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右衛門シリーズ全編  作者: FZ
13/43

右衛門6-1

右衛門6


             

1

大阪から帰ったばかりの連絡船の船頭が、阿波藩番所に駆け込んだ。

淡路島を通り越して鳴門海峡に達しようとした時、船の甲板に立っていた浪人が、近くの小舟に潜んでいた猟師らしき男に鉄砲で撃たれたのである。銃声を聞いた船頭は、慌てて船の舳先へさきに回り、海を見渡したが、鳴門の潮の流れは、普通の海では考えられないほどの潮の流れが急であり、あらゆるものを引っ張りこもうとするほどの渦がまっているのである。

「とてもじゃないけど、あんな潮の流れに落ちたんじゃ、助けようもありませんや・・。

仕方なく、御浪人には申し訳ないが、船をそのまま港まで運行し、阿波の港に着き次第お役人に知らせようと、こうやって番屋に駆け込んだ次第で・・・。」

船頭は、そう言って、別段悪びれた様子もなく、船で起こった事件を役人に報告していた。「ところでどんな風体だ。」

役人の方も、特に取り立てて関心を持つでもなく、淡々と船頭の話に耳を傾けた。

「へえ、体格は、優しそうな表情とは違って、かなりがっちりしていました。どちらかと言えば大柄なお方で・・。あっしが見かけたとき、誰かお知り合いでしょうか、大阪を出るなりお声をかけた方がいました。確か、商人風のなりをしていましたかなあ。」

「それで、その商人風の男はどうしたんだ。」

「へい、船を降りるや否や、血相を変えて駆け出しまして・・。おそらくその御浪人の知り合いに知らせに言ったのでは・・。」


弥吉の番頭が佐那河内に右衛門の事故を知らせたのは、夕暮れ近くになっていた。

佐那河内は、その知らせを聞くとハチの巣をつついたかのような大騒ぎになった。

夜になって、やっと主だった坂の上の佐那河内の連中が集まった。

「とにかく、冷静にならねば・・。右衛門のことだ、そうやすやすと命は落とすまい。

右衛門!後生だから無事でいてくれよ!」

又五郎が、悲痛な顔をして、じっと天井を睨みつけた。

「いくら知らせを隠したところで、右衛門を狙った者が事件を仲間に知らせるに違いない。我らはできるだけ慌てず、何としても暗殺者より早く、右衛門を探さねば・・・。」

伊予の声は震えていた。

「とにかく、ここは右衛門殿の捜索が第一じゃ。皆の衆!気持ちはわかるが、ただ茫然とはしておれませんぞ!」

新たに、合議に加わった安住助左衛門が、思考停止状態になった与助や佐吉に向かって檄を飛ばした。

「とにかく、こういう場合は、丹波と三郎の助けが必要だ。志乃!すぐ二人を呼んできてくれ。必要な金はいくらでも出すと言ってな!」

やっと冷静な判断を取り戻した弥吉が、女房の志乃に声をかけた。

「必ず右衛門様は無事でいる。そう信じて、各々狼狽せず、自分の役割を忘れずにな。」

最後に、和尚がそう言うと、やっと佐那河内の連中は、茫然とその場を立ち始めた。

ここに集まった誰一人、この事件をどうやって信じたらいいのかさえ判断がつかず、まるで有り得ない事実をどうやって理解したらいいか、途方に暮れるばかりであった。

与助などは、出口へ向かうつもりが、反対方向にふらふら歩きだし、奥座敷へと向かう始末であった。



2

「おぬし、よく気絶もせんと耐えられたな。」

西は、そう言って、じっと目を閉じて、痛みを耐えている右衛門を覗き込んだ。

この西という男、長崎で医学を学んだ蘭学医であった。

右衛門が、海に浮かんで、浮き沈みしているのを、たまたま通りかかった、大阪から岡山藩の下津井の港に帰る途中の北前船の船頭が発見し、船に引き上げたのである。

左肩に銃弾を受けた右衛門は、気を失うこともなく、海の中で必死に浮かんでいた。

普通なら、撃たれた瞬間に、彼の命は必死であった。ところがなぜか、生まれつき頑強な右衛門はあきらめなかった。遠くに見える淡路島に向かって、痛みをこらえて泳ぎ始めたのである。普通に考えれば、島までたどり着くなど万に一つの可能性もなかったのであるが・・・。

日頃あれほど、死に対して潔くありたいと思っていた右衛門にとっては、自分の自然に出た行動は、驚きに近かった。

「お前は、どれほど生きることに執着しているのだ。」

右衛門は、必死に泳ごうとしている自分の行動に、思わずおかしさがこみ上げてきたのを覚えていた。


「旦那は、よほど運がいいお方だな。たまたま大阪にいた西先生が、この船に乗られていなかったら、間違いなく死んでいただろうに・・・。」

西の横で、右衛門を覗き込んでいた船の船頭が、ほほ笑みながら、右衛門に語り掛けた。

「おぬしの鉄炮の弾は取り出した。短刀でな。あきれたお方だ、結局、悲鳴一つ上げないのだからなあ・・・。わしは、何人もの人間に同じようなことをしてきたが、この様に最後まで気を失わなかったのは、おぬしだけだ。いったい何者なのだ。」

西は、改めて、右衛門を不思議そうに見つめていた。

「そう言えば、このお方、相当、体に刀傷がありますなあ。ただものではないのだけは確かです・・・。」

船頭は、そう言って、西(蘭学医)の方を向き、問いかけるような表情をして、独り黙って頷いた。

「一蔵さん、わしは下津井へ帰る途中で、本島の家に帰って、この方の治療を続けたいのだが、本島の港へ立ち寄ってはくれまいか。」

西は、船頭にそう頼んだ。

「初めからそのつもりでした。先生には厄介が舞い込みましたが、人の命がかかっているので、わしからもよろしくお願いします。」

船頭は、そう言いながら、西先生に向かって頭を下げた。

「すまんな。無理を言って・・。」

西は、とりあえず応急処置に成功して、ほっとした表情をやっと見せた。


西の屋敷は、海に面した小高い場所に立っていた。家には庭はないが、周りは野草が咲き誇り、時折吹いてくる風は、塩の香りを含んでいた。玄関を出るとすぐ横に大きな松の木が海に向かって植わっていた。小高い大地を降りる小さな小道は、島の漁師の小屋が立ち並ぶ集落まで続いていた。集落を超えると、その小道は途絶えることなく小さな港までつながっていて、浜には、猟師が干した網が一面に干されていた。夕暮れになると、猟師の子供たちの遊ぶ声が、一つ二つと消えていき、カラスの鳴く声が、夕暮れのさみしさを引き立たせているようだった。

 

右衛門がこの家に担ぎ込まれて三日がたった。最初のころは、誰の会話にも反応していた右衛門だったが、傷の化膿は思いのほか悪化し、今ではただ眼を閉じて、誰の問いかけにも反応しなくなり、じっと痛みを堪えているかのように、時折しかめ面をするのであった。

「隼人、この人かなり様子が変だけど、大丈夫なの・・。」

滝が、心配そうに大屋隼人(西の弟子)に質問した。

滝は、一蔵(右衛門を救った船頭)の娘であった。三日前に右衛門が担ぎ込まれてからずっと、一蔵の命令で右衛門の看病をしていた。年は十八であるが、見た目より幼く見えた。髪は後ろに団子状に結って串を刺していた。漁師の娘にしては、気品があり、明るい愛嬌のある顔をしていて、いつも屈託のない笑顔が印象的な娘であった。この島の若者の間では、かなり評判の娘であったが、父親が北前船の船頭であり、この辺では一目置かれた人物であっただけに、誰も気軽にこの娘に近寄ることは遠慮しているようであった。

「先生は、ここ三日が勝負だと言っていたが・・。化膿止の薬草は、朝塗ったかな・・。」

隼人は、確認するように滝の顔を見た。

滝は、右衛門の方を心配そうな顔で見たまま、隼人に答えるように頷いた。

西洋英は再び大阪の患者を診るために、この島を不在にしていた。彼は、腕のいい蘭方医で、大阪でも評判を聞きつけ、彼が大阪に設けた小さな診療所を訪れる患者は、途絶えることがなかった。そんな理由もあって、月二回は北前船に便乗して大阪に行き、滞在するのであった。西が大阪で滞在する間、この島では弟子の大屋隼人が患者に応対するのであるが、患者の方もよく知っていて、西がいないとなると、島の西の診療所(屋敷に併設)を訪れる者も少なかった。


「お前たちは、何者なのだ。」

右衛門は、姿かたちがはっきりしない煙のような男たちが、連なって真っ暗な深淵の方へ向かっていくのに気付いた。彼はその群衆に取り囲まれて、身動きができなくなり、流される水のように、得体の知れない束縛にもがいても逆らうことができず、なすがままに運ばれて行くのであった。その暗い深淵は、ますます大きくなり、影法師たちの経を唱える低く唸るような合唱が、だんだん大きくなっていく。するとその中の一つの影法師が、右衛門の方を向いたかと思うと、

「これから、おぬしの葬儀が始まるのだ。心して、みんなと一緒に経を唱えようではないか。おぬしが、葬ってきた魂と共にな・・・。」

その得体の知れないささやきを聞いた右衛門は、諦めたように周辺の影法師と共に、逆らうことなく、深淵の闇に吸い込まれる覚悟を決めた。

すると、前の方に一筋の光がさして、一人の女が一人だけ艶やかな色彩の着物をまとい、楽しそうに舞を舞い始めた。それに怒った近くの影法師が、女を闇へ押しやろうと、彼女の腕を掴んだり、髪の毛を引っ張ろうとして、必死に彼女の舞をやめさせようとした。しかし、彼女は、そんな影たちの抵抗を意に介すこともなく、自由に踊りまわり、彼女の舞う周辺だけに強烈な光がさして、次第に影法師の抵抗を無力にしていくのだった。

右衛門は、ふと彼女の顔を見た。すると、彼女も右衛門の顔を見て、優しく微笑んだ。

「雪(右衛門の死んだ妻)ではないか。なぜ、お前がこんなところに・・・。お前は闇に連れていかれる理由もない。雪!早くここから立ち去れ!」

右衛門は、すがるように雪に訴えかけた。

「右衛門殿、こちらへ来なされ。私が、あなたを永遠の安らぎの場所へいざないましょう。」

そう言って、雪が手招きすると、雪のもとにつながる方向に一筋の光の道が現れて、右衛門は影法師の束縛から急に解き放たれ、歓喜の声を上げながら、雪の方に向かったのである。

「わしは、二度とお前と別れはしないからな!」

右衛門は、無我夢中でそう叫んでいた。


その時、右衛門に今までの幻想的な光とは違う、強烈な朝日の光が顔一面を覆い始めた。

「やっと目が覚めた。」

ほっとしたような顔をして、滝が右衛門の顔を覗き込んだ。

右衛門の横たわる寝間には、滝が開けた窓から強烈な朝の光が差し込んでいた。

「雪か。」

覗き込む滝の顔に気づいた右衛門が、訴えかけるように滝に声をかけた。

「何を言ってんだ・・。私は、雪でなくて、滝という名前だ。まあそれはどうでもいいわ。よかった。今先生を呼んでくるからな。」

そう言って、滝は慌てて右衛門の寝ている部屋を出て行った。

右衛門は、眼がしらにたまった涙を拭きとると、きょとんとしたまま、じっと天井を睨んでいた。



3

右衛門がたどり着いた本島は、瀬戸内海の中ほどに位置し、広島や他の小さな島を合わせて塩飽(しわく諸島と呼ばれていた。島の統治は、勤番所で三人の年寄りの交代制で行われるのが慣例であった。本島の島民は、どの藩にも属していないためか、誰にも束縛されないという自由な気質があり、貧富の差もあまりなかった。そんな理由で、お互いの絆が非常に強く、島民の合議で島の運営を行い、いたって穏やかな島ではあった。また、本島は四国の丸亀と岡山の下津井という北前船の寄港地に挟まれ、商業にも重要な港に隣接しているという立地条件もあって、大抵の島で見られるような寒村ではなく、船で対岸に渡れば、大阪にも負けない賑わいがある町にいつでも行けるという、どことなく人の活気をにおわせる島でもあった。中でも、下津井の野崎松之助は、巨万の富を北前船の交易で築き上げた豪商であり、下津井の町は、野崎家の富を映し出すような、灯篭や神社、遊郭や商家の連なる一大都市であった。右衛門を助けた北前船の船頭一蔵も、野崎家の雇われ船頭であった。


右衛門の怪我の様態は急速に回復した。右肩の化膿は、西洋英の適格な薬草で、次第に治まり、意識を二度目に回復してから一週間余りで、自分で立ち上がり、縁側で柱にもたれて海を見ながら転寝をするのが日課になった。


「おられるかな・・。」

そう言って、西がこうりを手で抱えて、右衛門の寝ている座敷に入ってきた。

「これは先生・・。」

右衛門は、西の声を聴くと、縁側から這うように座敷に入ろうとした。

「お気になされるな、私が行きますから。」

西はそう言って、海の見渡せる縁側に面した畳に梱を置くと、右衛門に向かうように胡坐をかいた。

「余程縁側が気に入ったようで・・・。滝の話では、いつ様子を見に来ても、あなたは縁側で海を見ているとのこと。」

西は、そう言いながらも笑顔を絶やさなかった。

「私は、海を眺めながら転寝をするのが、楽しみでして・・・。先生はもとより、お滝や隼人君にも迷惑ばかりかけています。」

右衛門はそう言うと、いつもの癖で、自分の頭を手で撫でた。

「そう言われると、少し言いにくいのですが・・。今日は、あなたが船に助け上げられた時、所持していたものを持ってきました。」

西は、そう言うと、梱のふたを開けて、右衛門の所持品を本人に開示した。

右衛門は、一番に自分の刀があるのに気づき、嬉しそうに手に取った。

「有難い。わしはこれさえあれば、後はどうでもいいので・・・。」

そう言うと、おもちゃをもらった子供のように、何度も刀を撫でていた。

「まず、ご自身で刀の刃を確かめてくだされ。失礼とは思ったが、あなたが瀕死の状態でも、海中で刀を背中にくくり、必死で守っていたのが分かっていたので、下津井の刀商に研ぎに出しまして、昨日研ぎ終わったと知らせを受けて、隼人が取ってきたばかりです。」

西がそう言うと、右衛門は深々と西に頭を下げて、おもむろに刀を抜いて、真剣な顔をして白刃を点検した。

「刀商の言うには、あなたの刀は、相当の名刀らしく、どなたのものかと、しつこく聞かれたそうで・・・。」

西は、そう言いながらも、笑顔を絶やさなかった。

「はあ、これは私の父が大切にしていたものを、惜しそうに私にくれたものでしてな。

私にとっては、一番の友人のような愛刀で・・・。先生には、何とお礼を言っていいものか・・・。」

右衛門は、そう言うと、再び西に頭を下げた。

すると、西は懐からおもむろに、流線型の鉄砲の弾を畳の上に転がした。

右衛門は、畳に置かれた銃の弾を不思議そうに眺めていた。

「これは、あなたの右肩に打ち込まれた弾ですが・・・、御覧のように、普通の火縄銃の弾ではありません。私は、出島で西洋医学を学んだことがあるので、オランダで作られた銃についても少しばかり知識があるのですが。この弾を装填そうてんする銃は、この日ノ本で数丁しかない大変高価な銃でして・・、火縄を使うことなく発砲できる、雷管が装着されている大変優れた銃なのです。おそらく、幕府か相当の雄藩御用達の商人しか扱えない貴重な銃だと思うのですが・・・。そんな銃が、なぜあなたの暗殺に使われたのか・・・。何か心当たりでもおありか。」

西は、そう言うと、右衛門の顔をそっと見た。

「いや、そのような心当たりは・・・。」

右衛門は、明らかに何か隠すかのように、決まり悪そうに西に答えた。

「そうですか、それならよいが・・・。このような銃で、名手に狙われれば、あなたがいかに剣の達人でも防御のしようはありますまい。」

西は、なお、右衛門の秘密を探ろうとした。

「いずれ先生にも、私のことは言わねばなりますまいが、今しばらく、こうやって穏やかに過ごさせてくれますまいか。わしはこの島が気に入りました。」

右衛門が、申し訳なさそうに西に頼んだ。

「いや、これは私が意地が悪かった。申し訳ない。これ以上、私の方から、あなたを詮索することはやめましょう。それともう一つ、あなたの胴巻きにまかれていた百両余りの金だが・・・。勝手なようだが、刀の研ぎ代と治療費、あなたを助けたみなへの謝礼などで、二十両ばかり抜かせてもらった。ここにあるのはその残りです。私は、あなたに頭を下げてもらうほどの善人ではないかもしれません。」

西は、そう言って、はにかみながら、鼻の下を人差し指で左右に撫でた。

「いや、金などいくらでもお取りくだされ。何なら全部取っておいてくだされ。」

右衛門はそう言って、また頭を下げた。

「いやいや、二十両でも取りすぎなのに・・・。これ以上抜き取れば、わたしは盗人になってしまいます。」

西は、そう言って恥ずかしそうに、頭を掻いた。

その時、

「先生!夕飯ができました。」

隼人の声が、右衛門のいる部屋まで響き渡った。

「どうです、今日は我々と一緒に飯を食いませんか。もう立ち上がって歩いても支障はありますまい。」

西が、右衛門を誘った。

「それは有難い。隼人君がいつも持ってきてくれるのは申し訳ないが、一人で飯を食うのは味気ないもので・・・。」

右衛門はそう言うと、少し痛みをこらえるかのように、おもむろに立ち上がると、西と共に、台所の膳のおかれた板の間へと向かった。



4

(佐那河内)

「すんまへんなあ、忙しいところ。」

弥吉は、番頭を笑顔で応対した。なぜか、その横に又五郎が目を閉じて、右衛門のように刀を肩にかけ、柱で背中を支えていた。

「なんか、御用で・・・。」

番頭の勝介が、頭を下げる。

「あんた、右衛門様が船の甲板に出たとき、どこにいました。」

何故か、弥吉は番頭に目を合わせず、さりげなく聞いた。

「へえ、私は船底で横になっていました。」

番頭は、そう言いながら、笑顔を作っている。

「おかしいなあ・・。あの時の船の船頭に確かめたんですけど・・。あんた、右衛門様の近くにいたと、言うてんのやけどなあ・・。それ、確かですか・・。」

弥吉の言葉に、番頭の笑顔がさっと消えた。

「嘘を言うのもいいかげんにしとけ!弥吉が証拠をつかまんで、人を問い詰める男でないことは、お前が一番知っているだろう。」

片隅で、じっと聞いていた又五郎が、いきなり切り出した。

「実は、大前屋の旦那さんに、それとなくあんたの大阪での行動を探ってくれるようにお願いしていましてな・・。昨日、知らせが来て、あんたが満座屋の番頭と料亭へ入っていくのを、大前屋の下の者が見たそうなんですわ。」

弥吉がそう言って番頭を見ると、彼の顔は顔面蒼白になって、小刻みに体を震わせ始めた。

「大体、右衛門が狙いすませた鉄砲撃ちの標的になるかのように、甲板に出て来ること自体、おかしいなと思っていたのだ。誘導する誰かがいない限りわな・・・。」

又五郎は、そう言うと、番頭が、いきなり逃げ出せないだけの間合いに近づいた。

「申し訳ありまへん!」

番頭は、そう言うと板の間に両手をついて、頭を下げた。

・・・

「わしは、どうしても知りたいことがある。もし、ちゃんと答えたら、おぬしの命だけは助けてやる。右衛門は、火縄銃などで撃たれるなど、わしには想像もつかないのだ。奴が右衛門を仕留められた理由を詳しく教えてくれんか。できれば、狙撃手の名前もな・・。」

又五郎は、ずっと頭を下げ続けている番頭の頭越しに、問いただした。

「右衛門様を狙ったのは、佐平という鉄砲撃ちと聞いています。満座屋様が、用意したオランダの最新銃で狙撃したと・・、それだけ知らされました。お許しください。わたしの家族が、黒龍党に人質で連れ去られて・・・。この陰謀がうまくいけば、助けてやると脅されたので・・・。私にはやるしか、家族を助ける方法がなかったんです。」

頭を上げた番頭勝介の顔は、涙で弥吉の顔も見えない程になっていた。

「それで、番頭さんの家族は無事返されたんで・・・。」

弥吉が、そう聞くと、勝介は素直に頷いた。

「すぐ、大前屋さんに連絡して、かくまってもらいなはれ。私はあんたを信頼して、商売を任せてるんや。一度だけは、目をつぶります。しかし、二度目は、どんな理由があっても容赦しまへん。又五郎様は不満とは思いますが、ここは私に免じて・・・。その代わり、右衛門様は、命に代えてお探ししますから。」

右衛門の死体は確認されていなかったのである。弥吉はそう言うと、又五郎に向かって、深々と頭を下げた。

「勘違いするな。丸腰の町人を斬り捨てるほど無慈悲ではないわ。ただ、今度裏切ったら、問答無用だからな・・。番頭、そのことは忘れるなよ!」

又五郎は、最後の言葉に力を入れて、自分の怒りを鎮めようとしている様だった。

「私は、佐平という名前知っています。確か、紀州に二人といない名人の鉄砲打ちとか・・。早速、密偵を使って探らせます。」

弥吉はそう言って、涙でぐしゃぐしゃになって、弥吉に顔を向けている勝介の方を向いて、

「番頭さん、私らに寝返った最初の仕事や、うちの密偵を使って、探らせなはれ!」

弥吉は、勝介にやさしい笑顔を見せて、指示を出した。

「へい。私の命を懸けてご奉公いたします。」

勝介は、意を決したかのように、しっかりした言葉で、弥吉の恩情に答えるのだった。



5

程なく、紀州久野家(伊勢田丸城主)の隠居久野忠純が、家臣三十名を率いて、弥吉の船で、佐那河内に上陸したのである。

「何事ですかな。槍刀の兵士など連れての御来訪とは・・・。」

寺の座敷で迎えた和尚が、久野のいでたちを見て驚いたように話しかけた。

老人は、胸に鎧をまとい、長い槍を縁側に立てかけていた。

「いや、右衛門殿が行方不明と聞き、まず心配したのが、この佐那河内でしてな。黒龍党の襲撃があっても不思議ではないと思い・・。わが息子に談判して、なんとか三十名ほどの家臣を出させましたわ。いつも、わしのもてなしをして下さる、ここの連中の助けになればと思い、はせ参じましてな・・。和尚、わしがこうやって来たからには、決して襲撃など許しませんぞ。」

久野の老人は、自分なりの好意をここの連中に示したかったのだろう。

彼は、和尚の戸惑いにも関わらず、終始真剣に黒龍党の襲撃を現実のものと捉えていた。

「久野様の御厚意、痛み入ります。とりあえず、御家臣は与助さんが、道場の裏に建てた宿舎の方へ案内しているようなので、久野様も横の屋敷でおくつろぎ下され。長旅でお疲れでしょう。」

和尚はそう言うと、自ら久野老人を隣の屋敷に案内した。

その後も、大阪から正幸、忠成、彼の門弟三名、見能林から内田清五郎(鉄砲隊頭)他鉄砲隊十名と、黒龍党襲撃に備えて援軍が佐那河内にやってきたのである。


「こうやってみんなが集まってくると、やはり右衛門の影響力を感じるなあ。これで、右衛門さえ無事でいてくれればいいのだが・・。」

又五郎が、暗闇が迫ってくる穏やかな夕焼け空をぼんやり見つめながら、誰に話しかけるでもなく、ポツリと言った。

高台から、遠くの浜辺を見ると、砂浜にいくつもの焚火ができて、侍や農民、漁民達が、酒盛りを始めている。夏の海は、ここ数日荒れることもなく、夕涼みや酒宴には最適なのである。

「この村も、これで襲撃に崩れることはあるまい。ところで、女たちはどうしているのだ。」

小野忠成の妻と子も大坂の道場にやってきて、忠成は大坂で居を構えることに決心がついたようである。

つえ殿(忠成の妻)、早苗殿(又五郎の妻)も加わり、にぎやかなものだ。相変わらず、美代や、志摩殿は、元気だしなあ。それに志乃さんや春殿(佐吉の妻)、それに伊予様も加われば、はじけないわけがない。向こうの屋敷に行ってみろ、おぬしなど入れる隙もないぞ。」

正幸は、そう言って与助の方を向いた。

「そうでしょうなあ。近寄るだけでも、恐れおおいわ。」

与助がそう言うと、又五郎、正幸、忠成、佐吉が、はじけるように笑い出した。

「ところで、久野様はどうしておられる。」

佐吉が、与助に聞いてみた。

「寺で、和尚や安住助左衛門と話しておられる。老人同士、話が合うのだろう。」

その言葉を聞いて、誰とはなく、再び苦笑が起こった。

「ところで、久野様は騎馬隊を編成するらしい。弥吉に厩舎きゅうしゃの建設と馬三十頭購入するとかで、請求書を廻してきたらしい。さすがに、弥吉の奴、ぼやいておったぞ・・・。」

又五郎が、にやにや笑いながら言った。

「しかし、この地形で一戦交えるなら、案外妙案かもしれんな。さすが齢の功かもしれんぞ。」

忠成が、納得したように呟いた。

「ただ、弥吉にしては、たまったものではないがな。」

又五郎が、忠成の言葉に応じた。

「まあ、いずれにせよ、お手並み拝見となろう。」

正幸が、そう締めくくると、なぜかみんな合わせたように頷いた。

みんな不安を感じながらも、こうやって右衛門を心配して集まった仲間たちの連帯感に、不思議な力を感じて、穏やかな気持ちになるのも事実であった。



6

(本島)

寅松は、一蔵の息子で、滝の兄であった。日ごろは、この本島で漁師をしているのだが、時には、一蔵に連れられて北前船に乗り、水夫として船頭になる見習いをしていた。

「どうしたんだ。穏やかではないな。」

たまたま、一蔵と釣りの約束をしていた右衛門が、一蔵の小屋で棒を構えて、浪人たち四人に囲まれている寅松を見つけたのである。

争いを不安げに見ていた滝が、助けを求めて右衛門の所に駆け寄ってきた。

「佐藤様、助けてくだされ!このままじゃ、兄やんがなぶり殺しにされます。」

滝は、右衛門の袖をつかむと、必死に訴えた。

「ご浪人様、あまり関わらないほうがよいかと思いますよ・・。なあに、命まで取ろうとは思っていませんから。少し、勘違いしている若造に、ものの通りを教えてやるだけですから。」

板の間に座って、じっと争いを眺めていた商人風の男が、右衛門に声をかけた。

「訳を言ってくれんか。わしもむやみと仲裁はできんでな・・・。」

滝にしがみつかれた右衛門が、困ったようにその男に話しかけた。

「借金を取り立てに来たんです。払えないとなると、滝を連れて行くというので・・、寅松が怒ってこんな次第に・・・。佐藤様には、たまたまお出でになって、お見苦しいところを・・・。」

一蔵が、悔しそうに顔をひきつらせながら、右衛門に事の次第を説明した。

「こいつら、滝を連れて行って、野崎の若旦那の妾にするつもりなんです。」

寅松が、目を血走らせて、右衛門に訴えるように言った。

「野崎と言えば、下津井の豪商ではないか。その下の者が、下種な借金取りをするとは・・、絵にかいたような悪党だな。」

右衛門はそう言うと、大きな声を上げて笑い出した。

すると、今まで寅松を囲んでいた浪人たちが、右衛門の方にやってきて、今にも斬りかからんばかりになった。

「やめとけ!おぬしらが斬れるわけがなかろう。相手を見て喧嘩をしろ!」

右衛門は、不敵な笑いを浮かべて相手を挑発した。

四人の一人が、いきなり右衛門に斬りかかったが、彼の身のかわしについていけず、勢い余って、囲炉裏の灰の中に顔を突っ込んだ。

「寅松、棒術の使い方を教えてやるから、その棒かしてみろ。」

右衛門は、そう言って、差し出された棒を素早く受け取ると、瞬く間に残り三人の浪人を叩きのめして、立ち上がれなくしてしまった。

その様子を見て、腰を抜かした使いの者に、

「借金はいくらだ。」

右衛門は、息を乱すことなく問いただした。

「へい、三十両で・・・。」

男の声はかすれていた。

右衛門は、胴巻きから、自分の助命の礼に、一蔵に渡す予定の三十両を取り出すと、野崎屋の使いの者の前に放り出した。

「借用証、出さんか!」

右衛門の声は、いつの間にかすごみを帯びていた。

「へい、ここに・・。」

男は、震える手で、白い紙に筆で書かれた証文を差し出した。

その証文を受け取り、じっと目を通した右衛門が、その証文を宙に舞いあげると、そのまま刀で真二つに切った。

「おぬし、いい度胸だな。死ぬことを恐れんとは・・・。」

右衛門はそう言うと、今度は持っていた刀で、男の頭近くで弧を描いた。

その男のまげが地べたに転げ落ち、彼はいきなりざんばら髪になった。

「うわああ!お助けを!」

そう言った男は、震える手で、改めて新しい紙を、懐から差し出した。

右衛門は再び、紙を受け取って確認し始めた。

「一蔵さん、間違いない。これを受け取りなされ。」

右衛門は、始終笑顔を見せて、事の成り行きを楽しんでいるかのようだった。

暫くすると、浪人たちは右衛門の方を気にしながら、逃げるように駆け出した。

使いの男は、三十両を拾い上げると、彼ら追うように駆け出したのである。

「ほう、逃げ足はたいしたものだな。それにしても最後の男、いくら怯えていても、ちゃんとやることはやる。見上げた奴だ。」

右衛門が感心したように呟くと、一緒に見ていた寅松と滝が大きな声を上げて笑い出した。

ただ、一蔵だけは、「このまま済めばいいが・・。」と、心の中で心配するのだった。



本島の海岸で、寅松と大屋隼人それに右衛門が釣り糸を垂れている。

「佐藤様、野崎のお屋敷には、赤鬼と青鬼がいるんですよ。」

寅松が、いきなり右衛門に話しかけた。

今朝から三人はずっと釣りをしているが、隼人にチヌ(黒鯛)が1尾釣れただけだった。

「ほう、面白い名前だな。」

右衛門は、そう言って、薄笑いを浮かべた。

「いや、それはあだ名で・・。本名は青木泰信と赤松太蔵という名前の侍で、赤鬼は槍の名手、青鬼は普通よりかなり長い刀を振り回す使い手で、おそらく佐藤様を斬りにこの島にやってきますよ。」

寅松は、始終不安そうな顔で、右衛門の表情を窺った。

「それは楽しみだ。一つその赤い鬼と、青い鬼を、この目で確かめたいものだな。」

右衛門はそう言うと、笑いを押し殺すような表情で寅松を見た。

「寅松は、いつも喧嘩の話か、女の話だ。よくまあ飽きずに同じことが言えるものだ。」

横で聞いていた隼人が、寅松の方も見ずに、じっと遠くの水平線を眺めながら呟いた。

「お前は、いい気なものだ。俺と釣りをしないときは、病人の包帯を変えるか、書物ばかり読んでいる。滝が言っていたぞ、隼人は、何が面白くって書物ばかり読んでいるのか、ってな・・。」

滝の名前が出ると、隼人は敏感に反応した。

「あいつは、いつも人のことを観察ばかりしている・・・。嫌な女だ。」

そう言って、滝を非難した。

「お前なあ!」

寅松の表情が、険悪になり始めた。

「やめんか!くだらぬ言い合いをしているので、みんな魚が逃げて行くわ。」

右衛門が、そう言って、二人の間に割り込んだ。

「あああ、今日はやめだ。一匹も釣れん。」

寅松が、うっぷんを晴らすように大きな声を出した。

「ところで、わしはずっと水平線を見ているのだが、どうしてああいう風に円弧を描いているのだろうかなあ・・。」

右衛門は、さっきからそのことが気にかかって仕方がなかった。

「それは、地球が球体だからですよ。」

隼人が、あまり興味もなさそうに、右衛門に答えた。

「しかし、それは可笑しかろう。そうなると我々は、球体の上で暮らしていることになる。」

右衛門が、隼人の言葉に異論を挟んだ。

やっと、隼人のおかしな解答で優位に立てそうな寅松が、右衛門の疑問の言葉に、大きな声で笑い始めた。

「しかし、そうだから仕方がない。先生の書物にそう書いていたのだから。西洋人は、我らより格段に進んだ学問をしているのですから・・・。その書物によると、球体の地球は、太陽の周りを、定期的に回っているらしいのです。」

隼人は、寅松の冷笑に一歩も引く様子はなかった。

「ますます不思議な話だな。それなら、地球には、太陽につなげられた紐でもついているのか。」

納得がいかない右衛門は、遠慮なく、隼人を問い詰めた。

「そうではないのです。太陽は、我が地球を引き付ける、目に見えない力を持っているのです。エゲレスの書物によると、その力は重力と呼ばれているとか・・・。最も先生によれば、この話は、長崎の出島で学問を学んだ、ごく一部の人間にしか知られていない極秘の知識らしいのですが・・・。」

いつの間にか、隼人は、右衛門に教える教師のようになっていた。

「何を言ってんだ。だいたい、地球って何のことだ。その地球とやらに、わしらは住んでいるのか。」

寅松は、隼人の言葉を馬鹿にしているようなふりをして、しっかりと耳を傾けていたのである。

「そうだ、その形は知らんが、地球とは、われらの大地のことを指すのだ。わしは若い時、寺の和尚からよくその言葉を聞かされた。もっとも、その言葉の意味も知らず、他に学ぶ事と言えば、いつも書道か孫氏と論語の暗記ばかりだったがな・・。」

右衛門はそう言いながらも、昔、仁内寺で和尚に学問を教えられたことを懐かしく思い出していた。

「わしも、親父から、船の舵の取り方の話ばかり聞かされた。佐藤様と違って、今も小うるさく教わっているけどな・・・。」

思わず、二人はその言葉に、笑い声をあげた。

「佐藤様、面白いものを見せましょうか。」

隼人は、にやにや笑いながら、懐から一分金のような小さな金属の塊を出してきた。

「これは、先生から頂いた私の宝物です。佐藤様、あなたの刀の鯉口を切って少しだけ白刃を見せてくれませんか。」

隼人は、得意そうに二人を見ていた。

「刀の刃を出して、どうするつもりだ。」

「まあいいから・・・。」

隼人の言葉に、右衛門は、逆らうことなく鯉口を切って、少しだけ刀を抜いた。

隼人は、それを確認すると、手に持っていた小さな金属をさっと刃にくっ付けた。

「わああ!」

寅松が、大きな歓声を上げた。

「不思議なものだな。くっついておる。」

右衛門は、目を点にして、刀にくっついた磁石を見つめていた。

「これは、重力ではないけど、世の中にはこんな目に見えない力があるのですよ。」

隼人が、誇らしげに二人に向かって解説した。

「ほおお。大したものだなあ。わしは隼人を先生と呼ばねばなるまい。」

右衛門は、真剣な顔をして、隼人を見ていた。

「それでもわしは、佐藤様の剣術がすごいと思う。」

寅松は、悔しそうに、隼人を見ていた。


「おぬしか、先日、番頭と浪人を痛めつけたというのは・・・。」

右衛門と隼人、寅松が釣竿をもって、並んで家路へ着こうとしていた途中、槍を肩にかけて、右衛門たちに向かって歩いてきた大男が声をかけた。

「いや、浪人はいざ知らず、その番頭やらには、まげを切ってやった以外、手をかけた覚えはないがな。」

右衛門は、にやにや笑いながら、その大男に答えた。

「やかましい!へらずぐちをききおって・・。野崎家の赤鬼の噂は、知っておろう。

あのような騒ぎを起こして野崎家に恥をかかせて、平気でおられるわけがなかろう。悪いが、おぬしの命もらいに来た。覚悟せい!」

赤松太蔵は、そう啖呵を切ると、槍を右衛門の正面に向けてきた。

「これが、寅松が言っていた赤鬼か・・。今さっき見てみたいと言ってはいたが、こんなに早くお目にかかれるとは、わしらの話を聞いていたみたいじゃな。」

右衛門は、そう言いながら、寅松と隼人を見た。

二人とも、足を震わせながら、棒のように立っていた。

「寅松、お前の棒を借りるぞ。」

右衛門はそう言うと、寅松からさっと棒を奪い取り、赤松の構えに対面して身構えた。

槍の突きは、棒術の強打に弱かった。棒は軽くて、片手で早い動きが伝わった。さらに、槍は刃の部分が少ないので、棒は切り落とされる心配がなかったのである。つまり、棒なら槍より自在に操れて、槍の攻撃を受け流すには最適の武術だった。

右衛門の思った通り、赤松の突きは、右衛門の棒の打撃で難なく交わされた。

次第に息が上がってきた赤松は、じれたように、槍を手元に引き寄せて、大きく頭の上で槍を回して、右衛門を威嚇しようとした。しかし、右衛門はその動作の変化を見逃さなかった。赤松が槍を手元に近づけようとした瞬間、右衛門は待っていたかのように、棒を投げ捨て、彼の懐に飛び込んで、抜いた刀で彼の太ももを払ったのである。

赤松は堪らずひざまずくと、うなり声をあげながら両手を地面についた。

「なぜ、わしを仕留めんのだ!」

赤松は、苦痛をこらえながら、恨めしそうに右衛門を見た。

「おぬし、死にたいのか・・。あほう、そんな考えでは命がいくらあっても足りんぞ。商人のために命を捨てるとなると、おぬしの侍としての誇りは何処に行ってしまったのだ。」

右衛門が、赤松にそうなじると、彼は観念したかのようにその場にうずくまり黙ってしまった。

「寅松、隼人、今からこの男を西先生のところへ運ぶから手伝ってくれ!」

右衛門が、後ろでじっと見つめていた二人に声をかけると、二人とも急に我に返ったかのように、うずくまる赤松に駆け寄って、隼人は流れていた血を止めるため、赤松の太ももを手拭いで縛り上げ、寅松が彼を背負おうとしたのであった。

「重いなあ。」

寅松が、大きな声を上げる。

その声を聞いて、右衛門は慌てて寅松に駆け寄り、代わりに赤松を背負うのであった。

右衛門に背負われた赤松は、終始無言のまま、頭を垂れて無抵抗のまま西先生の家まで運ばれて行った。



7

(大前屋別邸)

大前宗衛門、喜一郎、弥吉の三名が、大前屋別邸に設えられた茶室で密談を交わしていた。

「勝介(弥吉の番頭)の家族は、間違いなく当家で預かりました。勝介に心配せんように言うときなはれ。」

宗衛門は、茶をたてた茶碗を弥吉の前に置きながら、低い声でそう言った。

「ありがとうございます。」

弥吉が、慇懃に頭を下げる。

「右衛門様は、まだ見つかりまへんか。」

宗衛門が、そう言いながら、弥吉の顔を見た。

弥吉は、難しそうな顔をして、頭を横に振った。

「奴らも考えたなあ。最新式の銃を使って、銃の名手と言われる紀州の佐平を使うとはな。

どうせ、万座屋の狸おやじの考えに違いないわ。」

喜一郎が、話に入ってきた。

その言葉を聞いた、二人が苦虫を潰したような顔をしながら、苦笑いをした。

「右衛門様は、みなに知らせずに、どこかで暮らしていると思いますわ・・。あの方は何時も人にやきもきさせる癖がある。この前の四国遍路の時も、誰にも告げず、ぶらりと出ていかはって、それっきり音沙汰なしやった。今度も、四方くまなく探したけど、まるっきり形跡がつかめまへん。」

弥吉が、恨めしそうに呟いた。

「それやったら、ええんやけど・・・。」

喜一郎が、心配そうに、ため息をついた。

「あの方がいなくなったら、私らの夢もそれまでや。そんなことがあってたまるかいな・・・。ところで、弥吉、長崎の出島で最新鋭の銃は手に入りましたか。」

宗衛門が、弥吉の顔を見た。

「えらい苦労したけど、何とか・・・。近々届きます。なんせ、千両という大枚を出して手に入れた武器なんで、この銃を任せるのは、あの人しかおまへん・・・。」

弥吉は、そう言うと、にやりと笑った。

「清五郎さんは、いま佐那河内にいると聞きましたが・・・。」

宗衛門が、それとなく弥吉に問いただした。

「へえ、佐那河内の防衛に狩りだされています。それと、今、勝介に命じて佐平の動きを探らせてますんで・・・。右衛門様が生きていると聞いたら、また奴は動き出すと思います。その時、清五郎様にお願いしようかと・・・。」

佐吉がそう言うと、二人は何も言わずに頷いた。

「話は違いますが、先日、柳沢吉重様が、正幸様と剣を交えた田原藩の吉田八郎様を連れて、佐那河内にお出でになられまして・・・。」

弥吉がそう言うと、宗衛門の表情が変わった。

「ほお、あの方は、なかなかのお方やからな・・・。」

宗衛門がそう言うと、それをきっかけに喜一郎が自分の情報を披露し始めた。

「その吉田とやら言う方も、吉重様が、田原藩にお世話なさったお人ですわ。今や、尾張柳生は、尾張筆頭家老の成瀬様が後ろ盾の孫之丞様の犬山道場から、吉重様の今尾道場に移籍する門弟が絶えないようで・・。尾張柳生の主流が、吉重様の所に移るのも時間の問題と、みんな言うていますわ・・。そうなると、筆頭家老の地位も、成瀬様から竹腰様(吉重が側近)にとって代わるかもしれんというのが、もっぱらの噂です。なにせ、我々も尾張には吉重様の仲介で、四万両という金をつぎ込んだのやさかい、ただでは引き下がれませんからなあ・・。精いっぱい尾張の重要人物に喰い込むつもりです。」

喜一郎のその話に、宗衛門が表情を緩めた。

「お前も、ようよう一人前の商人になってきたなあ。」

宗衛門のその言葉に、喜一郎は思わず笑みをこぼした。

「吉重様に喰い込んで、尾張の商品を田原の港まで運んで、大前屋の船で江戸まで運べば、大阪の商品を江戸に運ぶ規模になりますなあ。考えただけでよだれが出そうや・・・。」

弥吉がそう言うと、思わず二人も声を出して笑い始めた。

「弥吉、喜一郎!吉重様には目を離さんように・・・。あのお方は、ただもんやおまへんで!」

文衛門の厳しい檄が飛ぶと、二人は、緊張したように深く頷いた。



8

(佐那河内道場)

三人の商人の会合より数日前。

「与助、久しぶりにどうじゃ・・。」

正幸が、申し稽古に与助を誘った。

「与助は、さっき忠成殿と立ち会ったばかりじゃ。わしが相手いたそう。」

そう言って、正幸に申し出たのは、又五郎であった。

正幸は、又五郎の激しい攻撃が嫌いであった。

彼の試合には、小野派でもない粗暴な力任せの接近戦が多かった。

「又五郎、やめとけ。正幸殿はおぬしの立ち合いが嫌いなのだ。江戸柳生の本流は、死闘ばかり追い求める、お前のような剣は好まぬのだ。」

忠成が、そう言って、又五郎のやる気をを削いだ。

「旗本の流儀には、わしの剣はお気に召さぬか・・・。」

又五郎はそう言って、頭をかきながら、苦笑した。

その時、美代が道場に入ってきた。普通、女が道場に入るのを嫌うのだが、ここの女性は、一向にそんなことを気にしない。おそらく、美代と志摩の強烈な個性が影響しているのだろう。

「正幸殿お客様です。」

又五郎の挑発に乗り掛かっていた正幸が、途中で冷や水を浴びせられたように、黙ってしまった。

「正幸殿、奥方がお呼びだぞ。」

又五郎が、挑んでこない正幸に拍子抜けしたように,再び声をかけた。

「おぬしは、どうも気遣いというものがない。少し黙っておれ! ところで、誰ですかな、お客とは・・。」

笑顔を絶やさない忠成が、美代に尋ねた。

「柳生吉重様とおっしゃっていましたが。それに、吉田八郎(田原藩指南役)様とおっしゃる方も・・・。」

美代が、そう言うや否や、与助、忠成、又五郎、正幸が、脱兎だっとのごとく玄関に駆け出した。


和尚、吉重、久野老人、助左衛門が、床の間を背に座り、吉田八郎を加えて両側に、いつもの佐那河内の連中が座った。

「田原藩は、今、新藩主の体制を固めなくてはならず、この吉田だけしか加勢に来られず、心苦しいばかりだが・・・。」

そう言って、吉重が言い訳をした。

「いや、そのお気持ちだけで十分。源一郎殿は元気になさっていますかな。」

いつもの和尚の穏やかな笑顔が、辺りを優しく包み込んだ。

「はあ。家老笹久内様以下、新体制をしっかり支えております。」

吉田が、模範解答のように返答した。

「ところで、正幸殿は、吉田と一度死闘を繰り広げたと聞いたが、今は遺恨を持っていないかのう・・・。」

吉重はそう言うと、正幸の反応を伺った。

「わしは、そんな男ではござらん。現に、右衛門と争って負傷した笹久内殿は、忠成殿とわしが大阪を出る際、大前屋の警護を請け負って下された。」

正幸は、吉重が要らぬ配慮をした事に少し不満げに答えた。

「そうか、笹は生きとったか・・・。右衛門という男、どうしてあんなに皆を引き付けるかのう・・・。あの男と争った人間はみんな仲間になっていく。あの男の剣は、誰にも真似はできん。いわば、天才じゃ。皆が持っていないものを持っているからこそ、不思議な魅力を備えているのかもしれん。そう言っているわしも、あの男が気になって仕方がない。」

その言葉を聞いた忠成や又五郎は、吉重に共感するように深く頷いた。

「殿は、人としても魅力のあるお方じゃ。わしは、あのお方と長く付き合っているが、嫌いになったためしがない。ただ、何を考えているか分かったことも一度もない。今度もそうじゃ、殿はどこかで生きている。しかし、皆がこんなに心配しているのに連絡ひとつ寄越してこん。困ったお人じゃ。」

少し酔ったのだろうか、与助の話は饒舌だった。

「おぬしが、田崎与助か。右衛門殿の家臣と聞いたが、よほど主君に惚れているようじゃな。」

吉重は、自分の周りに集まったこの連中に好感を持ち始めていた。

「いや、与助が一番惚れているのは、女房の志摩殿でござる。」

又五郎が、また座を乱し始めた。

「おぬし、吉重様の前だぞ、少し遠慮せんか!」

やはり、戒めたのは、いつものように忠成であった。

いつもの連中が、いつものように話し始め、みんなが身分の垣根を少しずつ取り払っていく。それが、この連中のいいところかもしれない。

「久野様が、繁くこの地を通われる気持ちが少しわかった気がします。」

吉重はそう言うと、久野老人に向かって笑顔を見せた。

「吉重様もいつでも歓迎しますぞ。」

和尚がそう言うと、吉重は照れたように頭に手をやり、あいそ笑いを見せた。

「このお方は、なかなかのものじゃなあ・・・。」

和尚は、心の中で、柳生新陰流最強の男の人格を高く評価した。

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