イレギュラー
そしてGMの男はそれだけには止まらず、呪文の詠唱まで始めた。
人混みを縫って僅かにしか男の姿は見えないため、何かの勘違いかとも思ったが微かに光を帯びる魔法書が、詠唱中であることを証明している。
「何をするつもりだ?」
そうは言っても、魔法書を開いてご丁寧に詠唱まで始めてるのだから狙いはわかる。
魔法を発動させようとしてるんだろう。
けど、突然どうして?
そもそも街の中は魔法発動制限区域。
プレイヤーへの攻撃は禁じられている。
第一、魔法はシステムの干渉を受けて発動できないはずだ。
ただGMなら可能なのかもしれないけど、それでもこの場で発動させようとする意図がわからない。
突然のゲームマスターの行動に他のプレイヤーたちも戸惑を隠せない様子だ。
俺もどうしていいかわからずに事の成り行きを見守っていると、GMが震えながら膝を地に着け、そして魔法書をもった自分の右手首を、左手で掴んで無理矢理地面へと押さえつけた。
まるで自分の手ではない誰か別の人間の手を押さえつけるようにして抗っているようにも見える。
「おいあれ。手の甲のやつ」
周囲を取り囲んでいたプレイヤーの1人が何かに気付いて声を上げた。
その声は若干の戸惑いと恐怖が入り混じった複雑な声だった。
見ている全員がゲームマスターの右手の甲に視線を集める。
俺も目を凝らしながら確認してみると、
そこにあったのはもう見るだけで「ごめんなさい」、と謝りたくなる俺にとっては最近トラウマ入りしたばかりの紫色の斑模様だった。
けど、どうして感染した時に現れるまだら模様がこの世界に?
あれは現実世界で感染した時に出るものであって、仮想世界では関係のないはず。
おまけによく見ると俺の時と比べてそれは少し違っている部分もあった。
それはまだら模様が肌が見える左手や首回り、そして顔全体へと移ったところで、形が斑模様ではなく、幾何学模様として浮かび上がったことだ。
斑模様から幾何学模様に。
何がどうなってる?
ていうか、あれって他への感染の心配はないんだよな?
ここって一応ゲームの世界だし、そもそも感染したところでどういう影響があるんだ?
肉体が感染するとアバターにも影響が?
けど俺は感染してるけど何ともないよな?
俺は不明な点で埋め尽くされた現状の中で、それでも必死に考え抜いた。
その結果、俺はある1つの結論へと至った。
「うん。何もわからん」
GMは自分の手に浮かぶ紫色を見ると、引き攣った表情で俺たち一般プレイヤーを見た。
何かを訴えかけるような視線。
魔法の詠唱中なのにその困惑した表情から、今起きていることがイレギュラーであることぐらいは俺でもわかった。
まるで攻撃して欲しそうな顔で一般プレイヤーたちを見ている。
俺はそれを見て、もしかしてダメージによる詠唱中断を狙ってるのでは?
そう思った。
魔法の詠唱中にモンスターなんかに攻撃されると詠唱を初めからやり直さなければならなくなる。
魔法を発動させることを本人が望んでいないならその可能性は充分にあった。
俺はGMの詠唱を中断させようと魔法書を取り出して詠唱を唱えようとするが、しかし一足遅かった。
GMの男は詠唱を唱え終えると同時に、無理やり口を動かすようにして魔法を発動させてしまった。
「バーレスク」
魔法発動制限区域であるはずの街の中で魔法書が一層の輝きを放った。
それは魔法が発動する際の合図。
俺は咄嗟にその場から離れようとしたが人だかりが邪魔で全く動けない。
そして、
ドン!!!!!!!!!!
直後、けたたましい爆発音がその場に響き渡った。
もうもうと立ち込める土煙のおかげで俺の周囲は視界ゼロの状態。
そして視界が晴れると、俺の目には無数のGAMEOVERの文字が飛び込んで来た。
それは文字が重なり過ぎて何と書かれてあるか読めないほどに……。
男の姿は既にそこにはなく、周囲の人間を巻き添えに自爆したと思われる。
確か代償にするHPによって威力の増す魔法があると聞いたことがある。
もしかして自分のHPを全て代償にして魔法を発動させたのか?
一体なんのために!?
おそらく今の爆発で100人以上は巻き込まれたと思う。
無数の光の粒子が夜の古城を彩り、風に流されながら儚く消えていく。
消えた人たちは強制ログアウトによって意識を現実世界へと戻したはず。
GMの話が本当で、現実世界の肉体が紫ウィルスに感染しているなら、それはつまり意識の破壊。
死に繋がるはずだ。
何が起きたのかわからずにその場に立ち尽くす初心者プレイヤーたち。
きっと今回の騒動で初めてこのゲームをプレイする人間にとっては、瞬時に何が起きたのかを理解することは出来なかったと思う。
ゲーム経験者の俺でさえ理解できないことが多いこの状況。
初心者プレイヤーなら尚のことだろう。
しかし、それでも良くないことが起こっていることを悟ったのか、まるで蜘蛛の子を散らすようにしてその場から逃げ始める初心者プレイヤーたち。
古城の中へ入る者。
その場から動けずにいる者。
押し出されて川へと落ちる者。
混乱そのものがその場を支配していた。
そして、俺が彼らに混じって逃げ出さなかったのは、別に冷静さを保って状況を理解しようとか、動揺してないとかそういったものではなく、ただ、ある不安が脳裏をよぎったからだ。
「ユイナは無事なのか?」
もしユイナがここにいて、あの爆発に巻き込まれていたら……。
そう考えただけで頭が真っ白になりそうだった。
どうしていいかわからない。
考えれば考えるほど、頭は冷静さを失っていく。
俺はどうすることもできずにその場に膝をついた。
どうすればいい?
どうするのが正解なんだ?
ユイナの無事を確認するための方法は何かないのか?
必死に頭を巡らせるがこんな無茶苦茶な状態では思考もまともに働かない。
おまけにそんな俺に対して追い打ちをかるように、今度は別のプレイヤーが詠唱を始めた声が聞こえて来た。
俺の右斜め前方。
顔に紫の幾何学模様を飾りながら、男の魔法使いが先ほどのGMと同じように必死に何かに耐えた様子で地に膝を着けていた。
震える声で呪文を唱える男。
まるで呪いのような呪文の唱え方に、近くにいたプレイヤーたちが顔を青くしながら逃げるように一斉に走り出した。
俺も逃げないと。
そう思っても体が言うことを聞いてくれない。
足が震えてる。
ユイナの安否がわからない不安と、立て続けに起きる異常事態に、俺の体がパニックなってしまっていた。
それでも今はこの場から逃げないと。
俺は身体中の意識を集めて必死に逃げるように指示を出す。
どうにか立ち上がってその場から離れようとするも、残念ながら男が詠唱を唱え終える方が僅かに早かった。
「ビート!」
しかし魔法を唱えた声は俺の前からではなく後からだった。
バン!!!!
突然見えない何かが詠唱を終えたばかりの男の体に襲いかかった。
男は衝撃で地面へと倒れ込んでしまった。
持っていた魔法書からは輝きが消え、詠唱の強制キャンセルがなされたことが見てわかる。
これで次の詠唱までには数秒間のタイムラグができるはずだ。
依然、苦しそうに何かに耐える男の前に現れたのは金髪の髪が特徴的な魔法使いの男だった。
幾何学模様を浮かべた男に近付き、自身の背後にいた別の魔法使いたちに取り押さえるよう指示を出す。
そして数人の魔法使いたちに押さえつけられた男は抵抗することもなく、なすがままだった。
更に金髪の魔法使いが古城の中に指を差しながら彼らに向けて指示を出す。
指示された魔法使いたちは動かなくなった男を抱えると、そのまま古城の中へと連れて行ってしまった。
俺は手際よく暴徒を押さえ付けた一連の流れに感心しつつも、しかし再び訪れた混乱と戸惑いのおかげで少しの間、茫然自失となっていた。