法と秩序のない世界
「ちょ、ちょっと待て! 今なんて言った!?」
俺は女の言っている意味を理解はしたが聞き返さずにはいられなかった。
「ちょっと大声出さないでくれる」
周囲の目を気にする女だが、正直今の俺にはその事に気を遣ってられる程心に余裕がない。
「モンスターの襲来ってなんなんだよ!?」
「それよりもういいでしょ。忠告はしてあげたんだから私はこれで……」
女は踵を返すようにして俺の前から逃げようとするが、悪いけどそのまま見逃すことなんて出来るはずもない。
「待ってくれ! 頼む!! 妹がそこに転送されてるはずなんだ!! 知ってることがあるなら教えてくれ!!!」
ユイナが転送された場所が壊滅状態だなんてことを知って、
へぇ、そうなんだ。
ってわけにはいかない。
何がどうなってるのか?
ユイナは無事なのか?
気になることがあり過ぎる。
しかし周囲の目も集まりつつあるこの状況の中で、女がこっちの事情を察して懇切丁寧に答える義務なんてあるはずもない。
だからこのまま俺を無視してどこかへ行ってしまうのかと思いきや、意外にも女は足を止めて俺の質問に答えてくれた。
「このゲームのイベントの1つに“モンスター襲来イベント”があるのは知ってる?」
俺へと振り返りながら女が言う。
「ああ、確かギルドや仲間と協力して街を守るってやつだろ?」
ウィザード・コレクションには様々なイベントが1日に何度か行われている。
内容は個人から街1つ巻き込んだモノまで多種多様だ。
そしてその中でももっとも規模が大きいイベントが月に2度行われるモンスター襲来イベント。
街を襲おうとするモンスターを魔法使いたちで退けるというもの。
モンスターのレベルは街によって変化し、スタート地であるこの街から離れれば離れる程、高レベルのモンスターが襲い掛かって来る。
難易度はその分高くなるが、クリア報酬なんかに違いが出るため、レアアイテム目当ての上級プレイヤーなんかは率先して遠くのエリアを目指す。
「そうよ。それでエリア46で行われるそのイベントの開催日時がついさっきだったのよ」
その日のイベントは街ごとによって異なる。
「け、けど、それってただのイベントなんだろ? 壊滅状態っていうのは一時的なもので、時間が経ったらモンスターも消えて、街も自動的に修復されるんだよな?」
俺が気になるのはそこだ。
そのイベントには時間制限があったはずだから、例えどれだけモンスターに侵入されて街を破壊されようとも時間が過ぎれば元に戻るはず。
制限時間内にモンスターと戦わずに逃げ続けることも可能だ。
しかし、イレギュラーが起きている今の現状ではそれがどこまで正常に処理されているのかが気になる。
最悪モンスターに街を壊されて、モンスターも消えずじまい。
仮に街の中に初心者が取り残されたならまず助かることはないだろう。
そんな状況の中にユイナがいるなんてことは考えたくもない。
せめてイベントはこれまで通り正常に行われている。
そう願う俺だが、女の答えはまたしても俺の期待を裏切るものだった。
「この状況から察してどうなってるかなんて大体わかるでしょ」
明言を避けて答えてはいるが、それは殆ど俺の考えの通り、もしくはそれ以上に最悪のことが起こっていると暗に語っているようなものだった。
「まさか、モンスターも街も……」
「オブジェクトを構成するシステムとユニットを制御しているAI管理部にまで感染してるらしいから……、残念だけど」
それを聞いて一瞬でもモンスターに襲われるユイナの姿がチラついた俺は、最も知りたくなくて、最も聞きたくない、けど確認せずにはいられない疑問を震える声で投げかける。
「な、なぁ、ウィルスから避難したプレイヤーはどうなったんだ? 街は壊滅状態でも、勿論生きてるんだよな?」
すると女は俺の視線から逃げるようにして視線を逸らせると、今度ははっきりとその事実を俺へと告げた。
「さっき聞いた話だと、生存者はゼロ……。だったそうよ」
俺は目の前が真っ暗になった。
それが何を意味するのか。
考えたくもないのに嫌でも理解してしまう。
生存者がいない。
つまりユイナは……。
「ごめんなさい」
これまでずっと悪びれることもなく、他人事の用に現状を話していた女だったが、何故かここへ来て素直に謝罪の言葉を口にした。
「なんで謝るんだよ」
急に申し訳なさそうな表情を作る女に俺は苛立ちを覚えた。
だって、それじゃあまるでユイナが死んだみたいな口ぶりじゃないか。
「私にも弟がいるから……、あなたの気持ちも少なからずわかるわ」
わかったから何だっていうんだ?
なんでそんな身内に不幸があったみたいな感じで俺に弟の話をする?
俺が聞きたいのはそんなことじゃない。
宵闇の都に避難したプレイヤーが、今どこにいるかを知りたいんだ。
謝ってほしいんじゃないんだよ。
「おい! もう一回、現実世界の運営に連絡して確認しろよ!! 何かの間違いだろ!!!」
俺は相手が女じゃなかったら多分掴みかかってたと思う。
それくらいコイツの言ってることが許せなかった。
例え真実なんだとしても……。
「悪いけど私のアバターにはもう運営としての管理権限を持つものは何1つないのよ。さっきメインサーバーと切断したおかげで、向こうとの連絡手段もない。初心者と何1つ変わらない状態なのよ。おかげでアバターへの感染は防げたけど」
「嘘だろ……?」
「本当にごめんなさい」
だから謝るなよ。
「それと、このことは街の混乱を防ぐためにも敢えて黙ってたんだけど……」
「これ以上の混乱がどこにあるってんだよ」
「2日後の明朝、モンスター襲来イベントがこの街で行われる予定になってるわ。システムの奪還に尽力を尽くしてるとは思うけど、期待しない方がいいわね。もしイベントが通常通り行われれば……」
女は言葉を詰まらせながらも言葉の続きを口にする。
「この街がエリア46に次いで、モンスターに壊滅させられることになるわ」
それを聞いた俺はもう笑うしかなかった。
無茶苦茶すぎる。
死のウィルスから逃げるために現実世界から仮想世界に来たのに、肝心の仮想世界はウィルスに感染しておまけにプレイヤーを強制ログアウトという方法で死に追いやろうとしている。
安全な場所もなく次に何が起きるかはわからない状況。
挙句の果てにユイナは既に……。
「なんで黙ってたのに俺に話すんだよ」
「本当にごめんなさい」
まるで迷惑をかけた相手への罪滅ぼしのように語る女に、俺は自分の中に芽生えた怒りの感情をどうすればいいのか大いに戸惑った。
間違いなく相手が女じゃなかったら殴りかかってたと思う。
「やめろよ。まるで本当に俺の妹が死んだみたいじゃねぇか」
俺はさりげなく女の言葉を否定してみるが、しかし相手は否定するわけでも肯定するわけでもなく、ただ俺に対してまたしても申し訳なさそうにしながら忠告してくる。
「できるなら貴方もこの街から離れた方がいいわよ」
「他にどこへ行くってんだ? 外にはモンスターがウヨウヨいるってのに」
「確実に襲ってくるとわかってる場所にいるよりかは幾分マシよ。それに、この街がそれまで安全でいられる保証もないわ」
「どういう意味だよ?」
「今やこの世界は私達運営の手を離れた無秩序の世界になってるわ。何が起きるかわからない。何が起きてもおかしくない。そして……」
女は周囲の人間を警戒するように視線を漂わせながら、そっと俺に耳元でその事実を囁いた。
「誰が何をしたところで、私達にはそれを止める術がないのよ」
俺はその言葉の意味を理解して青ざめた。
何故ならそれは、運営自らが今この世界の主導権が自分に無いと言っているのだ。
その意味の重さに俺は愕然とした。
簡単な話、今近くで誰かが暴れたとしてそれを止める術が殆ど無い事。
さっき金髪の魔法使いが男を取り押さえていたように、魔法で対処することは出来るだろうが、それは相手もそれを望んでいてのことだ。
暴れることが目的の人間に襲われた場合、できることは逃げることか、もしくは戦うことのみ。
下手をすれば自分がゲームオーバーになるか、相手をゲームオーバーにさせてしまうか。
その可能性だって十分にありえる。
そしてそれは裏を返せば自分が死ぬか、もしくは殺すかという話しと同等だ。
あまりに非現実的な話に俺はただ苦笑いするしかなかった。
”死”をこんなにも身近に感じたのは生まれて初めてだったかもしれない。
現実世界にはあった法と秩序。
それがなくなってしまった、限りなく現実世界に近い仮想世界。
まさに無法地帯となったこの世界で俺は今、ただ絶望することしか出来ないでいた。