哀れな妹
「そう言えば、北海道に旅行に行くって言ってたのは今日だっけ?」
俺は、ふとテーブルに置いてある卓上カレンダーに丸がしてある日付が目に入った。
10月10日土曜日。
それは丁度今日にあたる。
「そうだよ。それが何? お兄には関係ないでしょ」
俺の耳に目玉焼きを口にしながら相変わらずの冷めたユイナの声が返ってきた。
「紫のウィルスが来てるって時に呑気に旅行なんて行ってて大丈夫か?」
俺はあくまで家族として心配してやってるのだが、どうやらユイナからすれば余計なお世話なようだ。
「別にどこにいたって一緒でしょ。むしろ向こうの方が東京に比べると空気も綺麗だし安全かもね」
何故か俺を睨みつけるユイナ。
おいおい、それじゃあまるで俺のせいでこっちの空気が汚れてるみたいな言い草じゃないか。
どういうことか問い質してやろうとも思ったが、ここ数週間掃除をしてない自分の部屋の惨状を思い出してやっぱりやめることにした。
「ま、確かにそうだな。じゃああとは土産を忘れずに買ってくるんだぞ」
俺は取り敢えずウィルスのことは考えないようにして、今は有名な北海道の名産物に思いを馳せることにした。
「じゃあ、ん」
するとユイナが俺の方を見向きもせずに、左手の掌が見えるようにして俺に向かって突き出してきた。
何を求めているのかはよく分かったが、正解をそのまま答えるのも面白くないので、俺は皿に盛り付けられてあったソーセージ箸で掴むと、そのままユイナの掌に置いてやった。
一瞬何を置かれたのか気付いてない様子のユイナだったが、掌に視線をやった途端、ものすごい勢いで俺に向かってソーセージを投げつけて来た。
「違う! 誰が肉の詰め合わせを寄越せって言った!! お土産代を頂戴って言ってるの!!」
俺は右手でソーセージをキャッチすると、食べ物を粗末にするなという親の躾に従ってそのまま口にする。
「お前な、食べ物を人様に向かって投げるなよ。行儀の悪い。親の顔が見てみたいよ、全く」
やれやれとソーセージを頬張りながら呆れる俺に、ユイナが頭を抱えながら失礼なことを口走る。
「お兄と同じ血が私の中に流れてるって考えるだけで、頭がどうにかなりそう」
「前からどうにかなってるっぽいし、今更どうにかなりようもないだろ」
適当に返しながら俺は目玉焼きを口にする。
すると、どうやら我慢の限界な様子のユイナが声を荒げて叫んだ。
「あ~、もう!! お兄と話てるとイライラするっ!!」
相手が怒っているとわかっていながらも、つい余計な一言を言ってしまうのは俺の悪い癖だったかもしれない。
「あの日か?」
ガンッ!
「ご馳走様!」
両手でテーブル叩くと同時に力任せに立ち上がったお冠な様子のユイナ。
乱暴に食器を流し台へと持って行くとそのままリビングを後にしようとする。
しかし俺は見逃さなかった。
ユイナのショートパンツの後ろポケット。
そこからチラリと見えた紙の一部を。
「おい待てよ」
俺の呼びかけにユイナが肩をビクリとさせながら立ち止まった。
しかしそれも一瞬。
「うっさい話しかけんな! それと私もう行くから!!」
俺に暴言を吐いて再び立ち去ろうとするユイナだが、しかし俺はそれを見過ごすことは出来ない。
「そのポケットからはみ出してる紙は何だ?」
俺の指摘にギクリとしながら慌ててはみ出していた紙をポケットに突っ込む。
「妹のお尻を見てたの? 言っとくけど最近は家族間でのセクハラも認められてるんだから気を付けた方がいいよ」
なんだかもっともらしい事を言ってはぐらかそうとしているが、そんなもの初めて聞いたし、まずセクハラじゃあない。
「心配しなくても誰もお前の尻になんて興味はねぇよ。胸と一緒で貧相だしな。あるのはその紙に書かれてる内容だ」
俺はもう一度紙について指摘するが、ユイナはまたしても話を逸らせようと話題を変える。
「妹が一番気にしてることをさらっと言う? これだから引きこもりって嫌い!!」
話の流れを変えるのがやけに上手いユイナに感心しながらも、俺は聞き捨てならない一言に食って掛かる。
「おいちょっと待て! 俺は引きこもりじゃねぇ!」
「学校が終わって次の日の朝まで部屋に引きこもってるんだから引きこもりでしょ!!」
確かに基本的には自分の部屋にこもってゲーム三昧だが、その事について妹からとやかく言われる筋合いはない。
「学校にはちゃんと行ってるんだから何が問題なんだよ!」
「“根暗の妹”ってクラスメイトに弄られてる私の身にもなって!」
おっと、どうやら俺の知らぬ間に“根暗”というあだ名が付いているようだ。
ユイナとはつい最近まで同じ中学校だった。
俺が3年でユイナが1年。
その時から俺は学校でも友達とはあまり関わらずにゲームばっかりしていたし、別にもうすぐ卒業だったから何とも思わなかったのだが、どうやら卒業してもそのあだ名が消えたわけでは無く、今はユイナをからかうための道具として利用されているらしい。
「え、そうなの? それはなんというか……、すまん」
その件に関しては俺の日頃の行いによるものなので、迷惑がかかってる以上は素直に謝ることに。
「じゃあ、私行くから」
流れるような立ち去り方に思わず見逃してしまいそうだったが、そうはいかない。
「だから待てと言ってる」
俺は逃げようとするユイナの元まで足早に駆け寄ると、その手を掴んで逃亡を阻止する。
「いい加減にして! 警察呼ぶよ?」
まさかの身内を国家権力に売り飛ばそうとする我が妹に、逞しくも哀しみを覚えつつ、しかしその程度じゃこの手は離さない。
「呼べばどっちが捕まるだろうな、このコソ泥め」
「……どういう意味よ」
コソ泥という言葉にユイナが目に見えて動揺しているのがわかる。
「母さん達が一週間も家を空けるってのに、何も置いて行かないはずが無いだろ?」
そう。我が家では両親が仕事上、家を空けることが多いのだが、その度にいない間の生活費を置いて行ってくれている。
いつもはネット口座に自動的に振り込まれているから特にこっちで操作しないといけないことはない。
けど、休日なんかで振り込めない場合は、専用口座にアクセスするためのパスワードが書かれたメモ書きがいつもはテーブルの上に置かれてあるのだが、今回はそれが見当たらない。
もしかして忘れていった?
そう思ったが、うちの両親はその辺はしっかりしているのでそれはない。
ならどういうことか?
答えは自ずと導き出される。
「だから何のこと? 離してよ。待ち合わせに遅れちゃうでしょ」
掴んだ手を振りほどこうとするユイナを無視して、俺は紙切れが入ったショートパンツのポケットに手を伸ばそうとするが、それよりも早くにユイナが紙を取り出して自分の胸へと隠してしまった。
「あっ! お前何やってんだよ!!」
「へへーん! 取れるもんなら取ってみればぁ!?」
ドヤ顔で無い胸を張る哀れな妹に、俺は憐れみを覚えながらも、そういうことならと僅かに露出したユイナの谷間へと遠慮なく手を突っ込んだ。