そうやすやすと従わせる訳にはいかぬので・・・。それに大前屋と多度津藩の利権に幕府が介入しても、城代の役目を果たすことにもならず・・・。むしろ世間では、幕府が多度津藩に肩入れしたとみなしましょう。」

春継の言い分は理が通っていた。

右衛門もまた、春継が言った事情は分かっていた。それでも、敢えて彼は、春継を頼ったのである。それは、美代の存在であった。春継が、美代の頼みを無視できないと考えたのである。こうなると、右衛門と春継の心理戦であった。

「もちろん、長谷部様には、この計画うまくいったなら、それ相応のお礼はさせてもらいます。」

交渉の停滞にたまりかねた喜一郎が、口を挟んだ。

「大前屋、わしは金では動かんぞ。」

明らかに、春継は気分を害した。

慌てて、右衛門が口を挟んだ。

「春継様、勝手なようですが、私はこの話、何とかまとめたいのです・・・。私を救ってくれた本島の人に、どうしても恩を返さねば・・・。無理筋は分かっていて、正幸殿の友情に頼ったのです。春継様へのご無礼この通りござる。」

そう言うと、右衛門は、春継に向かって深々と頭を下げた。

「父上!右衛門様が、ここまで頼んでいるのではありませんか・・・。この話、無下になされるなら、正幸様の立場がありませんぞ!」

美代が、大変な剣幕で、父春継に迫った。

しばらく、誰も何も言わず、沈黙が続いた。

すると、しばらくして、春継が急に笑顔を見せて、

「美代にそう言われれば、仕方があるまい。わしとて、世間の体裁より、娘が大事じゃ・・・。右衛門殿、ただし、この計略、城代の耳に入れず、わしの独断で行動するのでそのおつもりで・・・。おぬしの計略通り動きますので、わしを数にお入れくだされ。果たして、岡山藩筆頭家老伊木殿が、わしの存在で折れるかどうか・・・。長谷部家の格もこれで分かりますなあ。」

そう言うと、春継は、突然、高笑いを始めた。

「ご無礼なことを申して、申し訳ありません。」

機嫌の直った春継の間隙を縫うように、喜一郎が春継に謝った。

「岡山に行かねばならぬなら、いつでも言ってくれ。ついでに厳島神社も寄ってこようとしよう。」

春継は、喜一郎に向かって、そんな言葉をかけて、謝罪を受け入れた。

一方美代は、

「これで、早苗殿や志摩殿に今度会っても、引け目を感じることはない・・・。」

心の中でそう思い、父春継に感謝するのであった。

先の、佐那河内襲撃事件で、志摩は知略。早苗は、武勇を発揮して大いに株を上げていた。美代はそんな二人に、かすかな嫉妬を感じていたのである。



4

これより数週間前、

佐那河内では、黒龍党との勝利による祝賀会が開かれた。

「戦の習わし故、戦に功のあったものを言わせてもらうぞ・・・。

第一の功は、又五郎妻早苗殿 斥候の殺害に功あり。

第二の功は、与助殿妻志摩殿 戦の知略に功あり。

第三の功は、大前屋商人弥吉 惜しまぬ財力の援助に功あり。

なによりも、全員の結束力を称えねばならんがな・・・。

明日は、皆国元へ帰るが、今宵は無礼講じゃ!大いに飲んで騒ごうではないか・・。」

少し酒が入っているのだろう。久野老人の言葉は滑らかだった。

「久しぶりに、黒田節でもご披露しようかなあ・・。」

早苗の名が一番に上がった又五郎が、上機嫌で座の前に躍り出た。

「また黒田節か。もう少々見飽きたがのう・・。」

正幸が、低い声で、呟いた。

「まあそう言うな。奴は昔から機嫌がいいと黒田節じゃ。見ていてやろうではないか。」

忠成は、始終笑顔を絶やさず、又五郎をかばった。

「忠成殿の言う通りですぞ、正幸殿。又五郎殿は、早苗殿が一番の武功に挙げられたのが、嬉しいのですよ。」

傍で聞いていた与助が、忠成に追随した。

「忠成殿の妻は、とっくに大阪に帰り、志摩殿は第二の功。二人は気にもしないと思うが、いつも仲良くしている早苗殿や志摩殿が、みんなの前で褒められて、じっと聞いていなければならない美代のことを思うとなあ・・・。」

正幸はそう言いながら、向こうの方で、黙ってほほ笑んでいる美代を見ながら、二人に不平を漏らした。何とか弁護の言葉を見つけようとしていた二人も、結局、慰める言葉を見つけられず、ただ押し黙って、酒を飲むばかりであった。


一方、酒宴の座から、弥吉に隣の部屋に呼び出された清五郎(見能林鉄砲隊隊長)が、

弥吉と番頭の勝介に対座して座っていた。

「隣は大騒ぎだな・・。ところで、弥吉さん、何の用だ。」

清五郎が、呼び出されたことを意外そうに思いながら、二人に聞いた。

「清五郎様は、紀州の鉄炮撃ち佐平をご存じで・・・。」

弥吉が、真剣な表情で清五郎に尋ねた。

「鉄砲を使うもので、知らぬ者はいないだろう。名人と言われている人じゃ。」

清五郎が、聞かれるままに、何の憶測もなく、弥吉に答えた。

「どうやら、その佐平が、万座屋の指示で、右衛門様を銃で狙ったようなので・・。」

弥吉が、清五郎から視線をそらし、淡々とした調子でそう言った。

清五郎の、表情が一変に真剣な顔に変わった。

「それも、ただの鉄炮でではないので・・・。長崎出島で手に入れたオランダの最新鋭の銃で、なんとその銃一丁で千両という品で・・・。」

弥吉の話の後を継いだ勝介が、清五郎にそう言うと、彼の顔をじっと見た。

「それで、私に佐平を狙えと・・・。」

清五郎がそう言うと、弥吉が黙って頷いた。

「あれを・・。」

弥吉がそう言うと、勝介が後ろに隠していた細長い布にくるまれた銃を、清五郎の前に差し出した。

「右衛門様の死体が見つからんので、奴らは阿波藩の番所に探りを入れたり、鳴門の周辺の浜を探し回っているようでしたが、右衛門様が死んだ証拠がない。そしたらつい最近、又、佐平が動き出したので・・・。私どもの偵察では、奴は、背に銃を背負い、兵庫辺りを目指して旅に出たようで・・・。おそらく万座屋の密偵が、右衛門様の居場所を嗅ぎつけたのでは・・・。」

勝介が事情を話し終えると、弥吉が、銃をくるんだ布を取り払った。

「ほおお、弥吉さんは、佐平の銃と同じものを手に入れたので・・・。」

清五郎が、銃をじっと見ながら、弥吉に打診した。

弥吉は、薄笑いを浮かべながら、軽く頷いた。

「二連発式、雷管付き、射程距離もこれなら火縄銃の二倍はあるのでは・・。火縄に火をつける必要もないな・・。弾は、丸玉ではないな。流線型の銃弾があるというのは、聞いていたが・・・。」

清五郎は異常なほどに、銃に興味を示した。もちろん鉄砲撃ちの習性かもしれないが。

「どうだろう、清五郎様。この銃で、佐平が再び右衛門様を狙うのを阻止してくれまいか。」

弥吉が、結論を打ち明けた。

「この銃を見せられて、いやという鉄砲撃ちはいますまい。それも、守るのが御恩のある右衛門様となると、こちらの方でお願いする話ですよ。」

清五郎の感情は、”自分にこの話を持ってこなかったら、ただでは済まさない。”と、喧嘩を売るほどの高ぶりを見せていた。

間もなく、清五郎は丹波(忍び)と三郎(忍び)と共に、目的地を定めず、佐平の跡を追って西へと向かった。




5

(佐那河内)

右衛門が、大阪に現れてから一週間がたった。

そして、知らせは、右衛門の出現から三日後には佐那河内に知らされた。

「殿は、忙しいお方じゃ・・。弥吉の伝言では、わしに一刻も早く本島に渡って、蘭学医西様の屋敷で住んでいる人達と、そこに避難している漁師の家族を護衛してくれとのことだ。幸い、佐那河内には先の戦いで、厩舎に馬が常駐しておる。今日中に讃岐の山を馬で越せれば、明日には島に着けると思う。」

与助の説明は、滑らかだった。

右衛門が、自分を指名してくれたのが余程嬉しかったのだろう。

「わしは、何もせずともいいのかのう。」

又五郎が、そんな与助を見ながら、独り言のように呟いた。

「又五郎殿が、ここから出れば、誰がこの地を守るのだ。黒龍党は、壊滅状態とはいえ、油断は禁物だからな。早苗殿だけではこの地は守り切れまい。」

早苗の名前が出た又五郎は、一瞬嬉しそうに、にやりと笑った。

「仕方あるまい。ここは与助に任せるか。」

一旦緩んだ表情を引き締めた又五郎は、諦めたように腕を組んだまま、それ以上何も言わなかった。

「それにしても、多度津の港に弥吉の船が乗り入れれば、瀬戸内の塩と木綿の商売ができるのだ。弥吉が、意気込んだ顔をしていたのも無理はないな。塩と木綿は、衣食の要だからなあ。いわば、人の営みの生命線を握ることになる。奴は、いずれ大商人なるかもしれんな。」

佐吉が、うらやましそうに弥吉を評した。

「まあ、この計画がうまくいけば、の話だが・・・。何せ、相手は岡山藩と北前船で巨万の富を築き上げた大商人野崎松之助だ。いかに大前屋と右衛門が策をめぐらしても、そう易々とはいくまい。」

黙って腕を組んでいた又五郎が、改めて会話に入ってきた。

「わしには、ようわからんが、殿がやれと言えば、何でもやらねば・・。それでは、後は二人に任せた。」

与助は、二人の会話には関心も示さず、鳥が旅立つようにあわただしく、二人を残して屋敷を出ると、馬のいる厩舎に向かった。



(本島)

「与助さん、私の部屋でごろ寝するのは、やめてくれませんか。勉強がやりにくい。」

隼人が、背中の後ろで寝ている与助に文句を言った。

「いいではないか。表の広間でいても病人がやってくるばかりだ。どうも辛気臭い(しんきくさい)。それに、ここは浜の風が入ってきて、非常に心地がよいしなあ。」

与助は、隼人の忠告を聞く様子もない。

「佐藤様は、学識もあられ、西洋の知識にも熱心に耳を傾けておられた。それに比べて、家臣だというのに、与助さんは・・・。」

そう言って、隼人が「ふふふ」と笑った。

「なんだ、殿はどんな話に興味を持たれたのじゃ。」

右衛門の話が出たので、与助はいきなり上半身を持ち上げ、隼人に質問した。

「地球は、丸いという話ですよ。」

隼人は、初めから与助が関心を示さないのを見越したかのように、ただそっけなく言った。

「なんだ、それは・・・。」

予想道理、与助は半分きょとんとして、薄笑いを浮かべながら、隼人に聞いた。

「我々は、球体の上で住んでいるのですよ。」

隼人は、与助をからかうように、にやにや笑いながら言った。

「馬鹿なことを言うな。我らが丸い球の上にいるなら、とっくに下に落ちて死んどるわ。」

与助の予想通りの言葉に、隼人は面白くなり、もう少しからかってやろうと思った。

「それが、そうならないのです。地球は恐ろしく大きいのです。例えば、もし、蟻が太い縄の上を這ってるいとしますよね・・。蟻は決して、自分の這っているところが、断面が丸い形で、まっすぐ伸びた紐状などと思いませんよね。」

隼人は、与助がどういう反応をするか、にこにこしながら見ている。

「しかし、蟻とて、裏へ回れば落ちるかもしれんぞ。」

与助が反論した。

「でも落ちない。蟻はやっぱり地面のように、何食わぬ顔をして縄の下を歩いている。多分、特殊な足をしているのでしょう。よく藁に引っ掛かるとか・・・。その引っ掛かる力が、人間と地球では重力なのです。蟻に聞いてごらんなさい。たとえ藁の裏側を歩いても、私は逆立ちして歩いているなどと絶対言わないから・・・。」

隼人は、与助を煙に巻いて、大いに満足しているようだった。

与助は、隼人が言った言葉をじっと考えていたようだが、どうにも理解できないのだろう。ふっと立ち上がると、

「もういい。面倒なことを言う男だ。どうもこの家は、休まるところがない。」

そう言い捨てると、勢いよく障子を開けた。


その時、真っ青な顔をして、寅松が与助の所に走ってきた。

「与助様、青鬼が来た!」

追っかけるように、滝が知らせに来た。

「与助様、青鬼だ!他に浪人たちが三人、向こう方から来ている。」

滝の足も、恐怖にぶるぶる震えていた。

与助は、改めて隼人の座敷に戻ってくると、柱に立てかけていた刀を腰に差した。

「この家に入ってきたら面倒だ。表で片を付けねばなるまい。」

そう言って、与助は少しも慌てる様子もなく、玄関に向かった。

「大丈夫でしょうか。」

玄関で待ち構えていた西が、心配そうに与助に声をかけた。

「私は、このためにここに来たのですから・・・。」

与助は、笑顔で西に答えると、まるで買い物にでも行くように外に出た。

「わしも行きましょう。」

突然、外で待っていた赤松太蔵(赤鬼)が、槍を持って立ったまま、与助に声をかけた。

「おぬし、かつての味方に槍で挑めるのか。」

与助が、真剣な顔をして、赤松に確認した。

「わしは、あの右衛門殿に命を取られなんだ。それだけでも恩をかえさねばなるまい。」

赤松の言葉を聞いた与助は、にやりと笑って、赤松の好きにさせることにした。


「あの三人頼めるか。」

こちらに向かってくる四人の男たちをじっと見つめながら、与助が赤松に打診した。

「それは良いが、あの青木という男、一筋縄ではいかんぞ。」

赤松が、与助の方を見た。

与助は、にやりと笑って、赤松の言葉を聞き流した。

二人は先を取るべく、四人の相手に向かって駆け出した。

与助の予想通り、青木以外の浪人は、与助たちに合わせるようにこちらに向かって駆け出した。それを見た赤松が槍を頭上で回しながら、三人の浪人に対応するため、与助より速く走りだした。

与助は、争いが始まった四人を迂回するかのように、通り過ごすと、じっと与助を待ち受ける青木の方に、剣を抜いて迫っていった。

与助は、以前右衛門から教わったことがある。

「長い刀を使う相手は、最初の抜刀に最大の勝つ活路を見出すと・・・。」

与助は、その教えを思い出した。

与助は、相手が抜いた刀の一閃を、寸前で身を右にかわし避けたのである。青木の刀の横一線の軌跡は、凄まじい威力であった。しかし、与助は元来、さばきがうまく、受けた後の反撃(後の先)で相手をしとめるのが得意であった。

青木は、空を切った刀で与助をしとめようと、必死に刀を返したが、与助の避けた後の動きは素早かった。青木の返し刀が、弧を描く前に、相手の体に自分の体を寄せて、青木の刀を受け止めたのである。与助は、そのまま交えた刃を押しに押した。すると、一瞬、青木の態勢が大きく崩れた。与助はその機を逃さず、交わした刀を勢いよく押しやって離すと、相手の正面から袈裟に斬り下ろしたのである。青木は、たまらず地面に崩れ落ちた。

それを見ていた、三人の浪人が、次々と赤松の攻めを避けるように逃げ出した。

「ううう」

最後に逃げ遅れて、背を向けた浪人の背中に、赤松の槍の切っ先が突き刺さった。

次の瞬間、刺された男は転げ落ちるようにうつ伏せで地面に倒れ込んだ。

二つのむくろは、地面に赤い鮮血を流したまま、動く気配もなかった。


「与助さんは、いつもぼんやりしているので、あんな強いとは思わなかった。」

家の陰で見ていた隼人が、感動したように言った。

「佐藤様の剣は、あれより凄かったぞ。わしは、抜いた刀の動きが見えなんだ。」

隼人の与助への称賛に、対抗するように寅松が語気を強めながら言った。



6

(多度津藩)

 野崎孫次郎(野崎屋御曹司)と番頭の久三が、多度津港に停泊している大前屋の船のことを知り、急いで多度津藩藩主京極貴文に面会を求めた。

「困りますなあ。手前どもに何の連絡もなく、あのように大阪の商人の船をご領地に受け入れなさるとは・・・。領主様には、速やかにあの船追い払うよう、お命じ願えませんでしょうか。手前どもと多度津藩との長年のお付き合いにひびが入りかねません。何卒よろしくお取り計らいを・・・。」

孫次郎は、そう言うと、貴文に頭を下げた。

「しかし、大前屋は、当藩に港の使用料を支払い済みじゃ。なんとも致し方ないのう。」

貴文に代わって家老の大家武元が、素知らぬ顔で孫次郎に言い放った。

孫次郎は、明らかに家老のいつもと違う横柄な態度に、微かな怒りを覚えた。

「そうなりますと、御家老は、我々がお貸しした三千両をお返し願えて、手前どもとの好美よしみ反故ほごにし、大前屋に乗り換えようとおっしゃるので・・・。」

孫次郎と共に来ていた番頭の久三が、薄笑いを浮かべながら家老の顔を見た。

二人は、多度津藩の窮状を熟知していた。まさか、こんな貧乏藩に、借金を肩代わりする商人がいるなど夢にも思わなかったのである。


そもそも、大前屋と野崎家は、商売の展望が違っていた。大大名岡山藩と深く親交を深め、この地での北前船の権益を独占してきた旧家の野崎家には、商売の浮き沈みは想定されていなかった。それに対して、大前屋は、大阪の激しい競争相手と商売を競い合ってきた。その中で、商売の将来の構想をしっかりとらえることは、絶対必要な、商売の思想に近いものだった。その観点からすると、多度津藩の良港は、途方もない将来の商売発展の可能性を秘めていた。加えて、多度津の周辺には、綿花があり、何よりも塩が自由に手に入ったのである。大前屋にとっては、よだれが出るほど手に入れたい商品がごろごろしていた。つまり、多度津藩は、商売にとって、途方もない可能性がある藩なのである。野崎屋の連中にはそのことが、商売の実感としてわかっていなかった。

大前屋の構想は、海を自由に行き来できる流通網を確立し、商品とその流通を一手に握ることができる。いわば、総合商社のような強力な機構を確立することであったのである。少なくとも、右衛門や弥吉はその意味を把握していた。更に言うと、二人は海を通して、全国を制約なしに自由に行き来する魅力を、身をもって体験し始めていたのである。人間にとって、自分の行動空間を広げられる自由というのは、想像以上に、開放感を得られるものなのかもしれない。


番頭の言葉をじっと聞いていた貴文が、座敷の下手で聞いていた家臣に目配せをした。

ふすまが開けられ、千両箱が三つ、座敷に座る孫次郎と番頭の後ろに並べられたのである。

「お前たちの希望通り、今日から我が多度津藩は、野崎屋とは一切の親交を遠慮させてもらう。後ろの三千両持って帰れ!」

貴文の語気が、無意識に強まっていった。積年の恨みを一挙に晴らした快感で、自然と力が入ったのだろう。

二人は、一瞬、顔を見合わせたが、貴文に言う言葉も思いつかず、最後に頭を下げると、立ち上がり、座を退こうとした。

「お前たち、三千両もの大金を差し出したのに、速やかに、証文書を置いていかんか!」

背を向けた二人に、家老の低い声が、足を止めさせた。

「後程、家の者に届けさせますので・・・。」

振り返った孫次郎がそう言うと、再度頭を家老に下げて、退席しようとした。

「おぬしら、証文も持たずに、借金の催促に来たのか!」

家老の声が大きく響いた。

二人は、少し驚いた顔をして、振り返って、助けを求めるように貴文の顔を見た。

しかし、貴文は二人に視線を合わせることもせず、素知らぬ顔で、開け放たれたふすまの向こうの欄間を眺めていた。

「いかに無知な商人とはいえ、多度津藩藩主 京極貴文公に対する非礼は、見逃すことはできん!ひっ捕らえて、牢にぶち込んでおけ!」

大仰に立ち回る家老に合わせるように、傍にいた家臣二名が、孫次郎と番頭の腕を後ろに捻り上げると、泣き叫ぶ二人を牢へと引き立てて行った。・・・

「わしは、こんな胸のすくことをしたのは初めてじゃ。」

二人が、いなくなると、貴文は家老に向かってにやりと笑った。

「私とて、同じ思いで・・・。」

「じゃが、大丈夫だろうな。」

貴文が、家老に聞いた。

「おそらく・・・。」

貴文は、家老の最後の言葉に、二階から梯子を外されたような思いになった。

それを察知したのか、

「長谷部春継様が、右衛門殿に加担しているのです。間違いはありません。」

家老が、慌ててそう言うと、貴文はやっと安心したかのように、息をふっと吐いた。



話は、二日前になる・・・

多度津の港に右衛門と弥吉を乗せて、大前屋の屋号の入った大船が着岸した。

「右衛門殿、よう参られた。さすがに大前屋の船ですなあ。下津井の野崎の船にもこれだけの船はないかもしれませんなあ。」

多度津藩藩主京極貴文と家老の大家武元が待ちかねたように、多度津の港までやってきて、右衛門等を迎えた。

「これが、弥吉です。大前屋喜一郎殿は、先日のさるお方との会談で、いらぬことを言ったと宗衛門殿の不興を買いましてな・・・。この弥吉が、今回の交渉にあたることになりました。商人とは我が息子でも、気に入らぬとなると役目を外すようです。厳しい世界です。われら侍の方が余程気楽かもしれませんぞ・・・。」 

右衛門は、昔、江戸城の小さな控室で、大人しく幕閣への挨拶の出番を待っていた頃、貴文とあれこれ噂をしていた頃を思い出して、笑顔で話しかけた。

「いや、わしなど、この小藩で、目上のご機嫌を取ることばかり考えて、うんざりしています。藩主と言っても名ばかり、近頃は、借金のことで、商人の野崎屋まで気を遣わねばならぬ・・・。以前、佐藤殿が見能林藩主を退いて、行き方知れずと聞いたときは、心底羨んだものです。」

京極貴文は、いつも本音を言ってしまう癖があった。そのことが、時と場合によっては、大きな失敗につながったが、右衛門はそんな貴文の性格が好きだった。

貴文が、自由に話し出すのを危惧した家老の大家武元が、慌てて口を挟んできた。

「それで、佐藤様、われらが野崎屋から借料している三千両は・・・。」

家老が、心配そうに確認した。

「この船に、多度津藩にお納めする五千両、確かに積んでおります。三千両は、野崎屋への借金。後の二千両は、手前どもがこの港を拝借する賃料の前払いということで・・・。」

弥吉が、家老の不安そうな言葉に、笑顔で応対した。

「これは、思いがけなく二千両もの前払いとは、さすが大商人の大前屋ですなあ・・・。」

笑顔満面になった家老は、そう言うと藩主貴文の方を向いた。

「これで、かなりの借金が返せるのう。」

貴文が、家老の笑顔につられるように、余計なことを言った。

「この藩は、かなり台所が苦しいようですな。」

すかさず、右衛門が貴文の言葉にくいついた。

「殿、余りいらぬことを言っては、不都合になりますぞ。」

家老が、苦虫を潰したような顔で、貴文に注意をした。

「いいのだ、わしと佐藤殿は、そんな仲ではないのだ。のう・・。」

貴文は、そう言って、にこにこしながら、右衛門を見た。

時には、貴文の油断が、その人間の長所になることもある。

今の右衛門には、貴文の隙のある開け広げな対応は、功を奏しているように思われた。

「ところで、これからどのようにすればよろしいので・・・。」

本題に入るのは、家老の役目らしい。

「野崎屋の後ろには、岡山藩池田様(三十八万石)の筆頭家老伊木冬馬殿(三万三千石)がいるに違いない。」

右衛門の表情が真剣になった。

「伊木様が野崎屋の実質上の実権を握っているのは間違いないかと・・・。」

家老が、右衛門の話に応じた。

「この船が多度津に停泊したことで、必ず、野崎屋があなた方を訪ねてくる。おそらく、借金のことを匂わせて・・・。そこで、京極殿、その連中に何か因縁をつけて、捕縛してしまいなさい。そして、無礼のかど捕縛した旨、倉敷の代官所に報告なされよ。」

貴文と家老の大家武元の顔が青ざめた。

「それはいくら何でも・・・。第一、北前船の利権に関しては、幕府領である倉敷も、岡山藩とは、いつもいざこざが絶えないのをご存じか。それでは、火に油を注ぐようなもの・・・。そうなれば、多度津藩など入る余地もありますまい。」

さすがに、権力争いに疎い貴文も、右衛門の指示に異を唱えた。

「私もその事情は承知の上で、頼んでおるのです。実は、私の知り合いのさるお方が、今、岡山に向かっていましてなあ。おそらく、伊木様と対峙なされるはず・・・。決して、伊木様にひけは取らぬお方・・・。うまくまとまれば、多度津の港に、この弥吉の船が行き来できるはずです。」

右衛門は、自分の計画に自分を納得させるように、二人に説明した。

「さるお方とは・・。」

すかさず、家老が問いただした。

「大阪城代家老長谷部春継殿。」

右衛門が、そう呟くと、二人は驚いたように顔を見合わせ、じっと黙ってしまった。

しばらく、沈黙が続いた後、

「佐藤右衛門殿に、すべてお任せします。後は、貴殿きでんの指図通りに・・・。」

貴文は、そう言うと、右衛門の前に頭を下げた。

それを見て、慌てて家老が右衛門に平伏した。


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