踏み出した一歩
それから俺は何をするわけでもなく、ただその場に座ってずっと街を眺めていた。
運営の女はもういない。
あの後すぐに街へと向かって走り去ってしまった。
他の街へ行くとは言っていたがどの街かはわからない。
というよりも、今の俺には興味が無かったという方が正しかったかもしれない。
夜を彩る魔法の世界に目を向けていると、少しだけ意識を反らせることができる。
ユイナが死んでしまったかも知れないという現実から。
この目で実際に見たわけじゃない。
ただ、人伝いに聞いただけの話。
そんなものは嘘だと一蹴することは簡単だ。
けど、今この世界で起きている異常事態を前にすると、もしかしたら本当じゃないかとつい考えてしまう。
確かめようにもそこへ行くまでの手段も方法もない。
ほぼほぼ初心者の俺にモンスターがうろつくフィールドを歩いて行けとは、死ねと言ってるようなもんだ。
おまけに一度もGAMEOVERにならずになんて不可能に近い。
自慢じゃないが、隣街に行く前に強制ログアウトになる自信さえある。
誰か一緒に宵闇の都まで同行してくれる仲間でも探すか?
けど、わざわざ強制ログアウトのリスクを負ってまで街の外へ出てくれる奴なんていないだろう。
そもそもこの街だってもうすぐしたら安全ではなくなるんだ。
いや、下手すればすぐにでも。
ドォォン!!!
噂をすればなんとやらだ。
早速各所で魔法のぶつかり合う音が聞こえて来た。
きっと不満の溜まったプレイヤーの八つ当たりか、もしくはただ暴れたいだけの馬鹿か。
徐々に激しさ増しながら、建物の崩れる音があちこちで響き渡る。
多分俺のいる古城前がその煽りを受けるのも時間の問題だろう。
魔法を唱える声と人々の叫び声が次第にこちらに向かって近づいてくるのが俺の耳にも届いた。
このままここにいればきっと現実世界に帰ることはできるだろう。
ゲームオーバーという名の強制ログアウトによって。
そしてそうなれば後は紫のウィルスの餌食になるだけだ。
いや、もしかしたら意識が破壊されるなんてのは嘘で体が動かせないだけで死ぬことはないのかもしれない。
きっとこれはアーカイブ社が考えたイベントの1つで、仮想世界を存分に楽しんでもらうための壮大な嘘の可能性だってある。
目が覚めたらユイナが傍にいるかもしれない。
父さんと母さんが心配しながら俺を見ているかもしれない。
俺はどんどん楽な方に思考を始める自分に空笑いしか出なかった。
依然、音は激しさを増していくばかり。
魔法をろくに覚えてない初心者に為すすべなんてあるはずもないだろう。
今この世界に彼らを守る存在は何1つとして存在しない。
法も秩序もない。
ゲームの管理者ですら管理できなくなった無秩序の世界。
あるのはイレギュラーありきのシステムによって判定される優劣のみ。
魔法の数とレベルの高さがモノを言うなんでもありのクソゲーム。
力さえあれば好き放題出来る。
誰も咎めるものもいない。
きっと暴れたくてしょうがない人間には最高の舞台となっただろう。
リアルに限りなく近いこの世界に、かつ魔法という現実には決して存在しない力。
しかもその力を向ける矛先に制限はない。
たとえ相手が人で、ゲームオーバーが死につながるとしても。
普段のプレイ中にこんなことになっていれば、俺は間違いなく安全な場所で身を隠して嵐が過ぎ去るのを待っていると思う。
逃げることに徹して誰かが助けに来てくれるのを待つ。
それが俺の処世術だ。
現実世界でだってそれは変わらない。
けど、今の俺にはそんな甘えた考えは許されない。
助けを待つんじゃなくて助ける側にならないといけない。
迎えに行くと約束した相手がいる。
仮にその相手がもうこの世界にも、そして現実世界にいないとしても、俺は自分の目で見るまでは絶対に信じない。
ユイナはきっと生きてる。
目的のためなら多少無茶でも手段は選ばない奴だし、簡単に死ぬような事はないはず……。
しかしそこでふと、お金のために他人をお兄と呼ぶと脅してきた今朝のユイナの姿を思い出して、俺は少しばかり不安になった。
まさかとは思うが生き残るためとはいえ、そういう間違った方法に縋ったりはしてないよな。
人の道を踏み外すなとは忠告したし。
けど状況が状況だし。
俺の脳裏に助けてもらうために、知らない男をお兄と呼びながら寄り添うユイナの姿がチラついた。
俺は無意識に立ち上がっていた。
こうしちゃいられない。
すぐにでもユイナがいるはずの宵闇の都に行かないと!
しかしそこへ行くまでの方法は?
熱くなった思考を制するように、微かに残る冷静な自分が俺に待ったをかける。
確かに今の俺じゃそこへ行くまでにゲームオーバーになる確率は高いだろう。
けどこれはゲームだ。
リアルを追求したとは言っても所詮仮想は仮想。
ゲームはゲーム。
人が作ったものなら必ずクリアする方法があるはず。
道は必ずあるんだ。
例えイレギュラーを孕んでいたとしても、そのイレギュラーすらルールとして捉えられるようになればいいだけの話。
ウィルス如きに負けてたまるか!
そこまで考えた俺は、これまでやり場が無くて困っていた不安や怒り、動揺といった感情を全て紫のウィルスにぶつけてやることにした。
そもそも全部あの紫色が悪い。
勝手に現れて勝手に増えて、好き勝手に広がりやがって。
不法入国に不法侵入。
気付けば人の体に侵ってきて、挙句に自分の物だと言いたげに紫の斑模様のマーキング。
ふざけんな!
所詮はウィルスだろ!
ワクチンが完成すればお前らなんて一発だ。
この世から一匹残らず駆逐してやる!
確かGMがワクチンの完成まではおよそ1年だと言ってたな。
ならこの世界がいかに無秩序で無茶苦茶だろうと、1年間耐え凌げば助かるんだ。
ユイナを見つけて1年間このゲームの中で生き残る。
それがこのゲームのクリア条件だ。
これもゲームの1つ。
そう考えれば不思議と気分が楽になった。
これは命をかけたデスゲームなんかじゃない。
明確にルールがあるれっきとしたゲームでありVRMMORPGだ。
ルールは単純明快。
『この世界のどこかにいるはずの妹を見つけ出し、1度もゲームオーバーにならずに1年間このゲームの中で暮らすこと』。
それをクリアすれば俺たちの勝ちだ。
ゴールが見えた途端、俺は自分で言うのもアレなほど不気味に笑っていた。
これはゲーム。
ただ、難易度がかつてないほどハードなだけでクリアできないわけじゃない。
乗り越える道は必ずあるはず。
俺は腰のホルスターから魔法書を取り出した。
古びた感じの色合いに、石を鋭利なもので切ったような滑らかな装飾の施された、俺のたった1人の相棒。
俺はお気に入りでもある、ストレス発散によく使っていた中級魔法『ジルベスター』が刻まれた頁を開くと詠唱しながら夜の街へと向かって一気に駆け出した。
目指すは宵闇の都。
そのためにもまずはこの街を抜け出して、近くにあるダンジョンを攻略する。
魔法を集めながら同時にレベルを上げていく。
それを繰り返していけば自然と次のエリアへ行くための力を手に入れられずはずだ。
俺のウィザードコレクションはこれから始まるんだ。
どんな困難だって乗り切ってみせる。
俺は赤黒い輝きと共に爆ぜる建物の瓦礫の雨に向かって唱え終えたばかりの魔法を発動させた。
瓦礫の一部が粉々に砕けて、そして僅かにできたか細いトンネルを掻い潜って俺は先を目指して走る。
背中から聞こえる魔法使いたちの怒号混じりの詠唱を無視して、俺は未だかつて無いほど興奮した体を引き連れて街の外へと飛び出した。
そして勢いもそのままに近くにあるはずのダンジョンを目指す。
陽が昇り始めたばかりの草原フィールドを突っ切って、俺はただがむしゃらに走り続けた。
少しでも早く強くなるために。
少しでも多くの魔法を覚えるために。
そして俺はダンジョン前で2人の女に声をかけられ、おまけで付いてくる男3人組を引き連れてダンジョン攻略をすることになった。
ボスモンスターに遭遇し、ゲームオーバーとなった3人組。
逃げた2人の女。
牛のストーカーに追い回され、左眼を襲われるというトラウマに次ぐトラウマの数々。
乗り越えたかと思えば、左眼は俺にとってのトラウマ色に。
それでも生きてはいるのだから俺にとっては些細なこと。
俺は今にも泣き出しそうな自分の心にそう言い聞かせながら、自分で自分を慰めた。
この程度のことで弱音なんて吐いてられない。
きっと、この先立ちはだかる困難に比べればこんなものはきっと鼻で笑う程度のもんだ。
俺は半ば強引に自分を鼓舞すると、このゲームをクリアするための一歩をゆっくりと踏み出した。
ユイナを見つけ、そしてワクチン完成まで1度も死なずに生き残ってみせる。
そのための一歩を。