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右衛門シリーズ全編  作者: FZ
11/43

右衛門5-2

1


人が集まれば、群れるのが世の常である。群れれば余分な力が生まれ、他の大きな群れと反発しあうのもよくある現象。そんな環境で、熾烈な利害関係・権力争い・固執するプライドが絡み合えば、激しくぶつかり合って熱を出す。

今、紀州・尾張と幕府、大前屋と万座屋、江戸・尾張柳生は、田原藩という小藩の世継ぎ問題で、非常に危ないパワーゲーム始めようとしていた。そんな渦中で、右衛門たちは、望みもしない標的となって、騒動の真っただ中に投げ込まれようとしていた。


源一郎が田原藩に行くことで、佐那河内の連中は一つにまとまった。

彼らの頭の中には、そのことが何を意味するのか漠然としか受け止められなかった。

ただ単に源一郎が、祖母に会いに行くなどというような単純なことではないことは分かっていた。それは、田原藩世継ぎ問題に真っ向から立ち向かうことでもあったのである。

しかし、不思議なことに、佐那河内の連中には、源一郎藩主擁立などという具体的構想が、頭の中で描かれている訳ではなかった。

源一郎が祖母に会う望みをかなえてやりたい。そんな源一郎に対する思いやりが、複雑な利害関係を超えて、田原藩に連中を向かわせたのである。


又五郎と佐吉、それに田村勝信は、紀州勝浦(紀伊新宮水野領)まで弥吉の船で移動し、その後、密かに、陸路で田原藩の林七の住む安住家へと向かった。又五郎は、安住家の護衛、佐吉は田原藩の状況把握を右衛門に頼まれていた。

一方、右衛門と源一郎は、大阪行きの船に乗り、陸路田原藩に向かった。


2

大坂の居酒屋・・・

大阪のいつもの居酒屋(達磨屋)で、小野忠成と長谷部正幸それに、小野の弟子である平田喜内が、二階で飲んでいた。近頃、大阪にいる二人は、この店に頻繁に酒を飲みに来る。そのたびに、達磨屋の主人は、にこにこしながら二階に上がって来ては、愛嬌をふりまくのである。

「先だって正幸様に通りで声をかけられたときは、驚きました。」

達磨屋の主人は、何やら得意げに、喋りが滑らかだった。

「私が、”どなたですかいな。”って言うたら、 ”長谷部じゃ。”とおっしゃるから、 じっと睨んでみてみると、なんと、正幸様やおまへんか・・。いやあ、びっくりしてしもうて・・。ずいぶん偉そうに、馬に乗られて・・。共の人に聞いたら、大阪奉行様やて。二度びっくりや。ここにお出でになる方は、正真正銘の偉い方なんですなあ。」

主人は、感動したように、二人に話しかけた。

忠成も、正幸も、主人の話を聞きながらにやにや笑い、杯の酒をうまそうに重ねた。

「主人、こちらのかたはなあ。」

対抗するように、平田が小野忠成の身分を言おうとしたが、忠成が手を平田の前に出して、言おうとしている平田を制した。

「こちらの方も、どこかの剣豪でっしゃろ。」

主人は、自分の予想を披露した。

「なんでわかる。」

喜内が驚いたように、主人に聞いた。

「目の配りが違いますからな。私は小野様が来られるたびに、二階を下りては、板前にそう言ってたんでっせ。」

主人は、少し自慢げにそう言った。

「わしは、剣豪に見えんか。」

正幸が、少し落胆したように主人に尋ねた。

「いえそんなことは・・・。」

主人は、そう言うと、左右に手を振って否定した。

すこし、立場が悪くなったのを感じたのだろうか、主人はそう言うと、さっさと下に降りて行った。


正幸は、いまさらながら自分を後悔していた。

居酒屋を出たのは、夜も更け、通りには誰もいなくなった深夜であった。大阪には、江戸のような複雑な木戸はない。柳の生える川べりを、仮に右衛門との立ち合いがあったらどうやって攻略するか、などと忠成と話していた時、こちらの方へ近づいてくる二人の浪人があった。

「そちらのお二人は、小野忠成殿と、秋山(現在、長谷部)正幸殿とお見受けするが。」

月夜に、川面の水が光っている。

二人は、呼びかけてきた浪人の風体、気迫からすぐにただならぬ殺気を感じた。

「おぬしら、わしらの名を知っているのであれば、もちろん名を名乗るのだろうな。」

忠成が、一歩前に出て、相手の気迫に応じた。

正幸は、自分の不覚を恥じていた。酔いすぎていたのである。

武士たるもの、正式に挑まれて、「酔っているから、勘弁してくれ。」とは口が裂けても言えなかった。

平田喜内は、すでに刀の束に手をやっていた。

「わしは、尾張柳生流佐川義綱。」

「同じく、吉田八郎。」

「故あって、小野忠成殿と、秋山正幸殿に勝負を申し入れたい。」

佐川義綱が、正々堂々と名乗りを上げて立ち合いを望んだ以上、法度がどうであれ、受けるのが剣を心得るものの覚悟であった。

「尾張柳生は、それほどまでに、柳生が他流派の人間と交流を持つのが気に喰わぬか。」

正幸は、酒気を少しでも消すかのように、大きな声で二人に話しかけた。

「交流などとは、笑止千万!おぬしのやっていることは、柳生の誇りを踏みにじっているのだ。いかに江戸柳生と言えど、柳生と名乗る以上は、見逃するわけにはいかん!柳生流は天下の剣ぞ!小野一刀流の連中などとへらへら酒を飲むなど、わしらの誇りが許さんのじゃ。」

この吉田の言葉で、死闘は避けられぬものになった。

「小野一刀流に吐いた言葉、わしとて見逃すことはできぬ。喜んで御相手しようぞ。」

そう言った忠成の形相が一変していた。

正幸は、何の反論もしなかったが、「いかに江戸柳生と・・・。」と言われた瞬間、自分の体内に、殺意が燃え上がるのを感じた。

四人は、一対一になるべく、さっと二組に分かれて対峙した。

佐川義綱には忠成が、吉田八郎には正幸が、向き合った。


剣を抜いて、上段に構えた吉田に対して、忠成は剣の鯉口を切り、束に手をやったまま、抜刀で相手をしとめる居合斬りの姿勢を取った。忠成は、右衛門に敗れて以来、自分の瞬発力に活路を見出そうとしていた。そんな自分の能力にぴたりと合ったのが、居合であった。彼の居合は、すでに、黒龍党の前田清長との死闘で十分成果を発揮していた。前田は、忠成の居合をどうすることもできなかったのである。勝負は一瞬でついた。あの時の快感を、忠成の体は十分覚えていた。

剣を抜く瞬間、構えた時の静寂した流れを保ち、動作の変化にできるだけ相手を気付かせない・・・。そのためには、生死をかけた恐怖に打ち勝つ冷静な感情が必要であった。

忠成は、死闘に臨んで、いつも右衛門との果し合いを思い浮かべるのであった。心の乱れぬままに右衛門に剣を抜く、そんな仮想の右衛門に吉田八郎を仕立て上げ、まるで右衛門との対戦に臨んでいるかのように、静かに流れる時に身を委ねながら、徐々に闘志をみなぎらせたのである。

無言の抜刀で相手に仕掛けたのは、忠成だった。さっと抜き身が光ったと思うと、吉田の反応は、忠成の抜刀についていけなかったのである。一瞬で忠成の刃は吉田の腹を払った。

「うう・・。」

吉田は、忠成の居合に、唸り声をあげて地に沈んだ。多量の出血による、ショック死であった。

一方、正幸は、佐川義綱と互角に斬りあっていた。何度か相手に攻め込まれては、その太刀を跳ね返した。何度目かの相手の斬りこみで、正幸は腕に斬り傷を負っていた。着物の袖は血で染まり、その袖をたくし上げながら、必死で相手の隙を狙っていた。

その時、平田が正幸の方に向かって、

「忠成様が、相手を倒されましたぞ!」

と叫んだ。その声に過剰に反応したのは、佐川であった。

正幸は、そのすきを見逃さず、相手の腕を刀で払った。傷は致命的ではなかったが、佐川は吉田の死で戦意をなくし、そのまま正幸との間合いを開けると、(きびすを返して一目散に夜のとばりに消えて行った。

正幸は自分の深酒を恥じていた。酒のせいか、腕の傷の出血は止まることなく流れていた。

「大丈夫か。」

駆け寄った忠成に、正幸は顔をゆがめながらほほ笑んだ。

「ぶざまなものじゃ。おぬしがいなければ、負けていたかもしれん。」

そう言いながらも、正幸の息は激しかった。

「これに懲りて、深酒はほどほどにせねばな。」

忠成は、普段は余り笑わない性格だが、作り笑いで正幸の不覚を慰めようとした。

「平田!今から奉行所へ行って、与力に死んだ男の検分と始末を頼んできてくれ!」

正幸は、はっきりした声で、平田に後始末を頼んだのであった。




3

大阪に向かう船の中で・・・・

右衛門は、いつものように船内の壁に背を持たせ、刀を抱えて目を閉じていた。

源一郎は、ごろりと横になり、朝早く出発した疲れもあったのか、軽いいびきをたてて睡眠をとっていた。

「右衛門殿、わしを覚えておられるか。黒龍党の騒動の際、正幸様の屋敷で、哲太、将太の横で控えていた権蔵というものですが・・。」

商人風の姿をした権蔵は、同じように背に荷物を担いだ二人の若者を伴って、右衛門に話しかけてきた。

「おお、覚えておる。お庭番の・・・。」

右衛門が、そう呟くと、三人はぎょっとしたように辺りを見渡した。

「その言葉は、はばかられますので、どうかご内密に・・・。」

権蔵は、そう言って、右衛門の言動を注意した。

「すまん。ところで何の用じゃ。」

右衛門は、素直に謝った。

「この者たち、使ってもらえないでしょうか。」

権蔵が、いきなりそう切り出した。

「使うと言ってもな。わしは、藩や幕府の役人でもないしな。」

右衛門は、困惑したように権蔵の方を見た。

「しかし、あなた様は、いつも情報を知らねばならない立場に置かれていますからな。」

権蔵は、そう言ってにやりと笑った。

「おぬし、何でも知っておるな。今回の一件も把握しておるようだな。さすが、・・・。いや、この言葉は禁句か。」

そう言って、右衛門は、にやりと笑った。

「わしは、佐那河内が自治権を手に入れるいきさつをじっと見てきましたし、佐那河内村の今の様子も、十分知っているつもりです。わしらみたいな仕事をしている者が、自分の望みなど人様にいうなど、もってのほかなのですが、私も人の親でしてな・・・。この二人は、わしの息子で、丹波と三郎と言うのですが、わしも親なりに、こいつらには、哲太や将太のように自由な暮らしをさせてやりたくてねえ。」

権蔵は、お庭番の警戒心を少し解いたかのように、打ち明け話をするように話した。

「どうでしょうか。右衛門様、こいつら使ってくれないでしょうか。

なに、務めとして使わないときは、百姓でも、港の仕事でも、佐那河内で大人しく暮らしますから・・。その時は、報酬などはいりません。」

権蔵がそう言って、頭を下げると、二人の若者も彼に合わせたように頭を下げた。

「佐那河内の和尚が言うように、わしらの村は、来るものは拒まずじゃ。

それに、お前の息子なら、疑う必要もなく仕事を任せられる。わしは大歓迎じゃ。」

右衛門は、そう言って、二人の青年に笑顔を見せた。

「これで、わしもほっとした。早速、田原藩の実情、探らせますので。」

権蔵はそう言って、仕事の確認をするかのように二人の顔を見た。

「なんでも知っとるな。早速だが、とりあえず、これは活動費じゃ。」

そう言って、右衛門は懐から、兄の丹波に三十両手渡した。

「これは、豪気じゃ!」

丹波はそう言って、金を受け取り、相好そうごうを崩したかと思うと、いつの間にか、二人と共に右衛門の前から姿を消した。




4

田原藩・・・

又五郎、佐吉が安住家に世話になって、一週間が過ぎた。日増しに治安は悪くなり、殺人、強盗、脅迫と街の住民たちにとって、昼間でも外に出るのは、覚悟しなければならない状態になっていた。

しかし、ここ安住家では、小野派の四天王が居座ったという噂さが広がり、屋敷の周辺をうろつきまわる不審の輩も極端に減ってきた。

「又五郎さんのおかげで、恐ろしい思いがなくなりました。」

亡くなった兄嫁の早苗は、いつもそう言っては、離れに住む又五郎のために食事の膳を運んでくるのであった。

「今日は、小夜はどうしていますかな。」

又五郎の明るい声が、早苗の娘のことを聞いてきた。

ここへ来て以来、佐吉は一日もじっと家にはおらず、情報収集に街の噂などを探っていた。

それに反して、又五郎は、この家の用心棒として一日小夜を相手にぶらぶらしていた。

「今日は又五郎さんが川べりに連れて行ってくれるのだと、朝からうろうろしていますよ。」

又五郎は子供好きであった。どこを歩いていても、子供がいると、にこにこしながら、子供らを眺めている彼の姿が佐那河内村でもよく見られた。

小夜も、叔父の林七には挨拶以外余り話しかけたことがなかったが、又五郎には、なついていた。


「お前、大きい図体して、子供など昼間から連れて、何をしてるんだ! 仕事をしないのだったら、帰って寝ていろ!この街は尾張から殿さまが城に来られるまでは、みんな歩き回ることができないんだ。 そこんところ、よく覚えとけ!」

小夜が、その言葉を聞いて、又五郎の後ろへ回り、しっかりと彼の着物をつかんでいた。

又五郎は、土手の上でたむろしていた四人のやくざ者を、気に留めることなく通り過ぎようとしたとき、すごまれたのだった。

彼は両刀以外に、手に護身用の木刀をもって、この辺りを歩くのが日課になっていた。

「子供の前で、余り品の良くない口をきくな。 見ろ、この子が怯えているじゃないか。品のない奴らだ。」

その言葉を聞いた、男四人が匕首あいくちを抜いて、まっすぐ又五郎の方へ向かって来た。

「小夜、少し下がっていなさい。」

又五郎がそう言うと、小夜は一目散で後ろへ下がり、足を止めると、又五郎とその男達の争いをじっと見始めた。

喧嘩は、小夜が十数える間に終わってしまった。

四人の男たちは、土手の道に腕や肩を砕かれて、悲鳴を上げながらのた打ち回っていたのである。

「小夜、終わったからこっちへ来なさい。道に馬鹿が転がっているから、気をつけてな!」

そう言って、又五郎は小夜を手元まで呼び寄せると、約束した川べりへ、手をつないで去って行くのであった。


又五郎と小夜が散歩から帰ると、田原藩首席家老の安住助左衛門が、待ち構えたように又五郎に声をかけてきた。

「又五郎殿、日頃の行動には気を付けてくだされ。あなた達が、尾張から流れて来るやくざや浪人たちに、我慢ができなくなり騒動を起こしたら、尾張の成瀬様が治安の目的で、必ず兵を率いて田原藩に乗り込んで来る。そうなると、宏明様(成瀬の三男)を藩主にと迫られるのを、誰も抵抗できなくなりますぞ。田村ら青年藩士にも、又五郎殿からしっかりくぎを刺して下され。」

青年藩士らは、又五郎に一目置いていた。そのことを知っている筆頭家老安住助左衛門が、すがるように又五郎に懇願した。

「もちろん、説得はするが、何せ、血気盛んな連中だけに、いつ不測の事態に陥るか。右衛門は、源一郎を連れてどこまでやってきているのかのう。」

又五郎は、右衛門の田原藩への到着を待ち望んでいた。

「しかし、殿がいきなり源一郎様とこの藩に姿を現せば、返って混乱に拍車がかかるかもしれんからな。ここは、しばらく、慎重に状況を見計らわねば・・・。」

傍にいた佐吉が、難しそうな顔をして、二人の会話に加わった。

「尾張からは、何か言ってきましたか。」

佐吉が、安住の方を心配そうに見た。

「矢野和正様(成瀬の側近)が、我が藩の上宿に居座って、宏明様をいつ入城させようかと、まるで自分の藩のように、頃合いを図っております。」

安住が忌々しそうに、言葉を吐き捨てた。

「しかし、それだけの力の差がありながら、尾張犬山藩は、なぜ強引に藩主就任を強行せんのかな。」

又五郎が、腑に落ちない表情を浮かべ呟いた。

「源一郎様が田原藩に来られるという知らせで、田原藩士一同の総意として、源一郎様の藩主相続を合意しましたからな。いかに成瀬様とはいえ、田原藩藩士全員が玉砕覚悟で抵抗するとなれば、相当の威圧をしなくては宏明様入城とはなりますまい。」

助左衛門が、腕を組んだまま、現状を分析した。

「右衛門は、何か打つ手を考えているのかのう。」

又五郎が心配そうに呟いた。

「殿はまだ、源一郎様が田原藩を相続する意志があるかも分からずにいるのではないかな。昨夜、丹波とか言うお庭番権蔵の息子が、現状を右衛門に伝えるから、知らせることがあったら伝えると言うので、権蔵の息子なら疑うこともないので、情報は知らせたが。」

その時、奥の廊下から

「又五郎おじさん!」

と小夜の呼ぶ声がした。

「まあ、今日はここまでにしよう。右衛門の指示が届かぬ限り、動くこともできんわ。」

又五郎は、笑いながらそう言うと、さっさと座敷を出て、小夜の方に向かった。

「なんじゃ、あれは・・・。」

佐吉が、あきれたように、又五郎の後姿を見送った。

横にいた安住助左衛門が、照れくさそうに笑っていた。




5

正幸の屋敷で・・・

大阪に着いて、右衛門が真っ先に向かったのは、正幸の屋敷であった。

「よう来られた。あいにく入れ違いで、美代は佐那河内に志摩殿に会いに行ってしまったので・・。何もないが、女中に命じて昼飯を作らせているので、ゆっくりしていって下され。忠成にすぐ連絡したので、おっつけやってくるでしょう。」

正幸は、右衛門に再会できたのがよほど嬉しかったのか、饒舌にしゃべった。

「ほう、源一郎も大きくなったな。立派な侍ではないか。噂は弥吉から聞いたぞ。

最近、刺客に襲われて、見事に返り討ちにしたというではないか。」

正幸の話は、源一郎の方へ向かった。

「あれは、又五郎さんが・・・。」

源一郎が、言い訳をしようとしたとき、女中二人が料理を座敷に並べ始めた。

「随分立派なおもてなしだな。わしはおぬしの顔を見たくて来ただけだ。気をつかわんでくれ。」

右衛門は、恐縮したように、正幸に言った。

「まあ、一献。源一郎も飲んでみい、酒ぐらい飲めねば、男とはいえんぞ。」

そう言って、正幸は右衛門に手渡した盃に酒を注いだ。

開け放たれた庭の木々は、青々とその生命力を漲らせていた。

正幸の屋敷の木々は、決して手入れが行き届いているとはいいがたかったが、新緑の息吹を十分感じさせる爽快な空間を保っていた。


間もなく、忠成と大前屋の喜一郎が駆けつけ、正幸の屋敷は、ちょっとした宴会が始まった。忠成は、普段それ程饒舌な男ではなかったが、喜一郎や正幸の会話にずっと笑顔で上機嫌であった。

「今度の田原藩の一件、喜一郎や弥助から聞かされて、おおよそ分かっているが、紀州と尾張の筆頭家老が同盟を組んでいるというのがもし本当なら、小藩とはいえ、田原藩の相続問題をそう簡単に刺激するわけにもいくまい。右衛門殿、源一郎を田原藩にいきなり向かわせるのは、よほど慎重に考えねばなるまい。」

豪胆な正幸が、そう言うぐらいなのだから、やはり御三家の威力というのは相当なものなのだろう。右衛門は改めて、源一郎が祖母と再会する希望を叶えるのが、かなり厄介であることを実感するのであった。

「勝手なようですが、ここで右衛門様に引かれたら、弥吉の努力が無になります。私どもも、万座屋と争っていますからな・・。大阪・江戸の廻船航路が、田原藩での中継地がないとなると、一から考え直しになります。正直言いますけど、私どもは、この計画に数万両という資金をあちこちに投じておりますので・・・。」

喜一郎が、赤い顔をして、正幸の言葉に異論を唱えた。

「おぬし、筆頭老中森様が京都所司代のころから、いろいろあの方と相見互いだったそうだからな。」

そう言って、正幸が、喜一郎を皮肉な目で見ながら、薄笑いを浮かべた。

「そら、私どもも商人ですから・・。しかし、別段、やましい交渉などしていませんからな。正幸様は、お疑いのようですけど・・・。」

喜一郎が、本気で言い返した。

「源一郎殿もいるのだ、二人で妙な言い争いをすることもなかろう。」

そう言って、忠成が二人の会話に割って入った。

右衛門はさっきから腕を組み、じっと目を閉じていた。

「正幸殿、その腕の傷は先日の死闘の名残か。」

右衛門が、いきなり話題を変えた。

「おぬし、どこでそれを・・。」

正幸が、驚いたように右衛門を見た。

「わしは、権蔵の息子達を間者に使っているのじゃ。二人が、佐那河内で暮らすことができるようにするのが、条件でな・・。」

右衛門は、何か後ろめたいことを言うかのように、低い声で言った。

「やっと右衛門様も佐那河内の人たちを守り抜く自覚ができたようで・・・。

親父と話していたのですが、小さな村でも自治権を許されて、その村のみんなを守っていくって言うのは、そう簡単なことやおまへんからなあ。」

喜一郎のその言葉に反論することは、誰もできなかった。


翌朝早く、田原へ向けて、右衛門と源一郎は、喜一郎、忠成、正幸に見送られて、正幸の屋敷を出た。ほんの三町(三百メートル)も歩いていないのに、街並みは田園風景へと変化していった。早朝のせいもあり、人影はなく、うっすらと朝霧が立ち込めている。

「そちらにおられるは、右衛門殿か・・。」

そう言って声をかけてくる者がいた。編み笠はかぶっているが、着物には襷掛けをし、すぐに、右衛門に剣で挑むために待っていたことが分かった。

「いかにも。おぬしは、どなたかな。」

右衛門は、何の動揺も見せず、相手の名を尋ねた。

「尾張柳生流師範 笹久内というもの。故あって、おぬしと真剣を交えたいのだが、お受け願えんかな・・・。」

久内はそう言うと、編み笠をとって、不敵な笑みを漏らした。

久内が、右衛門との死闘の場所をここに選んだのは、小野忠成と長谷川正幸に自分の勝利を見せつけるという狙いがあったのかもしれない。

「おぬし、先日の尾張柳生門弟と小野、長谷川等との死闘を知らぬではあるまい。

無益な果し合いは、尾張柳生にとっても決して得にはならぬと思うがな。それでもお望みなら、是非に及ばないが・・。」

右衛門はそう言って、手に持った編み笠を近くに放り投げた。

一方、源一郎は、この事態を知らせるために、正幸の屋敷へ向けて一目散に駆け出した。


源一郎の知らせを聞いた忠成と正幸は、これ以上のない興味をそそる事件に、飯の茶碗を放り投げて、屋敷から駆け出し、果し合いの場所の近くの物陰から、じっと右衛門と笹の死闘を見物し始めた。

笹は、ゆっくりと刀の鯉口こいくちを切り、背をまっすぐにして、戦闘態勢に入った。

「居合か。」

陰で見ていた忠成が、思わず独り言を言った。

彼にとって最も参考になる試合の展開であった。

右衛門は、相手に合わせる自在流である。相手が不動から入れば、自分もそれに応じる事もあれば、意に反して、自分の動きで相手の動きを誘うこともあった。

この死闘で右衛門は、相手の構えに対して刀を抜くと正眼に構え微動だにしなかった。

「わしの時と同じだ・・・。」

忠成は、そう思った瞬間、我を忘れて身を乗り出した。

「忠成殿、少し下がれ!」

同じように、じっと果し合いを見つめていた正幸は、忠成が身を乗り出したことで、視界を遮られたのである。

「すまん。」

そう言って、忠成は一歩後に引いた。しかし、彼の視線は決して、右衛門と笹の動きから外されることはなかった。


両者は、数分間、じっと初めの構えを崩さず、相手のすきを窺っている様だった。

笹は、自分が先をとることに決めた。右衛門は、その相手の覚悟を察知したかのように、かすかに動いた。

「この男、わしの動きを読んだのか・・・。」

わずかな心の動揺が、久内の気持ちに芽生え始めた。

その間、右衛門は、久内の足の位置に注意を集中していたのである。

「相手は、正面から半歩足の位置をずらして、抜刀する。」

笹の足先のわずかなずれで、右衛門は、そう確信したのである。

この観察力の差で、勝負は決まった。後は、笹の気迫の揺れを感じ取れば、相手を殺さずに倒すことができる。右衛門は、自分にしかできない場が生み出す気の流れを、じっくりと感じ取り、笹の決死の一撃を静かに探っていた。

笹は、右衛門の余裕の構えと自分の動揺に耐え切れず、次の瞬間、決死の居合を決行した。

右衛門の予想通り、笹の右足は、右衛門と対峙する直線上から半歩ずらして、前の地面に踏み込んで抜刀した。

右衛門は、彼とは対照的に対峙した直線状に足を踏み込み、久内の一閃を背中に回した刀の刃で受け止めた。

「止めた!」

忠成は、その瞬間を目撃し、思わず大きな声で叫びそうになった。

勝負は、右衛門が、笹の渾身の一振りを止めたことで、決してしまった。

右衛門は、笹の居合をしのいだ後、流れるように交えた刃を離すと、そのまま前に踏ん張った足を軸にして、返し刀の一閃で、後ろに残した笹の太ももを払ったのである。

笹は、そのまま地に手を付けて、足で立ち上がることができなくなった。

鮮血が笹の足元を真っ赤に染めた。彼は、一瞬、苦痛を和らげるかのように、うなり声をあげたのである。


「正幸殿!同じ柳生の門弟じゃ。おぬしの屋敷に連れて行って、治療してやってくれんか!」

正幸は、右衛門の呼びかけに驚いたように物陰から現れた。

正幸と忠成は、今の死闘に感動したかのようにじっと立ちすくんでいる。

「心得た!」

我に返ったように、正幸がそう言うと、忠成と共に笹久内のもとに近づいて行った。

「構わんでくれ、わしはここで死ぬ。」

久内の悲痛な拒絶が、二人を寄せ付けようとはしなかった。

「おぬし、うぬぼれるなよ。それでは聞くが、おぬし、尾張柳生流柳生吉重殿に勝てる自信があるほどの剣豪か。」

正幸が、戒めるように久内に言った。

無論、笹はその言葉に即答することはできなかった。

柳生吉重は、尾張柳生で、誰もが認める最強の剣豪であった。

「わしは、右衛門ならやってみるまで分からんと思う。」

忠成が、笹久内の代わりに答えた。

「わしもそう思う。悔しがるのもいいが、相手の能力を認めるのも、立派な武士の振る舞いだと、わしは思う。ほら、わしの背中に負ぶされ!」

正幸は、そう言うと、笹を無理やり自分の背中に背負い込んだ。


「どうなりました・・・。」

やっと、源一郎から知らせを聞いた喜一郎が、彼らのもとにやってきた。

「また、右衛門殿の強さを見せつけられたわ。なんとも悔しいかぎりじゃ。」

正幸は、そう言って、忠成の方を見た。

忠成もまた、正幸に同意するかのように、こくりと頷くと、うっすら笑顔を浮かべた。

「源一郎、急げ!いつものように、右衛門殿は死闘の後は、勝負に無頓着じゃ。おぬしを放っておいたまま、消えていくぞ!」

その声を聴いた源一郎は、あわてて、右衛門の後を追って、田原藩へ向かうのであった。



6

その頃、佐那河内で大事件が起きた。黒龍党の急襲に見舞われたのである。

二隻の船を港に就けて、百人余りの海賊たちが、各々大声を上げ、刀を振り回し、志摩たちのいる丘の上をめがけて押し寄せてきていたのである。

志摩は、あらかじめ右衛門と相談して、野盗のまさかの襲撃を想定して、佐那河内の各家に槍と黒い戦闘服を忍ばせていたのである。佐那河内は自治区である。武装集団の襲来があっても、どこからも援軍は望めないのである。

右衛門は、自分が不在の場合、丘の上の全員の合意を得て、志摩を指揮官に定めていた。

志摩は、髪の毛を後ろで縛り、腰には刀を差して、男物の小袖をつけていた。

遠くから見ると、男の指揮官と見間違えても不思議ではなかった。

志摩の横には、袴を着け頭に鉢巻をまき、長刀を持った伊予と美代がいた。

その後ろで、短い槍を持ってはいるが、さっきからぶるぶる震えている弥吉の女房の志乃が、三人の女の陰に隠れるようにたたずんでいた。

「与助殿!かねての打ち合わせ通り抜かりはないですね!」

志摩の眼光は鋭かった。

「下の連中には抜かりはない。門弟と手分けして、鉄砲の鳴る音がしたら、一斉に大声をあげてあの野盗どもに襲い掛かるように、はっぱをかけてきた。みんな死に物狂いで、この村を守ると意気盛んだったぞ。」

与助は最前列で、武士団三十名と共に、丘の上へと押し寄せる黒龍の野盗どもをじっと見ていた。

「哲太、将太!お前たち七名の鉄砲が合図じゃ。いつもの腕前見せてくれ!」

与助が、哲太の仲間である見能林から募ってきた鉄砲隊に、信頼を寄せる言葉をかけた。

「ここから見ていると、奴らの鉄炮は五丁じゃ。わしらで必ず仕留めますから・・。後は、最前列の与助様の部隊次第じゃ!」

哲太が、第二列で武士団に隠れて、にやにや笑いながら、そう答えた。

「あの者どもは統制が取れていない。ただの物取りの集団と変わりがないように見える。

志摩殿、最初の勢いで押しに押せば、必勝間違いなしです。男どもには、遅れは取りませんように!」

美代の激に呼応するように、伊予が長刀の先を地面にたたきつけた。

「恐ろしいな。佐那河内のお姫様たちは・・・。」

美代の勇ましい言葉を聞いていた鉄砲隊の将太が、感心するようにぽつりと言った。

緊張の中で、ふっと緩んだ雰囲気が辺りを覆い、誰からともなく失笑がこぼれた。

「そら来た!」

哲太がそう言うと、最初に丘を登り始めた五丁の鉄砲隊を狙って、七人の佐那河内鉄砲隊が、武士団を押しのけて、最前列に出て来たかと思うと、狙いを定めたものから、野盗の鉄炮撃ちを確実に仕留め始めた。

そして、すべて撃ち殺すと、

「あいつらとは、腕前の格が違うんじゃ。なあ、兄貴!」

将太が、そう言って、哲太と仲間たちの顔を見回した。

みんな自信あふれる顔で、将太のその言葉に胸を張った。


「ひるむな!奴らの鉄砲は予想した通りじゃ。押せ!押せ!」

黒龍の棟梁らしき男が、動揺しかけた集団にはっぱをかけた。

その時、鉄砲の号砲を合図としていた、家の物陰に隠れていた数百の佐那河内の住民が、真っ黒な装束をまとい、槍を振り上げ、不気味な雄叫びを発しながら、地響きをたてて坂を登ろうとする野盗たちに突進してきたのである。

最初その風景を理解できない黒龍の集団は、ぽかんとして、その黒い群衆を眺めていたが、「うわああ!」

と、一人の野盗の腹の底から恐怖を誘ううめき声が発せられたかと思うと、黒龍の集団は、完全にパニックに陥ってしまった。

後は、自分を救ってくれるのは、港の二隻の船である。

丘に登りかけていた集団は、まるで板の上を零れ落ちる水滴のように、港の方向へと逆流し始めた。

「今じゃ!一人も生きて帰すな!」

与助の凄まじい大声と共に、坂の上に控えていた佐那河内の武士団が、恐ろしい声を上げながら、黒龍の野盗を追撃し始めたのである。

丘の上で、与助が最初に敵を斬り倒している姿を見ていた志摩が、勝ち誇ったような笑顔で、与助の雄姿を見守っていた。

「美代様、ごらんなされ。与助殿の凄まじい剣を・・・。二度惚れ直しました!」

その言葉を聞いた、伊予と志乃が、大きな声を上げて笑い始めた。

「我が夫の正幸殿なら、与助殿より凄まじいかもしれませんよ。」

美代だけは、志摩の言葉に納得せず、一言自分の考えを付け足すのであった。

「美代様は、どんな時でも負けず嫌いじゃな。」

伊予がそう言うと、やっと全員が声をそろえて笑い始めた。

二隻の船は、敗北を確認すると、逃げてくる仲間を置いたまま出向し始めた。

やっと港にたどり着いた敗北者たちが、その船を追って、次々と海の中へ飛び込んで船を追っかけ始めるのである。その泳ぎの速さは、水泳選手も顔負けだったかもしれない。




7

右衛門と源一郎は、夜も更けて、人を避けるかのように田原藩筆頭家老 安住助左衛門の屋敷に入ったのは、昨夜であった。当初の目的である源一郎の祖母は、重い病で床に就き、佐吉の考えで、ここ安住家で預かることになったのである。

「ここはもう、源一郎様の祖母を、自宅で看病するにはあまりにも治安が悪くなりまして・・・。源一郎様の異母兄弟である植松様も、周りの者だけではいつ襲われるかわからず、安住様と相談の上、この屋敷にかくまっています。幸い、ここには、又五郎殿が居て、そうやすやすとは賊も襲いますまい。」

佐吉が、手短にいきさつを右衛門に説明した。

「おぬしの機転に感謝する。それにしても、そんなに治安は悪いのか。」

右衛門は、少し驚いたように尋ねた。

「すでに、我が藩の次席家老が、何者かに暗殺され。日頃から、公然と源一郎様藩主擁立を主張していた連中は、末端いたるまで得体の知れない浪人・やくざ者に、密かに殺される始末で・・。後ろに、尾張筆頭家老 成瀬重住様がいるのは、間違いない。尾張のいつものやり方ですから・・。田原藩に何か押し付ける時は、必ず治安を揺さぶってくる。私たちを、尾張藩領地の百姓かなにかと勘違いをしているのです。」

安住助左衛門が、忌々しそうに、眉間にしわを寄せて、吐き捨てるように言った。

「おぬし、どうするつもりじゃ。何か、打開策でも考えているのか。」

又五郎が、いきなり右衛門に質問した。

「とにかく、この屋敷だけは守り抜かねばな。又五郎には厄介をかけるが、わしと共に、今しばらくこの屋敷にとどまって、様子を見たいと思うんだが・・・。」

状況をつかみきれない右衛門は、又五郎にそう言うしかなかった。


離れの間では、源一郎が祖母の手を握っていた。いや、祖母が源一郎の手を離さないのである。そんな訳で、源一郎はずっと祖母の枕もとで、病人の様子を見ていた。

「源一郎、少しここを離れ、眠ってこい。」

右衛門が、そんな源一郎を見かねて、忠告した。

「私に残った、たった一人のばばさまだから、悔いのないようにしたいので・・・。」

源一郎は、そう答えると、さみしそうな笑顔を右衛門に見せた。

源一郎にとって、少しずつ肉親がいなくなるのは、身を削られるようにつらかったのかもしれない。

ずっと、看護をしていた林七の兄の妻の早苗が、病人が目を開けるのに気付いて、口元に水を持って行った。老婆は、その水に気づくと、おいしそうに、急須から、一口、二口飲みほした。老婆は、右衛門がいるのに気づくと、

「右衛門様、私はあなた様に何と言って感謝すればよいのか・・。一度は、藩主であるあなた様に弓引いた息子を許してくれたばかりか、孫の源一郎までこうやって・・・。」

そこまで言ったとき、老婆は、苦しそうにせき込んだ。

「おばあさま、そのへんで。」

早苗が、老婆がまだ何か言おうとするのを押しとどめた。

「なに、源一郎は、私にとっても甥ですから。私とて、自分の血筋を持つ源一郎を、見捨てるわけにはいかないので・・。ただ、それだけです。」

右衛門は、あえて明るくそう言うと、老婆に笑顔を見せた。

「私は、恒明(源一郎の父)が我が家で、刺客に斬り殺されるのを目の当たりに見たのです。あの子は、賊が命を奪う最後の一振りを、何の抵抗もせず受け入れました。賊が去り、虫の息になった恒明のもとに駆け寄った私は、恒明の最後の一言を、今も忘れることができません。」

老婆は、源一郎の手をぎゅっと握りしめると、死ぬ前にこのことだけは言っておかねばという気迫で、源一郎の目を覗き込んだ。

「父は、何と・・。」

源一郎の目から、自然と涙がこぼれ落ちていた。

その様子を見ていた早苗は、老婆と源一郎の何者も寄せ付けない真に迫った気迫に押され、老婆の必死の言動を押しとどめることができなかった。

「“源一郎に謝りたい”と一言だけ・・・。余程そなたのことが気になっていたのでしょう。

源一郎殿、恒明の思い分かってあげてくだされ・・・。」

源一郎の祖母は、思い続けたことをやっと言えた安堵感で、それ以上何も言うことなく、源一郎の手を決して放すこともなく、その夜、あの世へ旅立った。


「本来、わしは秋山家の伊織を藩主にするのではなく、お前をするべきだったのかもしれん。佐藤家のためにもな・・・。お前の母、佐和姉様が、わしに逆らって、お前を藩主にするために岩山と画策したのも、見能林を治める家系を重んじての事だった。そうすれば恒明殿もこんな非業の最後を遂げなくとも済んだのかもしれん。」

右衛門は、死んだ源一郎の祖母を見ながら、ふと呟いた。

「しかし、見能林藩主伊織様は、私には敵意もなく、いずれ私を養子にとまで言ってくださいました。」

源一郎は、そう言って右衛門を慰めた。

「そう言ってもらえると、心が晴れる。お前は、いつの間にか立派な大人になったな。

佐和姉さまも、天国でお喜びであろう。恒明殿もな・・。」

右衛門は、慌てて源一郎の父の名を上げて、源一郎の気持ちを思いやった。

「どうだ、腹は決まったか。」

右衛門はそう言うと、いつにない真剣な様子で、源一郎の顔を覗き込んだ。

「是非に及ばず。叔父上が、この前の果し合いで言っていた言葉、気に入りました。」

源一郎は、そう言って笑顔を見せた。

「あれはな、信長公が本能寺で言った言葉だそうだ。いわば、受け売りだ。あの時は、ちと格好の付けすぎだったな・・・。」

右衛門はそう言うと、はにかんだような笑顔を見せて、自分の頭を撫でた。

「叔父上、ついてきて来てくれますか、行きつくところまで・・。」

源一郎が、そう言って、右衛門の顔をまっすぐ見つめた。

「成り行き任せにな・・。」

右衛門は、やっと自分なりの言葉が言えたと、少しほっとした。



源一郎が、田原に来ていることを知られたくなかったこともあり、源一郎の祖母の葬儀は秘密裡に行われた。

「いずれ、この騒動が終われば、ちゃんとした葬儀せねばな。」

右衛門は、源一郎にすまなさそうに言い訳をした。

源一郎は、寂しそうな笑顔を見せて、

「母上、父上と共に、佐那河内の和尚様に経を上げてもらいます。その時は、叔父上も参列してください。みんなも・・。」

源一郎は、集まってくれた人たちの方に振り返ると、遺骨になった祖母に合掌していた手を戻して、みんなにほほ笑みかけた。

又五郎のすすり泣く声が、なぜか、この場に不釣り合いに聞こえてきた。

「又五郎、少し大袈裟だろう。おぬしの肉親でもないのに・・。わしの方が、気恥しくなる。」

右衛門が、そう言って、又五郎をたしなめると、

「又五郎様は、お優しいのです。誰にでも・・・。」

そう言って、早苗が又五郎をかばった。

右衛門は、どうして安住の家の人間が又五郎をかばうのか、なんだか不思議な気持ちになったが、早苗のきっぱりとした言葉に、反論することができなかった。


8

その夜、事件が起きた。

「右衛門様!」

障子の向こうで、右衛門の内偵になった丹波が、小さな声で呼びかけた。

「丹波か、どうした。」

右衛門は、即応した。

「得体の知れない三十人程の浪人どもが、この屋敷を襲撃するようで! 今こちらへ向かって押し寄せています!」

丹波の声は、大ごとにも関わらず、冷静だった。

「三十人か・・。油断はできんな。」

そう呟いたのは、右衛門と同じ部屋で寝ていた又五郎であった。

「佐吉とおぬしは、門の正面を固めてくれんか。」

右衛門が、又五郎に指示を出す。

「おぬしはどうする。」

「闇夜に紛れて、一人ずつその連中を減らしていく。残った連中を、正面で迎えうってくれんか。わしは引き続き、押したり引いたりしながら背後から連中を攻め続ける。」

「心得た!早速、みんなを起こして、奴らの襲撃に備えねば・・・。」

又五郎も、決して慌てている様子がなかった。

連中は、右衛門がこの屋敷にいることを知らないらしい。又五郎にとって、右衛門が一緒にいるだけで、三十人ぐらいの襲撃に負ける気がしないのである。

「丹波、三郎と又五郎の近くで、奴らをかく乱してくれ。何か火器を持っているか。」

右衛門が、丹波に尋ねた。

「忍びは、たとえ主人にでも武器の中身は明かせないので・・。じゃが、右衛門様の期待に応えて見せますから。」

そう言って、丹波は自信ありげな薄笑いを浮かべた。


安住の屋敷に近づいた浪人たちが、それぞれ、松明を片手に持ち、大声でわめきたてながら、屋敷にいる又五郎たちを威嚇しているようだった。

彼らは、決して奇襲を仕掛けようなどとは思っていない。あくまでも、屋敷の連中を恐怖のどん底に落としいれ、門の正面を突き破って襲撃するつもりであった。また、それだけの武力を備えて、襲撃に当たっているという自信があった。

一方、安住の屋敷の連中は、又五郎が、門のすぐ内側の中庭にあかあかと火を焚き、押し寄せる連中を迎え撃つべく、佐吉の横で腕を組んで仁王立ちになって正面を睨みつけていた。 又五郎と佐吉の後ろには、林七、源一郎、助左衛門が頭に鉢巻きをして、刀を差して、奥の部屋にいる早苗の娘の小夜や植松、それに屋敷の使用人を守るべくじっとたたずんでいた。さらに、意外なことに、早苗が、着物の袖を紐で結び、長刀を持って敵の侵入に備えていた。

「早苗殿、大丈夫か、そのような格好で・・。」

後ろを振り向いた又五郎が、玄関の廊下で助左衛門等と敵の侵入に備えている早苗の勇ましい姿を見て、不安そうに尋ねた。

「早苗はのう、長刀を取らせれば、田原藩では敵なしの腕前じゃ。又五郎殿、おぬしでもかなわぬかも知れませんぞ・・。」

助左衛門が、誇らしげに又五郎に、早苗の武勇を自慢した。

「さすがじゃな。よろしくお頼み申す!」

又五郎が、満面の笑顔を見せて、早苗に会釈をした。

それに応ずるように、早苗が頷いた。

その時、二人の若者が、息せき切って又五郎の前に現れた。

田村勝信(右衛門と一緒に佐那河内を訪れる)とその友の森下正弘であった。

「申し訳ござらぬ。近くの藩士に急ぎ知らせたのですが、結局我らだけしか・・。みんな、尾張藩の仕返しを恐れて・・。」

田村が、悔しそうに又五郎に言い訳をした。

「右衛門がいるのだ。奴ら、そのことを知らずに襲撃をかけおって・・・。今宵は目にもの見せてやる!」

又五郎が、抑えきれない興奮を、怒りに変えて、敵をなぎ倒す勢いで勝信に呟いた。

「右衛門殿が・・・。それではこの騒ぎ、勝ったようなものですな。」

勝信は、自信に満ちた顔で、又五郎に話しかけた。


松明を持った浪人たちが、一人二人と消えていく。

前の連中は、興奮のあまり、最初の頃は、なぜ松明が消えて行くのか気がつかなかったのである。右衛門の刀の一閃は、斬った相手の悲鳴も出ないぐらい鮮やかに一瞬で切り倒していった。松明の近くを人影が動いたと気づいた瞬間、自分たちの仲間が、一人二人と消えて行く。残った連中にとっては、キツネにつままれたような出来事だった。

「頭目!誰かが、われらを斬り殺しています!」

「そんな馬鹿な、人が斬られて、叫び声一つ出さないはずがなかろう。」

先頭を歩いていた、頭目らしき男が、恐怖を抑えることができないような表情で、そう叫んだ。男の目は、トラに狙われた鹿の恐怖に満ちた目に似ていた。

すると次の瞬間、また一人、バサッ、叫び声一つ上げずに地面に倒れ、松明だけが明々と地面の黒い土を照らしている。

「こっちは、三十人からの集団だ!ひるむな!探し出して斬り殺せ!」

恐怖をかき消そうと、頭目の檄が飛ぶ。しかし、そう言っている瞬間にも、バタバタと人が倒れていくのである。

「うわああ!」

一人の男が、耐えきれず、とうとう恐怖の叫び声をあげてしまうと、雪崩をうったように、固まっていた松明の集団が、火の粉が飛び散るように広がりだした。

その間にも、一つ二つと松明が、地面にしみこんでいく。

「右衛門! 一人残らず倒すでないぞ! わしらの楽しみがなくなるではないか!」

外の大騒動に気づいた又五郎が、大きな声で、外の闇に向かって叫んだ。

「あの右衛門がいるぞ!」

一人の男の一言が、この集団を壊滅させるのに十分だった。

残った連中は、命からがら逃げだしたのである。襲撃はあっけないほど簡単に、右衛門たちの勝利で終わった。

朝、十数人死体を確かめてみると、着物の裂け目を確かめなければ斬り口がわからないほど一瞬の一閃で刺殺されていたのである。

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